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2017-02-26 17:54:23

東の夕暮れ 西の曙

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2月6日銀座アミズバーにて
築秋雄さんが誘ってくださり銀座のライブも2回め。前日に築さんから
阿見紀代子さんとなにかジャズのナンバーをやってみませんか?と言われて
「Smile」をやれたらなぁと思った。
リハーサルで私のいつものスタイルに阿見さんがビブラフォンをつけてみたのだが、せめてリズムを刻む楽器がないとうまくはいかないという結論になり結局本番は一人で唄った。
それでも阿見さんは簡単な自分用の譜面も書いてきていて、そのことに感謝した。次回は必ず築さんと阿見さんと一緒に唄えるとよいとおもう。
築さんと二人でののセッションは、崩れ落ちるものを感じるかい?もShe said NO!も厚みがあってとても気持ちの良いものになったと思う。築さんが私の歌に敬意をもって臨んでくれることでそういう音になったのだと思う。
客席では60年代アメリカのフォークソング世代のお客さんが盛り上げてくださった。そしていつも私のライブを楽しんでくれるお客さんも座り心地の良いソファでゆっくりしてもらえた。
Sママもお客さんと同伴してくれた。そのあと転んで病院に行ったそうだけれど心配したほどではなかったという。「私転びなれているから上手に転ぶのよ」とSさんらしい台詞。一日も長く銀座で輝いていてください。
 
2月11日小田原ハルノキにて
前日に雪が降った朝は快晴。東海道線で二宮あたり過ぎ、海が輝いて沖に大きな島が見えた。初島かと思っていたが大島であることをライブの席でお客さんに教えてもらった。島もそして反対側の山々もとても鮮明に近く見えるいちにち。
ハルノキは石井美帆さんが自宅の一階を改造してやっている予約制の野菜料理のレストラン。唄う前に二階の美帆さんの部屋で温かいおにぎりと番茶と沢庵。惚れ惚れするほどおいしい玄米にぎり。車に乗せてもらったトナカイくんと分け合って食べた。トナカイ君は糖尿病の傾向があるというので、もっぱらこのハルノキの料理を楽しみにしているそうだ。
昼にはご近所や美帆さんの友達中心に、田下さんがバンジョーをもってきて一緒に一曲。
夜は、小田原近辺でいつも聴いてもらえる嬉しい方々が中心だ、お酒もずいぶん売れた。杉本さんがフラットマンドリンで緩くブルースなど加わってもらった。
ノーマイク、漆喰の壁と木の床に柔らかい音で響いた。野菜料理に似合う音だったか。
玄米があまりにもおいしかったので、私がお客さんに勧めていたら、美帆さんは夜の分をちょっと焦がしてしまったと残念がった。茹でたサトイモにブルーチーズと豆乳のソースを絡めたのは簡単でおいしかったので真似してみよう。
帰り際に思い出したように耳打ちする人がいる。いつだって大事な話はこんな風に戸口で靴なんか履きながらされる。病の人のことだった。

夜の部では美帆さんのリクエストの虹の王国を二人で唄った。
夜おそくお風呂に入れてもらって布団を並べて眠った。高校生時代、友達の家に泊りにきたみたいだ。バックパッカーで様々なところを旅していた美帆さんの部屋には北海道の大きな地図が貼ってある。地図とか本棚とか机とか20代の頃のままなんだろう。
 
        

2月12日御殿場RINCOLOにて
前日よりもさらに鮮明な空気の朝。トナカイくんの車で高速道路から濃いピンクの桜をみた。河津桜、満開をみたのははじめて。
大きな富士山を右に見ながら車は走った。
RINCOLOは昨年暮れにプレオープンイベントで来たときには配線が丸裸に見えるような状態だった。明けて今年のお正月から突貫工事に入るところだったが、大工さんが手に大けがして工事はそのまま止まった。そういう状況でライブをさせてもらうのも貴重な体験。
リンコロのタカさんが石油ストーブを焚いて室内を温めていてくれた。みさえさんは鹿肉のキーマカレーやスープを鍋で用意していてくれた。お客さんはそれほど多くはないだろうけれど、パーティーみたいに準備してくれた。
岐阜の郡上八幡から河合さんがカメラをもって来てくれた。
近所から、三島から、神奈川から、嬉しい人たちが集まった。東京からまさえさんも来てくれた。彼女が10年ほど前に初めて御殿場まで聴きに来たときのことを思い返したりした。
10人ちょっとのお客さんの見守る中ステージに立ってきれいな光を浴びて大きな音で唄い始めると、リンコロは大ホールに変身する。以前の店のステージもそういう雰囲気をつくっていたけれど、それに増した上等な劇場だ。
私は河合さんのカメラが回っていることを少し意識したけれど、終始リンコロのステージを楽しませてもらった。ふと、よぎったのは、ステージは贈り物のようなものだというきもち。
高坂一潮さんの名曲だびよんの鳥にあるように、ながいながい旅を続けていく途中に、ご褒美のように光を浴び艶やかに響く時間がある。それまでの道のりに比べたらほんの一時間か二時間は一瞬。
いとおしい時間。
終わってから、ちょうど誕生日が一緒という泰代さんとまさえさんのバースデーケーキにろうそくがともった。誕生日祝いのろうそくは、毎回、何度でもあたたかいものだとおもった。
翌日は朝から河合さんの撮った映像を見せてもらった。去年のいわきや岐阜のステージから変化している自分を確認。近いうちにDVDにできたらよいけれど。
タカさんとみさえさんとおそばを食べてから我が家まで送ってもらう。
夕食を用意して、Hさんからだといってジーズのジョージさんにいただいたワインをあけた。
ロミオとジュリエットという名前だ。バレンタインデーだ。一人でもおいしい。
 
          

2月17日北海道旭川へ
条件付きで飛び立った飛行機は無事に旭川に着陸した。この前日まで暖かかったのにと向けに来てくださった亀野達夫さんと千葉かよこさんに言われた。雪に慣れていない目に白がとても眩しい。しばらく白の中を走っていくと眠くなった。お蕎麦をごちそうしてもらってホテルで眠ってしまった。亀野さんのソロアルバムを聴かせてもらった。好きな音楽を詰め込んだクッキーの缶みたい。とくにウィリーネルソンのセクシーな曲がとりわけ美味しそうだ。
Good楽のライブで亀野さんの生のステージを今回初めて見た。自分で爺さんだからと何度もいうのだけれど、かなり色気のある爺さんの歌だ。
千葉かよこさんの作る歌は真似をする匂いのない純正のかよこさんの歌で、だから毎回聴くのが楽しみだ。
立谷さんにクロマティックハーモニカで生命の河、MoonRiverにおつきあいいただいた。ハモニカ一本という気軽さと難しさ。良い音色。
終わってからもお客さんは残って、遅くまで話し込んだ。
ああ、北のひとたちに会いににやってきたんだ!と実感した。たばこの煙と長いお喋りと外は吹雪。
 
2月18日芦別 貘にて
亀野さんの車で芦別まで乗せてもらった。途中富良野にて昼ごはん亀野さんのおごり。
私は野菜炒め定食の肉抜き。ご飯の美味しい定食屋だった。米と野菜を食べないとツアーでおなかの調子をキープできない。
芦別も雪が降り続いていた。貘で西正さんと一緒に、カウンターの上にあるモニターでジョーンバエズの75歳誕生日コンサートの映像を観る。以前にも観たのだが良いコンサートだ。
私の唄っている曲がいくつも出てくるし、ギター1本の弾き語りは勉強になる。何度見てもお手本になるし、親しみの持てるステージだ。
美しい姿勢、力強い眼差し。とてもとても正直な人だと思う。
 
雪の中一品作ってきてくださる人、呼吸器ボンベを持参で来てくださるひと、それから新得から宇井宏さん茂子さん夫妻がやってきてビックリした。宇井さんは新しいボタンアオーディオん持参だったので一緒に最後弾いてもらった。青いとても美しいアコーディオン。これから畑が忙しくなる前に東北や関東でライブがあるという。
私はバエズの映像に出てきた自分の持ち歌を全部唄ってしまった。
ライブの後、宇井さんがブルースコバーンのOneday I walkを唄いだした。
ここに一番似合う歌。
 

           


2月19日富良野へ
中尾正志さんが旭川、芦別とつづけてライブを聴いて、こまごま送り迎えに車を出してくださっていた。この日も富良野まで。途中温泉に入る。ありがたい。昼はサバの味噌煮定食。
 
昨年末、獏の西正さんから紹介いただき、その傷森に電話をして主の佐々木さんと話したときの第一印象が私にはすべてだった。「お客さんは多分少ない。」何度も言う。「少ないからと言って手抜きなんかしてもらっては困る。」二度ほど言われれる。
正直な人なんだと思った。楽しみにしていた。
店に入ると佐々木さんは挨拶もそこそこに私にメモを渡してくれた。そこには20曲以上の私のレパートリーの曲名がほぼ正しく記してあった。事前に西正さんから渡された映像とCDの中で今夜演って欲しいものを選んでいたのだった。本当にじっくり聴いていたのだ。
リハーサルの時、西正さんが夜勤の前なのに気にして立ち寄ってくださった。
客席には一昨年芦別で聴いてくれた人もいたがそのほかは初めての人たち。
一番前の席には小学5年生の少年が座っていた、飽きないのかしらと心配したけれど、最後までまっすぐに座って聴いてくれてとてもうれしかった。後で佐々木さんが彼の事を小さな友達と呼んでいた。
中尾さんは最後、旅館まで送ってくださった。
最近ライブに行くようになって思うことがあると話してくれた。声と楽器の音がまっすぐ心の奥まで届いたとき、何とも言えない感覚を覚えた時、その人の音楽は良いなあともう思うんだと。誰それだからとか評判とかではないんだと。3日間ほんとうにありがとうございました。
 
翌朝は傷森の佐々木さんが車で江別まで2時間半ほどかけて送ってくださった。道中、音楽の話、政治の話、原発の話、たくさん聞いてたくさん話した。
江別で渡辺てりーさんと3人で昼ご飯を挟んで、また沢山話した。ホワイトシチューのなかにラーメンが入っているのを3人そろって食べた。
渡辺家に6日間お世話になりながらライブに通う計画。
渡辺ヨーコさんは去年から足の手術のリハビリで病院にいるので、てりーさんは家の事を一人でやっている。とてもきれいに家事もやっていてすごい。初日は鍋にした。
苦しい咳が続いているという、昨年背中や胸の骨折をしているから、咳は辛いことだとおもう。ちょっと背中をさすってみたら辛いと背中が訴えていた。
2月21日渡辺家に夕方、今金の阿知波一道さんが訪ねてきた。阿知波さんにはちょうどひと月前に東中野のじみへんで会っていたけれど、江別で会えるなんて嬉しい。3人で駅前の焼き鳥屋に行った。会議のついでと言っていたがバンジョーを抱えていた。翌朝私のCDを一枚買ってくださった。
 
2月22日岩見沢から宮崎さんが迎えに来てくださり、岩見沢緑中学での音楽の時間3コマプラス給食。
3回目になるこの授業、今回は3人の生徒と。去年咄嗟に思いついた即興の歌つくりを今年も挑戦することにした。私がToday'sBluesを最初にうたってモデルにしてもらった。そしてまずは先生たちにやってもらう。コード3つのブルース。先生たちは今朝の寝坊とか朝ご飯がテーマだった。
Yくんは今年高校にいく。寮生活になるという。Yくんのブルースは春から寮で生活するので寝坊しないように頑張るというブルース。ノリの良さに担任の先生が感動していた、私も興奮して一緒にYくんとガンバルぞガンバルぞ!のコール&レスポンスとなった。
Zくんは昨年はこの授業ではじめて人前に出てきた、奇跡ですと担任の日向先生が涙をうかべて喜んでいた生徒だ。こんかいも歌はつくらなかったけれど、かわりに私の肩を揉んでくれた。握力が50キロ?あるという。
Mちゃんは1年生でごく最近クラスに入った。アニメのキャラクターの絵を描くのが好き。歌は好きでないけれど、猫の鳴き声が上手というので、私が猫のトーキングブルースをうたいMちゃんに鳴いてもらった。「シャーッ!」と「グウ~」ばかりいう猫だった。
給食はカレースープとキャベツとイカの揚げ物がメインだった。豚汁だったらどうしようと心配したがほっとする。YくんもMちゃんも普段よりたくさん食べたのだという。
来年も緑中学の音楽の時間はスリリングなものになるだろう。
夜の時間まで温泉へ。岩盤浴に一時間、温まった。
Mスタジオ、今年は早い時間からストーブを焚いて暖めてくださった。たくさんのお客さん。宮崎さんは隣町の地元栗沢から何人もの友人の送迎をしてくださった。緑中の先生たちも一杯飲みながら。そして夕張の皆川さんが登場して嬉しかった。皆川さんはお客さんの数に驚嘆していた。
それからもっとびっくりしたのは、幌延の稲垣順子さんがご主人と二人で来てくれたことだ。手術を終えてこれから抗がん剤治療がはじまるという前日に。
そういう思いの人たちに囲まれてのステージは格別なものとなった。
Mスタジオのオーナー松重さんも今年は体調を取り戻して、最後に一曲、お母さんのお葬式で唄ったという、スズランの香りのするお母の歌を披露した。

        

2月24日手稲 玄米ごはんじょじょ
住宅地にある小さなお店じょじょに、この夜たくさんの人たちが集まった。
ダイナマイト浅野さんはウクレレで今年も唄ってくださった。ハワイごころという曲がとても好きだ。ハワイアンも唄う浅野さんは一度もハワイに行ったことがないという。ハワイなんて行かなくっても唄えるんだよという、ハワイごころの歌だ。
李竜葉さんと、娘さんのゆういさん19才。札幌の路上で唄っているという。中学生の頃に考えていたことをうたったものや、自分の心と言葉で語る平和への思いの歌。よい出会いだった。
じょじょの節子さんが検査入院をしていたので、この夜の打ち上げのご馳走は有志の持ちより。てりーさんは抱えきれないほどのパン。長沼の小熊ちゃんはちらし寿司と土鍋におでん。美味しいワインやサラダお赤飯、酵素玄米にぎりetc,,,,,
そして、ご馳走よりも嬉しい顔ぶれ、横谷かずみちゃんや小松崎操さん、ばくすいおじさん、連日聴いてくれた山本さんや、岐阜での雑花塾のコンサートから戻ったばかりの鈴木さん、もちろんじょじょの仲良しの人たち。操さんとかずみちゃんとは秋の約束をした。
太平洋ワルツ~アパラチアンワルツに言葉をつけられたら。
 

        


2月25日札幌 才谷屋にて
渡辺宅での居候生活はとても贅沢だ。寝床は8畳間にゆったりと布団を敷いて、大きな加湿器からはしゅるしゅると蒸気がでて、暖房のおかげで昼間は半袖でも過ごせる。ゆっくり体操もして、手紙を書いたり楽器を触ったり、Kindleでへルマンヘッセを繰り返し読んだ。お風呂に重曹を入れて、まるで湯治客だ。でも今回はより一層心のなかでずっと祈りながら過ごした。ヨーコさんの回復とてりーさんの健康を、仲良しのふたりがが1日もはやくまた一緒にドライブや音楽を楽しめますように。それから病気とともにいる友人達のことも。

土曜日のススキノにはたくさんの人が溢れていた。アジアやヨーロッパ、オーストラリアなどからの観光客で潤っているところもあるのだろう。
17日から始めた北海道ツアー、この夜突然に大都会に迷いこんだ。これまでは真っ白なしずかな景色だったのに。少し興奮した。

才谷屋のスピーカーが大きくなってとても気持ちが良い。Whoops! の二人のステージはキレが良くて、のりえさんのつくる曲は素敵なものが多く、しょうこさんのピアニカを吹き弾きする自由な姿が大好きだ。ふたりは秩序の内と外という感じがする。
私はゆっくりと唄いはじめた。ツアーの最終日は、たくさんのありがとうの溢れる器になってうたう。お客さんはそれぞれの席で横から正面から斜め奥から耳を傾ける。
真冬の雪の夜にやって来てくれた人たちだ。私に「今年もよく来てくれたねと」云ってくれる人たちだ。ながい冬を辛抱強く生きている人だ。
ほんとうにありがとう!
最後の歌の始まる頃にドライブのハンク山根くんが駆けつけてきてくれた。彼の作った歌「名前のない一日」は彼が来る前に歌ってしまった。で、もう一度ということで打ち上げの時にハーモニーをつけあったら新しい歌みたいになった。
秋にはWhoops!と山根くんのドライブとみんなでやりましょう。
も~り~の用意してくれた鍋をつつきながらツトムイサジさんのアルバムを聴いた。
ビルを出るところで広瀬波子ちゃんに会った。ほんの10分ほどのおしゃべりだったけれど、雪と灯りでキラキラした大通りはヨーロッパのどこかの街にいるようで、速足で歩きながらたまらなく心が踊った。
札幌駅の構内の待ち合いには大きなストーブがみっつ、ぼんぼんと燃えて、そこだけが都会でないような、妙に優しくぼんやりしていた。江別の石井さんがギターを持ってくれて混んだ最終電車に乗った。ツアーの最後にはじめの電車だ。石井さんは完全防寒服とスノーシューズ、終電の若者たちは薄いコートやパンプスの人もいた。

2月26日 新千歳空港でお弁当を買った。いつもはヨーコさんたちとここで美味しいお寿司を食べたりしていたのだけれど、ひとりの空港。北のお弁当はウニ、イクラ、カニが幅をきかせている。その半額くらいの大きなシャケの切り身の乗ったお弁当にした。
食べながら携帯電話をあけると、悲しい知らせが届いていた。
鴨宮のジョージさんのお父さんオジイが亡くなった。はじめて大島に航るとき、私が眠れずに外に出ると嵐の甲板で夜通し海を見守っていた船乗りのオジイ。「大丈夫だ、もうすぐ止む」。よっちゃん!よっちゃん!と呼んでくれた。暖かくなったらまた一緒に大島に行きたかった。
 
羽田を降りると暖かく、コートのボタンをはずしてマフラーを取った。もう冬の匂いではない。
しかし10日間留守にした我が家は冷えきっていた。北海道であまりにも贅沢な暖かい思いをしてしまった。北海道の人がこの部屋に来たら寒い寒いと騒ぐことだろう。
冷蔵庫に残したままの飲みかけの赤ワインで鶏肉を煮てみたら美味しくなった。
食べながらパソコンを開きNHK のアーカイブで『アレクシエービッチの旅路~チェルノブイリからフクシマへ~(前編、後編)』を観た。

二月がきちりと店じまいをする前に、三月はどかどかと、いつもどかどかと上がり込んでくる。あわてて家賃やら支払いをする。

二月の終わりの朝、鴨宮へオジイに会いに行く。ジョージさんは少し小さくみえる。怒ったことのなかったオジイが、たった一度、小さいジョージさんが海に落ちた時、血相変えて叱り飛ばした話を告別式の挨拶でするジョージさんはすっかり子供みたいな顔で涙をこらえた。

三月になるよ。

三月になっちゃうよ、慌てん坊の二月さん。二月も三月もどちらもあまり器用ではないなぁ。


          


 

二月の最後の夕方

タゴールの「東方の夕暮れ、西方の曙」という詩を鉛筆で書き写したのなんか出してくる。

大好きな詩。

          

 

 

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2017-01-23 16:21:46

真新しい気持ち

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暖かな元旦の朝。
今年最初の祈りには、さまざま目標を定めた箇条書きのノートの新しいページ。
家族のこと、友人たちのこと、仕事、音楽、創作、具体的な目標。そしてやはりいちばんめは健康と書いた。
風邪をひきにくい体、疲れにくい体、声のこと、指のこと、ストレスに強いやわらかい体と心等々、まあ欲張りだ。
昨年の後半は溜まった疲れが風邪や帯状疱疹などの症状に出てきて、それをしのぎながらのステージと旅が続いた。
最近では大きく心が落ち込んで人前に出ていけなくなったり、怖がったり、そういう状態は乗り越えたと実感するけれど、今度は人並みに体の心配なのだな。
 
自分なりに清々しく出発した2017年の元旦。
年末は病後の体をいたわって運動不足でいたから2キロほどの散歩をしておなかも空いて、さあこれからみんなですき焼きでも食べようか?という夕方、なにも重いものを持ったりねじったりしたわけでもないのに突然腰に激痛が走ってそのまま動けなくなった。こういうのがぎっくり腰というものなのか。一晩冷やすのを繰り返し3日間は寝正月を決め込んだ。
4日目友達がやってくるというので腰痛のためのストレッチというのをそろそろとやって少し歩けるようになった。それでも1時間も起きていると背中や首が痛くなってきて横になりたくなる。遊びに来た人が見舞客になった。
5日目、ちょっと焦ってきた。去年のようなペースで仕事するのは無理なのではないだろうか?というか、ひょっとしたらもう楽器を持って唄いまわる生活はやめたほうが良いのではないか?どんどん気持ちが弱まっていくのを感じた。なんとなく死神みたいなのがそばにやってきたような気分なのだ。
6日目、品川まで整体を受けに出かけた。副院長の順一さんが診てくださった。「去年からの流れを見ていて、なにかここで大きく体が変わっていくのかもしれませんね。」と涼しい感じで言う。
むつう整体のベッドで1時間じっとして、起き上がると、痛みは弱くなっていた。姿勢をみてもらうと背中が確かにまっすぐに伸びていた。「院長の木村さんとも話すのだけれど、皆さん自分の体を過小評価しすぎですね。本来の力を信じるべきですね。」と帰り際に順一さんは私に向かって言った。
品川を往復するだけでヘトヘトに疲れた。死神の気配は消えてはいなかった。
ちょっと街まで出ただけでこんな疲れるんだから、やっぱりツアーなんて無理かも、と心の中で囁くやつがいた。
 
1月9日、旧い友人夫妻にとても嬉しい出来事があった。プライベートなことなんで書かないけれど、もしあるとすれば心の細胞が入れ替わってしまうな清々しい出来事だった。分かち合える喜びというものがある。人をうらやむこととは正反対のところにあるものだ。それに少し近い感覚は音楽の暮らしで出会えるけれど、もっと心の違う場所まで熱くなった。本当に涙が溢れるおめでたい出来事だった。
この日一日歓喜にあふれた中にいて、ふっと腰の痛みを忘れていた。残ってはいるのだけれど、気に障らなくなっていた。
夜、帰宅して体を伸ばしながらつくづく考えた。腰が痛くなっただけで死神のようなやつがつきまとってくるんだな。自分を弱い気持ちにさせるやつ。

10日ぶりにギターを出して弾いてみた。
青森の友達から「大丈夫!」というメールが届いた。彼女は3年前にがんになり、それを乗り越えてきた人だ。もちろん今でも再発の恐怖が消えたわけではない。
病に勝った人の言葉はとても強くてやさしい。私が弱っているのがわかったらしい。
 
死神みたいなやつは心の中から出て行ったと思った。
 
しばらくやっていなかった体操もやってみた。気持ち良い。
歌も新しいきもちで向き合おう。
うん、やつは出て行った。
 

1月12日東中野じみへん
今年初めのライブ。
腰の痛みは小さくなったけれど、荷物を持って駅を乗り継ぎ出かけるのは2週間ぶりだから緊張した。ゆっくり無理のない姿勢を工夫して歩いていくと、じみへんに着いても疲れてはいなかった。選曲は静かなものが多かったけれど、じっと耳を傾けてくださったお客さんのおかげで歓びがあふれてきた。
まさえさんからの差し入れの常温ビールとお客さんからのおごりのワイン一杯ですっかり良い気持ちで帰りの荷物を持ってくださるゼファーさんあり、しみじみと唄うことが嬉しいうたい初めとなりました。じみへんは1週間後にある5周年記念の大イベントを控えていて、その話題でずっともちきりだ。雪などにやられませんように。みんなが楽しめますように。
 
1月13日東松山レトロポップ食堂
ペンギンとしろくまのペンギンさんのゑ川さんが駅に迎えに来てくれていた。短い旅だけれど、やはり体が慣れていないからスーツケースを転がしてもらうだけでも助かった。
レトロポップは音響設備を一新して素晴らしい迫力の音になっていた。声も本調子に出てはいなかったからこの音響にとても助けてもらった。
ゑ川さんのトイピアノが可愛くて評判になった。ピアノの後ろを透明アクリルにして中にデコレーションして電飾までしてある。
ペンギンとしろくまのステージ、とってもキレのあるものだった。
今夜も良い方々が耳を傾けてくださった。昔々、ラジオから流れていた私の歌を、名前も曲名も知らずにカセットテープに録音してずっと聞いていたという人が40年ぶりに私をつきとめてこのよるライブに足を運んでくださった。動いているからこそこうやってまた会える。
しろくまの独さん宅にお世話になる。

1月14日飯能AKAI Factory
独さんが朝ご飯ですよと部屋をノックしてくれた。家族3人は早朝に済ませたから、ということで私はみんなの前で一人でいただくことになった。奥さんと娘さんと話すのは初めてだったし、一人炬燵のテーブルで起き抜けにちょっと緊張した。前の晩から仕込んであったアジの酢〆、これをアテに一杯やりたくなるものだった。前回はイワシのつみれ汁というものだった。朝から居酒屋のようだ。独さんが時々Facebookに娘さんのお弁当の写真を載せている。それもかなり渋い内容だったりする。
今回はなんだかゆっくり味わえなくてごめんなさい。嫌いで残したのでないので次も楽しみにしています。あれで一杯やりたかった。
私の女王様のような旅、独さん宅で朝食後、ここからは飯能まで車で乗せてくださる久我さんは早めに来てくださり、丸木美術館へ誘ってださった。東松山に来るたびに丸木美術館に行きたいと思いながら何年も経っていた。
丸木位里さんと俊さん夫妻の絵をみるのは初めてではない。4年前、沖縄の佐喜真美術館で沖縄戦の図をみた。
そしてここが夫妻の作った美術館。
雪が降りそうな気配の午前中、美術館には空調設備がない。外よりも寒いのではないかと思った。身も心も引き締まる。沖縄戦の図も大きいものがあったけれど、それよりも大きな作品が次々と部屋から部屋へ続いた。
俊さんの描く人物の一人ひとりが訴えてくる。どの人を切り取っても一人の人間としての尊厳を語りかけてくる。累々と積み重なった死体にも鶏や牛馬たちも一人一匹も置き去りにはしないという強い愛と意志を感じた。そこに位里さんが墨を流して爆風、閃光、煙、波、そして虹、匂いまでも表していく。
原爆ドームもキノコ雲も描かれていない「原爆の図」のそれぞれには命を暮らしを奪われてしまった者たちが丁寧に丁寧に描かれている。原爆投下後に虐殺されていたアメリカ兵捕虜の姿も、死体の処理にまでも差別があったという朝鮮から強制連行されてきた人たちの姿も。
まずは生き残った人たちからの聴き取りから始めた夫妻。その作業が一番つらいことだったでしょう。
絵画という芸術でメッセージを伝えるというやりかた。生命の尊厳、反戦、反核、反経済優先社会、反差別、、、、、描く人の生き方の背骨になっている思想、
それを圧倒的な技術の絵筆で描き上げるやりかた。誰もができることではなく、それを使命だと自覚したひとが命を削るようにして取り組む。かたちと創りあげやっと人々が目の前にしてはじめて伝わっていくメッセージ。
丸木さんたちの仕事は生命の偉大さを描かれた人々とともに訴えていく。
午前中の移動の前のほんの1時間少し、私は太い動脈注射でカンフルを注入されたみたいにしゃんとした。
美術館の外に出るとやはり少しだけ中より暖かく感じたけれど、この日の埼玉はこれから零下になるという。AKAI Factoryに着くころにはすっかり雲が重い雪雲になっていた。
ボンボン燃える大きなストーブを置いていてもFactoryの中は寒くてギターの音が定まらないくらい。それでもこの日はちょっとしたお祭りのよう。鈴木しのぶさんが計画してくださったライブなのに彼女が腸の手術で入院していたことを教えてもらったのは数日前の事。年末から働きすぎているなぁと思っていたけれど、やはり体はおやすみなさいと信号を出したようだ。

それでも宮尾節子さんのご主人の真さんを中心に和気あいあいの準備。この場所は70年前にできた金型工場の後を利用してアーティストのアトリエやカフェにしたラボのような場所。
飯能という処が昔から好きだ。小さい時に川遊びに来たところ、子供と当てなく遊び場を探して歩いたところ、友人や昔の恋人も住んでいたところ。
本番は長時間で土間の空間はどんどん冷えてきて、私の前に唄ったmireiさんは薄いドレスの衣装で寒かったことでしょう。彼女はお母さんがフォークソング世代というシンガーで私の尊敬するフォークシンガーのことを小さい時から身近に耳に目にしてきたという。
私は午前中の丸木美術館でのカンフル注射もあって、寒さも刺激になってまっすぐ歌をうたった。とちゅう宮尾節子さんが詩を朗読した。宮尾さんと私の似ているところをを鈴木しのぶさんが評した言葉が名言だったのに、本番でふたりでマイクの前に出てきたらすっかり忘れてしまっていて、
後でメールを検索した。
「いくつになっても、ぎこちないところと、ゆれながら、がんこなところ」というもの。
やはり名言だ。
宮尾さんの詩にリョウエイくんの切れの良いハープがとてもよくあって、宮尾さんはちょっとパティスミスみたいにみえた。
またこの場所で唄いたいな。それにしても長時間寒い中でずっと聴いてくださった皆さん本当にありがとうございました。前日の東松山から2日続けて聴いてくださる方々もあり、遠くからも来てくださる方多数あり嬉しいことでした。しのぶさんは前日に退院して、予想通りこのライブの終わりころに駆けつけてきた。
私は奥むさし旅館という商人宿のようなところで眠った。


1月15日北本ヘイワールドにてアコースティックライブ
ウクレレをつくっている松本美浩さんが13.14と連続聴いてくださり、この日は北本まで送ってくださった。こうして私は3日間どなたかの送迎で歌をうたわせてもらった。
北本のライブは毎月行われているアマチュアのイベントで私は3回目の参加。最初の時から聴いている人がほとんどで、日本のフォーク、アメリカのフォークソング、歌謡曲、そしてフラダンスとハワイアンミュージック、演歌もあった。小学生の女の子が中二になっていたし、81歳のギタープレイヤーもご健在だった。
初めて参加した時には、すこし戸惑ったのだけれど、継続していることが素晴らしかったし、それをサポートするひとたちもできてきたのは素晴らしいことだとおもった。
打ち上げは会場でケーキとお茶で行われた。ひとりひとり一言があって、老若男女が自分の演奏の反省をした。
最後にお花をいただいた。旅の最終日お花を持って帰れる。
 


寝正月から起きだして、そのままはじまった4日間連続のライブがたくさんの方々の支えで無事故で元気にできたこと、ありがとうございました。
 
音楽は橋になる。私は音楽という橋のおかげで世界とつながった。
そしてそこでたくさんの人と繋がっていく。
 
1月20日横浜白楽 La Fiestaにて
Okajiさんじゅんこさんが誘ってくださった。雪の降りそうな寒い夜。初めての場所だったけれど
よい方々に聴いていただけた。
パスタやピザやワインというメニューなのに店はジャズのレコードジャケットが飾られていて、空気も料理もおいしいかった。鹿児島から仕事でやってきたという方、私の40年前のレコードを聴いていたという、よくぞ探してきてくださいました。初めてのお客さんの好みの曲もあったようで、知らない町の小さな店での弾き語りができてよい夜。
帰りは六角橋から白楽駅へは白井さんとまさえさんとふれあい横丁を通って帰った。昔はそこここにあった長屋のようにつながった小さな店が続く路地。ボタンと書いてある小間物屋があった。5人も入ればいっぱいの飲み屋がもたれかかるように並んでいた。よいところ。
 
1月21日東中野にてMusic Festival前夜祭じみへんにて
じみへんの5周年のお祭りはとてもスケールの大きいものになった。周辺の飲食店5軒も巻き込んでの音楽の溢れる2日間がはじまった。
初日の夜、じみへんは予想通りドアの外に人が溢れていた。ちょうど中川五郎さんが唄うところで私ももぐりこんだ。
ドアを開ける人の顔を見てびっくり。北海道今金の阿知波さんだ。奥さんの久子さんと二人、娘さんの絵の展覧会に来たついでという。
こういう夜はいろいろな人が引き寄せられるのだろう。阿知波さんは永井ようさんに顔がちょっと似ている、そしてハンチングを被るとそっくりになる。この夜も何人もの人が永井さんと思ったらしい。
私は珍しく唄う前にワインを飲んで、すきっ腹だったからかなり酔っぱらって、お祝いのステージ。瀬戸口修さんと「私は私よ」をやった。
瀬戸口さんは今年の1月2日発売のライブCDをつくった。去年の5月のライブ音源。あのときの40周年記念ライブ素晴らしかった。ライブは超満員で、それなのに修さんの自然体はまったく変わらず、私も客席で見ていてもステージに上がっても一緒にのんびりした。「私は私よ」は修さんのリクエストで一緒にやった。どれも本当に自然でよいテイクだと思っている。

この夜、もう1枚、中川五郎さんの発売直前のライブCD二枚組も五郎さんからいただいた。
このアルバムも素晴らしいもので、その夜にさっそく聴いた。まだ一回だけしか聴いていないけれど、「1923年福田村の虐殺」は関東大震災直後に起きた忌まわしい殺人事件の真実を美しいthe lakes of Ponchatrainのメロディーにのせた20分以上の大作で、以前に一度だけステージの遠くから聴いたことはあったのだけれど、CDでは沢知恵さんの悲しさと怒りを吹く風のように現したコーラスが胸に迫ってくる。disk2の3曲目の「消印のない手紙」から「一台のリアカーが立ち向かう」そしてこの福田村へと圧倒された。唄いきるということを、どこまでも正直にいつも全身全霊で唄いきる五郎さんのステージがそのまま収められている。
 
1月22日東中野Music Festival2日目
昼間の明るい時間からじみへん周辺を歩くなんてはじめてだ。
いっぱいの店の外で生田敬太郎さんと逢坂Rieさんの歌を聴いてこの日のお祭りは始まった。
こ卯さぎ亭という店がこの日私が唄う処。途中お茶を飲んだり、ほかの会場をのぞいたり、久しぶりの人ともすれ違う。じみへん以外でも会うことのある沢山の人たちとすれ違う。みんなそれは音楽で繋がっている人たち。
この計画をしているとき、じみへんのみどりさんは、途中で何度も悩んだことだろう。あまりにも膨らみすぎたから。出演者は80組を超えていたし、お客さんは想像できない。
有志が進行や音響や会計や、さまざまを買ってでていた。
こ卯さぎ亭は料理のメニューも美味しそうな洋風居酒屋。私は船岡辰也さんのステージから席に座って聴くことができた。出演した人たちがそのまま観客となって盛り上げる。私のステージには生田敬太郎さんがたくさんハーモニカを吹いてくださった。そしてShe said NO!では客席からたくさんのWe shall overcomeの声が聴こえた。涙が溢れた。その後有馬忍さん、やぎたこ、佐藤龍一くんと一緒に楽しむことができた。みんなが笑顔だった。
音楽の溢れる二日間はそのまま愛の溢れる日となったんだとおもう。じみへんの看板の絵は1969年のあのWoodstock festivalのときのポスターの絵のイメージだ。この二日間ほど、この看板が嘘偽りのない看板となったなぁ!と心から拍手したかった。自分たちのかたずけをしてじみへんに戻って、フィナーレのシバさんをドアの外で聴くのは味わい深かった。
 
1月23日 映画「風は生きよという」に登場している海老原宏美さんが、東京都女性活躍推進大賞というのを受賞したというニュースを知った。この映画は本当に素晴らしいもので、私は機会があれば上映会が近くであってタイミングが合えばなんかでも観たい。監督の宍戸大裕さんの風のようなナレーション、人工呼吸器とともに生きている方の日常を淡々と紹介していくこの映画は、観る人が自分の心で感じて考えていく映画だ。海老原さんが受賞の時に小池都知事に渡すことのできた手紙を張り付けておきます。
http://kazewaikiyotoiu.jp/archives/2206
 
価値のない人間なんてこの世に一人としていないのだ!という叫びを、とても優しく健気な言葉で綴っているとおもう。
価値は自分で創る~しかしそれは一人ではできないんだ!
体に困難を抱えていない人だって困難な人だって、人と触れ合うところから、お互いの価値を創造していける。
相模原のやまゆり園事件、横浜の福島から避難してきた少年へのいじめ、大きな出来事になって人の生命までも懸けて教えてくれている。
私ももっともっと、そのことを深く感じながら生きていきたい。
 
1月28日鴨宮ジーズキャフェにて
火取ゆきさんのライブにゲストで唄わせてもらう。
私がゆきさんにジーズを紹介したので、なんだか付き添いみたいになってしまったけれど、本当はお客さんとしていったほうが良かったかもしれない。
唄う場所を紹介するというのはとても難しい。そこがその人に合っているかどうかわからないし、おせっかいになっても良くないし。
この夜は近所で様々なライブが重なっていてあいにくお客さんは少なかったけれど、ゆきさんを聴きたい!とおもってきた人たちばかりで、拍手は分厚く、ほっとした。
私は3曲うたいながら、昔この店のジョージさんが岡山の小さな町で唄っている私に声をかけてくれた時のことを思い出していた。
トナカイ君が国府津駅まで送ってくれたのでゆきさんは所沢まで無事に帰れた。遠かったな。
 
1月29日横浜パラダイスカフェにて。
佐藤龍一くん主宰の〈唄の市〉。メンバーは生田敬太郎、丸山圭子、佐藤レイ、佐藤龍一、そして私。エレックレコードで一時期一緒に活動した仲間。
仲間という言葉はあやふやに使うと危険なのであまり使いたくないのだけれど、私にとって敬太郎さんはお兄さん、龍くんは友達、圭子は同じ釜の飯を食べた同志、そういう間柄だと思っている。だから敬太郎さん、龍くん、圭子である。そういうのがわたしにとっての仲間だ。
この前日の朝、龍くんの94歳のお父さんが亡くなった。そういう時のめぐりあわせで始まった。
まるで4本の道が交差する四つ角で素晴らしい時間を過ごしたようなライブだった。
まったく違う色のアーティストがそれぞれお互いを尊重し合ってステージに立てる。
私は「true colors」をうたってこの日に捧げた。
疎遠になった時期があったり、考えの違いで言い合ったり、またそこから新たな友情をつくろうとしたり、、、圧倒的な正直さでつきあってきたと思っている。宝物だ。
敬太郎さんとのsmile,圭子とつくったin my dreamを一緒に唄えたこと、
龍くんのブルースで踊れたこと、Forever Youngを唄いながら亡くなったお父さんに感謝したこと、など。新たな宝物をいただいて、四つ角を後にして、またの日楽しみに。
 
我が家の裏の畑にて、梅の花。
 
 
 
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2016-12-31 14:16:04

うまれかわるのは

テーマ:ブログ


 

12月2日岡山禁酒會舘にて

 

いつものホテルに連泊して、美味しい朝食を食べて、洗濯をして、散歩して、昼は近くのカフェでカレーを食べ、ゆっくりと用意をして歩いて1分の禁酒會舘に出かける。この前日の休日には岡山駅近くのイオンシネマで「この世界の片隅に」を観た。

なんて贅沢なことでしょう。岡山ではこういうことが時々できる。ご褒美みたいな時間。

禁酒會舘のマンスリーライブはこの日で190回目。20年の歴史。

Ozaki unitの「小さな館」からいつもの始まりかたなのだけれど、ここからゆったりと客席が埋まっていく雰囲気が好きだ。この夜初めて聴いた(もしかしたら以前聴いていたのかもしれないけれど、この夜はじめて心に飛び込んできた)「君を想う」で私は出番の前に涙が溢れてきてどうしようもなくなった。尾崎ツトムさんの詩に川崎草汰さんの曲は美しい。困難な道を敢えて選んで歩き続ける者への愛情こもるエールの歌。歌は凄いな、唄う人から放たれて聴く人の心の中に届いて、そしてまた素晴らしい光を放ってひろがっていく。この日私の新曲の中にも似たタイトルの歌「私があなたを想うとき」があって、禁酒會舘の190回ライブの夜が膨らんでいくような感覚がやってきた。

沢山のお客さま、遠くからも、そして毎回を楽しみに集う人。200回目の再会を約束できたこと。豊かな時間。みなさんありがとうございました。

 

12月3日鳥取鹿野町 しかの心にて

早朝にてけてくパンの勝部さんがホテルに迎えに来てくださり、新庄村の勝部宅で奥さんの八津美さんと運転を交代して鹿野町まで。途中、倉吉の近辺ではブルーシートに覆われた屋根の家が目についた。10月21日の地震の被害で瓦屋根が軒並み崩れた地域。

しかの心は築80年の縫製工場跡を利用している木造の建物。主宰は鷲峯おろし女子部。

これまで何回もお世話になっている鷲峯おろし音楽会実行委員会の中心者の岡田さん武部さん土橋さんたちを実際にほんとうに支えている女子部の奥さんたち皆さんが呼んでくださった。鳥取で仲良くなったひとたちが集まってくださった。そして早めの時間に終わった後は土橋さんの家でたくさんの人たちとのごちそうと歌の時間。女子部の料理はいつもながら素晴らしくて、セイコ蟹で出汁を取った鍋には沖ギスのすりみが入っていて、長かった旅の最終日に体がいっぺんに解れていった。旅の間に声が出なくなって、それを抱えて治しながら、かなりエネルギーを使ってしまった。一番先に隣の部屋に敷いてもらった布団でうとうとしながら、男子部の唄やギターが子守歌になった。

一年に一度か二度しか会えない人たちとの交流はまさに一期一会のおもいで臨みたい。鳥取に来るようになったのがこの5年ほどのことで、体調が悪かったり、回復したと思ったら風邪の時だったり、それでも入れ代わり立ち代わり皆さんのお宅に泊めてもらいながら少しずつ仲良くなった。今回も思わぬ拍子に米子の大森さん夫妻の車に乗せてもらいながら自分の歌の背骨にあるものの話になった。大事な話というのは帰りがけの玄関先で靴を履いているときとか、こうやって空港に近づいたときなんかにできたりするんだな。

空港へ送ってもらいながら途中、土橋さんのお店STREAMというアウトドアショップを皆で覗き、私は真新しいパタゴニアのリュックサックをプレゼントしてもらった。旅は続くんだ。

 

12月6日美濃加茂ワンダーランドの渡辺修さんが亡くなった。犬山ふうの小川さんから電話で教えてもらった。修さんと最後に話したのはその2日前。修さんがずっと気にしていたギターのことを話した。修さんが頼んでくれていたギターをヤイリの工房で小池さんがつくりはじめてくださっていることを二人で喜び合った。来年はそれで唄いに行けるね、と笑いあった。

8日の夜、美濃加茂のお通夜に行った。Greatfull DeadのTシャツを着て棺の中で眠っていた。

亡くなった人に話しかけることはいつだって「ありがとう」と「がんばるね」という約束だ。

 

長いツアーが年内はないのだと思った瞬間から体の表面に様々な不調が出てきた。

風邪をぶり返したかと思っていたら、帯状疱疹だった。頭に出てきて、顔にもぽつっと発疹があって、ものすごく痛かった。目などに入っていくと厄介と言われたが広がりはしなかったので抗ウイルス剤を処方してもらって数日休んで

12月16日の高田馬場の琉球館での中川五郎さんのライブにゲストで参加した。

はじめての琉球館、五郎さんとはミーアンドボビーマギーやだびよんの鳥も唄えてマンドリンの矢野さんとも合わせてもらい、交流会の美味しいごちそうと会話を楽しんで、この場所に何度も来て朗読をされたりしている石川逸子さんのはなしを主の島袋陽子さんとできた。

元気に唄えたので大丈夫と思っていたら、翌日の朝、耳とのどの激痛で目が覚めた。特に耳の近くを走る末梢神経に痛みが走ると、何も手につかなかった。

17日はパギやんこと趙博さんの還暦祝いライブのゲストだった。静かに静かに歩いて電車を乗り換え向かった。

それでもパギやんの歌と朝鮮の古楽器奏者の朴グンチョンさんの打楽器や擦弦琴の音色を楽しんで、板橋文雄さんの真摯なピアノを堪能して、私もしっかり唄わせてもらった。打ち上げは遠慮して翌日に備えてとにかく早く寝た。

よく18日は茅ヶ崎BOTCHY BOTCHY。杉本さんがセットしてくださったが、声がかすれていて無理はできなかった。

それでも、初めて聴いてくれたかた、2回目のかた、遠くから来てくれたかた、みんな優しかったから、のんびりと唄うことにした。店のメニューの鍋焼きうどんが弱った体に効いた。四国松山スタイルのアルミの鍋のうどん、甘い出汁がよかった。杉本さんとのセッションは4回目、砂の唄、サリーアンのマンドリンとのアンサンブルが落ち着いてきた。家までの遠い道のりを送ってくださり本当に助かった。

 

休みの3日間は、ともかく何もしないで養生することだけに専念した。

痛みはその間に消えていき、発疹もなくなったけれど、とても疲れた。ウイルスと戦った体は本当に疲れていた。だから鼻や耳や喉の炎症も完全に収まらず食欲がなかったので、久々に甘酒をたくさん飲んだ。寝る前にも飲んだら翌朝顔の肌がつるっとしていて、やっぱり効果はあるもんだなと感心した。お酒も欲しくなくて珍しく甘いものが欲しかった。

ツアーの最中でなくて本当に守られたが、体の赤信号だから、養生するしかない。

 



21日冬至、なんとなく体が軽く感じた。季節の大きな節目、かぼちゃは毎日のように食べていたけれど、買い足そうとスーパーに行ったらすごく高かった。

 

12月22日立会川 音市にて

生暖かい日。夜からは雨になるという。沖縄の冬のようだ。

音市の貴島さんはいつも私に好きにやってねというだけなので、ほんとうに気を楽にして唄った。

ここはお客さんも唄う人が多いから空気がつくられる。気持ちは楽だったけれど、緊張感もある。拍手が分厚い。ムーンリヴァーのときに貴島さんにギターを弾いてもらった。今年はこの店では悲しいこともあったけれど、みんなで乗り越えてきているんだなぁと感じた。

大森の風に吹かれてで四角佳子さんと青木まりこさんのライブが重なっていて、ちょっとだけ顔を出しておけいさん、常富さん、まりちゃんに挨拶をして表に出たら大粒の雨。本当に沖縄や東南アジアの冬の雨の匂いだ。最寄り駅のタクシー乗り場に長蛇の列。最初の5人分くらいには屋根がある。楽器ふたつがどんどん濡れてきて心配になってきたけれどタクシーは全く来ない。思い切って前の男性に荷物を濡れるままにできないので申し訳ないけれど屋根のあるところで待っていても良いか?と尋ねたのだけれどほとんど反応がなかった。確かにマナーとしては私のほうが違反なのはわかっているのだけれど、無反応は困った。その前の女性二人組にも話したら「はぁ、、」というだけ。もうびしょびしょだったから屋根のあるところに移動して一時間。暖かくて良かったと心から思った。

やっと件の男性の番になったので、すいませんでした、でも助かりましたと言ったら、突然「Can you speak English?」「We'r all waiting、we are all same  situation, you understand?」と強い調子で言われた。

「すみません、でも私ニホンゴワカリマス、私ニホンジンデス」と慌てて言ったら、

「なんだ、中国の人かと思った」と言ってすこしその人は少し落ち着いた様子になった。

きっとマナー違反をしている外国人と思ったのだろう。その解釈と納得の仕方も少しおかしいとは思ったけれど、しばらくしてから「もしよかったらお宅を回っていきましょうか・僕は会社の金で乗るんだから」と誘ってもらったが丁重にお礼を言って辞退した。

やはり楽器を持ってウロウロする者は腰低く、迷惑のかからぬように気配り細かく街を動かねばならない。家に戻ってからも気持ちはとても落ち込んでいた。何度も言うが暖かいことだけが救いだった。ギターケースは乾いた後ボコボコになってしまった。

 

12月24日御殿場RINCOLO

リンコロが新しくなった。ワクワクその日を待った。

久我さんが埼玉から車で国立の中川五郎さんを乗せ川崎の私を乗せて御殿場まで連れて行ってくださった。病み上がりには本当にありがたかった。

東名インターからすぐの場所、まだ工事中のやぐらに囲まれた大きな箱は主のタカさん家族の住居と一階がライブハウスという素晴らしいスペース。リハーサルで感動した。音の迫力とステージの存在感。 天野エリカさん・カウチポテトさん・クロキユウタさん、三人三様の素晴らしいステージ。若いひとが素晴らしい。そして客席も若い家族がたくさん、だから小さい子供たちが賑やか。それだけで希望が溢れている。みさえママからのリクエストTooLateLoveComesをうたって、子供の話をしながら凧をうたった。五郎さんが唄う頃には子供たちは少なくなっていたけれど「彼女は山からやってくる」ほんとうに素晴らしいバージョンで唄う五郎さん。途中に御殿場アウトレットモールやそこで永原元ちゃんにブルガリをねだるよしこちゃんとか登場する。こんなすごいの唄いきる人は五郎さんだけだ。SHIMEさんのソロに元さんのジャンベ初めて生で聴けた。来年2月に再び来るときにはどこまで変化しているのかな。参加させてもらって光栄でした。帰りは私が1時、五郎さんは2時、久我さんは午前3時を過ぎていたことでしょう。ありがとうございました。

 

12月25日綾瀬にてプライベートな忘年会。子供たちもいて、沖縄料理のおいしいのをいただいて、みんな酔っぱらっていて、ギターは持参したけれど結局使わずじまいでちくわくんのを拝借した。シバさんが弾いた後だったのでストラップがとても長くてギターはおなかのところにぶら下がった。誘ってくださった川原さんありがとうございました。

 

久しぶりに祖父母の墓の掃除をしに行った。実家のない私にはこの界隈がちょっと懐かしい場所。とても住むことはできないけれど、高輪,白金。

お墓のおかげでちょっと良い気分にしてもらえる。

 

12月30日亀有kidboxにて

この5年ほど12月30日はこの場所で唄い納めとなる。

今回は予約の人が多くて、あまり多すぎると入りきれないし、混雑するところが嫌な人もいるから、残念だけれどもまえもってお断りした人もあった。

事故のおこらぬように、全員が楽しんでもらえるようにと祈った。

10にんでもぎゅうづめなのに16人となった。店内を整理して階段にも座ってもらい、それでも2時間半窮屈ながら聴いてもらえた。おかげさまで終わってからもそのまま忘年会のように、そして大騒ぎではなく、飲む人も飲まない人もなんだか自然にみんなで過ごすことができたこと、ほっとした。

最初は自分の歌、2部は素敵な日本のフォークシンガーの名曲、3部は最近つくった歌。

主の鷲見さんが店に座れずに寒い路上観戦となってしまったけれど、遠くからも、またこの夜を楽しみに来てくださった方も、差し入れしてくださった人も、みなさん本当にありがとうございました。だびよんの鳥「来年もよろしく♪」とうたいながらの唄い納めはなんと幸せな時間でしょうか。

 

今年読んだ本のなかで印象に残ったもの

ローラ・インガルス・ワイルダー全9巻、

ローズ・ワイルダー・レイン2冊

カレン・ヘス作品3冊、

星野道夫著作集4、

ロバート・ニュートンベック豚の死なない上下、

法華経の智慧上中下巻、

緑の革命と心の革命、

新たな地球文明の詩を~タゴールと世界市民を語る

etc.....

 

とてもよく聴いたアルバム

Balm in Gilead

The Other Side of Desire  by RLJones

In The Dark          by Greatfull Dead

Black Diamond                 by RINKA

The Honeysuckle Vine       by Leandra Peak

Get Your Phill                  by Disappear Fear 

これがすべての終わりとしても by 笠木透と雑花塾

etc.....

IMG_20161231_184513346.jpg

 

 

 

 

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