- 1982年6月発行の集英社文庫。2008年11月に改訂新版として再発行され、文字が大きくなった。そもそもは、1977年6月河出書房新社発行のものを集英社文庫に移植したということのようだ。『広瀬正・小説全集』は全6巻で、このところ毎月、改定新版が順次発行されてきたようであり、この作品は第5巻ということである。
- 実は、広瀬正を読むのは、今回が初めてである。気になる作家ではあったのだけれど、SFというジャンルは避けたい気持が強くて、つい素通りしてしまっていた。今回は、タイトルに惹かれて、SFではなくミステリーであるらしいと見当をつけて、読み始めてみた。
- だが、結論を先に言えば、ゆるいミステリーという感じで、『T型フォード殺人事件』にはあまり感心しなかった。著者はクラシックカーの模型制作で生計を立てていた時期があるらしく、T型フォードに関する薀蓄はさすがであるし、模型制作のための工具にもこだわりを感じさせて、そういう細部には興趣が湧くのだけれど、肝心の殺人事件は底が浅く、学芸会の演劇を見ているような単調さである点が不満である。実際、この作品はT型フォードがクラシックカーとして披露される現在時間と、まだそれが新車であった大正14年とが描かれるが、現在時間は泉邸での一夜に終始しているので、一幕物の芝居を見ているような錯覚を覚えるのである。
- 泉邸に集まったのは、作家の白瀬、大学助教授の早乙女、自動車修理の名人という曽我、フォードの以前の持ち主で医師の疋田、泉と娘のユカリ、その婚約者のロバーツの、計7名である。疋田家の車庫で長く眠っていたT型フォードを泉が譲り受け、曽我に依頼した復元修理が完成し、その披露が行われるのだ。
- ところで、このT型フォードには忌まわしい過去があって、46年前、疋田医師の叔母の婚約者が殺害され、その車の運転席で発見された。当時の車の構造上、ロックされた車内はいわゆる密室であり、死体が車内に存在したことは謎であったが、どうやらそれは解明されないままであったらしい。犯人として逮捕されたのは疋田家の書生の馬杉で、彼は拷問の末に自白に追い込まれたのであり、結局は刑に服したのだが、いまから思えば真犯人であったかどうかも不明である。
- 泉はT型フォードの披露の名目で、46年前の密室殺人の解明を試みる。そして、そこで新たな殺人事件が起きたかに見えるが、実はそれは狂言で、それによりようやく46年前の真相が明らかになってゆくのだ。当時の馬杉も、さらにはその事件の真犯人も、当夜の泉邸には集合していたのである。
- かなり強引な展開であった。それに、現在時間の語り手はずっと作家の白瀬の「私」であったのが、終章では突然泉の「私」に代わっていて、読者としては戸惑いを禁じ得ない。それが物語の着地のために必要であったとしても、ミステリーとしてフェアであるとは思えないのである。期待を抱いて読み始めただけに、残念な結末であった。
- 併録して『殺そうとした』『立体交差』の短編2編が収められていて、むしろこちらのほうが面白かった。特に『立体交差』は著者が得意とするタイムマシンもので、しかも結末が二通りあるのが何とも不思議な作品である。SFを食わず嫌いせず、著者の代表作である『マイナス・ゼロ』や『鏡の国のアリス』を読んでみようかという気にさせる力を持っていた。
- 2008年12月9日 読了
テーマ:その他(近代・現代)


