誰のせいかは捉え方次第

↑こちらのつづきです。


「そうです。友達が遅刻したのは事実です。そのせいで私は待たされたんです。友達のせいというのは事実です。」


友達が遅刻してあなたが待ったのは事実でしょうが、それを友達のせいと考えたのは、あなたがそういう捉え方をしているだけです。

ですから、あなたの捉え方次第で、誰のせいかは変わります。


「んー、よくわかりません。」


誰のせい、誰の責任かは捉え方によって変わる。

これを別の例え話で説明しましょう。

あなたは会社で、あるプロジェクトのリーダーを任されたとします。

Aさん、Bさん、Cさんと一緒にチームを組みます。あなたがリーダーで指揮を取ります。

仕事を進めて行くと、Bさんが大きな失敗をしてしまいました。その結果プロジェクトも成功しませんでした。

さて、プロジェクトが成功しなかったのは誰のせいですか?


「それはBさんでしょう。Bさんが失敗したせいで成功しなかったんですよね。」


Bさんが失敗したのは事実です。しかし、Bさんのせいだというのはあなたの捉え方です。

リーダーであるあなたのせいという捉え方もできます。

リーダーの指示で仕事をやってたわけですから、指示していたリーダーの責任ということもできます。

捉え方によって、誰のせいか、誰の責任かは変わります。


「言われてみるとそうですね。組織だったら上司やリーダーが責任を取るのは当たり前の話でした。」


組織だったらそうだってこともあるんですが、言いたいことは、誰のせいとか、誰の責任というのは、捉え方によって変わるということ。

「誰かのせいだ!」というのは、捉え方の一つに過ぎない。絶対的なものではない。

組織ではリーダーが責任を取る、最終的には経営者・社長が責任を取るとか、社会的な常識とか基準によって決まるようなこともあります。


「一社員の不祥事で社長が謝罪会見とかしますもんね。」


そうです。社長が「この件は社員のせいで起きた不祥事ですから、私のせいではありません」なんて言ったら、責任放棄してると言えるでしょう。

社長が責任を持って、今後そのようなことが起こらないように、責任を持って改善していこうとしますよね。

何があっても100%自分の責任という考え方は、自分の幸せに責任を持つということでもあります。

誰かのせいにするってことは、自分の幸せを放棄するってことになるんです。

自分に起きた不幸を前にして、『これは私の責任ではありません』と両手を上げて責任を放棄すること。

それは、自分の不幸に対して無力になります。

社長だったら、『社員の不祥事は私の責任ではありません』と両手を上げて責任放棄してて結局会社が潰れました。それでも『会社が潰れたのは社員のせいです』と不満や文句を言ったり、恨んだりする人生も自由ですが、それって幸せじゃないですよね。

責任を持とうが持つまいが、結局自分が引き受けることになるんですよ。

「これは私のせいじゃありません、私に責任ありません」というのは、私は自分の幸せを放棄して無力になりますって言ってるのと同じことです。

不幸をそのまま受け取ります、これからも受け取り続けます、ということにもなる。


「話の最初にあった、自分が幸せになる考え方ということですね。
幸せになるために、誰かのせいにしない。
『人のせいで起きたことなら、人のせいじゃないですか。なんで反省しないといけないの?』
というのも別の見え方がしてきました。
『人のせいで起きたこと』というのは一つの捉え方をしているだけで、絶対的なものではないということなんですね。
だから、それを自分のせい、自分の責任だと捉えて反省することは可能だということですよね?」



そういうことです。

自分の人生で起きたこと、自分のことなのに、その責任を放棄する、知らん顔してても、他者はあなたを幸せにしてくれません。

いくら誰かのせいにしても、その人はあなたを幸せにしようとは考えてないでしょう。

アドラー心理学で言えば、「他者はあなたの期待を満たすために生きていない」のですから。

そしたら、自分がなんとかするしかないという結論になるはずです。

自分の人生をより良くしていくためには、自分が責任を持って何とかしていくことです。




この話を最初から読む?

下記から一覧表示されます。

テーマ「責任転嫁しない






フレッド・ラスキン(スタンフォード大学臨床科学研究員)

誰かを恨むこと、責任転嫁とは、自分の幸福に責任を持たないということの表明です。

責任を持てない自分の代わりに、誰か他の人に権限や責任を譲ってしまうことです。

短期的には有効な対処法でしょう。

例えば、自動車事故にあった直後に、「相手のせいだ、相手が悪い」というのは、有効なわけです。

責任転嫁の問題は、それがどれだけ続くか、ということです。

長期的に有効な他の対処法と同様、責任転嫁も交感神経を刺激し、肉体を消耗させます。

また感情的な経験に関係した心の習慣が出来てしまいます。

恨みはやがて怒りとなり、私たちの視野は狭くなり、怒りの対象への恐れや、無力感を抱くようになります。

怒りの対象を思い出すと、怒りや恨みが呼び起こされ、対象となる人や出来事を、そうした感情抜きには見られなくなってしまいます。




【アドラー心理学入門 KKベストセラーズ 岸見一郎著】

自分の生き方として見るとき、アドラー心理学は非常に厳しいものであるといわなければなりません。

昔も今もすべては自分に責任があるというような考え方は容易に受け入れられてこなかったのではないか、と思います。

自分の人生は他の誰も代わってくれませんし、うまくいかないときも自分に代わって問題を解決してもらえるわけでもなく、うまくいかないことの責めを自分以外の外的なもの、あるいは過去の出来事、才能、そういったものに帰することを断固拒否するのです。

自分には何もする余地がないとすれば不幸(あるいは、不幸だと思える事態)を前にしてただ手をこまねいて待っているしか私たちには残されていないことになります。

そうではなく自分が人生を創っているのであって、自分がこの人生の主人公であることを知ったとき、人は自分が動くしかないことを学ぶことになります。









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