長らくのご無沙汰を

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ほんとうに長いこと、ここにアクセスしてませんでした。

単にPCの前に座る(でかいデスクトップなのでノートPCやiPadのような機動性はない)余裕がなかった、とか、スマートフォンなどの端末のほうが便利で、ついついそちらに……、という理由でもあります。

なにより、なんだか勢いで書き始めてしまった、たいして愉快でもない話に、われながら辟易してしまったから、ということです。
というわけで、一連の愉快でない話は削除しました、してはいけないことかもしれませんが、どうぞお許しください。
特定の誰かを非難するつもりで書き始めたのでもなかったし。
ただし、書いてわかったことがあります。
それは、意識している以上に、私自身のどこかがダメージを受けていたのだな、ということ。
世間ではよくあるセクハラ(パワハラ?)の、それもごくごく軽いものであったろうにも関わらず。
自らが弱いと言うべきなのでしょうが、以来、あの「ギョーカイ」に近寄る気がなくなりました。
ま、それもよし。
勉学はどこででもできるものだし、ちょうどいいタイミングで家人転勤のため引っ越ししたし。

書斎というには片づいてなさすぎるものの、また深夜にここに籠もって寝酒とともにクダを巻くことにします。

本の話、文具の話、それからそれから……、とにかく愉しい話にします。

長らくのご無沙汰を経ての、ご挨拶です。
まだ忘れられてなかったら、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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タイトルは、どなたかの歌のタイトルをもじっただけで、ほとんど意味はありません。
「長い」ということで、「最も怒った」ことをお話ししようかなあ、と思いついただけです。

年を重ねると、あのときもっと怒ればよかったのに、とか、「訴えますよ!」ぐらいの言葉は発してもよかったかも、というような出来事は、さすがにいくつか遭遇するものですが、OこりっぽいO型の私はOざっぱすぎて、「そのときしかない」というタイミングで怒りを顕わにすることができない。
頭に血が上るのか、むしろその場ではトンチンカンなことを言ったりしたりして、帰ってきてから、深く、深く、深く悩む。

(ここから先は根にもつタイプだから、しつこい)。

まず、可愛い昔むかしの出来事を。
私は、修士論文を書いた。
時間はかかった(…ああ、恥ずかしい、恥ずかしい、何年もの間、クリスマスもお正月もなかった…)けれど、吟味を重ねたもので、最終諮問にも通った。
それまでのレポートや卒論や研究会の発表などとはわけが違う、正式に学術論文として発表しなければいけない、いや、それをしていいと初めてその権利を与えられるのが、修士論文が認められるということだった。
今後、研究者として認めますよ、ということでもあった。
文章を彫卓し、掲載媒体に合わせた文字数や章立ても考慮に入れなければならない、もちろん内容の再吟味も。

必死の私に、あのころの先輩(さほど大きくはない研究室の先輩だったから、あまり無下にはできなかったのだけど)が、「あの論文、研究室のワープロに入れ直しといてあげたから、ちょっと表現を直したけどね」。



!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

怒りました、怒りました、烈火のごとくに。

「ワープロ」というのが時代を感じさせるアイテムでして、ちょうどいろんな過渡期のあの頃、研究室のワープロと私のワープロ(初代)とのメーカーが違えば、互換性はあまり期待できない、そういう時代だったのですな。

ここだけの話、富○通の親指シフト、私は鼻で嗤っていました。
ワープロといえばSHARP派だったのです。
そもそも「手書き」(ブラヴォー!!)で書き上げたものを入力しただけです。
研究室の入力フォーマットに従わなければならないというのなら、自分で入れますよ。
出来上がったものを200枚程度入れるだけです、大丈夫です。

それを、「先輩」(はっきり言いますが、特定の、ということですね)は、「君の手間を省くために僕が初稿から入れ直しといてあげたよ、文章も直しながら、ね」って。
……。

「そんなことしないでください!
どれほど稚拙かしれないけど、ひとりの人間が学術論文として認められ、世に問おうとしてるものを、こちらからお願いしたわけでもないのに、勝手にいじらないでください! 
私は認めません。
申し訳ありませんが全部自分の責任で戻します。
今後一切このようなことはしないでください!」
前後の事情あって、この台詞は大学図書館からの電話で話したのですが、あとで「……、めずらしく怒ってたね~」と、図書館仲間にからかわれてしまいました。
だってさあ~……、と、そのときはちょとした愚痴を聞いてもらいましたが。

……つらつら思い出すに、やはり彼は、してはならぬことをしたのです。
誰かが(それなりに)全霊を掲げて書いたもの、そしてさらに指導教官や教授陣が諮問で認めたものは、どれほど未完成で稚拙なものであれ、その「表記を直す」なんてことは、他人が無断でやっちゃいけないんです。
(今でもこれは正論だと思っています)。

その、件のご仁の「直し」は、そのときの私に言わせれば明らかに「改悪」でありました。
彼独特の言い回しに引かれて、そのために何のことやら……特に接続詞と副詞が意味不明。
「論文ストーカー」ですねえ。

断固、抵抗しました。
彼は研究室の先輩だったから、私のこういう抵抗も認められた、というものです。
私の指導教官、そしてその上の教授は、もちろんのことこんな低レベルな(と、敢えて言います)アドヴァイザーではありませんでした。

そんなことについては、またいずれ。

ともあれ、あの「おせっかいストーカー先輩」(もちろん私の論文に興味を示してくれたということについては感謝のようなものを覚えないわけではありませんが……、でも、ダメだな)からは、しっかりと自分の論文の構造と言葉遣いを取り戻し、まあ、そのために電話を通して(居合わせた人にはすべてわかるぐらい)「今、ほんとうに怒っているのだぞ、ワタシは!」という「気」を伝えられただけでもいいかな、あのときは「いちばん長い日」とすら思われたけれど、今となってはちょうどいい塩梅だったのでのではないか、と思われるほどの一エピソードです。


でも、ウサギは、今でも言う。

どんだけ下手くそかボロボロかしらんけど、そもそもあんたに私の書いた大事な文章に手を入れる権利は無かろうもん!
私の先生の「朱」は、これはもうどれほど立ち直れないくらいに真っ赤っかになって返って来たとしても、きっちり受けるし、「それでも…」ということがあればちゃんとお話しするよ、そこで戦うよ、私はそれができるよ、するよ。

だから、Tさん(言っちゃった…?)の見当違いの「添削」は、要らないのです。
はっきりとお断り申し上げます。
ほんとに、見当違いです。
要らんお世話です、有り難迷惑を通り越してます。
ごめんなさい!!


……、と、その後いささかの間研究室でなんとなく微妙な空気が流れるのは覚悟の上で、私はこのKY(と言うべきか?)なる先輩を、しばらく無視したのでした。
周りはおおよそのことを察して笑ってくれましたが、誰かを無視するなどというのは、やはり気持ちのいいことではありませんでした。

タイトルの「ウサギのいちばん長い日」でなら、あといくつか綴れそうです。
次は、今回のような恨みがましいものではなく、心から感謝する先輩について、など。
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アナログ……

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新年の皆様方のご健康とご多幸を、心からお祈り申し上げます。
本年もなにとぞよろしくお願い致します。


昨年後半は、日々の生活のリズム(というか何というか、たいしたことなくても住まいを変えると面倒瑣末煩雑なことは多い、日常生活とはそういうもの)を整えることに腐心し、わが部屋は後回し、後回し。
作業机であるはずのデスク(面積は大きいほうであろうと思っている)のパソコンエリア(この周囲はなんとかスペースを確保した)以外には、ノートと本が高さ4~50センチほどの塔が何本も築かれ、不穏に「斜塔」している。
机の下にも本の山(林)が林立、その他床にもまだ「開けるべからず」の引っ越し時の段ボールが5つ、が机を取り囲んでいる。
新しい本棚も「これ」というものを注文するタイミングが見極められず、昨年ほんまもんの後回しになりました。
何度も迷ってメジャーで測って、材質も幅も奥行きも高さも棚板の数も、これで完璧だろうと注文したのがすでに12月。
クリスマス連休は、棚設置と配架(の前段階)に費やしました。
ここまでくれば、ここから先は私の好きな「配架狂」信者の作業です。
面倒くさかろうが腰が痛くなろうが椅子から落ちそうになろうが、長くかかろうが、すべてわが愉しみにて。

実は、少し前までは、どうせ新しい本棚を入れても、また地震で崩れるんじゃないの?という思いがいろんな決断を鈍らせていました。
それが私にとって最大の「不安」でした。
ですが、そういう「ジツブツの本」がどのような状態であろうとも整然とお洒落に「本棚」に好きに蔵書を並べていける…はずの場所がある、……そう、いろんな種類の読書サイトという夢のような場所があるのに、「たなぞう」サイト終了とともに、いくつかのサイトにアカウントを取ったというのに、私の場合は目の前の「ブツ=本」が或る程度リアルに整理できてないとサイト内の整理もできない、という、トンデモアナログ人間であることを、この度自覚し、皆さまにも露呈しつつあります。
いわゆる読書サイト、ここんとこほとんどまともな更新をしていません。ごめんなさい。

もちろん読んでもますよ。
更に、積ん読を厭わない私です。
これは読みたい、ぜったい読む、読まない間だってここに置いておきたい(よしんばその前に私がこの世からいなくなったって、ぜーんぜん、かまわないよ!)、……、そういう本を注文したり衝動買いしたりしてますから、わが積ん読コーナーは、私には「お前たち、待ってろよ!」という最も魅力的な一角。
あるいはその日の気分で読もうと思って買ってきた本と「積ん読コーナー」は必ず繋がります。
だから、読みますよー、今年も! 昨年よりも!!
書店でも図書館でもない自分の部屋で「あ、今日から数日はこれを読む(読み返す)ことにしよう」と決めて、枕の傍の小さな棚にそれら何冊かを重ねる、この愉悦!

「積ん読」だけじゃなく、岩波の赤帯(ほとんど揃ってる?)や、ちくま文庫、新潮・角川文庫なども気になればすぐに引っ張り出してきます。

そうやって、私自身の中の有機的な繋がり(極々個人的な)の網をもっと張り巡らそうと持っています(そのたびに、書棚の配架の具合は変化する)。
網を張り巡らすと言えばアラクネでしょうか、あるいはその日のうちに織った布を夜を徹して解くぺーネロペイアでしょうか、それとも。
そんな私にシゲキを与えてくださる、あちこちの読書コミュニティ始め、様々な手段で知り合うことを得た、まだ見ぬ「読むの好き!」な皆様方、今年も私に面白そうな本のことを教えてくださいませ。
私はウサギのわりには(ウサギだから)、「スタートダッシュとラストスパートはそこそこ、でも途中の昼寝だーい好き。で、どこが悪い? 別に、亀に負けてもいいんだもん、亀あっぱれ!」というような、正統なる不良ウサギですから、どうぞお許しください。

新しい本棚設置の勢いで、新春早々、いくつかの厳選本を「ポチ」で仕入れました。並べてみます。
これで春先まで、私の読書ライフは充実きわまりないのだ~、と感じられますが、さて。
棚を整理して配架しつつ、「ブクログ」なんかにはゆるーく感想など述べていくことになるかもしれません。

どうぞご寛容のほどを。


「本」(の「書評」にはあまり載録されることのない「モノ」としての佇まい)については、また次に。
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私事ですが(って、ここに書き散らしていることはすべて私事戯言ですが)、この住まいに越して半年が経ちました。
まあ「とりあえず」でいいだろう、と先送りしてきた事どもに関しても、「なかなか片づかなくて…」なんて言い訳がきかなくなりつつあります。
辛うじて言い訳ができるとすれば、「季節をそれぞれ一度ずつ過ごしてみないことには…」ということでしょうか。
冬場、どこがどのように冷えるか、そのために必要なものは何か、家具の配置などはこれでいいか、など。
ひと冬過ごしてみないことには決められない。
……なんていう、つまりは言い訳ばかりです、って話です。

ここに新しく本棚を設置しよう(前の棚がひとつ壊れたし)、それから納戸のような季節外のものを置ける場所には整理しやすいように組み立て・解体の容易なシェルフを計測して注文しよう、と、これは早いうちに決めたにも関わらず、カタログを眺めたりメジャーで繰り返し計測したりして、まだ「ご注文」には至っていません。

そういうその場凌ぎを続けているので、こないだついに、「いつまでも片づかない!」と叱られました(といって、あんたのほうがよっぽど片づけ下手じゃないか! というような口答えを我慢できるほどには、私もオトナになりました)。
納戸(不動産屋さんの間取り図には「ウォークインクローゼット」という洒落た名前がついていたが、私の本部屋に付随している限り、納戸でしかない)はともかく、空いている壁には慌てて本棚を買って設置しなくても、その壁際に本の山を積み上げてていいんだけどな、半年ぐらい、こんな景色苦にもならんのにな……。
ときどきTVで話題になる「片づけられない女」の部屋ほどではし、ちゃんと分別してゴミ出しするくらいの分別はあるし、「衣食住」に関してはちゃんと機能しているから、私のこの空間ぐらい「見逃してくれ~」という気分でもありました。
実は、わが脳内ではね、ちゃーんと片づいているんです。
この机はここじゃなくてこっち向きにしよう、PCの配置も変えよう、そして壁は本棚にして、ここにこのキャビネットを置こう、あの椅子もここに持ってこられる。
…などなど、しばらく過ごしてみて、窓の位置や日当たりなどから考え抜いたレイアウトはばっちり、なのです。
ただし。
そのためには、まずこれをここに移動させてその次にここに無理矢理仮の空間を作ってモノを仮置きし、そうした後に厳選した本棚(を買ってそれが届くことが前提)を設置し、これらを並べて、そして……。
…………。
今月は何かと細切れに忙しいから来月にするか…。
と、何かと時間がかかる。
人生短いのだから、と仰るむきもありましょうが、人生いつだってその半ば、と考えることもできます。
なんだかゴチャゴチャ片づかぬままにあれこれ考える時間も。私は嫌いではないのです。
度を越して不潔だといういのでなければ、それでよいではないか。

以上は、無精者の言い分です。


以下、本題(いつも本題のほうが短い、枕でっかち)。

あれこれ言い訳は並べたものの、どちらかというと私は、「ここに本棚をひとつ置いていい」となると待てない性分なのです、本来。
状況が許せば、すぐにそれを実行してしまいます。
今般、なかなかそれができずにいるのは。
やはり、地震の影響だと思われます。
人並み以上に地震を恐れているわけではない(と思っています)。
いつどこで、どんな天災に見舞われるかもしれぬ、と、これはずっと以前から自らに言い聞かせてきたつもり、でもあります。
天災どころか人災、もしくは戦乱・殺戮、といったことまで含めて。
ですが、今般の地震は余震の頻度と震度が酷く、たかだか数箇月やそこらで安堵できるものではない、と、これは身にしみました。
あんまり片づいてないけど、また大きな地震がきたらどうせ崩れるんだろうし。
そんな気分が支配していたことは認めます。

けれども、それよりなにより。
地震から二箇月経ったとき、三箇月、そして半年。
それぞれ、自らに問いかけましたが、私はまだ、号泣してはいない。
最初のうちは、まだ泣くわけにはいかない、と自覚していました。
それよりも、泣きたくても涙が出ませんでした、それどころじゃなかった。
色々な報道を目にして涙が滲んだりべそをかいたりしたことは幾度もあったけれど(それはほとんど毎日だったけれど)、泣いてる場合じゃないし、泣きたくないし、泣けないし。
泣き虫のヨナキウサギを自称する身としては、モンダイではあります。
どこかで(できれば誰かの胸にすがって)、意味もなくオイオイ号泣したい。
したいと望んでできるものではないから、些か始末が悪い。
「泣ける本」(と銘打ったもの)なんか、クソくらえ(失礼!)、そんな涙じゃないんだよ、と言いたい。

今、机の斜め前に見えている白い壁、ここに本棚を設置して本を配架する時までには(近いうちに)心置きなく号泣しようかな。
誰かの胸にすがって、と言いはしましたが、やっぱりそれは恥ずかしいので、誰もいない、誰も見ていないところで、存分に。

とっくの昔に、もう号泣する準備はできていた、のにねえ。
こういうことを書けるようになったというだけで、ようやく一歩前進、です。
でも、ほんとうに、どこかで号泣しなきゃ、もう一歩、踏み出せないような気がする。
CDの話

手元のCDはアルバムタイトルだけを数えると2千枚弱(?)、ちゃんと数えたことはないのですが、幅90㎝高さ170㎝ほどの専用棚におおよそ入って、その他ごちゃごちゃは周りに積んだりCD用引き出しに入れてキャビネットに入れたり…などなどで、ほぼ一カ所にまとめていました。
またまた地震の話ですが、この棚の中身が最も派手に遠くまで飛んで(CDそれぞれは軽いからねー)、私もケースが割れなかったのを幸い(割れてたのもけっこうありましたが)、ともかく順番考えず、棚に戻しておきました。
引っ越し屋さんは、それを丁寧にまた戻してくれましたが、そもそもがゴチャゴチャだったわけで、しかも輸入版CD(うちはそれがほとんどです)の上下なんか背ラベルじゃよくわからないから、ことごとく逆さまに並べられてしまってました。
さすがに半年以上そんなままではいけないか、と、大雑把に分類して元に近い形に並べようとしたところが。

以下は、棚に占める各CDの割合。
バッハが上から3段、ヘンデルが1段半、スカルラッティやテレマンやヴィヴァルディ、コレッリなどその他バロックが1段半、もっと古い音楽が1段強、古典派・初期ロマン派が1段、後期ロマン派が一段、その後の現代音楽が1段。
それに加えて、私の局地的趣味である「イベリア半島の音楽」「キューバの音楽」「わたしの3大ホセ」などナド…様々、でまた1段。
それとは別に、「JAZZ」「落語」と分けたCDもたくさんある……。
……どんだけ偏ってるんだ……。
さらに、ここに分類できない、でも魅力的なたくさんの音楽。
あ、それから単なる情報にすぎない、かといって廃棄するわけにはいかないCDの数々。
以上のほとんどは、iTunesで管理していますし、持って出たい種類の音楽はiPodのプレイリストにしてはいますが。

うちの中で最も心地よく良い音の聴ける場所(最もまともなオーディオをセットしてる場所ということですね)の近くにこれらのCD音源をまとめておくのは当然のことです。

そうではない私の部屋は、せいぜいONKYOのミニコンポ、そこにiPodのをそのまま飛ばしてもいいし、iPod用の小型スピーカー(頑張ってJBLのを選んだら、これは私が小さな音量で聴く音楽とかかなりいい相性だった)もあるし。
あるいは、iPodから直接ヘッドフォンで音楽を聴くときもあります(切羽詰まったときなどに)。
そのときは、厳選したAKG のヘッドフォンです。ポータブルで小振りの安価なものですが、さすがAKG、文句はありません。

……なんていう自慢にもならぬわが屋のAV情報、失礼しました。
現在私は、自室の机の上でiPodからJBLのアクティブスピーカーで音楽を聴くか、あるいはAKGのヘッドフォンで詳細なニュアンスを確かめているかが主である、ということです。

居間のメインのスピーカーは「スペンドール」というイギリスのものです。
これはバロックやロマン派の室内楽やピアノ独奏曲などに最も威力を発揮します。
ごく最近のクラスター音楽なども、繊細に再生します。
これは気に入ってはいますが、「居間で優雅に音楽を聴く午後」なんて時間は少なくて…。

勢い今のところは、もっぱら自分の使いやすいように編集したiPodもしくはiTunes によって、JBLのポータブルスピーカーを鳴らすか、AKGヘッドフォン、ということになります。
とくにヘッドフォン、電車の中なんて劣悪な場所でなく、普通の静かな部屋で聴いてごらんなさい。
気づかなかった各部の繊細な旋律の絡みまで聞こえて、違う音楽に感じられることがあります、勉強になります。

イヤフォン、ヘッドフォンは、もちろんできれば最小限の使用に限ったほうがいいのでしょう、聴覚細胞のためにも。
それでも私が、必要とあらばヘッドフォンを使う理由は、たったひとつ!

市販のイヤフォンは、ほとんど私の耳に入らない(物理的に)!!
私の耳の穴はとても小さいらしい。
(ふん、ひとの言うこと聞く耳持たないからね、耳の小さい偏屈者で何が悪い、フンフン!!)
イヤフォンだとSサイズを選んでも私の左右の耳に均等に収まってくれなくて、居心地の悪い思いをします。
だから、嵩張ってもヘッドフォンを持ち歩きます、まさかそこから音がシャカシャカもれるような種類の音楽は聴いてないし、音量もあげないし。
今般、AKGの新しいコンパクトヘッドフォンを見つけました、狙っています。
「在宅用」には、密閉式と開放型のふたつのAKGのヘッドフォン(それなりの上位機種)を使っています。家人と二人で。
密閉式はヤツの、(半)開放式は私用。
はい、もちろん、違う音楽を別の部屋で聴いてますよ。