流れ星ネコのまた旅日記 -320ページ目

たい焼き3

 地元のレンズ豆であんこを作ることが出来ました。
 チュニジア日本人会バーベキュー大会の当日、たい焼き、作りましたねえ。
 汗とすすまみれになりながら。
 バーベキューなので燃料は炭火、ガスより格段に作りにくいです。
 (格言その1:「炭火にて、『鯛』は焼いても『たい焼き』焼くな」です)

 でも、ねじりハチマキ、ビール片手に作りまくりました。
 
 好評に気をよくして、日本人補習校の子供達に、たい焼きを持っていってやることにしました。
 チュニジアで家庭をもった日本人、日本から赴任したご夫婦、チュニジアに住むそんな彼らの子供たちが、毎週土曜日、日本人補習校に集まって、「国語」を習います。
 その日本人補習校に、私も一時期ボランティアで講師していました。
 普段は地元のチュニジア人小学校やアメリカンスクールに通う、小学校1年生から中学生の子供達です。

 日本の教科書で国語を教えますが、アラビア語やフランス語がぺらぺらな、そして日本語もしゃべくりなら達者な生意気で悪ガキの彼ら、そしてもう集まっただけで楽しくてしょうがなくて騒ぎまくる子供達に、心静かに落ち着いて日本語の読み書きを教えます(不可能だけれど)。
 まあ最後はカルタ取りやかけっこで終わるわけです。(いえいえ、私以外の先生はもちろんしっかり教えておられましたが)

 その日本人補習校でお誕生日会がありました。普段より授業を短くして、お母さんたちも集まって、ケーキやお菓子、ジュースでお誕生日を迎えた子供をお祝いします。
 そんなお誕生日会に、こっそりたい焼きを持っていったのです。
 子供達、喜んでくれるぞ・・・・
 
 喜んでくれましたねえ、目を輝かして。


 お母さん達が・・・


 子供達は「なにそれ?」といった感じで、地元のケーキにぱくついています。
 子供達のお母さんが、まあそれこそ喜んでくれました。
 「ほら、○○ちゃん、たい焼きよ。すごいでしょ、おいしいのよ、食べて食べて」
 と言いながら、その日の30個ほどのたい焼きは、お母さまたちの餌食になったのでありました。


 たい焼きのプロとなったワシ

 素晴らしきたい焼きたち

たい焼き2

 たい焼き試作第1号です。
 我ながらなかなかの出来映えといっていいでしょう。
 気をよくして幾つか作っていたのですが、問題は「あんこ」でした。


  たい焼き試作第1号

 私のたい焼きの評判を聞きつけて、
「今度の日本人会のバーベキュー大会で、たい焼きを作って欲しい」
という注文も舞い込んできます。 
 やはり帰国される方からいただいた日本のあんこは、すぐに底をついてしまいました。


 日本のあんこはとっても貴重です


 
 タイ焼きのため、「あんこ」を作らなければなりません。
 
 あんこ作りへの挑戦が、始まりました。
 もちろんチュニジアに小豆はありません。
 ダイズもなければアズキもない。豆類については基本的に主張の異なる国なのです。
 ダイズは代用が効きません。何故なら日本人の遺伝子に擦り込まれている豆だからです。
 しかし、アズキは代用が利きそうなのです。
 異国生活の達人マダムミコさん から、
 「レンズ豆からあんこが出来る」
 と伺いました。もう、何でも知っている人です。
 
 レンズ豆は、チュニジアでも最もポピュラーな豆、何処でも売っています。
 北アフリカから中近東、ヨーロッパにかけて、よく使われている豆のようですね。
 黄土色をした直径5,6ミリの、円形で平べったい、小さなレンズのような形の豆です。
 このレンズ豆であんこを作ってみました。
 一晩水に浸し、まずは煮立てて灰汁抜き、そしてじっくりと煮込んでいきます。

 出来ました。
 レマさんOrangeさん、素晴らしい出来です。(写真でお見せできないのが残念)
 色の違いを気にせず、眼をつむって口に入れれば、それは懐かしいあんこの味。

 これで、たい焼き大量生産の体制が整いました。
 


たい焼き

 納豆の次は、「たい焼き」です。


 やはり帰国することとなったSさんご夫妻から、「たい焼き器」をいただきました。
 Sさん御夫妻には、とってもお世話になりましたね。
 異国で暮らすか弱いおじさんを、何度も助けてくれました。
 食事に何回も呼んでもらったのはもちろん、原始的な食器事情を見かねて(何せ最初は山用のコッヘル一つでご飯を焚き、みそ汁やカレー、煮物なんかを作っていた)、豪華な食器類も寄贈していただきました。

 チュニジアでの命の恩人の一人ですが、その方から最後にいただいたのが「たい焼き器」でありました。
 Sさん御夫妻も、そのたい焼き器をどなたかから頂戴した由。
 どのような経路を辿ってチュニジアまでやって来たかは深い謎ですが、まだ新品のそのたい焼き器は、私のところで大きく活躍することになるのでありました。 


 チュニジアにやって来たタイ焼き器

納豆3

 日本に帰国する方から、納豆作成キットをいただきました。
 帰国時には、皆さん、残った食材を残留日本人に分配します。
 お別れは悲しいのですが、悲しみの中の悦びが、この食材分配の儀式です。
 そして、その方から私が譲り受けたのが、納豆作成キットでありました。

 納豆キットは、ダンボール箱、保温用発泡スチロールがメインツールですが、用縦横10cmほどの、例の発泡スチロール製納豆容器(製造者ラベル付)まで用意してある周到さです。

 まあ、チュニジアにおける納豆の権威と言っていいでしょう。5kgほどの大豆を納豆にしたそうです。
 私などせいぜい500gですから、たかが知れています。

 納豆のココロは、「蒸し」と「発酵」です。
 「蒸し」は4,5時間。「煮る」という短時間勝負の方法もありますが、大豆の風味という観点から、ここはやはりじっくり蒸します。
 パリジェンヌを前にしたmさんのようにたっぷりふやけたら(あ、mさん、ごめんなさい)、このフヤケ野郎を熱いうちに清潔な容器に盛り、やおらナットウキナーゼの白い粉末は散布します。
 ここのポイントは「清潔」です。納豆菌以外の雑菌が繁殖しないよう、熱湯消毒です。

 次に「発酵」です。
 40℃、湿潤な環境で半日から1日、ナットウキナーゼの健やかな成長を祈ります。

 この温度と湿度保持が難しかったですね。
 私の場合、温水ヒーターの上に乗せたのですが、どうも湿度管理がいまいちでした。
 表面に白い粉が散って、もちろん粘り気も出たのですが、かき混ぜると思わず
 「うりゃあ、どうだあ!」
 と叫びたくなるような、あの千脇肉躍る糸の粘りがでません。

 サラサラと、淡白な、納豆でありました。

 そのおとなしい納豆たちを炊き立てのごはんに乗せ、ココロ静かに、しみじみと食べるチュニジアの夜でありました。

 
 そこで、納豆作成キッドをいただいた納豆名人ですが、実はこの方、洋裁の専門家、マダムミコさんでありました。
 洋裁のプロがなぜ納豆か・・・・という問題はほっといて、彼女はカンボジア、中国、チュニジアと世界をまたに活躍されております。やはり「衣力」は「胃力」に通じる、ということでしょうか。


 納豆のパッケージです

 おとなしい納豆たち

納豆2

 チュニジアには大豆がありません。もちろん納豆も味噌も豆腐もありません。(タイ醤油が一部あり)
 つまり日本人には極めて過酷な生息環境といえるでしょう。
 中華料理を装ったタイ料理店はありますが、本格中華料理店は郊外のリゾートホテル一つのみ。日本料理店など望むべくもありません。
(でも実際のところ、女性の適応能力はすごいと思います。食べ物に適応できない男どもに比べ、女性は何処でも何でも食べる能力を持っています。やっぱり持って生まれた固体生存力の違いでしょうか。異国における胃力(イリョク)のフォースは、断然女性が優れています)
 
 冷凍庫に保存していた日本から持参のおかめ納豆3個100円も底をつきました。
 いよいよその時が近づいてきました。
 このままほっておくと、私の遺伝子がどのような暴動を起こすかわかりません。
 

 戸棚に、日本から送られてきた大豆が眠っています。
 そして同僚に分けてもらった、ナットウキナーゼの白い粉末の小瓶。

  私の遺伝子が、
「納豆を作れ・・・・」
と命令しています。

 私は命じられるままフラフラと大豆とナットウキナーゼを手に取り、そして先日m先生からいただいた、納豆作成キット一式を、戸棚の奥から取り出したのでありました。