くっだらねえ
テーマ:後ろむき歩きな日常まず1つ確実なことは、
僕は掘北真希のかわいさが皆目理解できぬということ。
全くもってタイプにあらず。
そして、僕に開口一番でこんなこと言われて、
堀北真希も、さぞかしいい迷惑だと思う。
あと、今日テレビ見てたらなんかのCMで優香が出てた。
昔は小動物っぽくてすごいかわいかったのに、
えらく顔が変わっててびっくり。
今は何かが狂っている。パースとか。
そして、優香も僕にこんなこと言われていい迷惑だ。
あと、YouTubeでチュートリアルの漫才をみた。
いつのまにかM-1を制していたんですね。
チュートリアルの徳井は男前で面白いのでずるいと思う。
それを深夜笑いながら観てる僕自身は全く面白くない。
面白くないというより、とてつもなくさぶい。
とてつもなくサブいんだけれども、
お笑いの動画を見るのはけっこう好きだ。
気に入ったネタは、繰り返して観たりもする。
でも、何回観ても面白い人にはなれてない。
これって「悟り症候群」な気がする。
お笑いの映像をただ単にめっちゃ見てても、
面白い人には近づかない。
それなのに、たくさんの動画を観た後は、
自分が少し面白くなったような気になる。
これを僕は「悟り症候群」と呼んでいるんですが、
似たような症状の人はけっこういるんじゃないかと
勝手に思っています。
例えば、おいしいものばっか食べてる人は、
料理が上手かというと全然そうでもないし、
優れた映画を10000タイトルみた人が、
よい映画を作れるわけではないし、
音楽史に残る名曲をたくさん知ってても、
いい音楽を作れるわけじゃない。
鑑賞は、消費に過ぎない。
だから、創作(=生産)には直結しない。
無論、消費と生産は全くの別物。
けど、消費を繰り返していると、
不思議と、「自分はこれだけのものを生産できる」っていう
錯覚に陥りやすいのもまた事実。
これってあれだ。
教科書を眺めるだけで、テスト勉強した気になる状態。
とりあえず教科書を眺めた後は、
ざっくり分かった気になって安心できるっていう。
そのくせ頭には何も入ってないの。
まさに「悟り症候群」。
大人になってもこれは変わりません。
例えば僕の場合は、半端に絶対音感なんてものを持っているので、
一度聴いた曲は、なんとなくギターで再現することができます。
すると、なんとなく
「おお、俺ってどんな曲でも作れるんじゃないか」って錯覚に陥るんですね。
でも、できる曲はとんでもなく駄作だったりするわけです。
なぜか。
それは僕が「突き詰める」という作業をしていないから。
他人の曲をカバーすることは、面白いし気持ちいいんですけど、
結局はカラオケとあんま変わらないわけです。
それは、限りなく消費に近い行為なのです。
その結果、「流れている音を再現する能力」は身についても、
「作曲・表現する能力」は少しも磨かれない。
それなのに、カラオケ気分でご機嫌の僕は、
なんとなく、「曲が弾ける=作れる」みたいな錯覚に陥るわけです。
恐るべし、悟り症候群。
なので、鑑賞を単なる消費で終わらせないためには、
「自分なりに消化する」っていう作業が絶対にいります。
メモをとったり、分析してみたり、
連想してみたり、真似をしてみたり。
そうやって自分の身体と脳を動かしてはじめて、
鑑賞したものが吸収されて取り込まれていくんじゃないかと。
ある日、そんな風に気付いたのです。
そして、今日の日記は自分らしくないと思う。






