自分と他人は違う、それぞれ個性が違う。そんなことはわかっているよ。


なんて思う人も多いでしょう。


しかし、本当にそういう前提で考えているでしょうか?



今回ウィキペディアで「個性」という言葉を調べたらこんなことも書かれていました。


「近年では、身体障害者の身体的特徴や精神障害者の症状をも、その人の個性であるという考え方も生まれている。」


障害だったら仕方ない、と受け入れられる人もいるでしょうが、障害だからとか関係ない。


例えば、アスペルガー症候群は、約4000人に1人の割合で発症すると言われています。


でもこれは「診断された数」だけなんですよね。実際はもっと多いと考えられているんです。


障害といっても、診断してもらって、「あなたは○○障害です」と先生に診断されたら、「障害」と言えるだけのこと。


コミュニケーション能力が低いといっても、どこまで低ければ障害といえるのか?国が決めた線引きであったりして、それは時代によって変わったりするんですね。


こういう症状は、A障害です。と昔は言われてたけど、いまは、A障害には、実はB障害とC障害があってとか、研究が進んで細分化されたりするものもあります。


説明がわかりにくいかもしれませんが、「障害だったら仕方ないと受け入れられる」という判断基準はおかしいよねって話です。


「障害」というものが、線引きがはっきりしないし、時代によっても変わるし、診断された人だけ「障害」と認定されるだけのことだから。


障害や病気なら仕方ないけど、障害じゃないなら、みんな(自分)と同じように出来ないとおかしいとか、できなきゃいけないなんてことはない。


障害だろうがなかろうが、多くの人が出来ることを出来ない人だっているし、苦手得意とか個々に個性があります。



このブログで何度か書いたことがある、自分で悪いストーリーを作るという話。


これも、パーソナリティ障害でよくある症状のひとつです。


自分で悪いストーリーを作る人は、よくいるわけです。


そういう障害と認定されていなくても、対人関係苦しいなとか、アスペルガーと認定されていなくても対人関係が苦手で生きずらないなーという人は多くいるわけです。




自分が当たり前に出来ること(みんなが出来ること)でも、出来ない人(個性の人)はいるんですよ。


実際にあった話で、大勢と一緒に食事するのが苦手だという人。


4人で食事行こうって話しになったときに、「私は大勢が苦手で」という。


その人がいなくなってから、「4人って全然多くないよね?なんでいけないの?」て言う人がいた。


最近ブログで書いた定義の話もありますね。


「4人は全然多くない」ってのは自分の定義だよね。


4人で食事に行く話しで、「私は大勢が苦手で」と言う人の定義では、4人は多いということなんだよね。


4人は多いといえるのか?どっちが正しいのか?


それぞれの定義で正しい。


相手を理解するときに、自分の定義はどーでもいい。


わかることは、その人は「4人は多くて行くのは難しい」ということ。


その人の見えている感じている世界は厳密にはわからないとしても、その人がいう大勢が苦手というのはわかってあげられるよね。


そういう個性の人なんだよね。



例えば、潔癖症の人で、バスや電車のつり革はつかめない。


僕自身はつり革はまったく気にせずつかめるので、どういう世界が見えているのか厳密にはわからない。


でも、潔癖症でそれができない人がいて、そういう個性だというのはわかる。



前回書いた話のように、女性はわからないなー難しいーとか、潔癖症の人がわからないとか、別に思わないわけです。そういう個性だという捉え方をしているから。