2009-11-15 13:00:04
補足vol.27
テーマ:ブログ
エッチめ!イェッ!宍戸某です。
スカー
蛇の名を冠する者達、通称蛇冠名の長。
四神、神の口に比肩する力を持っている。
敗北者達を扇動することに非常に長けており、世界中に信奉者、属者が存在する。
年齢不詳だが、数々のスカーに絡んだ話が相当な時期に及ぶことから、
かなりの老齢か、世襲か、最早敗北者達のコミュニティを指すものか、その属者を呼ぶものなのか、様々な憶測がある。
しかし、かなりの数にのぼるスカー信奉者、属者の誰が正式にスカーなのかという答えは無く、それら全てが“スカー”と呼ばれて正しい、というのが一般的である。
そしてスカー信奉者、属者は自分に蛇の名を冠することが習わしであり、それらは何を冠しようと自由で、スカーと自称しても構わない。
スカーとしての意思がある者も、スカーと呼ぶからである。
しかし、前述の通りに本来のスカー個人も実際に存在していた(している?)ことも忘れてはならない。
発表時期が昔々と呼べる程だが、初期の著書「二縛の法則」(後に三縛、四縛となるが)から見れるのは、
夢破れて悪人に堕落した若者が、同情と救いを求めるものの、既に野晒しになり死様を見せるしかそれらを得る手段が無い…
という、現在のスカーの基本思想「蛇鳥」の基礎の前形である。
これがスカーの自伝…という確証は無いが、その後発表されるものは全て、
“何故夢破れたか”
“何故堕落したか”
“何故同情と救いを求めるか”
“何故死様を晒す道しか無いか”
の四点から話を広げたものである場合が大半を占める。
今となれば「蛇鳥」とくくれる話であるし、
あくまで他人を鳥と見なし、自分を蛇と見なし、世の中を罠と見なし切ったスカーらしい話でもある(何故…の部分は完全に、優秀なる他人と罠だらけな世の中のせいと断言しているし)。
よって、今現在スカーと言って、元になった個人を指す場合は、
この「二縛の法則」の著者を指す。
そして、スカーの信奉者、属者に共通するのは、
妄執、憎悪、嫉妬、猜疑といった一般的に負と言われる心の状態を継続して維持していることである。
単に背景として抱える者(タイパン一門)から、
その状態にあることを目に見えて自他へ分かるようにしておく者(ユウスケ・シツイシ)、
その状態にあることこそが“蛇”であると積極的に求める者(ユウ・フトウ)、等々様々存在する。
(ユウスケ・シツイシ、ユウ・フトウはイドの使い手としての名である)
よって、スカー信奉者、属者に否定は禁忌である。
個人にしても一枚岩で無いようなことを世界中のスカーが共有し、最早信仰に達しているところへ“鳥”が口をはさむのは冒涜に等しい。
鳥、と言ったように、世界中のスカーは、自分のもたないモノをもったスカーでない存在と自分達の間に明確な線引きをしている。
生まれながらに空を飛べることが約束され、空を飛ぶためと空を飛び続けるための苦労しか知らない…さながら“鳥”の如き連中だとしか見ていない。
その鳥のつくった鳥のための鳥の掟が蔓延る鳥カゴ…と化した世界を浄化せんとする過激派も存在する。
その一方、五毒の一であるストークと、女史率いる“黒い蠍”、
四神玄武の内、蛇の名を冠する者、
四神青龍の内、龍の名を冠さない“蛟”と呼ばれる者、
これら三つとは身内のような関係で、対等な存在と認めている。
最後に、
現在、スカー、スカー全体に重大な問題がある。
いわゆる“鳥”の生活を擬似体験(主に視覚、聴覚)するという娯楽が、高い質と多大な量を持って蔓延った結果、
スカーであることを忘れてしまったスカー達が溢れてしまっているのである。
その擬似体験、開発製造元の神の口に言わせれば“夢見る道具”だそうだが、
ピンポイントで購買層に設定した活動妨害、抑止力ではないか、とスカー内では批判の声が上がっている。
“お前にそんな設定は無い”“そいつが話しているのはお前では無い”と、娯楽に浸かったスカーにはそんな注意文が届くらしい。
しかし、その注意文が入った封筒には、悲しいかな娯楽に浸かったスカーの描いた非常に可愛いマスコットキャラクターが印刷されており、
それにゴーサインを出したスカーは最早内部崩壊しているのではないか…という見方が強い。
思想の根源と活動の内容は変わらない、とは聞くが。
スカー
蛇の名を冠する者達、通称蛇冠名の長。
四神、神の口に比肩する力を持っている。
敗北者達を扇動することに非常に長けており、世界中に信奉者、属者が存在する。
年齢不詳だが、数々のスカーに絡んだ話が相当な時期に及ぶことから、
かなりの老齢か、世襲か、最早敗北者達のコミュニティを指すものか、その属者を呼ぶものなのか、様々な憶測がある。
しかし、かなりの数にのぼるスカー信奉者、属者の誰が正式にスカーなのかという答えは無く、それら全てが“スカー”と呼ばれて正しい、というのが一般的である。
そしてスカー信奉者、属者は自分に蛇の名を冠することが習わしであり、それらは何を冠しようと自由で、スカーと自称しても構わない。
スカーとしての意思がある者も、スカーと呼ぶからである。
しかし、前述の通りに本来のスカー個人も実際に存在していた(している?)ことも忘れてはならない。
発表時期が昔々と呼べる程だが、初期の著書「二縛の法則」(後に三縛、四縛となるが)から見れるのは、
夢破れて悪人に堕落した若者が、同情と救いを求めるものの、既に野晒しになり死様を見せるしかそれらを得る手段が無い…
という、現在のスカーの基本思想「蛇鳥」の基礎の前形である。
これがスカーの自伝…という確証は無いが、その後発表されるものは全て、
“何故夢破れたか”
“何故堕落したか”
“何故同情と救いを求めるか”
“何故死様を晒す道しか無いか”
の四点から話を広げたものである場合が大半を占める。
今となれば「蛇鳥」とくくれる話であるし、
あくまで他人を鳥と見なし、自分を蛇と見なし、世の中を罠と見なし切ったスカーらしい話でもある(何故…の部分は完全に、優秀なる他人と罠だらけな世の中のせいと断言しているし)。
よって、今現在スカーと言って、元になった個人を指す場合は、
この「二縛の法則」の著者を指す。
そして、スカーの信奉者、属者に共通するのは、
妄執、憎悪、嫉妬、猜疑といった一般的に負と言われる心の状態を継続して維持していることである。
単に背景として抱える者(タイパン一門)から、
その状態にあることを目に見えて自他へ分かるようにしておく者(ユウスケ・シツイシ)、
その状態にあることこそが“蛇”であると積極的に求める者(ユウ・フトウ)、等々様々存在する。
(ユウスケ・シツイシ、ユウ・フトウはイドの使い手としての名である)
よって、スカー信奉者、属者に否定は禁忌である。
個人にしても一枚岩で無いようなことを世界中のスカーが共有し、最早信仰に達しているところへ“鳥”が口をはさむのは冒涜に等しい。
鳥、と言ったように、世界中のスカーは、自分のもたないモノをもったスカーでない存在と自分達の間に明確な線引きをしている。
生まれながらに空を飛べることが約束され、空を飛ぶためと空を飛び続けるための苦労しか知らない…さながら“鳥”の如き連中だとしか見ていない。
その鳥のつくった鳥のための鳥の掟が蔓延る鳥カゴ…と化した世界を浄化せんとする過激派も存在する。
その一方、五毒の一であるストークと、女史率いる“黒い蠍”、
四神玄武の内、蛇の名を冠する者、
四神青龍の内、龍の名を冠さない“蛟”と呼ばれる者、
これら三つとは身内のような関係で、対等な存在と認めている。
最後に、
現在、スカー、スカー全体に重大な問題がある。
いわゆる“鳥”の生活を擬似体験(主に視覚、聴覚)するという娯楽が、高い質と多大な量を持って蔓延った結果、
スカーであることを忘れてしまったスカー達が溢れてしまっているのである。
その擬似体験、開発製造元の神の口に言わせれば“夢見る道具”だそうだが、
ピンポイントで購買層に設定した活動妨害、抑止力ではないか、とスカー内では批判の声が上がっている。
“お前にそんな設定は無い”“そいつが話しているのはお前では無い”と、娯楽に浸かったスカーにはそんな注意文が届くらしい。
しかし、その注意文が入った封筒には、悲しいかな娯楽に浸かったスカーの描いた非常に可愛いマスコットキャラクターが印刷されており、
それにゴーサインを出したスカーは最早内部崩壊しているのではないか…という見方が強い。
思想の根源と活動の内容は変わらない、とは聞くが。




