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26.≪第2シリーズ≫ 第21話 熱海みやげの宝物≪其の参≫

2014年07月18日(金) 00時03分59秒 テーマ:鬼平犯科帳

地方奉行所と火付盗改方

両者は犬猿の仲だった・・・・・?


 火盗改メを立てる素振りを見せつつも、江戸者を見返してやろうと兇賊・高橋九十郎探しに躍起になる小田原藩奉行所。一方、火盗改メ側は筆頭与力の佐嶋が手柄を譲る余裕を見せたり、筆頭同心・酒井祐助が「この奉行所はイモです」とこきおろすなど、相手を一段下に見ている節が。本作における両者のやりとりを見る限り、火盗改メと小田原藩奉行所の関係は一筋縄ではいかないように思える。


当時、江戸市中で、犯罪の取り締まりや治安維持を担った主要機関は、江戸町奉行所と火盗改メの2つ。江戸町奉行所の長(おさ)である江戸町奉行は寺社奉行、勘定奉行とともに三奉行と呼ばれる重要な役職で、幕府は、江戸町奉行に相当する役職を、直轄地(天領)のうち、特に重要な地方都市にも配置した。それが、京都、大坂、駿府の各町奉行をはじめとする遠国(おんごく)奉行だ。ちなみに、単に「町奉行」といえば江戸町奉行を指し、他の奉行は都市名を冠するのが通例だったという。以上のような幕府の職制に従い、諸藩も町奉行(名称は藩によって異なる)を設置。本作の小田原藩奉行所も、こうした藩の町奉行が率いる機関のひとつだ。


一方、火盗改メは江戸郊外でも捜査できる権限があったため、地方の町奉行所と連携し、犯罪者の捜査・逮捕にあたることもあっただろう。いわば、地方警察署と警察庁による合同捜査だ。両者の思惑やプライドがぶつかり合うであろうことは、江戸の奉行所も現代の警察も同じだと想像してみるが、いかがだろうか。



江戸幕府の捜査機関


下図の各町奉行の権限は基本的に町方(まちかた)に限られるが、火盗改メは江戸内外、町人、僧侶等の区別なく捜査を行うことができた。


                                 将軍ーーーーーーーー

                                                      |

        ーーーーーーーーーーーー|ーーー|     大名

                                        |           |

    若年寄                      老中    寺社奉行                                                        

                    |ーー|ーー|                  |

           奈 京 大   遠       (江戸)                 藩     

           良 都 坂            町                     

           奉 町 町        奉                   (藩の役所)

           行 奉 奉            行                 

      改       行 行             ( 南・北)                


        捜査・裁判                                      捜査・裁判


*1665年「盗賊改」、1683年「火付改」を設置。「火付盗賊改」となったのは1718年。

 長谷川平蔵が長官だったのは1787~1795年。












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26.≪第2シリーズ≫ 第21話 熱海みやげの宝物≪其の弐≫

2014年07月15日(火) 23時59分01秒 テーマ:鬼平犯科帳

平蔵に惹かれた孤独な老盗賊


盗賊としての利平治


 馬蕗の利平治は、上方が本拠の本格盗賊・高窓の久兵衛(きゅうべえ)一味の嘗役。頭目の信頼厚く、病気療養中は五十両もの見舞金を渡された。盗賊としての性根は座っていて、口を割らせようと痛めつけても、けっして吐くことはないと、利平治に付きまとう横川の庄八も認めるほどの筋金入りだ。


 また、道中、庄八が高窓一味を乗っ取った高橋九十郎と通じていると察すると、足をくじいた芝居をし、時を稼いで江戸入りを遅らせるなど、盗賊らしい用心深さも持ち合わせる。



むかしなじみの利平治と彦十


 利平治が相模の彦十と出会ったのは17~18年前。その頃彦十は高窓一味にいて、兵庫・有馬温泉で療養中の利平治に、頭目の見舞金を届けにいった。そこで、お互い親子の縁が薄い身の上とわかった2人は意気投合する。原作によれば、喜んだ利平治は彦十を宿に10日も泊めたらしい。


 本作で利平治は再会した彦十にある頼み事をし、礼金を渡そうとする。と、彦十は、顔をゆがめて2人はそういう付き合いだったのかとなじるシーンが印象的。利平治は良かれと思ったことが、彦十には水臭く感じられたのだろう。



平蔵に惹かれる利平治


 利平治は、盗賊の頭目というふれ込みの平蔵が、見ず知らずの自分をどうして助けてくれるのか、不思議でならない。だが、平蔵にとって、大事なのは、まず彦十。その彦十が大切に思うむかしなじみだからこそ、自分を助けてくれることを知る。


 また、街道から大きく外れた自分たちを佐嶋与力たちが見つけられるかと、やきもきする彦十に対し、悠然と構えている平蔵もいい。配下に対する絶大な信頼が見て取れる。


 利平治が平蔵に惹かれたのは、この、人を信じ切る平蔵の器の大きさ。彦十は幸せ者だと、しみじみ語る利平治のせりふは含蓄(がんちく)がある。



平蔵に口説かれ密偵に


 高橋一味を始末したあと、平蔵は利平治を放免する。ところが後日、利平治は平蔵を訪ね、仕置きしてくれと願う。若頭が身罷(みまか)り、生きていても意味がないと思い極めたためだ。


 平蔵は、望み通り遠いところに送ってやろうと言う。だが、そのあと一転して伝法な口調で、どうせ死ぬならその前に、俺のために働く気になってくれないかと持ち掛けた。


 これまで何人もの心を鷲づかみにしてきた、”男たらし”な言葉に、すでに平蔵に惹かれていた利平治もやられてしまう。残る人生を預けようと決意した瞬間だった。




「鬼平犯科帳」”一度きりの密偵”


平蔵に見込まれて密偵になりながらも、

その後ドラマには2度と登場してこない者たちがいた。


 本作は「利平治が密偵となったのはこの日からであった」と、密偵として大いに活躍したかのような余韻を残すナレーションで終る。だが、利平治はその後、ドラマに登場しない。


 実は原作では、利平治は「殿さま栄五郎」をはじめ何度も登場して、平蔵そして火盗改メのために活躍する。最後にはその活躍を恨む兇賊の手に掛かって殺害されてしまうほどだ。しかし、ドラマではこの利平治の役どころは、それぞれ他の密偵たちの活躍に置き換えられており、利平治は出て来ない。


 原作にもドラマにも1度しか登場しない密偵ももちろんいる。が、利平治のように原作では何度か登場するが、ドラマには二度と登場しない。あるいは別名に置き換えられるものも少なくない。


 印象的なのは岩五郎だ。原作では第1巻から登場する密偵第1号で、何度も活躍する。しかし、佐嶋与力直属の密偵という設定だったせいか、ドラマには基本的に登場しない。原作で岩五郎が話の中心となる「浅草・御厩河岸」は、ドラマでは松吉という別の密偵に置き換えられた。ところが「密偵たちの宴」では、原作では岩五郎は登場ぢないが第3シリーズ第19話のドラマ版では設定を微妙に変えて登場。しかし、その後彼の活躍を見ることはできなかった。


●松吉・・・第1シリーズ第18話「浅草・御厩河岸」
         もと錠前破り。盗賊・鶍(いすか)の喜左衛門に招かれた甲州・石和でお縄になり密偵に。         
         原作では岩五郎という名だった。


●関宿の利八・・・第1シリーズ第20話「山吹屋お勝」
         大盗賊・夜兎の角右衛門の配下だったが、平蔵のはからいで足を洗い、火盗改メの密偵と  
         なり、専(もっぱ)ら木村忠吾の手先を務める。


●岩五郎・・・第3シリーズ第19話「盗賊たちの宴」
         通称「豆岩」または「チビ岩」。岩五郎は「密偵たちの宴」の原作には出ていないが、ドラマ

         ではこの1回にのみ登場、設定も変えている。


●砂井の鶴吉・・・第4シリーズ第11話「搔堀のおけい」

         五郎蔵を慕うもと手下。押し入った商家の下女を手込めにして破門に。ラスト、平蔵が五郎 

         蔵に預け、密偵に仕立てることになった。


●仁三郎(にさぶろう)・・・第9シリーズ第2話「一寸の虫」

          3年前、盗賊一味と一緒に召し捕られたが、長谷川平蔵にその人柄を見込まれ、獄門首

          になるところを助けられた。


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26.≪第2シリーズ≫ 第21話 熱海みやげの宝物≪其の壱≫

2014年07月07日(月) 23時52分54秒 テーマ:鬼平犯科帳

彦十のむかしなじみ・馬蕗の利平治が持つ

                      ”盗賊の宝物”とは


 熱海に湯治(とうじ)に来ていた平蔵は、お供の相模の彦十から、嘗役(なめやく)の盗賊・馬蕗(うまぶき)の利平治が同宿していることを聞いた。嘗役は単独行動が常だが、利平治には連れがいた。不審に思った平蔵が彦十に様子を探らせたところ、利平治の連れは、利平治の持つ”盗賊の宝物”が目的だということがわかった。平蔵は、盗賊の頭目に扮して、利平治を無事に江戸まで送り届けると、彦十に約束する。やがて東海道を行く平蔵たちの前に、”宝物”目当ての盗賊一味が立ちはだかった。




将軍家の献上湯だった熱海温泉


全国でも指折りの名湯 熱海温泉の魅力


 働き詰めの長谷川平蔵が、体調を崩してしまい、湯治に出かけた。そこで出会った嘗役(押し込み先を物色する役目)の盗賊・馬蕗の利平治の持つ、嘗帳という”宝物”を探り当てるまでの顛末(てんまつ)を描いた本作。物語の舞台のひとつ熱海温泉は、当時から全国でも指折りの名湯として大変な人気を集めていた。


 その人気を決定付けたのは、初代将軍・徳川家康。慶長2年(1597)に初めて熱海を訪れた家康は、ここの温泉がいたく気に入り、慶長9年(1604)に2人の息子を連れて再訪、数日間にわたって滞在した。さらにその半年後には、京都で病気療養中だった武将・吉川広家(きつかわひろいえ)への見舞いとして熱海の湯を運ばせている。


 この”宅配温泉”は、四代将軍・家綱の時に始まった「お汲湯(将軍家御用汲湯)」という制度の原点となった。お汲湯(くみゆ)とは、将軍家への献上湯のこと。年に数回、お汲湯が命じられると、将軍家から指定された27軒の湯戸(宿)の主人が大湯(湯元)から湧き出る源泉を汲み、真新しい檜(ひのき)の樽に詰める。これを人足たちに担がせて、昼夜を通して江戸城へ運ばせた。所要時間15時間。汲んだ時には100度近くあった熱湯が、お城へ着く頃にはちょうどよい湯加減になっていたという。


 お汲湯(くみゆ)のルーツとしてますます高名になった熱海には、大名から農民まで、さまざまな身分の 湯治客が訪れた。平蔵一行が泊まる「次郎吉の湯」は、原作では「次郎兵衛の湯」で、「熱海でもそれと知られた宿屋」らしい。宿の主人と平蔵とのアワビ談義から察するに、なかなか豪華な食事も出るようだ。また、平蔵夫婦が寝起きする部屋の他、相模の彦十と小者の弁吉が花札をしているような小部屋も2部屋を借りている。彦十の言う通り、これはかなりの贅沢。


 当時、庶民は素泊まりが基本で、食事は宿の設備を借りて自炊するのが普通だった。目の前が相模湾という場所柄、新鮮な魚介類が豊富で安く買えたことも、熱海人気を高めた理由のひとつだ。



熱海七湯


●野中の湯・・・泥の中から湯が沸いていて杖で突くと吹き出したという。野中山のふもとにあり、湧出      地(ゆうしゅつち)が浅いため、入浴向きではなかった。


●大湯(間歇泉)・・・地面を揺るがす勢いで1日6回湯と蒸気が交互に噴出したという。熱海温泉の湯元だったが後に枯湯。現在は人工的に噴出させている。


●小沢(こさわ)の湯・・・小沢にあったため、土地の人たちから「小沢の湯」と呼びならわされた。温泉たまごで有名だ。


●清左衛門の湯・・・その昔、清左衛門という農民が馬を走らせていた時、この湯壺に落ちて焼け死んでしまったことから名付けられたという。


●風呂の湯・水の湯・・・豊富な湯気を利用して、饅頭(まんじゅう)を蒸したり酒を温めたりした”風呂の湯”と、塩分のない”水の湯”が隣り合って並んでいる。


●佐治郎の湯・・・別名を「目の湯」といい、眼病と火傷(やけど)に効くとされた。佐治郎という者の邸内にあったことから、この名が付いた。


●河原湯・・・かつて東浜と呼ばれた石ころだらけの河原に湧き出る源泉。七湯のうち唯一、地元の住民や近郷の人々が自由に入浴できた。




原作を読む!


鬼平犯科帳(13) 第1話「熱海みやげの宝物」


ゴボウのような容姿の馬蕗の利平治が初登場


 馬蕗とは、ゴボウのこと。ドラマでは、平蔵が利平治の嘗帳のありかをずばり言い当ててみせるが、原作では、高窓の若頭を見逃してもらう代償として利平治自ら平蔵に差し出す。また、ドラマではラストで身罷(みまか)ってしまう若頭だが、原作では利平治の昔の女の娘と深い仲になり、盗賊から足を洗う。嘗帳の預け先も、実姉ではなく、赤の他人である茶店の夫婦。原作の利平治は、ゴボウのような容姿に反してずいぶん肝が太い。


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25.≪第2シリーズ≫ 第20話 下段の剣

2014年06月08日(日) 23時41分14秒 テーマ:鬼平犯科帳

平蔵の息子・辰藏が惹かれた剣客は

               かつて江戸一の盗賊の用心棒だった


 平蔵の嫡男・辰藏は、最近剣の稽古に力を入れている。それは、辰藏が通う坪井主水(もんど)道場にふらりと現れた剣客・松田十五郎の剣に惹かれたからだった。辰藏の話を聞いた平蔵は、下段に構える独特の剣法から、松田が実は松岡重兵衛だと見破る。松岡h、平蔵が「本所の銕」と呼ばれ、道を踏み外しそうになっていたところを、体を張って踏みとどまらせてくれた恩人だった。その松岡が、旧知の盗賊仲間から押し込みの話を持ちかけられて・・・・・。




長谷川辰藏の成長物語


お調子者だが根はまじめ


 長谷川平蔵の嫡男・辰藏は、平蔵同様実在の人物だ。明和7年(1770)生まれ、平蔵25歳、久栄18歳の時に誕生した第一子であった。


 原作者・池波正太郎は、辰藏を、お調子者で酒と女に目がないという性格に設定した。そんな辰藏がドラマシリーズに初めて登場するのは、第1シリーズ第19話「むかしの男」。岡場所遊びが過ぎ、夜更けに帰宅して久栄に大目玉を食うなど、まさに原作の設定通りだと言ってよい。


 だが辰藏はお調子者である一方、根はまじめ。平蔵が日々「わしの留守中はお前が主だ」ときつく言っていることもあり、父不在中は自分が家を守るのだ、という意識を持って育った。「むかしの男」で、夜中に久栄の寝間から怪しい物音が聞こえると、怖じ気づくこともなく駆けつけて曲者と対峙(たいじ)した場面などからも、そんな辰藏のまじめで優しい性格がうかがえる。


 剣は坪井主水道場で念流を学ぶが、呑み込みが遅く、なかなか上達しない。悪(わる)友だち・阿部弥太郎に岡場所遊びを教えられてからは、稽古をさぼることも多かった。ところが本作の頃になると剣術の面白さに目覚める。きっかけは松田十五郎(松岡重兵衛)の「下段の剣」だった。その圧倒的な強さに惹かれた辰藏は、わざわざ松田(松岡)を訪ね、稽古をつけてもらう。後年、辰藏の剣は、坪井道場の四天王と呼ばれるほどに上達し、目覚ましく成長する。平蔵の役目に一役買うこともしばしばであった。


 史実の辰藏は成人すると長谷川平蔵宣義(のぶのり)と名乗り、27歳で江戸城西の丸に勤仕。のちの将軍家鷹狩の際に付き従ったこともある。また、57歳のとき山城守(やましろのかみ)に任ぜられ、従五位下(じゅごいのげ)に叙(じょ)せられた。



原作を読む!


鬼平犯科帳(7) 第5話「泥鰌の和助始末」


「1話で2度おいしい」濃密な読み応えの傑作


 原作は「泥鰌の和助始末」。第1シリーズ第15話の同名ドラマは、原作から和助のエピソードだけを、本作は松岡重兵衛の挿話だけを抽出ぢたもの。それほど原作は、いつにも増して中身が濃い。ドラマでは牛久の小助が松岡と組むが、原作では和助が松岡と組む。


 辰藏は原作にも登場するが、松岡の剣に憧れることはなく、立ち合うシーンもない。ドラマで平蔵は捕縛現場に出張らないが、原作では出張り、松岡の最期を看取る。平蔵が瀕死の松岡を抱きかかえ、旧知の2人が交わす言葉のやりとりが何とも哀切だ。


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25.≪第2シリーズ≫ 第19話 春の淡雪

2014年05月11日(日) 17時31分04秒 テーマ:鬼平犯科帳

同心・大島勇五郎の不穏(ふおん)な動きに

                 平蔵は事件のにおいを感じ取る


 同心・大島勇五郎は、密偵に使っている雪崩(なだれ)の清松(きよまつ)に百二十両の博打(ばくち)の借金があった。この借金をネタに、清松は大島に、盗賊・池田屋五平をゆする手伝いをさせる。まずは五平の娘・おうめを誘拐。清松は五平に、千両出せば娘を返すが、千両が用意できないなら、例えばお盗めをしてつくったとしても見逃してやるからと、大島の身分を明かした上で、悪事をそそのかした。大島の動きに不穏なものを感じた平蔵は、密偵たちに見張らせることに。とうとう取引の当日が来てーーー。



意外に苦しかった同心たちの暮らし


武士の貧困につけ込む悪人


 捕物の現場ではあまり頼りにならないが、どこか無邪気で憎めない同心・大島勇五郎。苦笑まじりとはいえ、上司のウケもそう悪いものではなかったが、裏では博打で大きな借金をつくっていた。これをネタに大島へ脅しをかけたのが、大島が密偵として使っていた雪崩(ゆきなだれ)の清松(きよまつ)。博打の借金を役宅へ取り立てに行くと脅された大島は、最初のうちこそ武士らしく鷹揚(おうよう)に構えていたが、結局は清松の言いなりになってしまう。


 実は、武士というのは身分こそ高いが収入は意外と低い。その額は役職によって決められており、現金ではなく米で支給される。換金すれば手数料を取られるし、その時によって相場は変動するから、米の価格が下落すれば損をしてしまう。大名や旗本ですら、江戸や大坂の大商人から借金をしていたという。


 そんななか、幕府から火付盗賊改方に与えられる予算はとても必要経費に追いつける額ではなく、長谷川平蔵宣以自身も、しばしば自腹を切っていたようだ。ドラマで描かれることはないが、実際は、そうした費用を捻出(ねんしゅつ)するために、銭相場にも手を出していたらしい。


 第2シリーズ第15話「密告」に、武士の貧しさを表す「百俵六人泣き暮らし」という言葉が出てくるが、武士の中でも最下級の御家人である同心の年俸は三十俵二人扶持(ぶち)と決まっていて、一俵を4万円として現在の価値に直すと、約156万円。ちなみに現在の警察官の平均年収は、約800万円だとか。清松に博打好きと言われた大島が、決して好きでやっているのではなく、給料ではろくな刀も買えぬからやむにやまれずやっているのだと返すのも、あながち強がりや言い訳というわけではなさそうだ。実際に町方の与力・同心が大っぴらにワイロを受け取っていたことを思えば、馬鹿正直に博打で多額の借金を抱え、最終的に切腹までした大島は、むしろ哀れにも思えてくる。


 それでも我慢して勤めていれば、いずれ与力に出世して給料も上がるだろう、と現代人は考えるものだ。ところが、同心はいつまでたっても同心のままと決められていた。つまり、出世の可能性はゼロ。平社員から課長になり、次は部長に・・・・・といった現代社会ではある程度用意されているはずの出世街道が、当時はなかったのだ。たとえ無遅刻無欠勤で仕事に励み、どれほど手柄を立てたとしても絶対に報われない。一攫千金(いっかくせんきん)を夢見るのも、無理もないことかもしれない。


 そんな同心の悲哀へつけ込むのが、清松のような小悪党たちだ。日頃は下手に出つつ、自分が悪事を働く時には逆に彼らを利用する。こうした手合いは実際、特に珍しくなかったようだ。北町奉行所にせっせと協力する一方で裏ではあくどいまねをしていた播磨屋吉右衛門という岡っ引きが、長谷川平蔵自身の手によってお縄になったという史実もある。




原作を読む!


潔い死にざまを見せた 若き同心と平蔵の哀しみ


 女のように色白で、ただひたすらにおとなしい原作の大島同心だが、ドラマでは冒頭2つのシーンによって、いわゆる”今どきの若者”的な肉付けを施し、大島のキャラクターに面白みを出している。


 大島を失った平蔵が揺るぎない自信の裏に秘めた覚悟と諦念(ていねん)を佐嶋与力に吐露(とろ)するというしんみりとした幕切れも、ドラマでは平蔵と久栄、天野与力がにぎやかに笑い声を立てるさわやかなラストシーンに変わっている。




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24.≪第2シリーズ≫ 第18話 白と黒

2014年04月06日(日) 17時20分22秒 テーマ:鬼平犯科帳

逃げ延びたもんどりの亀太郎に言い寄る2人の美女の目的は


 門原(もんばら)の重兵衛(じゅうべえ)一味が火盗改メに捕まった。平蔵に左腕を斬られながらも、唯一逃げ延びたのは、もんどりの亀太郎。傷のために盗めができなくなり、博打三昧の亀太郎に、お今とお紋、2人の美女が言い寄ってくる。小さな盗みで亀太郎を食わせながら、かいがいしく身の回りの世話まで始めたこの2人は、実は姉妹。亀太郎が隠し持っている重兵衛の一千両を、やはり門原一味だった父親・焼野(やけの)の源蔵のために取り戻そうと画策するがーーー。



娯楽都市・江戸の軽業師


人気が高かった軽業


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大坂での興行で演じる早竹虎吉。


 江戸はさもざまな芸能、技芸が大道芸や見世物として気楽に楽しめる、娯楽にあふれた都市だった。


 両国広小路や浅草奥山、上野山下などの繁華街には見世物小屋や芝居小屋、寄席などが常に軒(のき)を連ねていた。また、縁日や祭礼が行われる寺社の境内(けいだい)や参道、花見の名所などにも、人の集まる時期になると見世物小屋や寄席が設営された。


 なかでも人気があったのは軽業(かるわざ)だ。小さな頃から訓練を受け、超人的な体術を身につけた軽業師が見せる芸に、観客は興奮した。綱渡りや梯子(はしご)乗りはもちろん、珍しいところでは人馬の術というのもあった。これは、ひとりがもうひとりを肩の上に立たせて疾走したり、ひとりが疾走中に肩の上に乗ったもうひとりが跳躍して障害物を飛び超したりするというもので、のちに押し込みなどの悪事に応用される恐れがあるとして、町奉行から禁止されてしまった(元文5年[1740]徳川禁令考)。


 軽業師出身の盗賊が実在したかどうかはさておき、身の軽さは盗賊稼業にとって、重要な要素である。「鬼平犯科帳」にも軽業師出身の盗賊が複数登場する。


 本作のもんどりの亀太郎ももと軽業師。もんどりとは、宙返り、とんぼ返りのことで、冒頭、亀太郎は馬上の平蔵に追い詰められるが、見事な跳躍力で塀に飛び乗り、逃げ延びた。もんどりの通り名に恥じない身の軽さだ。


 さて、軽業界最大のスターは、幕末期に実在した早竹虎吉(はやたけとらきち)。天保年間(1830~1844)から大坂で活躍し、安政4年(1857)に江戸へ進出、両国広小路などで興行を行った。得意の出し物は曲差(きょくざ)し。旗竿を肩の上に立て、竿先に乗った子供に軽業や早替りをさせながら、下で三味線を弾いた。



もと軽業師の盗賊たち


 綱渡りや梯子(はしご)乗り、玉乗りなどをこなす軽業師たちは、跳躍力、平衡(へいこう)感覚、柔軟性、俊敏性に優れている。いわば、人知れず人家に押し入る盗賊にうってつけの身体能力、技術を持っているのだ。「鬼平犯科帳」に登場するもと軽業師の盗賊を見てみよう。


 第4シリーズ第7話「むかしなじみ」に登場する、相模の彦十の昔なじみ、網虫の久六(きゅうろく)がいる。網虫とは蜘蛛(くも)の異名で、張った網の上で綱渡りやとんぼ返りなどの技を披露する技芸を蜘蛛舞と呼んだ。また、第7シリーズ第14話「逃げた妻」の入間(いるま)の又吉も燕(つばめ)小僧の異名を取るもと軽業師だった。


 そして、忘れてはならないもと軽業師に、密偵・小房の粂八がいる。粂八は幼少期から軽業師に育てられ、芸を仕込まれた。ドラマ後半の亀太郎対粂八は、もと軽業師対決としても、大変に興味深い。




原作を読む!


鬼平犯科帳(8) 第5話「白と黒」


金ではなく色事目当てで男に近づいた女2人


 亀太郎が隠し金を持ち、それを姉妹が狙うというのはドラマの創作。原作では女は姉妹ではなく泥棒仲間で、亀太郎に近づいたのは色事目当て。タイトルの「白と黒」は、お今の肌が浅黒く、お紋(原作ではお仙)は色白ということからきたもの。亀太郎の左腕が利かないのもドラマの脚色だ。ドラマでは原作に流れるユーモアを生かしながら、視覚的にドラマチックな設定となっている。



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ー鬼平犯科帳 DVDコレクション 24-













24.≪第2シリーズ≫ 第17話 霧の朝

2014年03月18日(火) 17時10分35秒 テーマ:鬼平犯科帳

一度は取り戻した実の息子を

              預けた両親へ再び返す霧の朝


 桶屋の富蔵は、岡っ引き・仙台堀の政七の手下。ある日、富蔵の息子の幸太郎がかどわかされた。実は幸太郎はもらい子で、かどわかしは実の両親である吉造とおきぬの犯行ではないかと疑われた。だが、本当の犯人は蜂須賀の為五郎の情婦・お安だった。お安は、死罪になった為五郎のことで、為五郎を捕まえた富蔵を逆恨みしており、復讐のために幸太郎をかどわかしたのだった。ある偶然からお安一味のねぐらを知った吉造夫婦は、幸太郎を救い出すべく乗り込んで行くがーーー。



切絵図に見る品川


物語の舞台


 本作の舞台・品川は平蔵の弟分・井関録之助にとっては”庭”であり、①吉造・おきね夫婦が寝起きする物置小屋は、御殿山から目と鼻の先の、現在でいう八ッ山下にあった。幸太郎が監禁されていた②酒屋・三河屋は、ここから東南へ600メートルほど行った北品川2丁目辺りで、録之助行きつけの③蕎麦屋・小玉屋のはす向かいにある。



宿場町


 古くから漁師町として栄えた品川は、江戸時代に入ると東海道随一の宿場へと発展。食売旅籠(しょくうりはたご)が立ち並び、北の吉原に対して南国と呼ばれた。水茶屋、煮売り屋なども多く、江戸有数の遊興地・行楽地として繁栄を極めた。



武家地


 周辺には久留米藩下屋敷(現・品川プリンスホテル)などの武家屋敷が多く立ち並んでいた。北品川の西にあった御殿山は、将軍家の鷹狩の場だったのだが、八代将軍・吉宗が桜を植樹。現在は、高級オフィス・高級住宅・都市型ホテルなどから成る複合都市「御殿山ガーデン」の日本庭園にかすかな名残をとどめるのみだが、当時は王子の飛鳥山などと並ぶ花見の名所だった。



寺町


 芝・増上寺の末寺をはじめ多くの寺も散在していた。なかでも特に人気があったのは④海照山(かいしょうざん)品川寺(はんせんじ)。境内にある青銅の地蔵菩薩像が、江戸で流行した六地蔵詣りの第1番だったのだ。他にも、台所の神様である荒神様を祀(まつ)った⑤龍吟山(りゅうぎんざん)海雲寺(かいうんじ)、毎年秋になると紅葉狩りを楽しむ人々でにぎわった⑥海晏寺(かいあんじ)、たくあん漬の発案者といわれる沢庵和尚のいた⑦東海寺(とうかいじ)などが現存している。



究極の願掛け・お百度参り


 お百度参りの起源は平安時代にまでさかのぼる。もともとは「百日詣(ひゃくにちもうで)」といって、祈願のため神社や寺に百日間、毎日欠かさず参詣(さんけい)することだった。それがいつしか、入り口あるいはお百度石の置かれた場所から本堂までを1日に百往復するという形に変化していく。お百度参りをすることを「お百度を踏む」とも言う。


 往復回数を間違えないでかぞえるために、おろくのように百本の竹串を使ったり、こより、小石、掛け札、硬貨などが用いられたりした。お百度石の中には、これらを置くための穴が空けられているのもある。


 お百度参りにこれといった決まりはないが、願いがかなった場合は、千度のお礼参りをするのが正式という説も。




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鬼平犯科帳 (19) 第1話「霧の朝」


育ての親と産みの親、それぞれの子を想う心を描く


 火盗改メには直接関係のない誘拐事件を描いた一編。平蔵も盗賊も一応、絡んではいるが、ほとんど脇役といっていい。育ての親と生みの親、それぞれ立場は違えども、いなくなった子供を取り戻そうとする必死の姿に目頭が熱くなる。ドラマでは、二木てるみが演じた桶屋の女房・おろくのお百度参りをプラス。彼女の苦悶(くもん)を具体的に映像化することで、ラストシーンの感動をより一層盛り上げている。

ー鬼平犯科帳 DVDコレクション 24-





23.≪第2シリーズ≫ 第16話 夜狐

2014年02月27日(木) 13時21分43秒 テーマ:鬼平犯科帳

阿呆鳥・夜狐の弥吉は、殺人の裏に秘密を嗅ぎ取って・・・・・


 隠し売女の斡旋(あっせん)を稼業とする夜狐の弥吉は、若侍が殺害されるところを目撃した。死体は遊郭から朝帰りの忠吾が発見。平蔵が身元を洗うと、三千石の旗本・近藤監物(けんもつ)の嫡男・小一郎だとわかる。不自然な殺され方から、平蔵は近藤家に不審を抱き、密偵・伊三次を潜入させる。一方、弥吉は侍殺しの犯人を突き止め、近藤家の下男をたらし込み、お家騒動が起こっていることを知る。さらに殺しの黒幕が監物の後妻・益寿子(ますこ)だとわかってーーー。



江戸をにぎわす色町と遊女


幕府公認の公娼と非公認の私娼


 江戸には、たくさんの遊女がいた。大きく分けると、幕府公認の唯一の遊郭(ゆうかく)である吉原にいる公娼と、それ以外の私娼。私娼がいたのは品川、内藤新宿、千住、板橋の4つの宿場(以下「四宿」)と、至るところにあったといわれる岡場所だ。


 江戸は参勤交代でやってくる”単身赴任者”や、近在からくる商家への奉公人などでふれており、人口の7割近くが男性。その需要を当て込んで、四宿の旅籠は娼婦を置き、私娼屋が集まった岡場所が形成された。


 天明・寛政の頃の吉原の見世(みせ)は大見世、中見世、小見世、切見世と格付けされ、娼妓(しょうぎ)の等級も遊び代もピンキリで、必ずしも手が届かないというわけではなかった。だが、肩の凝るしきたりがあったり、金を払っても娼妓に振られて目的が遂げられなかったりといった吉原特有の面倒に嫌気がさした庶民が、四宿や岡場所に河岸を移した。切見世の中には吉原であっても岡場所より安いところもあったが、年増女郎や梅毒に罹患(りかん)した女郎が多く、客の方が警戒したという事情もあった。


 私娼の種類もいろいろで、四宿の私娼は給仕兼任だったことから飯盛女(めしもりおんな)と呼ばれた。なかでも品川は、吉原に匹敵するほどにぎわっていたという。


 その他、岡場所は江戸の至るところにあった。最も繁盛していたのが深川。第2シリーズ第9話「猫じゃらしの女」に出てくる上野山下もそうした岡場所のひとつだ。


 社寺境内(けいだい)や門前で湯茶を供する水茶屋も、裏で私娼を抱えている店が多い。そのため上野山下、浅草、谷中など門前町には、岡場所が多かった。町奉行所の取り締まりを逃れるため、寺社奉行の支配地に岡場所がつくられやすかったという事情もある。


 一方で、個人で商売する私娼もいる。天明・寛政の頃には「夜鷹」がいた。手ぬぐいをかぶり、むしろを抱えて物陰から客の袖を引き、土手や河原にむしろを敷いて商売した。他に大川(隅田川)に小舟を浮かべ春をひさいだ「船饅頭」、餅や饅頭を入れた提(さ)げ重箱を持って、寺院や参勤交代でやってきた侍の長屋を訪ねて売春した「提(さ)げ重(じゅう)」。第2シリーズ第13話「四度目の女房」に登場する通い小町も、個人商売の私娼のひとつだ。


 本作に登場する弥吉のような、客と私娼をつなぐポン引き「阿呆鳥(あほうがらす)」を使う女も、個人商売の私娼。居酒屋の小女や町の女房などの素人が多く、金が欲しい時だけ阿呆鳥に声を掛け、水茶屋などで客を取る。


 阿呆鳥には弥吉のような、風来坊の小悪党が多かった。春を売りたい女を知っており、女を買いたい男を捜すーーーそんな男たちが、当時江戸の町を飛び回っていたのだ。



女髪結いと「女髪結い禁止令」


 弥吉の女房・おやすは女髪結い。江戸時代、髪は自分で結うのが女性のたしなみとされていたが、中期になると髷(まげ)が複雑になって自分では結えなくなり、髪結いに結ってもらうようになる。当初は男の「廻り髪結い」が結っていたが、結い方がどんどん複雑になると男の手に余るようになり、安永年間(1772~1780)頃から女髪結いが登場する。


 しかし、髪を他人に結わせるのは”贅沢”と、寛政7年(1795)、幕府は女髪結い禁止令を出す。とはいえ、罰則がなかったため効き目はなかった。幕府はその後も禁止令を出し、ついに天保12年(1841)には道具没収、手鎖30日間などの罰則つき禁止令を出した。だが需要はなくならず、女髪結いが消えることはなかった。



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殺しの掟 第2話「夜狐」


仕掛人・藤枝梅安シリーズの原点となる短編集が原作


 原作は、池波正太郎3大シリーズのひとつ「仕掛人・藤枝梅安」の原点、「殺しの掟」に収録された「夜狐」。原作でゆすりをくわだてるのは弥吉本人で、ドラマには登場しないが居酒屋「三河や」亭主・伝蔵に助っ人の紹介を依頼する。伝蔵が紹介したのが伊坂孫兵衛で、それまで弥吉と孫兵衛の面識はなかった。当然、平蔵たちは登場せず、平蔵が弥吉を助けるシーンもない。













23.≪第2シリーズ≫ 第15話 密告

2014年01月11日(土) 13時03分50秒 テーマ:鬼平犯科帳

急ぎばたらきを告げる密書の主は

              兇賊・伏屋の紋蔵の実の母親だった


 ある夜、平蔵宛に謎の女から盗賊の押し入り先を記した密書が届いた。半信半疑で出張った火盗改メだったが密書は本物、平蔵は急ぎばたらきの兇賊・伏屋の紋蔵一味を捕らえる。紋蔵は、平蔵の無頼時代の仲間・横山小平太に瓜二つ。昔、横山は、平蔵が妹のように思っていた茶屋娘・お百に子供を身ごもらせて捨て、そのことで平蔵の怒りを買っていた。紋蔵はそのお百と小平太の子供だったのだ。やがて、密書の謎の女が紋蔵の母親・お百であったことが判明してーーー。


江戸の南北にあった二大刑場


北の小塚原、南の鈴ヶ森


 江戸時代の死刑には、軽い方から下手人・死罪・火罪・獄門・鋸(のこ)引き・磔(はりつけ)の6種類があった。下手人はよく誤用されるような「犯人」という意味ではなく、斬首刑のこと。首をはねられたうえに残った死骸を刀の試し斬りに利用されるのが死罪、斬り落とされた頭を晒(さら)し首にされるのが獄門。磔は磔木に、男は大の字に女は十字に縛りつけ、槍(やり)で突き殺す。鋸引きは鋸(のこぎり)で首を切断することだったのが次第に形式化し、肩まで地面に埋められて晒し者にされたあと、磔と同じ方法で処刑された。


 火罪は放火犯にのみ適用された火焙(ひあぶ)りの刑。また、獄門以上の重刑には必ずと言っていいほど引廻(ひきまわ)し刑が付加された。馬に乗せられた受刑者は江戸城外郭の五ヵ所に立てられた、氏名・罪状を書いた高札の前を通って刑場へ引き出される。


 刑場とは、死罪以上の刑を執行するところで、江戸では品川の鈴ヶ森(現・品川区南大井2丁目)と千住の小塚原(現・荒川区南千住5丁目)が有名だ。受刑者は犯行現場(江戸出身の場合は生地)が日本橋より南なら鈴ヶ森、北なら小塚原に送られたが、火焙りだけは必ず鈴ヶ森でと決まっていた。ここで処刑された人物で最も有名なのは、火事の時に出会った男が忘れられず、もう一度会いたくて放火を犯した八百屋お七だろう。実在の盗賊では、武家出身の大盗賊・日本左衛門(にっぽんざえもん)が鈴ヶ森、鼠小僧次郎吉は小塚原で獄門になっている。


 本作の伏屋の紋蔵はお百の奉公先から考えると深川生まれだろうから、おそらく鈴ヶ森に送られたのではないだろうか。急ぎばたらき、つまり強盗殺人は獄門と決まっていたので、彼の首は三日二夜、獄門台に晒されたあとに捨てられたと推察される。





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鬼平犯科帳11巻 第5話「密告」


平蔵の感謝から息子を”売った”母親の胸のうち


 20年以上も前に、「本所の銕」と呼ばれていた平蔵が、放蕩無頼(ほうとうぶらい)のヒマつぶし程度にかけた情を恩に着て、息子を”売った”お百。その思い出のかんざしを、お百が平蔵に抱き続けた想いを象徴するアイテムとして、ドラマではうまく使っている。


 ストーリーはほとんど原作通りだが、平蔵とお百が4年前に再会したという設定はドラマ独自のもの。原作では、ついに一度もふたりは顔を合せない。それだけに、平蔵の苦い胸の内が切々と伝わってくる。


ー鬼平犯科帳 DVDコレクション 23ー






22.≪第2シリーズ≫ 第14話 雨乞い庄右衛門

2013年12月04日(水) 12時42分44秒 テーマ:鬼平犯科帳

左馬之助が出会った謎の老人は、

                大盗・雨乞いの庄右衛門だった


 本格の大盗・雨乞いの庄右衛門は、療養のため4年ほど江戸を留守にしていた。その隙に、一味はすっかり庄右衛門の妾・お照と破目(はめ)の伊太郎に牛耳られてしまい、庄右衛門の殺害を計画。そうとは知らず、最後のお盗めのために庄右衛門は江戸へと向かう。一味の放った刺客は、小田原で、藤沢で、しつこく庄右衛門をつけ狙う。時を同じくして旅から戻る途中の岸井左馬之助は正体を知らぬまま、この只者ではない謎の老人にひかれていくが・・・・・。


東海道を江戸へ向う


死を覚悟した老盗最後の旅路


 日本橋を起点とする東海道・日光街道・奥州街道・中山道・甲州街道を五街道と呼ぶ。三代将軍・家光の代に参勤交代が義務化されると、西国方面の大名が江戸へ向かう際、東海道をしばしば利用した。


 東海道はその名の通り、海沿いを走る街道で、現在の神奈川県や静岡県、愛知県を経由し、京都三条大橋に至る。全長約492キロ、53の宿駅(東海道五十三次)があり、箱根と新居(あらい)に関所がもうけられていた。


 「鬼平犯科帳」には、全国を股にかけて暗躍する盗賊が少なからず出てくるので、東海道も頻繁に登場する。本作「雨乞い庄右衛門」では、浜松から江戸へ帰る途中の岸井左馬之助が、三島あたりで大盗・雨乞い庄右衛門と出会い、箱根、小田原、江戸と東海道を上がっていく模様を描いた。


 実際の箱根の関所は、江戸に持ち込まれる鉄砲(入り鉄砲)と江戸から抜け出す大名の妻女(出女)に絶えず目を光らせており、全国でも特に詮議(せんぎ)が厳しかった。関所破りは磔(はりつけ)の重罪。だが、本作の時代には取り締まりもかなりゆるくなっていたようで庄右衛門のように手形を持たない者がすり抜けることもあった。


 庄右衛門を迎えに来たーーーと見せかけて、実は命を奪いにきた手下の市之助と定七が茶店で休んでいる場面に映る「馬入(ばにゅう)の渡し」は、平塚と茅ヶ崎の間(現・神奈川県平塚市馬入本町)に位置する。東海道は河川が多いが軍事上の理由で橋を架けなかったため、大井川、酒匂(さかわ)川などの大河でも徒歩で渡らねばならなかった。そこで、川越え人足を雇い、おぶったり駕籠(かご)で担いだりしてもらうのだが、客をわざと水中へ落とすふりをして酒手(チップ)をねだる、たちの悪い人足もいたという。



水車が生んだ名せりふ


 足踏み式の水車は別名を踏み車ともいい、江戸時代初期に発明されるや、たちまち全国に広まった。昭和30年頃まで、水田の灌漑(かんがい)や精米、雑穀(ざっこく)の製粉などに活発に利用されていた。


 水車の農民に扮したのは、あるベテラン大部屋俳優。高瀬昌弘(まさひろ)監督は、黙々と水車を踏む姿に彼の俳優人生を重ね合わせた。それはまた、本来ならば農民であったはずの庄右衛門の幻の人生であり、大スター板東妻三郎の長男という猛烈なプレッシャーの中で、粛々と芸を磨いた名優・田村高廣の俳優人生にも重なって見える。庄右衛門の「ああして暮らすのも、人間、同じ一生」は、シリーズ屈指の名sりふでもある。



原作を読む! 


鬼平犯科帳7 第1話「雨乞い庄右衛門」


ドラマでの脚色の冴(さえ)を如実に感じさせる一編


 原作の庄右衛門は、旅の途中で病死する。そのままドラマ化していたら、庄右衛門が手下を皆殺しにするあの名場面ーーー壮絶な殺陣(たて)は生まれなかった。最初の台本では8人ほど斬る設定だったが、田村高廣自身の希望で、全員を突き殺すことにしたそうだ。もう一つの名場面である水車も原作には登場しない。伊太郎とお照もドラマで描かれたようなワルではなく、物語の冒頭で早くも殺されてしまう。ドラマとの違いを意識して読むと、脚色という仕事の意味がよくわかって面白い。









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