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2005-12-14 13:12:54

「敦煌」 井上靖

テーマ:文学

ラスト。


「影響を与えてくれた」ってカテゴリーの最後。


最も影響を与えた、という意味でなく、これがすべての始まり。


………。


一冊の本がある。古い本だ。発行は生まれた年から1年ほど前。「敦煌」(井上靖)。父からもらった。いつ頃、もらったのか記憶が定かでない。気が付くと、その頃はまだ実家の、自分の本棚に並んでいた。


名前、そう、名字の下にある名前はこの作品が由来。物心付いたときから、事あるたびにそれを聞かされていた。もちろん、小さな自分にはそんな作品は読めるはずもなく、中学生になって拾い読みをするようになっても中国史のバックボーンがない知識では物語や史実の深いところまでは入り込むことができなかった。


ただ、いつもその本は本棚にあり、ときおり、いや、ときおりよりはずっと間隔をおいて、取りだしページをめくっては、その時々の理解できる範囲で活字や短い章を読んでいた。正確にいうと眺めていた。


それは「敦煌」という作品を読んでいるというより、自分の根本みたいなもの、ちょうど宇宙のはじまりのビックバンみたいなものを、そこに求めていたような気がする。ヒトが社会生活のなかでしか自分を見いだせない生き物だとしても、他人という比較なしに、相対的な自分ではなく絶対的な自分を見つけるための道具として、この本に接していた。そんな気がする。自我形成はなんか生まれてから後付のようなニュアンスを受けるのだけれど、その頃の自分が求めていたのはたぶん、生まれもって何かしらの運命というか宿命という性みたいなものを身体のなかに宿していて、決して、名付けられたことは父親の気まぐれや偶然ではなく、あらかじめ決められたものが何かあるのではと心のどこかで思っていたからだ。


敦煌。


家には写真集などがある。敦煌の壁画やその風景。近いところでは、平山郁夫などの絵画も見に行った。でも、敦煌という土地にそれほど魅力は感じてない。中国史をはじめとする歴史にもそれほど興味はない。それでも何か繋がるものを感じる。何だろうね、この繋がりは。不思議な感じがする。


ちなみに、井上靖の作品はこれ以外、読んだことがない。もちろん家にあるのはこの新潮文庫版ではない。


井上 靖
敦煌

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絵画。大陸を描いた絵画では「雲中天壇」(梅原龍三郎)がいいな。京都の近代美術館にある。
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敦煌。どころか未だ訪れたことはない。なんだかんだと出不精だからね。それと美味しそうなものは最後に食べる方だからかな。
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Nは行った。というか、亜細亜はほとんど行った。
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大陸とは縁がある。Nは、ついこの前までそんな雑貨屋をやっていた。
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だから、家のなかは亜細亜の館だ。バリの絵、サイババの写真、伏見のお稲荷さん、祖母の婚礼箪笥…。書ききれないぐらいの品々。亜細亜の神々がケンカしてるような部屋だ。
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Sの名前も「敦煌」絡みだ。というか、ほとんどそのまま。作品に出て来る言葉からとった。父は喜んでくれていると思う。ついでに大陸絡みで持ち物はすべて「大熊猫」だらけ。すべての持ち物といってもいい。たぶん、その多種多様はふつうの感覚を越えていると思う。
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ちなみにうちの家庭では名前で呼び合ってる。いわゆるPapaとかMamaとかそんな呼称はない。ずっとだ。Sの友だちまで名前で呼んだりするとNが言ってた。



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このカテゴリー、これで終わり。
あとは、おまけとまとめ。
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で、その次は…。

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2005-11-28 18:17:30

「知覚の扉」 Aldous Huxley

テーマ:文学

If the doors of perception were cleansed, everything would appear to man as it truly is, infinite.


「知覚の扉」の原題は「The Doors of Perception」。それからThe Doorsのバンド名がとられたことで有名。元はウィリアム・ブレイクの詩からの引用。


これを読んだ当時(22前後)はどっぷりと精神世界にはまりこんでいた。精神世界といっても宗教的な方向から入ったのではなく、やっぱり理系で音楽系なのかニューサイエンスやドラッグ(SEX,DRUG & ROCKN'ROLL)あたりからチベット密教、文化人類学関係まで、それとユング心理学。


具体的には、第三書館の「マリファナ・ハイ」「チョコレートからヘロインまで」などや工作舎の「タオ自然学」「地球生命圏」など。あとは中沢新一から「悲しき熱帯」なんか。何冊ぐらいの書物を目にしたのか数えられない。この手の本、高価(当時の自分にとって)なものが多かったのでカバン(リュック)を背負って古本屋を回ったりして、興味の惹かれるモノはほとんど片っ端から買い込んだ。別に大学の専門ではなく、体系的に読むことなんてこれっぽちも考えていなかったから、専門的な書物も、軽い入門書も、怪しげなサブカル系も、すべて同列に近い形で飲み込んだ。


「知覚の扉」。家にあるのは河出書房から出版された「知覚の扉・天国と地獄」。今なら平凡社ライブラリー版(下にある)の方が手に入れやすいと思う。


これに出てくるメスカリンはペヨーテ(サボテン)に含まれる幻覚剤。その自らの体験が記されているのがこの書物なんだけど、印象に残ったのは「バルブ」の話。


ここからは話を端折るので多少、乱暴な展開・・・。


人間は誰でも本来的には、宇宙精神を持っていることになる。しかし、われわれが生き物である限り、人間はどんなに大きい犠牲を払ってでも生物的生存を続けていく義務がある。そして生物的生存を可能にするためには、宇宙精神の意識内容は、脳や神経組織の減量バルブによって濾過減量という検問を受けざるを得ない
(「知覚の扉・天国と地獄」訳:今村光一 河出書房)


簡単に言うと、ヒトは誰もがもっと広大な精神を持っているのだけど、生きるためにはそのすべてを享受していてはやってられない。だから、生きていくためにバルブを閉めて、生きるために必要なものだけをそのバルブから通して、日々の生活を送ってる。


あらかじめヒトは悟ってる・・・そんな意味合いかな。


そう、この本を読んでからあらためて、こんなふうに思ったんだ。


世界は、自分が思ってる世界は、これがすべてだろうかって。


それは99%否定の意味を含めた問いかけ。自分に対するね。


思い出す。たぶん小学校のとき。感じたこと。夏の暑い日で、木登りかなんかして、たしか木の上に秘密基地みたいなものをつくっていたんだ。ホント、バカみたいに暑くて、汗だらけで、その基地までのぼるのがやっとだった。まだ背も小さかったし、力も弱かったし。基地にたどりついたら、ほっとして、ほっとしたら、なんかぼうっと頭のなかがして、で、青空を見上げて・・・。それは古来、おそらくヒトが言葉を有する前から存在する疑問。誰もが思う不思議。


なぜ、ここにボクはいるんだろう。


オルダス ハクスリー, Aldous Huxley, 河村 錠一郎
知覚の扉

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本当は「バルブ」の話で、もう少し長くなると思った。実際、もう少し長かった。でも、面倒なのでやめた。こんなこと初めてだ。垂れ流してる文章もどきなのに。また、ゆっくりと別のところで。
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このとき読んだ本。ホント、バカみたいに読んだ。小説なんて、ほとんど読んでなかった時期があった。ヘタな小説よりはずっと刺激的だと思って。ワケ分からないまま読んでたもの。一度、残ってる本だけでも羅列してみようかな。たぶん半分ぐらいは処分してるような気がするけど。
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ユング。これだけでひとつの記事が書ける。集合無意識。ユング心理学にでてくる言葉のなかで最も実感(身体がね)できる言葉。これが名著だと思う。

河合 隼雄
影の現象学

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当時、あまりに高すぎて手が出なかった本。最近になって、20周年記念版が出てる。ちょっと立ち読みはしたんだけどね。
ダグラス・R. ホフスタッター, Douglas R. Hofstadter, 野崎 昭弘, 柳瀬 尚紀, はやし はじめ
ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

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そのままずばりのタイトルで思わず手にとって買ってしまった。
中山 元
<ぼく>と世界をつなぐ哲学
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2005-11-21 22:00:44

「最後の物たちの国で」 Paul Auster

テーマ:文学

ひとつ前とふたつ前の記事。その流れからいってやっぱりこれ。ポール・オースター。はじめて読んだのがどれだったのか自信がない。おそらく、この順だったと思う。


「鍵のかかった部屋」
「幽霊たち」
「シティ・オヴ・グラス」
「孤独の発明」


そして、


「最後の物たちの国で」


で、このなかで一番「ふむ・・・」と思ったのが「最後の物たちの国で」(白水社)。決して読んだ後に、もしくは読んでる最中に「HAPPY」になれる小説ではないけど。


その後の、


「ムーン・パレス」
「偶然の音楽」
「リヴァイアサン」
「ミスター・ヴァーティゴ」


なんかを読んでいて気付くのが、おそらく初期の方が好きってこと。


きっと「小さな物語」を好むんだろうな。そんなふうに自分で思う。映画でも小説でも、その他の影響を与えてくれたものすべてに共通するのは「大きな物語」ではないこと。


「小さな物語」と「大きな物語」のちがい。それを説明するのはとても難しい。おそらく見た目として登場人物や場面の数なんかで判断できるような気もするけれど、きっと、それだけではないと思う。自分のなかでそれとは別の基準があって、それによって判別してる。そんな気がするんだ。どうもうまく伝える言葉が見つからないけどね。


もう少しだけ補足。


「大きな物語」というのは蔑視の意味が含まれてる。この場合ね。付け加えるとすれば「大きいけれどうわべだけの物語」。現代の日本語をあやつってる人が共通してもってる決めごとのような「言葉」や「文章」だけで、上澄み液だけを綴った作品。そんなものには魅力というか、刺激を感じない。たしかに読むのは楽だし、安心できる。けれど、そんなものは特に読まなくても困らないし、自分の脳みそに入れるのは時間の無駄に思える・・・ことが多い。


微細な部分にこそ、壮大な物語が・・・。


なんか、近いけど、微妙にちがうな。


まあ、とにかくシンプルなものやこぢんまりしたものがしっくりとくるんだろうな。

ポール・オースター, 柴田 元幸, Paul Auster
最後の物たちの国で
※家にあるのは単行本・・・あっ、これもあるのかな?

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「ポール・オースター 現代作家ガイド」(彩流社)。画像はうちにあるのと同じ96年版。その後、増補版が出てる。
飯野 友幸, 秋元 孝文, 栩木 玲子
ポール・オースター
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シンプル。例えば。バイクは単気筒。車はミニ。ギターはシングルコイル。
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2005-11-18 14:30:21

「三つの小さな王国」 Steven Millhauser

テーマ:文学
2005-11-17 15:10:41

「エドウィン・マルハウス」 Steven Millhauser

テーマ:文学
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