米沢藩流 リスクに備える防災対策 『tanto よねざわ』から


米沢の歴史を見える化

復刻が繰り返された かてものマニュアル


米沢の歴史を見える化

 後に「宝五の飢饉」と称され、長く語り継がれた宝暦五年(一七
五五)の大飢饉は、米沢藩史上最大の災害であった。この年厳しい
寒さが春まで続き、夏も低温長雨、洪水が頻発し米沢藩総水田の半
分が壊滅したとされる。


 当然大凶作となり、米不足になった。市場では米俵の取り合い事
件が起き、山間部では飢餓で亡くなる人が出た。


 この経験が、米沢藩の防災意識を高めさせる。上杉鷹山の意のも
と、さまざまな防災政策がとられる。その代表的なものが「かても
の」だ。


 「かてもの」は、凶作時に食用となる山野草の用い方を記した手
引書で、一八〇二年に刊行された。「かて」は漢字で糧・糅・粮な
どと書き、飯に混ぜて炊くものの意味である。約B5判サイズで五十
五ページあり、印刷して領内中に大量配布された。


 編者は奉行(他藩の家老相当)の莅戸善政(のぞきよしまさ)
で、要職のかたわら医師の指導を受けつつ書き上げたという。前書
きに善政は、「豊かな今日(平常時)から、万々一の日(凶作)に
備え心がけるように」と書き、山野草七十九種類をいろは順に、そ
の調理法や食べ方について、わかりやすく解説している。


米沢の歴史を見える化

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米沢の歴史を見える化

 この書は第二次世界大戦中の食糧難にも注目を浴び、何度か復刻
がなされている。

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