ミニバンに乗るの、やめませんか?
カー&プロダクトデザイナー/SWdesign代表 和田 智さん(2)
日経ビジネスオンライン 川島 蓉子  2014年9月12日

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140905/270866/?P=1

日経ビジネスオンラインの“アクセスランキング”で、私がみたときに「現在」1位で、そのときの「昨日」でも1位、「過去1週間」でも1位だったこの記事に危機感を感じ、ひとこと書かせてもらう。理由は、私はミニバンに乗っているからだ(ただし、私の居住地は米国)。


上の記事は、川島蓉子さんの「ダサい社長が日本をつぶす!」という企画モノの中に位置していて、それを合わせると、ミニバンに乗っている社長はダサく、そのような社長が日本をつぶす、と言っていることになる。

そんなことは無いだろう!

…としか私には思えない。川島さんからインタビューを受けているのは、アウディで車のデザインをしておられた和田智さんであるから、そっち方向にバイアスがかかるのは仕方ないとしても、書かれている(話された)内容が「ミニバンに乗っている社長はダサく、そのような社長が日本をつぶす」ということを主張している内容であるなら、現在ミニバンに乗っている私としては看過できない。私は、「ミニバンに乗っている社長はカッコよく、そのような社長がこれからの日本を創る」と思う。

「ダサい社長が日本をダメにする」という意見には同意するが、私には、アウディ、BMW、ベンツに乗りたがる社長がダサくて、ミニバンに乗っている社長がカッコいい。

アウディ、BMW、ベンツのような高級車に乗りたがる社長はダサい。高級車に乗りたいから起業し、そしてアウディを買った、ような社長はダサい。アウディ等の高級車に乗りたがるのは、ヨーロッパの高級ブランドが付いたバッグを持ちたがるのと同じで、そういったモノが氾濫する日本社会は幼稚社会だと思う



和田さんは「いつの時代も、人の暮らしや社会と密接にかかわっているものだ」と言われる。私も同意する。また、「建築物、クルマ、電車、自然、人……、さまざまな要素が織りなすシルエットの集合体。それが街の風景であり、情緒であり、エッセンスです。クルマって、そういう意味では、「個人の持ち物」以上の役割を負っている」と言われる。私も同意する。

しかし、それを踏まえて考える車の「あるべき姿」が違う。日本基準で考えれば、私は、和田さんの感覚は20世紀の感覚だと思う。ドイツより日本の方が文化のフェーズが前に進んでおり、ドイツではまだ、日本の20世紀の感覚(車に力強さやスピードや豪華さを求める)が強く残っているだけのことのように思う。ミュンヘンを歩いているとタバコの煙が目に染みることが今でも多いが、日本ではそれはほとんどなくなった。それに近いものが車に対する価値観における差にもあるのではないだろうか。

私は、アウディよりホンダのミニバンの方が、社長が持つ車としてカッコいいと思う。少なくとも私はそのように思って、4歳の娘、1歳の双子を乗せてミニバンを走らせている。これが「幼稚」な行為だとはぜんぜん思わない。歴史性も公共性も乗せてミニバンを走らせているつもりだ。

アウディでは、後部座席に3つのチャイルドカーシートを納めることができるか?試したことは無いけれども、できないと思う。ホンダのオデッセイはできる。カッコいい。そのカッコいい“デザイン”はこのビデオを観ればよくわかる。

http://owners.honda.com/vehicles/information/2014/Odyssey/features/2nd-Row-and-3rd-Row-Magic-Seat


オデッセイのカッコよさはもちろんこれに留まらない。これに象徴されるように、ミニバンは、それを所有する家族のため、家族を持つドライバーのためにさまざまなデザインや機能が作り込まれており、「家族のため」というソフトな概念を極めたカッコいいハイテク商品なのだ。

和田さんは、「道路に居並ぶクルマは、街行く人から見れば、まさに風景の重要な一部です」とおっしゃっているが、私も同意する。しかし、その重要アイテムとしてミニバンが拒絶されるのには、私は同意できない。街や歴史を意識したときに、アウディだったらよくて、なぜミニバンだったらだめなのかが、私にはわからない。「家族のため」というソフトな概念を極めたミニバンは現代日本の街にも歴史にも溶け込める。私の価値観では、軽薄なブランド志向に見えてしまうと思えるアウディはダサいし、アウディをダサいと思えない社長はダサい。ミニバンではなく、もしアウディが氾濫するようなことになれば、そのような日本の方が私には“幼稚社会”に見える。

和田さんは、週末、子供たちを野球のグラウンドにミニバンで送ってくるお父さんをダサい存在と思われている。その光景を見て、「お父さんが子どもたちの運転手に成り下がったように見えた」とまで言われる。おそらく、和田さんにとっては「献身」という概念はダサいのだろう。

さらに和田さんは、自らの思い出として、実父に「いすゞ自動車の「べレットGT」でドライブに連れて行ってもらい、「オヤジ、かっこいいなあ」と思ったと語られている。これって、とても20世紀だと思う。

和田さんの「子供とは、誇り高い父親から多くを学ぶ側面がある」に私も同意する。しかし、ミニバンに乗って子供を野球グラウンドに送ってくるお父さんも「誇り高い父親」であると考えるか否かで、彼と私との意見は分かれる。

さらに、ミニバンには「クルマに乗っている人間の意思が見えない」とまで言われるが、スポーツカーを子供に自慢する父親が示す“人間の意思”がカッコよくて、ミニバンがかもしだす献身的な父親像はダサいと思える価値感が、私には「なにより幼稚に見える」。スポーツカーを自慢する社長より、ミニバンで息子を野球グラウンドに送ってくる社長の方がカッコいい、としか私には思えない。


車の雑誌ならまだしも、経済紙で「ミニバンに乗るのやめませんか?」はやめませんか?…と思わず口走りたくなるのは、そんな理由からだ。





ホンダのオデッセイの開発者の皆さん、そしてその他のミニバン開発者の皆さん、ミニバンは現代日本にとってたいへんカッコいいクルマです。上記引用記事のような主張に惑わされること無く、これからも自信を持ってミニバンを創っていただきたいです。

私は米国でホンダのオデッセイに乗らせてもらっていますが、「家族」の視点からつくり込まれた高度なデザインや機能を日本人として自慢したい気持ちで乗らせてもらっています。

今後ますますミニバンのカッコよさが際立つ開発をよろしくお願いします。





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