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2011年01月25日

元気であるということ

テーマ:ブログ

 ここ10年ほどJR札幌駅北口のオフィース街に仕事場をもっている。この辺りが一番国際化されたと感じたのは日韓共催のサッカーワールドカップの試合が札幌でも開催された時だった。その時は駅周辺は2~3日間は外国人と日本人の比率が半々といってもいいくらいの状態で、いろんな国の言葉が入り混じっていた。しかし、ワールドカップが終わってからは駅周辺で聞かれる外国語は中国語が圧倒的である。彼らはとにかく元気がいいし、大声で話し、笑う。身なりもバブル時代の日本人のようにブランド品で飾りつくされている人も結構多いし、ちょっと横柄な感じの人もいる。バブル時代に海外に出て行った日本人もきっと今我々が見ている一部の中国人のように映っていたのだろうと思うとちょっと恥ずかしい気分さえするが、でも当時の日本人も元気はすこぶる良かった。なんてったって「アメリカを買う」とか言って、ニューヨークのビルをガンガン買い漁った。最後にはニューーヨークのシンボル的なロックフェラーセンターまで買ってアメリカ社会の反発を受けた会社さえある。


しかし、元気があることはすなわち言葉よる「発信力」があり、お金による「購買力」があるということで、訪米した中国の最高権力者を前にしたら、アメリカの大統領さえ顔をひきつらせながらセールストークを口走ってしまう。

残念ながら今の日本のい首相には海外に向かって日本をアピールする力も意欲も感じられない。イタリアの首相のような10代の女性買春問題をおこす元気はいらないが、国のリーダーが元気がなければ当然社会全体が沈滞ムードになったしまう。自分たちだけが元気がないのならまだ許せるが、少しは周りに及ぼす影響も考えてほしいものだ。日本の若者は全体的に世界の出来事にあまり関心を持たなくなってきている。日本は外国にモノや技術を売って成り立つ国なのだ、若者が海外に興味がないことは、店の店員が客に興味がないにも等しい。

このままじゃ、この国は単にシステムが壊れかけているだけじゃない、もっともっと危機的な状況に直面するかもしれない。



2011年01月25日

そうは問屋が卸さない

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以前、このブログに紹介させてもらったN君は、昨年秋に料理学のハーバードといわれるニューヨーク州のCIAに無事入学した。正規の日本人入学生は昨年彼だけだったということである。また、例のスパナ男のY君もミネソタ州の彼を一度袖にした大学に入学した。アメリカ人の同世代の学生とハンディなしで学業に励まねばならない二人はおそらく今頃は「ひぃひぃ」言いながら毎晩睡眠を削り、教科書とにらめっこの生活を送っているに違いない。

日本では大学生の就職内定率が過去最低で、家事手伝いや大学院進学者を除いた場合の就職内定率はおそらく50%程度だとの報道統計もある。大学3年生から皆一斉に有名大企業を目指し就職活動を行った結果にしてはあまりにも悲惨なものだが、企業側からしてみればこの時代本当に見込みある人材しか採用できないのである。大学でろくに勉強もせず、特技も磨かず就職面接の「作法」のみ訓練している若者は簡単に化けの皮が剥がれる。なぜ、ソニーや楽天その他の日本のグローバル企業がどんどん外国籍の日本のへの留学経験者や日本人で海外大学留学経験者の採用枠が増えている理由を考えてみる必要がある。就職するということは経済活動の中に身を置くことになる、そして経済活動に国境がないことぐらいは日本の大学生も既に承知の事実だろう。そこで、外国語もあまり得意でない、海外生活経験もない、特技も差別化が効くほどではない、それに加えて、「ウォシュレットのない国には行きたくない」という若者に職を与えるほど馬鹿な会社は存在しないということである。

日本が高度成長をしていた時に「企業戦士」という言葉流行った、しかし日本が経済的に恵まれる時代を迎えてそのような強烈な表現が少し影をひそめたが、今また日本企業は世界で戦う「戦士」を必要としていると思わざるを得ない。そんな時代に、強烈な「売り」もなく、皆そろって同じ安全な居心地のいい職場をを求めても、「そうは、問屋が卸さない」のでは。そんな意味で、N君、Y君には今後くじけずに結果を出し、日本にいる同世代に刺激と活力を与える存在になってほしいものである。
2009年12月12日

本気でヤル(殺る)気?

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朝早く出勤してひとりで教室のクリスマスの飾り付けをしていた時にY君は自動ドアのガラス越しに微笑みながら入ってきた。「やっと、大学に受かった。」と言って、米国ミネソタ州のある州立大学の入学審査担当者から届いた入学許可を知らせるメールを読ませてくれた。私は、彼の肩を抱き、握手を2、3度交わし、今まで彼にいろいろつらくあたったことの真の理由を説明し、彼の大学合格を祝福した。


Y君は確か4人きょうだいの唯一の男の子で、家族で海外進学の相談に来た時にも、お父さんやお母さんの彼に対する思いの強さは十分感じられた。ところがこのY君、のんびり屋で、お人よし、学習能力は高いものを持っているのに怠け者。おまけに、授業中には椅子に胡坐(あぐら)をかいて、時々居眠りまでやらかす。こんな奴を見るとついに反応して、「こっらー!お前、背筋をしっかり伸ばせ、そんな姿勢で座るから眠くなるし、背骨が曲がってるから、神経が圧迫されて脳がまともに機能しないんだ。大体、お前、俺の授業がつまらいないのか。寝るのなら、家でゆっくり寝てろ。」、なんて全く根拠の無いことを言ってしまうところに自分自身、「あー、俺も古い人間になったのか」と思う反面、この姿勢だけは絶対に譲らないぞと思っているから益々たちが悪い。でも、長年の経験から、若者はいろんなタイプがおり、彼らにヤル気を出さすにはいろいろな手を使わなければならないことを学んだ。「豚も褒めれば木に登る」タイプ、「無視すればすがりつく、お宮」タイプ、「親分、子分の杯」タイプ、「大盛り愛情必要」タイプ、「脅し、超敏感」タイプと数えればちょっとした定食屋さんのメニュー程はある。


Y君にはとりあえず、正攻法の「豚も褒めれば木に登る」を使ってみたが、この男、「そんな木の登ったって何かいいいことあるの」てな感じである。大学に入ってからやりたいことは音響学、将来は音楽関係の仕事につきたい、それだけははっきりしている。でも、それを実現するに最低限の努力しかしたくない、出願する大学のレベルもあんまりこだわらない。努力できない理由は4トントラック3台分くらいはある。そんな奴は、徹底的に脅して、泣きべそかく位までにコケにして、それで歯向かってこなければ海外生活に適応できないと私は昔から勝手に思い込んでおり、そしてその手法が結構の確率で功を奏している。それからというものは、自分で出来ることを人に頼り、楽をしがちなY君に対してのサポートを一切絶ち、つらくあたることに徹してみた。勉強の質問が来ても、「そんな中学生レベルのことは自分で調べてみろ、それでもどうしても解らなければ調べた資料を全部リストアップして自分でやれることは『やったことを証明しなければヒントも出せない。」という風にやる。でも、この手法を使う時は、相手との距離感を近く取り、ユーモアを交えながらやらないとお互い極めて険悪な状態に陥りやすくなる。「あのさ, お前は本当に潜在能力は誰よりもあると思うよ。でも、その能力出すのに今のペースだと、後5年かかるな。授業料は払わなくていいから、親にあと5年くらい勉強していいか聞いてきてくんない。5年くらい経てば、今、一緒に勉強してる奴らが海外から帰ってきた時に出迎えてやって、入れ替えでいけるよな。」 これに対して、Y君は、「うーん、吉田さんを殺してやりたいっスっ。」 こんなやり取りを本音トークを交えながら何度も、何度もやりあううちに、教室に一人残って遅くまで教科書と格闘するY君の姿を見かけることが多くなった。


話をまた最初のシーンに戻そう。Y君は英語力も中堅レベルの4年制大学の基準点に達して見事合格を勝ち取った。私は最後にもう一度彼の手を硬く握って、「おめでとう!」と言った。その次の彼の行動である、バッグから銀色に光る。長さ60センチはゆうにあるスパナをおもむろに取り出して、テーブルの上においた。私は思わず、「お前、それで俺をヤル(殺る)気か?」、彼はそれに応えて、「ああ、これ自転車の修理用です。でも、もう合格したから、ヤッテ(殺って)もいいかな。」と不気味な微笑を浮かべていた。

2009年11月20日

教師のプロ魂で甦ったKさん

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 Kさんは、8歳と10歳年上のお兄さんがいる家庭の待望の女の子として生まれた。10歳年上のお兄さんは妹が欲しいと神様に祈り続けたそうだ。男の子二人だけの時にはほぼプリンス状態だった8歳年上のお兄さんも本当は弟が欲しかったとは言いながら、Kさんが退院してくるまで毎日お兄さんと一緒に産婦人科まで小さな妹を見に通った。


明るく、運動好きなKさんは小学校でも人気者、中学校に入っても最初の2年間は友達が多く、とくに学校の勉強の問題もなく順調に高校進学を目指していた。しかし、中学3年生になってすぐ大きな変化が彼女を襲った。女の子仲間のいさかいに巻き込まれてしまい、気が付いたら自分はみんなの仲間外れにされており、挙句の果てにはネットのチャットで中傷文まで出回った。いわゆるいじめの被害者になったのだ。「友達が一人もいなくなってしまった。」と言って彼女は楽しみにしていた中学校の修学旅行にも行かず、そのまま登校拒否状態になり、夜と昼が逆の生活が始まった。教育関係の仕事をする両親もいろいろ専門家の意見を切って回るが打開策は一向に見つからない。何の結論も出せない、努力もしない中学校と徹底的にやりあおうと思っていたKさんのお父さんに、Kさんのたった一人の叔父さんがこう言った。「そんな事をしても、Kのためにはならない。」 そこで、両親は思い切ってKさんの住民票をKさんの叔父さんの所へ移し、中学3年生2学期からの転校を決意した。


転校先の郊外の小さな中学校の受け入れ態勢は、それまでの大型中学校に比べて心が通ったもので、教頭先生はここはすぐに卒業するからと言って先輩が残していいった制服のなかからKさんの体に合うものを選んでくれた。担任の先生は若い熱血漢で転校しても休みがちなKさんにいろいろ気を配ってくれた。学校を休んだ日には夜にふらっとKさんの家の近所までおいしいラーメン屋さんがあると聞いたので、とやってきては声を掛けてくれた。不登校で成績が落ちて高校進学の選択肢が狭まってしまったKさんに彼女の運動能力生かすために高校に入ってからでもゼロからスタートできるスポーツがある学校を推薦してくれた。転校してから卒業までのおよそ7ケ月間でKさんは同じ高校に進み、高校3年間同じスポーツチームで苦労を共にする友達もできた。転校先の中学校の先生がK さんに語り続けた「高校に入ってスポーツを3年間やりとげろ、これからKに必要な何かをつかめる」

Kさんはそのスポーツ活動を通して高校時代国体、インターハイに出場し、その実績で大学の推薦入学も果たした。高校進学さえできるのかと心配していたKさんの両親はKさんが出会った熱血教師に感謝している。信念をもって自分の仕事をこなすのがプロなのだということを教えられた。そしてこれを書いている私がKさんの父親。

2009年11月12日

New York meets Hokkaido

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自分がアメリカ東北部、つまりニューイングランドといわれる地域の大学に行ったせいか米国大学進学希望者に学校をいくつか推薦してくれと言われればはその地域の中でもニューヨーク州立大学を推薦することが多い。ニューヨーク州立大学は合計約60の短大・4年制大学からなり、約40万人の学生が学ぶ世界最大の大学組織であるが、一つの大学あたりの平均学生数は5000人程度で、それぞれが独自の専門性を打ち出し、個性ある大学からなる高等教育ネットワークである。

Tさんは私どもの海外進学準備プログラムを経てニューヨーク州立大学ニューパルツ校に進学した。留学中にお父さんが病気でお亡くなりになる試練も経験した。彼女は留学中にニューヨークでジャズに出会いサックス奏者となり地下鉄駅や公園で演奏を続けていたという。Tさんには私たちが送り出した留学生の父母会が主催するクリスマスパーティーで2度ほど演奏してもらったことがある。その時は、我々の年齢層を配慮してくれたのか、耳に慣れ親しんだジャズのスタンダードナンバーを演奏してくれた。

彼女の地道な音楽活動はその後も継続していた、そして先週彼女とその仲間が北海道出身の有名な津軽三味線奏者とコラボレーションする形でのコンサートを開いた。久しぶりにコンサート会場の入り口で入場待ちをしたが、その人の列の中には50台、60代、70代以上と思しき人々の姿も目立っていた。演奏が始まってしばらくしてからわかったことだが、そのグループのメンバーたちは住む場所や活動内容の違いを乗り越えて1年以上練習を積み重ねてきたという。きっと、グループとしてのデビューコンサートで親、親戚、兄弟、友人、知人が集まったのだ。そのコンサートの内容は、申し訳ないが期待を5倍くらい超えていて、2000円でこんなに楽しませてもらってもいいのというくらいの質の高いもので、とくに演奏の中心となっていたTさんのサックスとYさんの津軽三味線の音楽的ブレンドはパワーと味わいがあった。一緒にコンサートにいった80代の女性も、「耳の悪い私にもよく聞こえる大きな音で聴かせてくれて、大変楽しめました」とのこと。自分の好きなこと、得意なこと、信じたことを地道に継続すると感動を呼び起こす力になると心に念じた夜だった。

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