よんぶんのいち・メル会



長篇ドキュメンタリー「ご縁玉」は、大分で<いのちの授業>を続けてきた山ちゃんこと、山田泉(元養護教論)とベトナム孤児としてフランス人の養父母に育てられ、今や国際的に活躍するパリのチェリスト、エリック-マリア・クテュリエの交流を描いた作品です。エリック-マリア・クテュリエ(35歳)は、パリ旅行中の乳ガンを患う山ちゃんから渡された五円玉に引き寄せられるように、山ちゃんの住む大分へ旅立つ。山ちゃんはガンを再発してから<いのちの授業>で、命の大切さを子供たちが考える場を作ってきた。
1枚の五円玉がもたらした縁が、チェロの音色や大分の自然とともに観ているものの胸を響かせます。

パリと日本をつなぐ『ご縁玉』―――山田泉
 1枚の5円玉がパリと豊後高田を結んだ…そんな不思議な物語ができあがりました。
 昨年の5月に乳がんがリンパに転移し、医師から「今のうちに好きなことをしたほうがいい」と告知を受けた私は、頭がクラクラするほどのショックを受け、家に帰り、「これからどうしよう」と泣いていた。
 すると、フランスに住んでいる乳がん友達から1本の電話がかかってきた。転移したのなら、早く遊びにおいでよ、というお誘い。早速、大学生の息子と娘とともにフランスにいくことに決めた。アンジェという町の美しさを堪能し、パリへ。そこで京都から来ていた友人に紹介されたのが、彼エリック-マリア・クテュリエだった。クラシック・現代音楽の分野で注目されているアーティストといわれてもよくわからず、おいしいワインを飲みながら、バッハの無伴奏組曲を聴き、幸せ気分を堪能した。日本へ帰る前夜、お別れにエリックから扇子をもらった。お返しに「ではご縁がありますように。この5円玉をどうぞ」と渡した。そして3ヵ月後、彼は5円玉をもって本当に我が家へやってきた。がんの痛みが少しでも和らぐようにとチェロを持参し、セラピーを毎日してくれた。
 そんな話が映画になった。パリでも上映され、好評だったようだ。1万キロ離れた5円玉の物語。日本での上映はこれから。よかったら是非見てね。


山田泉さん

大分県豊後高田市生まれ。1979年から養護教諭の仕事に就き、県内の7校の小・中学校に勤めた。2000年2月、乳がんを発症し休職。乳房の温存手術後、放射線治療、ホルモン療法を受けた。
2002年4月に復職し、自らの体験をもとに「いのちの授業」に取り組んでいたが、2005年11月に再発。再び手術を受け、休職。2006年10月に復職したが、体力の限界を感じ、2007年3月退職。

退職後も、全国各地の学校に招かれ講演会などを続けていたが、2008年 11月21日 大分市 内の病院で死去した。49歳だった。