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2017-10-29 10:34:09

記憶

テーマ:ブログ





古い民家を改装したカフェを紹介するテレビ番組をアーカイブで観た。
大田区池上本門寺の参道から少しはいったところ。
一目でわかった!蕎麦屋の蓮月だ!
昭和2年創業、本門寺の参拝客の利用した蕎麦屋、山の裏側にあったから戦時中の空襲も免れた。山側の崖には防空壕がいくつもあったのを覚えている。とても小さい頃の記憶なのでぼんやりとはしているが、いくつかには住んでいる人もいた。浮浪者だったけれど、ぐんじさんと名で呼ばれていたおじさんがいた。
蕎麦屋の蓮月は近年閉店してカフェに変身していた。映画のロケにも使われていて名所になっていたんだ。知らなかった。
私の蓮月は、出前の蓮月。玉子とじうどんと、もり蕎麦の蓮月。
年寄りの家だったから、何かというと出前をとった。客が来たとき、誰かが風邪のとき、何でもなくても。物心ついた頃から注文の電話をするのは私の役目だった。
「もしもし、本町103番地の南之院の路地を入った吉田です。もりを2枚と玉子とじうどんお願いします」
そのうち、「本町103番地」まで言うと電話の向こうのおじさんが「あ、南之院の路地の吉田さんね」と続きを言ってくれ事足りるようになった。南之院は本門寺の麓にある数多い寺のひとつ。小学校の同級生の家だった。同級生には寺、石屋、花屋、酒屋、門前町ならではの家の子供がいた。
蕎麦が好きなのは蓮月のお陰かもしれないが、小さい頃は圧倒的に玉子とじうどんだった。濃い目の汁に卵のフワフワ、いつ食べてもおんなじ味。それは家のご飯とは違う日常のなかの心踊るご馳走だった。
出前のおじさんは自転車に片手でお盆を担いでやってきた。あるときから後ろにスプリングのついた荷台が付いたスーパーカブで嬉しそうにやって来た。まだそれでもどんぶりの蓋は木製だった。中学の頃だったのか、蓋はなくなって代わりにラップが被せてあった。

記憶の地層に埋もれていたひとかけらから
様々な映像が甦る。
あまり愉快ではない小学校、中学校時代、
あまり愉快ではない家があり、それでも私は外の世界から確実に守られていた。
玉子とじうどんはその時代の大切な役目を持って蓮月から届けられたのだ。

10月1日白山 なかおく音楽祭
小さな町のフェスティバル。町内会の主催であるけれど、音楽の部門の仕切りは、溜まりBar 夕焼けの本保さん中心のクルーだ。小さな公園だけれど芝生のきれいなところ。寺澤じゅんさんに福井から送っていただき到着すると、共演の大塚まさじさんが救急車で運ばれたという。本当にビックリした。程なく無事を聞き、私が唄う少し前に病院から戻ってきた。軽い熱中症ということ。立って唄わないようにと言われたらしいけれど大塚さんはやはり立って唄うスタイルだから、本番は何事もなかったようにいつもの大塚さんだった。よかった。
のどかなフェスだ。町内のお年寄りを家から外に誘い出す、というテーマ、大成功だったのではないかしら。芝生の上のお客さんはほぼ一日ずっとそこで過ごして、秋の光と風と音楽を浴びていた。打ち上げも全員で集会所にて、生ビールもセルフで注いで。
夕焼けのゲストハウス泊。
大塚さんと沢山話をした。40年分くらいの出来事を話した。それから今考えていることも話した。お酒も入った人が政治の話をまるで他人事のように週刊紙の見出しのような言葉で話し出した。そのとき「たとえそれが間違っていようとも、表現する者は自分の考えを発言できなくてはいけない」と大塚さんが言い切った。力強かった。

10月5日吉祥寺にてストリングスのダビング。バイオリンとヴィオラは向島ゆり子さん高橋香織さん、チェロは四家卯大さん。千ヶ崎さんのコントラバスは事前に弾いてもらってあるので、この日は3人。
近藤さんのアレンジにて、「今日一人の友だちを見送って」「なぜ灯が消えたのか」「Fortune 」
自分の歌がとても上等な生地と仕立ての服を纏った。スタジオで何度も泣きそうになった。ずっと目をつぶっていた。



10月7日水道橋TAPESTRY
縁が繋がってはじめて唄う店タペストリー、ビールはBASSのペールエールの生とギネス、ワインも美味しいものが手頃にあってソファとカウンター席。落ち着いて飲む人立ち飲みの人、様々いるのでしょう。主の小原さんは私のことを2006年の春一番コンサートで聴いていたという。11年ぶりに今年阿佐ヶ谷のバルトで再び聴いてもらえた。時というのは目に見えないが機によって見せてもらえるんだな。青森から神戸から、また思いがけなく、昼夜ライブのハシゴの人、そして店主に誘われてはじめて、沢山の人たちが来てくださって、マンドリンのじゃんぼさんは出張とタイミング合わせて参加。tapestry にちなんでso far away を前の日に練習して唄う。これはツアーミュージシャンの歌だ。
終わってからもじゃんぼさんのマンドリンを囲んで数人の輪ができていたのは、この店が音楽を楽しむ人たちの大切な場所だからだろう。シャン石川さんには本番前にシンガポール料理、青森の明美ちゃん久美ちゃんオルケスタマスターの3人組からはリンゴや玉子焼き、皆さんごちそうさま、そしてありがとうございました。

10月10日上石神井にて、長田タコヤキが大阪から車でやって来てくれて録音。2曲。そのまま夕飯も食べずに大阪に帰っていった。タコヤキ、今回も本当にありがとう!
友情にありがとう!

10月11日バンドリハーサル。安宅さん千ヶ崎さん、ドラムスに小林武文さんが加わり、2曲。
12日吉祥寺にて録音。
これでほぼかたちが決まる。
帰宅後、やり直したい歌の問題を抱えて荷造り、あまり眠らぬまま信州への旅が始まる。

10月13日早朝、牟田さん落合さんが車2台で我が家まで迎えに来てくださり、4日間の旅。よねやまたかこさん、HALKA さん合流して蓼科にある牟田さんの山荘へ。
突然甦る記憶。
小学生時代毎年夏休みを過ごした場所だ。
見る影もなくなっていたが牟田さんがその衰勢も説明してくれた。ヴィーナスラインをプール平へ向かう途中、唯一読売新聞社の建てたというタイムカプセルの埋蔵された白いドームが変わらずにあった。昭和15年に作られドーム内に六千余点の文化物が収蔵されていて、2040年元旦に開扉されるという。
小さな私は祖父や叔母に連れられて「2040年まで生きているのは佳っちゃんだけかもね」と何度も言われたのを思い出した。さてと、生きてるのだろうか。

温泉の出る牟田さんの山荘のお風呂で足湯して昼寝して上諏方「1977」のライブへ。
途中、和ちゃん、そして下諏訪の丸山真弓さん真美香ちゃん親子と合流一粒の麦というカフェで食事。初日なのにすでに数日経っているような濃密な時間の始まり。
1977は素晴らしいライブハウスだった。ステージに立って光があたり最初の音を出したときの手応え。ありがたい。真弓さんのサポートは中山昭さん、中山さんとは夏のNHK ラジオ以来。HALKA さん、たかこさん、私。それぞれがやりきった、そんな充実のライブだったと思う。沢山のお客さんを呼んで下さった真弓さん本当にありがとうお疲れさまでした。
蓼科泊。

10月14日飯田フォークソングピクニック。
雨が本降りとなったが、野外ステージにこだわって決行された。きっちりとみんな持ち時間を唄いきる。お弁当もきっちり食べる。私は最後の一時間。なんと晴れてしまった。ちょっと怖くなったけれど晴れてしまった。最後に皆さんが雨を気にせずに前の席に集まれたことは嬉しかった。
中心者の中島さんはじめ、石川さん、蟋蟀さん、久保田さん、ぎんちゃん、などなど、そして参加者の皆さん本当にありがとうお疲れさまでした。
夜の部はだんきゅうハウスという山の上の施設にて。夜しか参加できない人も加わり、食べて飲んでのあとは延々と音楽。バンジョー、マンドリン、アイリッシュハープ、コンサーティーナ、スプーン、一期一会、マウンテンダルシマー、さっき寝ていたと思った人がまた復活して唄っていたり、気がつくと消える人がいたり。私は昼にたかこさんのコンサーティーナと会津梨花さんの一期一会で月の庭を唄えたこと、そして夜には真弓さんと2本のダルシマーで夕暮れ飛行を唄えたことがかけがえのない時間となった。

10月15日飯田のんび荘にてのんびdeライブ。昨年は夜に松本のライブがあったので昼間3曲唄っておしまいだったけれど今回は宿泊付き、もちろん唄う前のお蕎麦と打ち上げ付き。あいにくの雨だったけれど、のんび荘の室内でみんなで膝付き合わせ順番に唄うのは身も心もあたたかくてわくわくする。雨は珍しいというのんびライブ、中山さん松下さんありがとうございました。そして打ち上げのおつまみセットは儲けを土返しのご馳走でした。

車の運転、高速の渋滞、牟田さん、落合さん本当にお疲れさまでした、付き添い和ちゃんもありがとう。4日間は4週間分くらいに膨らんで終わりましたね。HALKA さんたかこさんとは去年一昨年よりも実りのある対話ができたし、みんなそれぞれ違っていてもどこか似たところを持ち合わせているのかな、この数日の旅に集えた人たち。

10月21日近江八幡
この秋はなんと米原経由の多いことか!
台風に向かってやって来た。9月の伊吹山と浜大津滋賀も低気圧の中だった。
酒游館、酒の貯蔵所だった。300年の歴史のある造り酒屋という。様々なものが棲みついている気配がする。
松岡寅雄さんに誘っていただき、山本カナコさんとの共演。カナコさんとははじめてだったけれど、素晴らしい力のある歌とギターで惚れ惚れしながら聴いた。男の子のお母さんでまだまだ手が抜けないけれど、そういう制約のある時期が一番力をつける時なのかもしれないと、思う。
なおさんという女性が話しかけてきた。岐阜のワタルカフェに置いてもらっていたフライヤーで私に興味を持ち来てくださった。偶然にも金沢の絵描きのヒサさんや今夏出会ったまゆさんゆういさん親子と親しいひとだった。車イスを操り、それを経たんでしまって大きな大きな車を運転する、かっこよかった!
大阪から平田ママと草津の高田さんとみこねぇさん宅泊。





10月22日大阪 串揚げ髭政にて。
大きな台風が関西に向かっていて、草津から琵琶湖畔の橋のうえは風に煽られた。
髭政に着いた時点で嵐になりはじめていたが、ライブは決行された。殆どキャンセルもなく時間通りに集まってくださった皆さんに感謝して沢山唄わせてもらう。初公開曲もあり、最後は生声。外が嵐などとは感じられない髭政の2階の部屋で、ずっと一緒に過ごしたいと思ったけれど、交通機関がどんどん不通になっていた。
マンガ喫茶で夜明かし、またタクシーでなんとか帰ったり、大変な遠回りして電車を乗り継いだり、嵐の「おうちに帰るまでがライブです」になってしまった。
皆さん本当にありがとう、そしてお疲れさまでした。
ホテルにてテレビをつけると衆院選開票番組と共に台風の被害情報。
政治は待ったなしだ!と強く思う夜。自然災害に追いつくことはできないけれど、いち早く現場に駆けつけることが政治の使命。
政治は地味で、そんなにかっこよいものではないと思う。政治は技術、政党は手段、何のため?for the people!
私の応援していた候補は落選した。負けると疲れが襲うけれど、一喜一憂しないでいこう。マスコミは煽らないで欲しい。どうでもよいことを大袈裟に、つまらないことを面白く、いい加減にやめて欲しい。まあ、やめはしないだろうからこちらから願い下げだ。
短期間だったけれど勉強できた衆院選だった。そして沢山の対話があった。



10月23日神戸三宮ラストワルツにて。
高田さんみこねえと福島駅近くのうどん屋サンクにて昼食。箸持参は10円おまけ、割り箸はダメ。うどんはフスマ入り。2年前の録音のとき岡本くんとタコヤキとよく食べた。良いうどん屋。三ノ宮まで送ってくださる。
時間があったのでカプセルホテルに併設の風呂に入ってからラストワルツへ。店の顔のようなお客さんたちが月曜日にもかかわらず集まってくださり、ノーマイクで沢山うたった。4階にある店の入り口のドアを開けて唄うと踊り場の残響がちょうど良いリバーブとなる。小さなクロネコが足を組んで頬杖ついて考え込んでいるフィギュアが飾ってあった。横尾忠則の彫刻のミニチュア。横尾忠則記念館にあったガチャガチャで300円にてゲットしたらしい。マスター吉岡さんが帰りにくださった。嬉しい。この夜はじめてライブ後にカウンターのなかに立ってお客さんと過ごした。みんなと会話ができる。会話しなくても顔が見渡せる。
10月24日広島にて、ジャクソン・ブラウンのコンサートへ。
午後早く着いたので、平和公園へ。
原爆資料館はずいぶんと展示がきれいに整って、少し拍子抜けする。子供の頃はじめて見学したときの恐怖感は現在の展示で感じることは難しい。外国人と修学旅行の中高生で溢れていた。
ジャクソン・ブラウンのコンサートは30年ぶり。本山さんがチケットを買ってくださった。このツアーの最終日。前から2列目で見るJB は本当に自然だ。ギターも優しく声も静かで、音響クルーとバンドのなせる技だろうけれど、素晴らしいアンサンブル。そして最後まで誠実なステージング。客席から何度も何度も有り難うとか、Thank You JB!の声がかかる。同じ時代を共有して、ここに集えて、リクエストに親切に応えて、丁寧に唄いきる彼に私もありがとうの気持ちで一杯になった。大好きな曲の数々、最後はRoad Out ~Stay!思いがけないプレゼントだ。Road Out はライトの当たらないところで一番早く会場に現れて一番最後まで後片付けをし、最低賃金で働くクルーへ捧げた歌、この歌が大好きだ。ジャクソンの誠実さそのもののこの歌を今聴けてとても元気になった。自分もそうありたいと心に誓った。本山さん誘ってくださり本当にありがとうございました。

10月26日東中野じみへんにて。
静かなお客さんでいっぱいになった。
途中、岡野進さんにフィドルを弾いてもらう。リハーサルもそこそこで、小さな場所で、ギターと歌だけのアンサンブルでやりにくかったでしょうがありがとうございます。またの機会を!愛媛の養蚕家守彦さん、ビックリなのは今回録音でお世話になっていたチェロの四家卯大さん。終わるまでわかりませんでした。嬉しいです。
場所と人と自分のコンディションと、そして大切な選曲。これが上手くかみあったときにライブの悦びは何倍にも。弾き語りの幸せをくださって皆さん本当にありがとう!
翌日に録音を控えていたけれど、嬉しくて沢山唄った!

10月27日吉祥寺にて最後の録音。
歌入れ直し。今回も基本はバンドとも自分の楽器とも歌は同時録音。2曲だけはブースに別れての録りだった。なのでそのひとつに納得いかず歌だけ再挑戦。近藤さんは忙しくて不在。スタジオのエンジニアの水谷さんと二人だけで。
やはりバンドとの同録のほうが元気もノリも良いのだろうけれど、ともあれこの日のベストと思いきる。
このあとは来月からのミックス作業とジャケットデザインへ。

10月28日高山ピースランドにて。
台風が迫っているという、高山は本降り。
それにもかかわらず良い方々が集まってくださった。
リハーサル終え、近くにあるアトリエ月の舟にて中畑朋子さんの裂き織りの作品展をみせてもらう。ずっとライブで歌を聴いてもらっていたけれど、中畑さんのやっていることを知ったのは最近。
ピースランドで唄うときは前後の移動に時間を使いなかなかゆっくりできなかった、
でも実は高山の時間はとてもゆっくりと流れていて、自分だけが心をバタバタとさせているだけなんだなぁと、雨の用水路沿い傘さし歩きながら少し恥ずかしかった。
朋子さんの説明で裂き織りの横糸縦糸の色のこと太さ細さのこと教えてもらった。月の舟の壁は飛弾の和紙。一緒にいたりゅうが、実は昔から機織りしたかったのだと言い出す。
今回は櫻井弥生さんの草木染めの美しい着物が展示されていて、その前で唄った。私は真っ黒のセーターだったから後ろの薄ピンク、薄黄色のぼんやりした着物と被らずに、とても落ち着いて唄うことができた。若い人にも聴いてもらえたし、滋賀から先週であったばかりのなおさんとお母さん、大阪から仕事ではじめてやっと聴けたという方も。
主の中神さんのいつもの温かい鍋とご馳走、女性の多い打ち上げは素晴らしく外に向いた良い会話で賑やかだった!

10月29日犬山珈琲ふうにて。
台風でお客さんが来てくださるか心配だったけれど、お店のなかはいっぱいになった。ありがたくて「一生懸命唄わせてもらいます」と言ってお辞儀してから唄い始めた。
各務原の621の佐伯さんがマイクとスピーカーを用意してくださる。
最後の曲だけ外して唄ってみると、これはこれで新鮮。初めからノーマイクが良かったのかな?とも思ったけれど、満杯の休憩なし2時間近く、私の場合はやはりマイクに声をのせた方が伝わるだろうし、お客さんも楽だろうと、録音したものを翌日聴きながら感じた。
青山フォークジャンボリーのCDを買ってくださる方が数人あり。ア・シ・オ・トも。嬉しい。今は少しでも次のための資金をつくりたい。
土志田さん夫妻が早い時間からふうにいた。この夜のライブはあまり語らず、様々な思いを歌に込めた。
歌があってよかった、本当によかった。
台風にもかかわらず皆さん本当にありがとうございました。半月のり少し太った月の夜になりました。嵐のあと。



翌朝、戸谷さんが車で迎えに来てくださり
名古屋の駅の近く、groovin' blues music studio へ。ヘビーロックも出来そうな設備のステージ。プラスティック製品の工場の2階。秘密基地。
名古屋から伊勢湾方面へ南下して、三重県桑名郡の中島ピックへ。伊吹山音楽祭で約束をしていたサムピックと、中島ピックの歴史を知ることになった。ピック工場の4代目。創業は大正6年、今年で100歳!お祖父さんの叔父さんが創始者で、昭和20年後半からはマンドリンとバンジョーのセルロイドピックをニューヨークのハーシマン輸入商会に卸していたという記録を見せてもらった。なかなかのファミリーヒストリーだ!ニューヨークに渡ったピックがカタログで売られいったいどんな人たちがバンジョーやマンドリンを弾いたんだろうか?どんな音楽だったんだろうか?

鼈甲のサムピック、少し短く削って貰う。あまけもいただいた。手作りのピック一枚一枚、ひとつひとつ、音は全く変わる、すぐになくしてしまう小さな物たち、大切にいつまでも一緒に旅をしよう。
名古屋から岐阜の南部そして北へ、そして大きな川を渡り、沿って走る。木曽川、揖斐川、長良川。大きな川に大きな橋。助手席で暫く眠りに落ちて板取川が見えてくる。洞戸のキャンピングセンター、林のかっちゃん宅にて2日間の休日。
宿題が沢山、
先ずはジャケットに載せる歌詞の校正。
それから月末の支払い色々。
追いたてられる心を川と山が助けてくれる。
頑張って、夕方から無料のふれあいバスに乗って板取温泉へ。

    秋の岐阜の旅のまん中。









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2017-09-29 16:38:29

チープシック

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裏の散歩道


上半期下半期、分量的に考えれば、6月が一区切りとなるが、気分的には9月が後半の始まりにふさわしいと思う。
9月2日高崎JJ&BBcafeにて
高崎は久しぶり。この店は初めて。
戦うオヤジの応援団のメンバーであり、ライブに来てくださる渡辺さんに呼んでいただいた。アコースティックギターを楽しむサークルから始まった闘うオヤジの応援団は現在は2000人を超えるメンバーになりNPO法人で活動しているという。私がこの名前を知ったのも群馬県の前橋だった。それはもう14年くらい前の事。その時にすれ違った方も来てくださった。考えてみればフォーク酒場などの流行る以前のこと。こういう草の根の活動をしていた人たちのおかげで私のような歌手は圧倒的に唄う場所とお客さんに恵まれたのだ。
立派なステージと音響、広いスペース。マスターの町田さんの設計という。町田さんの本業は設計士。でも喫茶店のマスターの貫禄。沢山うたわせてもらった。店の二階に泊めてもらい、翌朝町田マスターの作るモーニングサービスをいただく。私の歌を高崎の人たちに聴いてもらえて良かったと渡辺さんが自分のことのように喜んで下さった、ありがたいことです。JJ&BBに集まってくださった皆さんありがとうございました。ちなみにJJとBBはジジババだそうな。
 
◆敬太郎さんとバンドのメンバーとのリハーサル。
敬太郎さんの書く譜面はとても分かりやすい。コード、音符、歌詞はきっちりすべて、記号も説明がついていたりしている。真っ黒の太いペンで。一目で敬太郎さんのだとわかる。ギターの厚史君、ベースの公章君も敬太郎さんを慕っている。
save the last dance,smalltown talk,do you wanna dance,
何回も繰り返し練習した。ステージングも考えた。文化祭の練習みたいだった。バンドは楽しい。

◆MX TVの番組、小室等の新音楽夜話の録画。
プロデューサーは旧い友人早川隆さん。ピピ&コットの頃は早川君と呼んでいたけれど、公?の場所では早川さんと呼ぶ。
でもこの朝も、楽屋で二人だけで近況を話しているときはタメ口になる。あっという間に友達に戻る。で、ひと安心だ。
番組の本番、小室さんとの会話は昔の話題になる。高校生で小室さんのギター教室に通っていた時の話。なんだか涙が込み上げてきた。生きていてよかったな、、と単純にそう思った。女子高生のあの時の私が好きだったギターを60歳過ぎた私もまだまだ好きで挑戦していますよ。
早川くん、小室さん、ありがとうございました。
その足で、岡山へ。しずかちゃんとなべちゃんの結婚パーティーのお祝いに。二人が出会ったプチパインにて。私は出会いの瞬間にこの場所にいたのでキューピットだそうな。ブーケをもらってしまった。次に結婚する人が貰うブーケだ。一人のひと、月の庭を唄ってお祝い。ウルガにて二次会。仲良くね!ウルガの久味子さんが吉田牧場のチーズをお土産に下さった。食べると牧草と牛小屋の香りがする。



◆上石神井にてレコーディング。ウッドベースは千ヶ崎学さん、ギター、バンジョー安宅浩司さん。3曲とベースのかぶせ1曲。思ったより少ないテイクですんだけれど、丸1日唄うとさすがにヘロヘロになる。しかしここから一番大変なのは、毎度のことだけれど近藤さんです。だいちゃんよろしくお願いします。あんまり手間取らせないように頑張ります。まあまあ良い滑り出し。と思う。

9月16日伊吹山音楽祭。
今年で最後ということで、私はやっと初めての参加。台風18号が上陸するという中で。
米原経由、東海道線近江長岡。福井のじゅんさんが車で迎えに来てくださる。駅で偶然佐々木さんに会う。伊吹薬草の里文化センターにあるグローブホールという立派な会場。知っている人、Facebookなどで名前だけ知っている人、とても親しい人、全く初対面の人。あっという間に自分の出番。ステージでダルシマーの弦が切れたけれど、2弦だったからあまり影響なく、鉱夫の祈りのような静かな曲には復弦よりもシンプルで良かったかもしれない。実際に単弦で弾く人もいたなあ。ステージの進行も客席も演ずる人が大半だ。こうして2日間ミュージシャン同志で聴きあうことのできるコンサートは他にはないかもしれない。
ステージは翌日まであるのだけれど、恒例という中打ち上げを体験できた。野外ステージの上に全員が集まって、手の込んだごちそうが沢山用意されて、乾杯をする。一本のギターを回しながら一人一人唄うのだ。京都を中心とした音楽シーンを背負って50年という先輩たち、そして中川五郎さん、いとうたかおさん、中野督夫さん、やぎたこ、そういった普段ツアーですれ違う人たち、またそういうミュージシャンを支えてくださっている人たち、音楽が楽器が歌が大好きな人たち。陽気に集うとなんて豊かな時間となるのでしょうか。北村謙さんはじめ音楽祭を運営した皆さんお疲れ様でした。またどこかで会いましょう!

9月17日浜大津どない屋にて。台風は思っていたよりゆっくりで、伊吹山に迎えに来てくれた高田さんとみこねえさんの運転する車で大津まで。4月に体験して大好きになった店どない屋。円ちゃんが唄うところにギターのたかしさんと、若いベースの青年と。そこに京都にいたじゃんぼ奥谷さんも遊びに来てくれて、豪華なステージ。たかしさんはSallyAnnを完全に自分のものにして待っていてくれた。Save the Last danceをバンドでやろうということになったら、円ちゃんもコーラスとドラムで参加してくれるという。円ちゃんは初対面の時、とてもそっけなかったから怖い人だと思ったのだけれど、そうではなくて、シャイなのだとすぐにわかって、そして作ってくれる御馳走の味に真心が詰まっている。一緒に唄おうと言われてとても嬉しかった。この日ここにいた人しか体験できないステージとなった。私もちょっと踊った。じゃんぼさんは神戸まで、台風は上陸、ぎりぎりセーフで帰ることもできた。前回来てくれていた女性のお客さんは円ちゃんの美味しいたぬきうどんを食べながら楽しんでくれた。若い人も聴いてくれた。
草津の高田さんたちの家にて熟睡。
翌朝みこねえさんが、オレガノのエッセンスをオリーブオイルに混ぜたカプセルを飲ませてくれた。胃がスッキリして疲れがとれた感じがした。良いハーブだ。京都まで3人で。じん六という蕎麦やに連れていってもらう。蕎麦がきが絶品だった。大将がおまけを一杯してくれて満腹。ごちそうさまでした。
 
◆成城学園から千歳烏山方面に向かう小田急バスで、とても上品なおばあさまと若い女の子が仲良く話をしている。聞耳を立てているわけではないのだけれど、ぽーんと飛び込んできた言葉は「ハイデルベルグ」!!!
孫娘は夏休みにヨーロッパ旅行に行ったらしい。「ハイデルベルグでね」「ハイデルベルグじゃね」「ハイデルベルグからね、、、。」ハイデルベルグがきっと素晴らしく良いところだと伝わる。
私は一週間前に「ハイデルベルグ」という素敵な歌を聴いた。伊吹山の音楽祭で、松本玲奈さんという素敵な歌うたいの曲ハイデルベルグ。その歌の中でハイデルベルグは土地の名前であり、古い印刷機のなまえであり、印刷機は人格を持っているような不思議な歌だった、そしてインクや埃や油や綺麗なドイツの空気の匂いもするような歌だった。
でも玲奈さんはきっとドイツには行ったことがないのかな?と思った。想像の翼と創造の心でつくった感じがした。だから聴いている私も行ったことのないハイデルベルグの見たこともない、どんな形のものかもわからないハイデルベルグを妄想した。
私が駒大グランド前で降りる頃、バスの孫娘さんはおばあさまにエールフランスとJALのサービスの違いを話していた。
ハイデルベルグ行ってみたいな。

9月23日大森風に吹かれてにて。
座・飛楽人の活動10周年記念のライブに呼んでいただく。
満員御礼の風に吹かれてにはミュージシャンが沢山集まった。そしてそれを支える人たちでと。
風に吹かれてという店ができて11年。店主の金谷君から店の開店を聞かされた時は正直言ってうまくいくとは思えなかった。金谷君も最初から自信があったわけではなかったと思う。でも今夜集う人たちを眺め笑顔を交わしながら、良かったなあとつくづく思う。飛楽人のキリンさんはじめブルーグラスやアメリカンフォークを楽しむ人たちがこの店を拠点に音楽を楽しんでいて、それは自然と大きく広がっていき、全国からミュージシャンがやってくるきっかけにもなっている。
モダンフォークカルテットのレパートリーを唄うウィルキンズという4人のバンドは70歳を超えていらっしゃる方もあるという。分厚いハーモニー。あとでコーラスの譜面を見せてもらってそのち密さにまたまたびっくりした。パートは色分けしてある。
阪神パークがないでしょ、という夫婦のデュオも素敵だった。奥さんは可憐で、ご主人のギターの音が、そう、ひとつの音の響きとそれから一拍の長さ。一拍がほんとうに長い。凄いタイム感だとおもった。
やぎたこと一緒に「おやすみいとおしいひと」を唄わせてもらった。憧れのコンデンサーマイクひとつというスタイル。ありがとうございました。帰りはやなぎ号で送ってもらえた。

9月24日大岡山Good Stock Tokyoにて。生田敬太郎さんとのライブのタイトルは「You Can Dance!」
数か月前にスケジュールを決めた時、ふと思いついたのがYou Can Dance! みんなで体を揺らすだけでも楽しいかな?と思ったのだ。
新しくこの日のために仕込んだ「Save The Last Dance For Me 」と「Do You Wanna Dance」。こういう曲は自分一人では絶対に演れないのだもの、一期一会のステージだった。それからケメの曲「生活」「地下鉄」。生活という曲はいつも泣いてしまう。歌詞の中の小さなテーブルの上に並べた喜びと悲しみを前にして座っているケメを想像する。地下鉄は一緒に都営地下鉄に乗ってお茶の水の事務所から西馬込駅への帰り道、本当によくバカ話をして笑った時の曲だ。でもケメはバカ話で終わってはいなかった。例えば前の晩、地下鉄に乗って話したこととか、一緒に聴いた誰かの歌とか、観た映画とか、そして翌朝には名曲を創りあげていたのだもの。
ステージはバンドの厚史君と公章君が頑張って支えてくれた。
敬太郎さんと私でしかできないことがまだまだあると思った。そのためにお互いにもう少し頑張りましょう。
日曜日の昼下がり、集まってくださった皆さん、ほんとうにありがとうございます。
しかし、皆さんよく呑みました。


夏の名残
9月26日お茶の水Woodstock Cafe にて。
東京のライブが続いていて、まるでツアーでやって来たようだ。選曲をガラッと変えようと思い立ち朝から練習して望んだのだけれど、少し上滑りした流れになってしまった。感じているのは自分だけなのにそう思うと集中力が欠ける。後半の歌では大切な歌詞を間違えて唄い直した。高野くんの焼き鳥屋の、お母さんが見つかるところで間違えた。
実は同じ箇所を今までも数回危うく間違えそうになっている。そこで感情が入りすぎて飛んでしまう時もあった。大反省です。
沢山のお客さんが来てくださった、嬉しい顔ばかり、初めての方もあり、ケメのファンだった当時女学生さんとも再会出来た。その前の大岡山でもそういう出会いがあった。お互いによく生きてまた会うことができました。感謝をします。
帰りには雨が降りだしていた。
駅からタクシーに乗り、運転手さんと政治の話で盛り上がり、心の隅では今日のライブの失敗を反省しながら、アパートのドアの前、鍵がない!やっちまった!業者を頼んだら一万円近くする。ダメダメ絶対ダメ!こんな夜、泣きっ面にハチだ。
風呂場の小窓が奇跡的に開いていた。窓には柵がついているから26.7センチほどの隙間。庭の椅子を持って来て頑張って潜り込んだ。床までが遠くて、股関節が外れそうな格好をして入った。昔は簡単だったのに、からだが固くなったんだな。鍵はタクシーの中だった。運転手さんが遅くに届けてくださった。泣いたり、落ち込んだり、また笑ったり、長い夜だった。

9月28日亀有kidbox にて。
東京ツアー最終日。前夜の失敗を様々思い返しながら、メトロノーム使って練習したり、歌詞を覚え込んだりして出かけた。
山崎怠雅くんとの共演。彼とは2回目、2年ぶりだった。小さなギルド、暗い血のような色のギター似合っていた。ドノバンのハーディガーディマンを日本語で唄った。
彼はドノバンが大好きだという。私は中学のころこの歌を聴いてハーディガーディという楽器のことを調べた。変な楽器好きはその頃からずっとだ。怠雅くん曰くあの楽器はめんどくさすぎるということだった。親子のような年の差の私達の共通項をお互いに微かに感じながら良い時間でした。雨の中皆さんありがとうございました。
まさえさんから生のすだちを頂いた、サンマはないけれど、焼いた万願寺唐辛子や椎茸に絞ったら美味しい。

◆9月は原水爆禁止宣言の月。60周年という節目の年に、奇しくも7月7日には国連で核兵器禁止条約が採択されて、そして今月から各国の署名が始まった。
日本が一日も早く、世界のすべての国が一日も早く条約に賛成していけるように。そこがスタートラインだ。日本の基地問題も安全保障も、結局は核兵器禁止条約を共有していくところからしか解決されないのではないか?と単純に考えるのは間違いかもしれないけれど、戦争と平和を考えすぎて頭がパンパンになったとき、私は戸田先生の原水爆禁止宣言を忘れないように何度も心で反芻しながら地球を俯瞰する。「反対をすることは簡単だ。しかし私はその人間の心の奥に潜むところの爪をもぎ取りたいのであります!」この叫びが最大最強の道しるべ。
対話よりも圧力を!そんな言葉を一国の首相が叫ばなくても良いように、なってほしい。ニュースをみるたびにいつもドキドキする。そして私は私の目の前の人と対話のチャンスをつくりたい。いつもドキドキしている。勇気がいるんだ。


9月30日福井県武生へ
朝から日本橋公会堂へ。旧友浅香貴子さんの踊りの会。貴ちゃんとは赤坂のナイトクラブで出会った。20代だった。彼女はその後赤坂と六本木で自分の店を持ち、知らない間に日本舞踊の名取となり、何と明日香流の家元になった。同い年の私たちは途中で全く違う道にいったように見えたのだけれど、人生の半ば過ぎて私はフォークシンガー、彼女はお師匠さん。一門の会は入場無料で、お花が一杯だった。ご挨拶だけして東京駅から米原経由武生へ。
福井の寺沢さんが今夜プライベートな小会を開いてくださることになった。ありがたい。
今月は米原に2回も降り立つ。それにしてもここの乗り換え改札は往く人来る人で混雑する。
越前市の静かな山間の隠れ家にて、囲炉裏ばたでのライブ。夢の会の皆さんが持ち寄りで集った。小一時間私が唄い、あとはみんなで。ちょうど良い気温、外は夜露が降りている。歌が途切れると虫達がかわりに歌う。一年で数日あるかないかという美しい秋の時間に開いてくださりありがとうございました。

◆病の友は勇んで治療に励んでいる。
◆大ケガをしてしまった先輩は生きていることに心から感謝していた。
◆人はどんなに近しくても、時々はきちんと話し合うことが大切だと教えてもらう事柄がいくつかあった。
◆それぞれの差違を認める、尊重しあう、というのはほんとうに勇気のいることだと教えてもらう事柄があった。
◆お父さんが亡くなって、病院、葬式から役所から家族のことも、全部背負って孤軍奮闘している友達のことをずっと考えている。頑張って!遠くで私も泣きそう。


◆金木犀のかおりがフワッと流れる。
数年来9月は北海道に行っているのだけれど、今年の9月は東京三昧。録音も打ち合わせもトレーニングも治療も全部東京だ。
食事を家ですることも多かったから米、味噌がずいぶん減った。
今月で昔のギターの修理代の月賦が終わる。その代わりCD のプレスにずいぶんお金を使ったな。働こう!来年の手帳を買おう。
400円で古いワンピースを手に入れた。もうひとつはほぼ無傷で1700円、久しぶりにステージでワンピース着てみた。今は古着もブランド化していて良いものは高い。ブランドものでなくても良いものが沢山ある、そういうチープな山を漁るのが大好きだ。試しに私も着なくなったコートをネットのフリーマーケットに出したら4500円も出して買ってくれる人がいた。自分の使わないものを人が欲しいというのはちょっとした快感、押し入れもよろこんでいる。

◆タゴールの翻訳者の山室静さんの家族から使用許可をもらえた。フィルオクスの時もそうだったけれど、本当に受験に受かったくらい嬉しい。きちんとした作品にしよう!





 
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2017-08-31 20:53:53

働く八月

テーマ:ブログ


伝統の7月という表題の伝統とはなんなのか?と問われた。たいした意味はないのだけれど。
以前鍛えの夏のような意味で伝統の8月という言葉を知って、ああ、私にとって7月8月はツアー生活の山場だなあと感じた。一年の中でも一番旅の多い春から夏、疲れが溜まってそこに高温多湿。毎年7月に体調を崩す。それでも旅を続けて8月の最後に完全に疲れ果てる。
ここをうまく乗り越えたいと強くねがって「伝統の7月」。
さて8月は少し休もうかと思っていたのだけれど、意外にやることも多くて、充実の「働く8月」。
 
◆エミリ・ディキンスンを岩波ホールにて観る。大好きな詩人の半生。映画にはエミリの父役で大好きなキース・キャラダインも出ているので嬉しかった。
詩の中に生ききった人。
新聞社の評論家に詩を手直しされる、ダッシュマークを省いたそれだけだったが、それがなければ自分の詩ではないと批判するエミリ。その批評家に新聞で酷評されて怒るシーン。家族全員が祈りをささげている中で一人毅然と椅子に座ったままのシーン。
パン焼きの名人だったんだ。料理も上手だった。レシピも詩と一緒に洋服ダンスの引き出しから出てきたんだろう。
若い美男子のファンが近づいてくるのに、自分は彼の美貌に釣り合わないと言って心を閉ざすシーン。
どれも好きなエミリ。
以前読んだ、バーバラ・クーニーの絵本「エミリ」のなかで主人公の小さな女の子とエミリの会話が素敵だった。
「それは詩なの?」と紙きれを指して聴く女の子に
「いいえ、詩はあなた。これは詩になろうとしているだけ」
という。
こんどはそういうお伽のエミリの映画も観たい。
だって最後のあたりはずっと病に苦しむシーンばかりだったから。
それでも詩人は苦しみの中で言葉を紡いだ。
 
8月6日大森 風に吹かれて にて
阿部カナさん、トモクロウさんと私。女性3人。娘のような年代の人と唄うのは嬉しい。
トモクロウさんは唄のグルーブのしっかりとした歌手。気持ちの良い~ということが音楽の条件だな、と教えてもらう。カナさんは自分を開こうと一生懸命に生きているのが伝わる歌手。2人とも気持ちの良い人たちだった。
企画をしてくださったのは、八十川まさえさん。誠実ということが、最後は勝つのだ!とまさえさんにいつも教えてもらう。風に吹かれて来てくださった皆さんありがとうございました。
 
◆7月に採択された核兵器禁止条約、その直後のヒロシマ・ナガサキの慰霊の6日9日。
◆日本の政府は大きな核の傘の下で沈黙をしている。
 
◆「ニュートンナイト 自由の旗をかかげた男」をAmazonのビデオで観る。南北戦争さなか、南部連合軍に反発した南部連合軍の脱走兵たち、ニュートンナイトはそのリーダーとしてミシシッピのジョーンズに自由州を作ったとされている。自由軍にはたくさんの黒人もいた。それから貧しい白人農民たち。The Night They Drove Old DEXI Downに登場する人たちだ。
黒人との結婚が禁止されていた当時、ニュートンの二度目のパートナーは黒人だった。正式には結婚できなかったようだ。戦争が終わり、差別のない北部に移ろうという妻にニュートンがここで生きるんだと決める。
映画ではとても面白い演出があった。話が現代に移り、ニュートンのひ孫が白人女性との結婚で訴えられる裁判のシーン。
はじめて知ることがたくさん詰まっている映画なので、もう数回観てみよう。
◆五十肩という症状が続いている。ふとしたきっかけで受けた整体の治療で、反対に大変痛くしてしまった。
気を失いそうなくらいの激痛。1時間程しても収まらなかった。治療家氏も焦っていた。今まで数えきれない五十肩を治してきたけれど、こんなことになったのは私が初めてだそうだ。そういわれてもほんとうに息をするのもひびいた。2時間ほどそこで休んで帰宅。
翌々日からの京都、大阪、神戸えらいことになった。
 


8月12日京都ハリーナにて。
ハリーナはひと月前に移転新装オープンした。
京大農学部隣の古い古い小さな長屋のひとつ。それをとても優しく手入れをして改装された。奥のお座敷も石燈籠の中庭、間口からは考えられない奥行。
マホロバシスターズと共演。ひろこさんとかよさん、本当の姉妹みたい。かよさんのお母さんが一番前にいらしていた、そっくりなのでまたビックリ。ハリーナには京都のエスプリのエッセンスが集合したみたい、文化の香りが匂いたっているような感じた。関東のものには憧れ。作家の森まゆみさんもいらしていた。「勇ましく奔放に生きているようだけれど、歌は真面目なお嬢さんのようでもありますね。」と言われた。
沢山の皆さん本当にありがとうございました。
終わってから、具合がよくないんだけれどと言ったら、魔女のよっちゃんに診てもらったら良いと、ハリーナの友子さんや蒔田さんに勧められた。蒔田さんが予約を取ってくれた。
 
8月13日大阪 GANZtoi,toi,toiにて。
ROBOWの阪井誠一郎さんに声をかけてもらいGANZの足立さんが呼んでくださった。
ROBOWは勢いのある良いバンド。40代のミュージシャンたちに呼んでもらえるのは光栄なことだ。
GANZはドイツ語、まったく!とかそのとおり!のような意味らしい。toi,toi,toiはおまじないの言葉。成功を祈るときにトイトイトイと手やその辺を軽くたたきながら言うのだそう。GANZtoi,toi,toiの楽屋からステージに上がる処にはこのおまじないが書いてあった。
私は初めての場所での緊張と、腕の痛みであまり寝ていない疲れとで、ちょっとふらふらしていた。なのでおまじないを自分でやってみた。
そのおかげもあったのかな、良いお客さんと、良いバンドとに守られて自分のステージも、一緒に唄ったパラダイスと生活の柄も美しくハモって、楽しかった!
若い人たち、また誘ってください。
 
8月14日京都クイーンズギャラリーにて。
朝の9時に蒔田さんが車で、件の魔女のよっちゃんのところに連れて行ってくださった。よっちゃんは気功と様々な治療をする女性で、とても丁寧に診てくれた。悪いとこを感じて手当てしてくれる。
手を当ててもらうだけで安心した。とりあえずの漢方もおしえてくれて、体中が緩んで、昼からホテルで久々に熟睡した。
すっきりとしてクイーンズギャラリーへ。
佐々木さんの写真が3日前から展示されている。写っているのは私。私の写真の展覧会。
恥ずかしくて最初はガマの油のカエルのような心境だった。
予想しなかった大勢のお客さんがライブに来てくださった。奈良、滋賀、大阪、名古屋、もちろん地元京都。
うたい始めたら嬉しくって、あれも唄おう、これも唄おうとなった。魔女のよっちゃんの整体のおかげで体も心も緩んでいたからちょっとぼーっとした、何度も歌詞が飛んでしまって、それだけは申し訳ありませんでした。
この数年の写真ばかりだけれど、どの写真の私も自分では知らない表情をしている。この瞬間に私は何を考えていたのだろう?面白い。
佐々木さん、いつも良い写真をありがとうございます。どれを葬式に使おうか?
権太呂蕎麦の社長でもある理子さん、お世話になりました。最後の曲は「お蕎麦」。
 
8月15日神戸シルクロードにて。
朝の9時にもう一回よっちゃんに治療してもらって神戸まで新快速にて。
じゃんぼ奥谷さんのCD発売記念のライブ2日目。
満員御礼、素晴らしい。
じゃんぼさんとは5年ほど、関西に来るとお世話になる。
いつもニコニコとしている顔しか知らない。じゃんぼさんが仕事で行くアジアの国々での子供たちの写真をFacebookで観るのも大好きだ。じゃんぼさんでないと撮れない表情や景色がある。今日のライブも人柄が人を呼んだのだ。
ブルーグラスのミュージシャンが沢山集まった。私よりずっと先輩の方々も。音には厚みと温かさが兼ね備わっている。一緒に演奏できるなんて幸せだ。私の曲はじゃんぼさんが音源や譜面を皆さんに渡してくれていて、楽しんでセッションができた。仕掛け人の治井さん、佳奈さん、ありがとう。
夜の9時前に新神戸から新幹線。お盆のUターンでライブとおんなじ満員御礼。
 
◆グレーフルデッドの映画「LONG STRANGE TRIP」を観る。6シリーズ、あっというまだった。J・ガルシアのスキューバダイビングの映像はびっくり。サンフランシスコのウインターランドのコンサートの映像では、自分もいるのではないかと探してしまった。
◆NHKのアーカイブで今年の夏の太平洋戦争関係の番組をまとめて観る。
岐阜の旧黒川村から満州へ渡った黒川開拓団。終戦直前直後に起こった悲劇。中国軍から身を守るためにソ連軍兵士に護衛をしてもらったみかえりに「接待」という名目で若い女性たちが体を提供した事実。
4年前に一人の女性が自らの体験を告白したことがきっかけに。
弱いものに犠牲を強いる戦争の実相。
 
8月16日NHKラジオFMにて。
夏の選抜!フォークおやじバトルという番組にゲストで呼んでもらう。昼過ぎから6時間の番組でコンテストが行われた。知っている方々も出場していたのでドキドキしながら聴いていた。NHKのスタジオで唄うのは多分40年以上ぶりで、私もドキドキした。
時間制限があってせいぜい6分までの曲と言われた。どうしてもこの日に唄いたい曲「She said NO!」を本番直前まで考えて6分少々まで短くして唄った。
なぎら健壱さんと会うのは久しぶりだった。そして優勝者の一人は飯田でお世話になることもある中山さんだった。
 
8月18日御茶ノ水でやぎたこの録音2回目。
今度はフォスターの曲、歌詞は私のもの。今回の録音のおかげでこの曲の歌詞を少し変えることができた。
アカペラではじまるのだけれど、ちょっとピッチがずれていたけれど、表情の良いテイクになったと思っている。
やなぎさん、貴子ちゃん誘ってくださりありがとうございます。
 
◆父親が亡くなって10年目となる。それを思い出して連絡くださるかたがたもあった。少し前には黒部立山の美しい写真集をいただいた。10年もすると私たちはずいぶん親子らしくなったなあ、、と思うことがある。
夏は父を想う季節。
◆生田敬太郎さんとリハーサル。9月24日に二人で演るライブのための曲を持ち寄る。2人で一緒に新しく歌詞を
作った。こういう事をするのは40年ぶりかしら?
良い時間にしよう。
◆風に吹かれてにて金谷君とリハーサル。9月の初めに行われるイベント「フォークの時代」で二人で唄う曲の練習。このイベントでは私と金谷君はピピ&コットとしてうたう。そんなことはこれからもないでしょう。ケメの曲をうたう予定。
 
8月23日深谷TONHOOにて。
野澤享司さんと永原元さんのステージにゲスト?として私と瀬戸口修さん。初めはどうしたら良いのか考えてしまったけれど、お客さんは思いがけず遠いところからも来てくださって。私は桟敷席にて野澤さん、元ちゃん、そして修さんのステージを楽しんだ。野澤さんとうたった追放の歌は嬉しかった。
橋本さん呼んでくださりありがとうございました。
 


8月26日水沢1231にて。
埼玉の桶川駅で待ち合わせ。ペンギンとシロクマの独さんとゑ川さんと、鈴木しのぶさんと。
ギャラリー1231は3回目。国道沿いにポツンと立つ小さな家は行くたびに様子が変わっている。それはギャラリーで展示されている作品によって広くなったり狭くなったり天井が高くなったり、生き物みたいに大きさを変える。
そして今回はペンクマの二人の楽器もギャラリーに似合っていた。ゑ川さんの弾くハルモニウムはとても状態も良いもので懐かしい気持ちになった。
私は1231のはるひさんの連れ合いの伸さんのエレギターで「ここでうたえ」をやった。伸さんはとっても嬉しそうに弾いてくれた私もちょっと踊った!
車で20分ほど焼石岳のふもとやけいし館で合宿のように寝た。
 
8月27日陸前高田 ジャズタイム・ジョニーにて。
盛岡の町屋で大槌バラエティーショーの出前公演があるという。大槌町で友達になった生利のぞみちゃんも劇に出るという。今回は大槌まで行けないから、みんなで盛岡まで向かう。朝ご飯はなんと8時からのれんを出している美味しい手打ちそばを食べることができた。
美味しい食事をすると、今日も大成功だ!と思ってしまう。
大槌バラエティーショーは素晴らしかった。劇の内容はともかく、今きっとこの演劇で町は盛り上がっているのだろうなあということが伝わってくるし、この日のためにシャトルバスがでて、地元大槌はもとより、震災後離れ離れになった人たちが久しぶりに再会したり、会場の熱気がこの日のメインなのだと思った。最後は盆踊り、そして餅まき!私たちも小さなお餅をもらって帰った。
ジョニーはいつ入ってもほっとする。静かなのだ。主の由紀子さんとおんなじように静かだ。静かにレコードが廻っている。ミルクティーを頼んだらポットに一杯分と少し多めに入ってきた。
去年聴きに来てくださった人達が集まって、ペンギンとシロクマのハルモニウムは人気者だ。菅原佐喜雄さんが螺鈿の歌をうたってくださった。もしボクがブタだったらという短い歌も。
やなぎさんが石巻のイベントを終えて駆けつけてきた、ジョニー再建募金に協力してくださる方もあった。
由紀子さんの料理、今年は大根と三枚肉のおでん、ちらし卵麺。みんなお酒も飲まないのに残って小さな声で話が終わらない。このヒソヒソとした打ち上げになると、私は「ああ、東北に来た、、、」と思う。
今度来るときには、友だちも沢山誘ってここにやって来たい。ジョニー再建が到達点ではなくて、そこまでと、そこから、大きな流れができますように。
 
8月28日陸前高田駅BRT乗り場でしのぶさんとお別れ。しのぶさんとの旅も回が重なって、旅の間は同志という気持ち。しのぶさんと出会うまでにもたくさんの人たち、出会ってからも沢山人たちが繋がっている。
釜石はまゆり飲食店街ブルームーンにてランチ。ブルームーンの志穂ちゃんと2年ぶりに会う。志穂ちゃんと会う時これまでいつも私は具合が悪かった。だいたいが夏場である。だから意外と元気そうだと言われた。おかげさまでなんとか元気で釜石に行けました。フルコースの料理、牛肉と桃を煮てサルサソースがかけてあった。桃は体を温めるそうだ。来年の3月でこの仮設の飲食街は撤去される。
一路帰り道、途中で独さんの車がパンクした。粛々とスペアに交換。そして高速に乗る前に新しいのと交換。散財させてしまったけれど、後から独さんがこう言ってきた。前々日に水沢のライブ後、お客さんの車のパンクでタイヤ交換を手伝っていたおかげで、落ち着いて行動できたと。なんでも意味があるものだと思った。
 
8月29日早朝にメールや電話があって起きた。
朝日新聞の鷲田清一さんのコラム「折々のことば」に高野君の焼き鳥屋のなかの高野君の台詞の部分を切り取って載せてくださった。5月に山福朱実さんが九州にお引越しするパーティーでこの歌をうたい、それを聴いた朝日新聞の編集のかたが鷲田さんに紹介して取り上げられた。
宝物みたいだったんだというその一言をカウンター越しに聞いたとき、高野君の手をみた、そのときにこの歌を創ろうと思った。長い曲のそこを切り取ってくださって感謝をします。
 
◆近藤達郎さんとレコーディングが始まった。少しずつ10月までかかると思うけれど、まずは私の弾き語りから。
 
◆北朝鮮のミサイルのことでニュースが騒がしい。
使おうとしている側も、それを圧力で抑えようとする側も、両方とも核兵器をちらつかせる。
それ自体が核兵器を容認していることになるんだ。核兵器を容認するということは、大量無差別殺戮を容認するということ、そしてそれは人間を自然を生命の尊厳をないがしろにしているということを自ら認めているということだ。

◆8月最後の日、友だちからメールが入っているのに今気がついた。ガンの再発が見つかったという。凹んでるって。頑張って!毎日ずっと祈るよ!
 

©春日はるな
 
 
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