中川村の村長さん

ひょんなことから、中川村の村長さんに引っ掛かった。引っ掛かったといっても、インターネット上でその名前を知り、ウエブサイトでチェックしてみた、というだけのことなのだが…


中川村は、長野県内に天竜川に沿ってある村。
http://www.vill.nakagawa.nagano.jp/


そこの現職村長さんは、今年の4月に再選されて二期目を勤める曽我逸郎さん。
http://inamai.com/news.php?a=nakagawa&l=m


「村を売り出し、村民が活躍できる舞台を整えた」一期目の実績が評価されての再当選という。




「村長からのメッセージ」のページに、戦没者追悼式と靖国神社に関する記載があった。

http://www.vill.nakagawa.nagano.jp/intro/v_chief/033_20081106.html


これは、曽我村長が2008年の長野県戦没者遺族大会と長野県戦没者追悼式に出席されて、“いろいろ考えさせられること”があり書かれたもの。

(引用始)
 最も気になったのは、たくさんの来賓の方々が挨拶をされ、追悼の言葉を述べられたが、どの言葉も、その場を耳障りよく流れていくことに気をつかうばかりで、真剣に突き詰めて考えられたものではなかったことだ。

 「戦争で亡くなった方々の尊い犠牲があって、現在日本の平和と繁栄があることを、私たちは一瞬たりとも忘れてはならない。」
 登壇したおそらくすべての人がこのようにおっしゃった。様々な戦没者追悼式で必ずといっていいほど言われる言葉だ。しかし、本当にそうだろうか。戦争の犠牲がなければ、平和と繁栄は得られなかったのか。私にはそうは思えない。もし戦争がなくて、平和のまま、犠牲になった兵士や市民が元気に活躍し、それぞれの夢や計画に邁進しておられたら、今の世の中は、もっともっとよいものになっていたのではないのか。戦死した皆さんは、戦争で犠牲となることを強いられることによってではなく、農業や得意とする技術やみずからの構想を実現することによって、日本や社会に貢献することを望んでおられた筈だ。私たちは、かけがえのない人たちを失ったのだ。破壊と殺戮が、どうして平和と繁栄に貢献するのだろうか。
 戦争による死を、「無駄ではなかった、意味があった」と信じたい遺族の方々の感情はよく分かる。しかし、「平和と繁栄のためには犠牲が必要だった」という考えは、危険な芽を孕んでいる。「今後も平和と繁栄のためには時として犠牲が必要となる。」こういう考えを誘い入れかねない。勿論、演壇に立たれた方々がこんなことを主張された訳ではない。しかし、深く考えていないために、突き詰められればこういう考えを容認することになる。

…(中略)…

 もうひとつは、靖国神社のことだ。
 遺族大会のスローガンの第一は、「総理 閣僚などの靖国神社参拝の定着をはかること」だった。2番目は、「(靖国神社を形骸化する)国立の戦没者追悼施設新設構想を断固阻止すること」だ。
 遺族の方々の靖国神社に対する思いは、想像できなくない。戦争当時は、靖国神社に深い思いがあっただろうし、亡くなった兵士もいろいろな言葉を残しておられただろう。
だけれども、私がその気持ちを素直に共有できないのは、靖国神社が純粋に追悼の施設ではなく、明治2年の創建以来一貫して次の戦争に向けて国のために死ねる兵士を用意するための施設でもあったからだ。兵士やその家族にとっては前者であっても、国にとっては、建前はともかく本音においては後者であった。

…(中略)…

 では、国のために死ねる兵士を準備することをやめて、純粋に追悼の施設になるには、具体的にはどうすればいいのか。


① 過去のあり方を反省し、亡くなった兵士と遺族に謝罪すること。

② 天皇の側で戦って亡くなった兵士だけではなく、近代以降の日本がかかわったすべての戦争の犠牲者を、敵味方を問わず、顕彰ではなく追悼していくこと。

③ 合祀の取り下げを望む遺族の要望を受け入れること。

 正直なところ、靖国神社が受けいれてくれるとは、私にも思えない。単なる思考実験に過ぎないのかもしれない。しかし、もし靖国神社が純粋に戦死者を悼むだけであるならば、上記3点に問題はないはずだ。もし受けいれられないとすれば、純粋に戦没者を悼むだけではないということになろう。戦没者の死を他の目的に利用するようなことは、あってはならないと思う。遺族会の求めて止まない「総理・閣僚の靖国神社参拝」も、静かに追悼のできる状況づくりも、根本のところでそれを難しくしているのは、靖国神社自身ではないだろうか。是非、靖国神社には、純粋に戦没者を追悼する施設になって頂きたいと願う。

(引用終)



最後に、“とある新聞社にお勤めのOさん”からの質問に答えた文章からの引用。

(引用始)
 村政に直接係わらないことを、なぜ村の公式HPに掲載するのか」といった疑問があるかもしれませんが、村の行政のレベルを超えたテーマについても、村民の生活に大きく影響しかねない問題については、冒頭に述べた考えに基づき、問題提起し、皆で考え、全体の流れを少しでも村民に苦を与えないものにしたいと思っています。村の内だけでいくら頑張っても、大きな流れに問題があれば、村もその波に翻弄されることになります。例えば、格差社会の問題、勤務医不足の問題など、これまでも思うところを表明してきました。今回のテーマは戦争です。戦争を拒否する努力を不断に積み重ねていかなければ、日本は戦争のできる普通のありきたりな、志のない国になってしまい、世界の敬愛は得られず、そしてもし日本が今以上に戦争に足を踏み入れれば、村民に多大の悪影響が及びます。したがって、そうならないよう、村長として微力ながら問題提起をした次第です。
(引用終)




このような気概のある村長が日本におられることに感動した。そして、それ以上に感動したのは、このような村長を再選した中川村の村民のみなさんの存在である。

日本が民主主義の国になりつつあるのは間違いないと思う。もちろん一朝一夕に変わることはあり得ない。ゆっくりじっくり…しかし確実に民主主義の国になりつつあると思う。日本列島の丁度真ん中くらいにひっそりと存在する小さな自治体である中川村がこれからの日本をリードすることになるのかもしれない。

これからの日本に期待したい!

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