裏銀座の旅2日目。

4時半起床、5時出発。同宿だった単独行のお兄さんに

見送られ雲ノ平に出発。

彼は昨日まで3日間雲ノ平に停滞していたそうだが、

悪天候でずーーと真っ白だったそうで。

「今日は晴れますよ。いいなあ~」とのコトバにほくそ笑む。


確かに野口五郎の頂上ではこんな朝焼けに見送られ。





朝日に染まる野口五郎岳からのモルゲンロート





とにかく静かな山の朝を独り占め。


 急登の先にある水晶小屋を越え

 雲ノ平を上から俯瞰しつつ


 着いた~。水晶岳。10時なり。


今日の予定は水晶経由、雲ノ平泊まりだったんですが

あんまり天気も良いのでさくさく順調にここまで来てしまったこともあり、

せっかくここまできたんで、温泉沢を経由して高天原温泉に

入ってから雲ノ平まで上がるか。と軽い考えで予定変更。


※高天原温泉とは


北アの山中にある、どの登山口からも途中に1泊挟まないと

辿りつくのは困難と言われる、おそらく日本で一番行きにくい温泉。

ちなみにこのサイトでは交通 富山地鉄有峰口駅よりバス70分後、徒歩11時間


というものすごく何の役にも立たない行き方情報が出ていて大笑い。



 温泉沢に向かう分岐に向かって歩き始めたのはいんですが


途中から高度感もものすごい断崖絶壁になり

ざくざくと一気に高度を下げてうへーこんなにおりるの?とげんなりしていたら



いきなりこんな川にぶつかるし。

水の流れはがんがん激しくなり、指示標もほとんどなくなってきて

あれーこれでいいのかなあ、と疑念は強まるばかり。

しまいには


さて問題です。

ルートを示す右→左の赤丸の間にごうごうと流れる川。

どこを通るのが正しいのでしょうか?(/TДT)/


正解 靴を脱いで水の中を渡る (泣)


たしかに地図上では点線になってて、「熟達者向け」とは書いてあったような気がするけど。

降り始めと降りた後の標高差とともに、その辺のことはろくに読んじゃあいないワタシ。

でも、昭文社の地図には川なんぞ載ってなかったぞゴラア!

幅20メートルもあるような川なんですが。ヒドイ。


それにしても歩けども歩けども、上のようなたび重なる渡渉により

コースタイムはとっくにオーバーしているのに、全然高天原小屋の気配も

見えてこない。


これは絶対道に迷ったよ~。どうしよー。

お日様は暖かく、青い空と冷たい水の流れ、鳥の鳴き声もよそに

一人で半泣きのワタシ。


と、不意に鼻腔に飛び込んできた硫黄のニオイ!

高天原温泉だ!



  川っぺりにいきなり現れる掘っ立て小屋のように見えますが

  ちゃんとかけ流しの硫黄泉



 女性専用風呂も親切についており


 つくりはなかなかワイルドですが無問題。



普通はお風呂抜きで過ごす山の中で空を眺めながら

草津温泉も真っ青のかなり硫黄のこゆい、結構なお湯に

つかりながらぼーっとしている幸せ。

さっきまで半べそかいていたのも忘れて1時間半ほどぼーっとすごす。


隣の混浴風呂には人の気配がしますが、女湯は完全に貸切です。

ああ~、し、至福うう。

のぼせると一度外にでて、しばらくしたらまた入る~

をひたすら繰り返す。


お風呂があまりに素晴らしくてこの後3時間ほどかけて

雲ノ平へと登り返して今日の宿の雲ノ平山荘へと

向かう本来の行程など当然のことながら

まったく遂行する気すらなくなり

おとなしく高天原山荘に向かいます。




しかし、高天原山荘からお風呂まではこのような山道を片道15分から20分かけて
下りていかなかければならず

いくら「お風呂付きの小屋!」と謳っているとはいえ

ちょっとタイヘンです。まあ、それでもこんな山奥で素晴らしい温泉に

入れること自体に大感謝です。


小屋はうわさどおり全体的に傾いており(笑)

やはり空いてて今日の宿泊予定者は都合8名。



夜になるとランプが灯り、食事を注文した4人と

宿のご亭主とおかみさん6名で食卓を囲みます。


 う・ま・~!!

客は 今夏休みの最中の小屋番のバイトだという20代の女の子1名。

高松からやってきたというおじさん1名。

食事の途中に到着した関西からのおじさん1名。

水晶登頂のあと、その先の牛首岳までピストンしてから

やはり温泉沢を迷いながら降りてきたそうで。

「あの道、わかんないですよね!も~、二度と下りたくない」という

話をしてたら、ご亭主がさすがにちょっと気を悪くされたらしく


「もともとあの道は登山道ではないんです。私が小屋に

来てからあれでもかなり整備したんです。夏には団体さんも通りますよ」

と言われてしまった。スミマセン。


でも、ほんとにあの温泉沢はきつかったよお。。。

ほんとに、地図をもっとちゃんと読もう。コースタイムだけでなく

地形とか標高差とかも読み込めるようにならないと、

と反省しきりの一日でした。


3人ともかなりいろんなところに登っているらしく、

山話に花が咲く。

小屋番女子は、なんと今日鏡平からここまで来たそうで。

CT10時間?12時間?いやーあんたすごいよ。若いっていいなあ。


四国のおじさんはクルマで折立まで走ってきて

そこに停めて登ってきたそう。

登る前に日本列島をかなり横断気味の長旅してます。

そのバイタリティもすごい。


やはり広々ーと部屋を使ってぐっすり眠る。

この小屋に、最盛期はなんと150人の団体が強引に泊まるらしい。

食堂とか玄関とかに無理やりに。当然一つの布団に3人くらいずつ寝たそうでう。

もう一度声を大にしていいたい。

山は9月にごゆるりと。


消灯9時。


高天原小屋は近々建て直しするそうなんで、あの独特の

雰囲気を味わいたいかたは、お早めに!





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報告がちょうど一ヶ月遅れましたが


夏休みを利用した裏銀座の単独山行、今年も行ってまいりました~。

ちょうど昨年、あまりにも素晴らしかった三俣カールの思い出が鮮明すぎて

今回は裏銀座でできることを全て詰め込む!

というポリシーのもと、以下のような行程で強行突破してまいりました。


単独行を心配する相方が登山口まで送っていってくれ、

前日は大町温泉に宿泊したので

移動行程も大幅短縮され、以下のようなルートで歩いて参りました



9月22日 高瀬ダム→烏帽子小屋→野口五郎小屋

9月23日 野口五郎小屋→水晶岳→温泉沢分岐→高天原山荘&温泉

9月24日 高天原山荘→高天原峠→雲ノ平→三俣山荘→三俣蓮華巻道→黒部五郎小屋

9月25日 黒部五郎小屋→黒部五郎岳→太郎平→折立


名づけて 裏銀座全部盛りの山たび。


標高差とか総行程距離とかもう計算する気にもなりません。

50キロ?60キロ?


6時半にクルマが入れる終着点七倉まで到着

単独行とか小雨が振り出しそうな天気とか、相方はものすごく

心配そうですが、毎日定時連絡をすることを約束して、

本降りになる前にとっとと出発

高瀬ダムまではタクシーで10分あまり。

「今日はほとんど誰も送ってないねえー」

との運ちゃんのお言葉に、またもや静かな山旅のヨカン。


コバルトブルーの高瀬ダムの横までクルマを付けてもらい

ちょっと怖いトンネルを通ってイザ登山口に。


いきなり「北アルプス三大急登」の一つ、

烏帽子岳のぶな立尾根、登りCT5時間に取り付きます


行くぞー!

と気合入れておばさま、おじさま合計四人ぶち抜く。


ですが




んが、


ほへ?




道はものすごく整備されてるし


丁寧にゴールまでのカウントダウンをしてくれるし


小雨が降ってて眺望が効かないのはガッカリですが


なにより足元の地面が、火山灰から成ると思われる

海の砂のようなさらさらの砂で

足にもとっても優しい道で


ホームグラウンドの鍋割山やら雲取山を

彷彿とさせるキレイなブナの山道も気持ちよい。


CT1時間半短縮の3時間半で烏帽子小屋到着~音譜




今年初めて3000級の山だし、ちょっと不安だったのだが

意外といけるじゃんわし!と調子付く。


天気がよければ烏帽子岳山頂ピストン

してくるところですが、ガスガスなんでスルー。

しかし昼食休憩しているだけでもかなり冷えてきます。

もう完全に秋山です。









しかし、見事に一人旅です。

懐メロメドレーを大声で歌ったり、自分と会話したりしながらとことこ歩く。

街中では怪しい人ですが、山ではやり放題です。


そうこうしているうちに、今日のお宿


野口五郎小屋に到着 なぜ岩だらけなんだろう・・・。


そうこうしているうちに天気も回復してきて




ブロッケンさんも見えました。


今日が小屋じまいというだけあって、全部で宿泊客7人

女子は私一人で、なんと一人で個室をもらえました。


しかし思うんですが、多分ピーク時にはこの3畳間に

4組用意されている布団がフルで使われるのでしょう

この小屋。


まあ花がもう散っちゃってるとか

すこし寒くなるとかいろいろ問題はあるんでしょうけど


静かにぼーーーーっと下界での

生活を考えたりしながらお山とお話できて

小屋もゆるゆる使える9月は実は、イイ!


と悦に入りつつ就寝。8時。












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ガテン系復帰!!

テーマ:

いやあ、すごい久々の更新です。



ちょっと私事でばたばたしている間に、シゴトも担当換えになりました。


これまでは、比較的消費者に近い、「ああ、あのお店いったことあるわー」

と言ってもらえるようなわりかしB2Cな業界の担当をやっていたんですが


ようやくこのブログの名前にふさわしい業界を担当することになりました!


談合とか汚職とか利権とかのどろどろのにおいがする、あの業界です・・。


デビュー戦は挨拶周りも兼ねて、業界団体の年に一度の総会

パーティで各社トップに名刺を配ってきたんですが


驚きましたわ。


どのパーティでも、冒頭30分は自民党の代議士が

「皆さん、山口補選の●●候補にどうぞ力を貸してください!!」


てな話をひたすら絶叫。


業界の話も、総会に集まった歴々になんらか役立つ話も一切無し・・・。


思えば、いままでやってたエレ●●ロニクス業界も、物売り業界も

政治の力はあんまり借りずに商売できた業界でした。


国と政治の力をいかに動かすか~ということが事業に直結しちゃう

業界って、いやあ、ほんと


脂っこい。そして だっせえダウン



んまあ、そういうところに腐心してばっかいるから

業界としてだめなんじゃね?という話もあるんですが。


もともと、この業界団体だって「戦争で焼け野原になった日本を

再建する」という崇高な使命のもとに約60年前にできたんですけど


いつのまにやらこんな業界になっちゃったんですかね。


まあいろいろ探検し甲斐のある、ある意味日本の病巣的な

一面も研究できるのではないかと思われる業界ですんで


面白いことは随時アップしていこうかと存じます。



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赤福。。

テーマ:

まったく、なんでこうもつい最近取材した会社が


不祥事で全国ネットで有名になるんだろう。






赤福、ですが。




いまは雲隠れしているといわれている


すべての真相を知る


会長につい2ヶ月ほど前に会っております。。






いやあ、その当時はこんな問題があるなんて露知らず。


ぜんぜん違うテーマでのインタビューだったんでゲスけどね。


知ってたらスクープでしたが。。。






この赤福という会社、変わった会社でして。


本拠の伊勢神宮前の門前町が荒廃するのを


見かね、約30年前に当時の赤福の年商以上のカネを


投じて、今で言う「町屋風テーマパーク」の建設を


行ったんですね。




まあ、来街者が少なければ赤福の売り上げも減るんで


自社の利益確保という側面もあったんでしょうけど。






しかし、その果敢な投資のおかげで、


いままで「日本で一番滞在時間が少ない門前町」


と呼ばれていた伊勢の町は、みごとによみがえったわけです。




この前取材に行ったときは、実は東海地方に


台風が直撃するタイミングのときでして、


かなり激しい暴風雨が吹き荒れていたんですが




にもかかわらず門前町はかなりの賑わいで




(っていうか、オマエラ帰れや、この天気じゃ(苦笑)




昔懐かしい日本の町屋の中に、かわらの一枚一枚にまで


工夫や会長のこだわりがつぎ込まれたいろいろな創意工夫が


なされており




うわー、すごい。




と唸ってしまうような、非常に精巧な町ができているんですね。




昔ながらの日本人の暮らしを、若い世代にもう一度


味わってもらうようなことがしたい。




と会長は言ってました。




その姿は、企業人というよりは日本文化復興に


私財をなげうっても取り組む、大御所という感じで


インタビューをしながらもいろいろ頷かされる


ことが多かったんですが






これですかーー。










今回のことで、つくづく企業には


二面性があるもんだと思い知らされた気がします。




人に二面性があるように、企業にも二つの顔がある。




工場の効率性で知られたキャノンの会長が


国会に参考人招致されてしまうように。




そのどっちの顔を見るべきなのか。


どっちの顔がほんとの顔なのか。




見極めるのも記者の仕事でしょう。




しかし、赤福は今後どうなるんだろう。


かなり悪質な表示違反などもやっているようだし


あの会社がだめになると、また伊勢の門前町も


廃れてしまうのではないかと心配です。




なにしろ、赤福一社が立て直した「伊勢の門前町」


なんですから。。。

そうだ、槍行こう。3

テーマ:

9月19日。


2時半。寝たような寝てないような微妙な状況で起き出す。

今日はCT約9時間の長丁場だが、1時半の新穂高からのバスに

乗るためにはこれだけ早立ちしないと間に合わない。


ゼリー食料とカロリーメイトで簡単な朝食をしてから、

ヘッドライトを点けていざ出発。


見上げれば満天の星。

黒い夜空を埋め尽くすかのように輝く、青白い点々が

まるで生き物のように瞬いているさまは、ちょっと恐怖感さえ

感じてしまうほどきれいだった。



くー、こういうのを写真にとるためには

やっぱり一眼レフかついで登るしかないのかなあ。。


夜は渡河は危険と判断して、敢えて三峰蓮華山頂から

双六を縦走するコースを選ぶ。


30分ほどで三峰山頂。遠くに松本市内と思われる夜景がきれい。


さらに尾根道をあるくと、東の空がだんだんこんな感じに。




私は無神論者だが、こういう瞬間に立ち会うと

やはり神はいると感じざるを得ない。


さらにどんどん歩き、双六山頂を目指す。


景色に見とれたり写真撮ったり、それから少し

痛くなってきた足の手当てをしたりしながらなので

双六につくまでにCTを約1時間あまりもオーバーしてしまった。




双六はまーるい山で、そのなだらかな尾根の向こうに

このように槍の穂先が見える風景はなかなか絶景だ。


しかし、ほんとこの裏銀座ルートは、飽きるほど

槍の美しい姿を見ながら歩ける。

難所も特になく、ほんとうに素晴らしいルートだ。


双六山頂を超えて双六小屋に降りるころには

陽射しがもう暑い。まだ7時を回ったくらいなんだが。


この先はほぼ平坦な道が、弓が岳分岐のあたりまで

続く。走りにも近いほどペースを上げてどんどん行く。

最近あまり遭遇していなかった登山者も

すれ違うようになってきて、天上から地上に

降りてきたような感じがする。


鏡平を抜け



河原の道へ。たくさんの登山者が登ってくる。


・・・しかし、今回の山行でもっともつらかったのは

この先だった。。

昭文社地図によると、そこから50分でたどり着けるはずの

わさび平小屋が、1時間経ってもまったく見えてこない。


すれ違った登山客に「あと10分くらいかしらー」と

適当なアドバイスをもらったのも災いして、すぐそこに

あるはずなのに一向に見えない目標ポイント

にいらだち、疲れもどっとくる。


結局着いたのは1時間半後だった。。絶対あの地図変だって!


さらにそこから延々と続く林道歩きだ。これだけ整備されている道なのに

タクシー含む一般車両は通行禁止らしい。

頼むから乗せていって~!と行き交う工事車両にお願いしたいくらい

だった。疲れた足にコンクリの触感がつらい。。


永遠にも思える林道歩きは、不意に林が途切れ、新穂高ロープウェイの

建物が見えたところで途切れた。・・しかし、最後の最後でバス停に

向かう道を一本間違え、少し道を引き返す。

もうバスの時間までいくらも無い。

自分が憎い。


さらに、新穂高バス停の隣にある無料温泉には、3日間の垢と汗を

落とすためのシャンプーも石鹸も無かった・・・。


先客が残していった試供品の石鹸で無理やり全身と髪を洗う。

こんなことならロープウェイ脇の有料温泉に入ればよかった。

またもや自分が憎い。


さらに後日談だが、この無料温泉の目の前にあるドライブインで

シャンプーを販売していたことが判明。ああ、憎い。自分が。


ともあれ、バスに乗り込み3日間過ごした山域に別れを告げる。


山を降りてくる途中で、担当企業が2度目のリストラをするとの

メールを受信してしまい、一気に現実に引き戻される。。


明日からまた仕事。ただ、この3日間の無謀山行は、確実に枯れかけていた

自分の芯になにかエネルギーを与えてくれたような気がする。


ありがとう裏銀座。ありがとう黒部源流。

今度は相方や友人や、私の大好きな人たちを

連れて、また必ず来ます。







9月18日。
どうせ雨でしょ。とすっかりいじけながら4時半起床。
そとは相変わらず、悲鳴のような強風
が吹き荒れている。
だが、予想に反して、暗い雲の隙間からほんのり
ピンク色の朝日が覗いているではないか!



行ける!行けるよ!

五時からの朝食を平らげるころには小屋前から御来光も!

カッバを着こみ、身一つで槍の穂先を目指す。
噂に違わぬ絶壁です。





ただ、ペンキで細かくルートが示されている上、
鎖や梯子(ちゃんと登りと下りが別れている)
もあって、ゆっくり登ればさして難しい岩場ではない。
山頂直下の二十メートルはある梯子はさすがに足がすくむ。
下を見ないように一歩ずつ登る。

着いた!山頂だ!!





後で知ったが、ピーク時にはこの梯子部分で山頂の
順番待ちをしなければならないほど混むらしいのだが、
嵐の後の平日の早朝だからか、先客は数人だけ。360度
見渡す限りに連なる山々をすべて独り占めである。
普通山頂にあるはずの、山の名前を書いた三角点なり
看板なりがなぜか槍にはない。小さな祠が山頂を示す唯一の印だ。

山頂でそのまましばらくのんびりする。

二十分位いたのかな。

関西弁でやたら大声で話しながら登ってくるおばちゃん
集団と入れ替わりに山頂から降りる。

山荘に戻ると、パンが焼き上がっていた。そう、ここは
小屋で毎朝パンを焼いて販売しているのだ。
クロワッサンやデニッシュを昼食用にいくつか買って、
一個紅茶と一緒にいただいてから山荘を出発。
サクサクで激しくうまい。山の上でこんな贅沢ができるなんて~と、
昨日とはうって変わって評価が上がった槍ヶ岳山荘を
後にする。

大半の人が上高地方面に下山していくなか、一人西鎌尾根に

向かう。


この辺は「槍・穂高の展望台」と言われる

そうだが、確かにきつい登りの後振り返るといつも

こんな光景が広がっていて、槍穂高に見守られているかの

ようだ。




尾根道には野イチゴが一杯。もぐもぐしながら歩く。

携帯ではうまく撮れなかったが、ライチョウの大群

(草むらに10羽以上いた!)にも遭遇。




双六からの巻き道を辿っていくと、一面にカールが広がる。

そして黒部川の源流を越えながら、緑の草原に岩がぼこぼこ

林立する風景の中をひたすら歩く。

標高3000メートル近い山で、小川がのせせらぎと

鳥の声しか聞こえない。

周りは四方5キロ位人の気配がない。


この雄大な風景を独り占めです。




・・・なんかラピュタに初めて到着した

シータとパズーの気持ちになったというか、


神様が気まぐれに創った箱庭に迷い込んだというか、


写真があまりにうまく撮れてなくて

がっかりなんですが、

本当に本当に素晴らしかったです。


2時間ほどで今日の宿、三俣山荘に到着。

小屋前からはこんな風景が。

いやあ、贅沢だ。






ハイシーズンには廊下にまで泊り客があふれるという

三俣山荘ですが、この日は一階のみ、約20数名のお客さん。


荷物を割り当てられたスペースに置きに行くと

「あーーーーーーー!」と2段ベッドの上から声が。


なんと、昨日のおにぎりおじさん!!

すごいね、まったく同じルートだったのか~と

二人で騒ぐ。


おじさんは実は自宅も私と同じエリアで

若いころから好きだった北アルプスの山々を、

登っていない山域も含めて登りなおしているそう。

明日は雲ノ平を経て烏帽子に泊まり、さらに翌日高瀬ダム

に降りるフル・裏銀座ルートを辿る予定らしい。

いいなあ、いつか行ってみたいもんだ。


同室のおじさんたちの話だと、この小屋には昨日まで、

私と同様に単独縦走しているテント泊の女性が

ご飯を食べにきていたらしい。

なんと、剱岳から槍までを、

1週間くらいかけて歩いてるんだと。

おにぎりおじさんも若いころに

やったことがあるとのことなんだが

すごいなあ。。というか、

歩行距離だけで100キロあるでしょ。あせる


三俣山荘の夕食は、なんとご飯味噌汁だけでなく

エビフライまでお代わり自由という太っ腹!


山小屋食とは思えないクオリティの

高さで、飲まなかったがサイフォンで

淹れるコーヒーとかも

あるらしい。

スタッフもてきぱきとして明るく気持ちがいい。

昨日槍ヶ岳山荘で会った

同室のおばさんが三俣山荘を酷評していたので

ちょっと不安だったのだが、

個人的には槍ヶ岳山荘よりこっちのほうが

全然好きだ。

小さな小屋なのですぐいっぱいになりそうではあるが、

今まで泊まったところのベスト3に入る小屋だった。


しかも水場が黒部源流という、贅沢きわまりない環境。

川で手足や顔もじゃぶじゃぶ洗ってしまいました。

槍ヶ岳山荘はほとんど水がなかったから、これはとても

ありがたい。石鹸を使っての洗顔も

歯磨きもオッケー。助かりました。


小屋からは赤く染まる槍ヶ岳が間近に迫る。

もっといたい気持ちだが、明日は山を降りるのだ。




いつもなぜか夏の盛りには夏休みがとれず、年休として与えられている

一週間の休みがとれるのは毎年決まってこの時期だ。




とくに今年はひどかった。商売繁盛というべきか

担当業界に再編ニュースが相次いでぶんぶん振り回された。

ちょいとくたびれ気味のへっぽこキシャにとっては

正直辟易気味、精神的にも擦り切れ状態だった。



その間、山登ラーの友人達が計画してくれる山旅も毎回断り続けざるを

得ず、その間にも山欲はふつふつとたぎっており


誰も一緒に休みを取ってくれそうもない平日でありながらも

「槍単独縦走」という無謀計画を実行せずにはいられなくなったのだ。


槍。全ての登山者にとっての憧れの山。


登山を始めてそろそろ4年(だったかな?)。

百名山踏破数もそろそろ20座くらいにはなる。

そろそろ挑戦してみてもよいのでは、と毎年思ってた。


昭文社の地図だって2冊も持ってる。(しかも年度違いで。アホや)


で、行って来ました。

今回は
一日目 上高地→槍沢→槍ヶ岳山荘
二日目 槍穂先往復→西鎌尾根→双六小屋→三股蓮華岳→三股小屋
三日目 三股小屋→双六岳→鏡平→新穂高温泉

というコースです。

。。よく考えたら、高瀬ダムから三泊四日で回る
北アルプス屈指のロングトレイル、
槍ヶ岳裏銀座縦走コース(←長い。総コース60キロ)
の半分くらいのボリュームはあります。

9月16日、相方に車で送ってもらい新宿駅西口へ。夜11時発の
さわやか信州号は予約していたグリーン車が渋滞に巻き込まれ、
差額を返金して普通車へ格下げとなる。



連休最終日のオフシーズン期だからさすがに空いてるけど、車両の揺れは
いかんともし難い。横になったり縦になったりしながら

まんじりともしないまま、

バスはいつのまにか沢渡に着いていた。


初めての上高地は薄曇り。時折青空が覗くが、山々の穂先は
みな雲の中。
「昨日の夜ひどい雨が降ったけど、これから天気よくなりそうだよ」
という、ビジターセンターのおっちゃんの 言葉に期待と不安を抱きつつ、

早朝の上高地の森の中に踏み出す。



川沿いの森の道をテクテク歩きます。





大量の団体客が下山してくるのとすれ違いつつ

川の流れにそってひたすら歩くこと4時間あまり。



・・・さっきから気になってるんですが

いつまで経っても上り坂になりません。




いくつめかの山小屋を通過したところで軽い朝ごはん。

不意に「すみませーん」と声をかけられる。


「これ、良かったら食べてもらえませんか。食べきれないんで。」

見ず知らずの人におにぎりをもらってしまう。

このメガネの中年男性とは、今後の山行を共にすることになった。


横尾山荘を通過したところでようやく山道らしいのぼり道になる。

さっきのおにぎりおじさんを抜いたり、抜かされたりを

繰り返しているうちに、なんだか空模様が怪しくなってくる。






槍沢ロッヂを過ぎ

川原沿いの道を抜け、



きつい登りに差し掛かるともう大粒の雨が降ってくる。

カッパを上下着込み歩いていくのだが

一向に次のポイントが見えてこない。


おにぎりおじさんにもずいぶん前に抜かされた後、

背中すらも見えないほど離されてしまった。




こんな感じの道が延々と続き、雨はほぼ横殴りの状況になってきた。。

かなりきつい岩場の道に差し掛かる。

本来だったら今日の目標となる槍の穂先を見ながら

上っていくことのできるはずの道だが、

目の前は牛乳のような霧が立ち込める。


周りには当然人っ子一人いない。風も強くなってきて、急な

岩肌を手でつかみながら歩かなければならないほど。

横尾までの平坦な道のツケを一気にに取り返すかのような
急坂が延々と続く。


ふと「締め切り直前までさぼっていたため、

締め切り数日間が修羅場と化す」
といういつもの状況がふと頭に浮かぶ。


山に来てまでこの状況かよ。泣きたくなる。
雨具は着てるが手袋はびしょびしょ。ほとんど這うようにして
坊主が岩を抜け、殺生ヒュッテの分岐を抜ける。

槍ヶ岳山荘への最後の急登には

岩肌に親切に「山荘まであと○○メートル」の
表示があり、

ゴールへのカウントダウンをしてくれるのだが、

この極限状態ではそれすらも逆に辛い。

しかし、着いた。突風のなかよろめきながら山荘の
戸を開ける。

槍ヶ岳山荘は収容人数 650人という北アルプスでも有数の
大箱なんですが、それはどうよ?という対応が結構目立った。


例えば、嵐のなかたどり着いた客に対して

「はい?今から泊まるんですか?」
的な対応はないだろ。

取り違えトラブルを恐れてるんだか知らんが、

全身ずぶ濡れの雨具やザックカバーや靴を、

「乾燥室には絶対もちこまないで」
という張り紙がそこらじゅうにベタベタ貼ってあるのもどうよ。

じゃあ一体どうすんじゃい。雫がしたたる状態で

部屋に持ち込めというのか。

山荘は取り違えには責任を持ちません、
と表示するか、目印用に番号札や

洗濯ばさみを貸し出すなりすればすむ話じゃん。
みんな無視して干していたが。

悪天候の中での疲れと寒さと、山荘を吹き倒す勢いと
なりつつある外の嵐も相まってすっかりテンションも下がる。


乾燥室であのおにぎりおじさんと無事再会。

「心配しちゃったよー。大丈夫だった?」

と声を掛けられ少し和む。


しかしこんな天候では、明日はもう降りちゃおうかなああ、

的な気分が高まる。同室の単独行のおばさんは大キレットに

行くそうだが、それもこれもこの大嵐が収まらなければ

なんともなるまい。


談話室で暖をとりながらビールを一気飲みして

ふて寝する。八時半。

めざすもの。

テーマ:

記者とは感性の仕事である、と思う。

努力と体力と根性だけでなく、ヒトとしての感情や正義感や

理想がある日、モノを言う。


しばらく会っていなかった記者仲間が、じつは

本を出版していたことを昨日知った。

しかもアマゾンの書評では結構人気も高い。



同じ業界を数年前に一緒に担当していた関係で

記者会見とかでよく会う人だった。

物腰も柔らかく、記者なのにフレンドリーで、

(注:世の中の大概の記者はいけ好かないヤツが多い)

すぐ仲良くなった。


彼は私といっしょにある業界のニュースを追いかける

業界担当記者でもあったのだが、それとは別に

ライフワーク的な「テーマ」をいつも抱えていて

そのテーマで記事を定期的に書いていた。

ライバルでもあり悔しいが、じつにいい記事ばかりだった。


本の書評を読んでいて、そもそもなぜ彼がこのテーマを

扱うようになったかわかった。


きっかけは、私も多分取材したことのあるあるメーカーの工場。

なにぶんメカ好きで工場好き(なにせガテン系なので)の私は

工場内でじつに巧妙に効率的に動く生産ラインの

仕組みに夢中になって

そればかり見て、取材していた。


彼は、全く別のものを見ていた。


工場内には、正規の社員以外に、

違う制服を着て、

取材者が話しかけることも

写真を撮ることも許されない存在の

「ハケン」作業員がいた。


あれは何なんだ?


今日のフルキャストの営業停止命令ではないが

今色々と話題になっている

派遣社員の労働問題、という

テーマに取り組むことになったのは、

それがきっかけだったという。


じつはまだ著書は手に入れていないのだが、

このことを初めて知り、なんだか自分が恥ずかしくなった。


同じ風景を見て、その中から何に注目し、

どう掘り下げるかは

まさに感性や人間性によって異なる。


たとえ経済記者といってもそれは同じことで、

何をテーマとするか、何を読者に訴えたいのか、

記事を書くことで何をしたいのかは、

通常の取材の中でも

常に自分に問いかけ続けなければならない。


記者も所詮サラリーマンであり、

ルーティンワークもあれば

馬鹿な上司の不条理な業務命令を

黙ってこなさなければならない

こともある。


というか、そっちのほうが多いかもしれない。


ただ、そんなサラリーマン的仕事に忙殺されるなかで

記者の本分としての感性や、正義感や、人間性を

鈍らせてはいないだろうか?


自分は、記者として何をめざすのか。


ライバル記者の立派な仕事を見て

改めて褌を締めなおさなければ、と誓った夜だった。



マスコミの地域性

テーマ:

お仕事で日本一の百貨店になった大阪の会社と名古屋の会社の

統合会見に行ってきたんですが


イヤー、大阪のマスコミさんって・・・。汗


大阪で開催される記者会見に参加するのは

初めてではないんですが


統合する会社の社長同士が

握手をがっちり交わす絵、ってよくありますよね。


1 右から撮って「はい、目線こっちおねがいします!」

2 左から撮って「はい、目線こっちおねがいします!」

3 正面から撮って「はい、目線こっちおねがいします!」

4 さらに後ろに回りこみ、記者が居並ぶ絵をバックに

「こっち、こっちもおねがいします!」

1に戻る。


・・・というか、すみません。

通信社さんとかなのかもしれませんが

社長の後ろ頭のバックに会見場が

移る絵なんて、使いません。

というか、ヘンです。絵的に。



所要時間、10分以上かかったんじゃないでしょうか。

冒頭の写真撮影だけで。


さすがに2週目が始まろうとすると

「オイコラ、いい加減にせんかい!」と

会場最後尾に陣取ったムービー(TV)カメラマン(怖)

から怒りの声があがる。


不肖ワタクシも(経費節減の折)マイカメラで

ちょこんと前に行って二カット撮りましたが

握手の写真なんて、そんなもんで十分足りるんすよ。

タレントさんじゃあるまいし。



しかし、大阪のカメラマンさんたちの

凄みを改めて見た気がしますねえ。


ちなみに、この話が某日経にすっぱ抜かれた

朝、現地に状況確認で電話してみると


「アポ無しで広報部オフィスに

押しかけてきたテレビカメラクルーに

絵を撮らせろ!

とせがまれ、事務方の広報部長が

「なにも決まっておりません」と言う

ところを無理やり撮っていったという

話も聞きました。


だったら、店を撮れよ店を。。

発言権持ってないおっさんの絵とっても

しょうがないじゃん。。


この辺は、あまり東京では見られない風景。


そういえば、関西テレビがこないだやった大阪国際マラソン

のレース中継途中に、BGMとして

アルフィーのマラソンテーマ曲をフルコーラスで流し

さらにドラマ仕立てで走る姿を一カメ!二カメ!三カメ!

といろんなアングルでつないだ映像を流したのには

口ぱっくり開いてしまいましたが


マスコミ側も、おもろくなければ生きていけないのかなあ。

お土地柄を感じてしまった夜なので

ありました。




あるあるに続き、何や朝日新聞とか山梨日日新聞とか新潟日報とかで
人様の書いた記事をコピペして出版するというとんでもない馬鹿が

散見されておりますが


毎日新聞のこれはちょっと痛かった。取材したICレコーダーを

第三者に渡して、それがネットに流れちゃったというコレデス。


http://www.mainichi.co.jp/information/news/20070313-001439.html



問題が問題だけに、ぜひとも本題の「政治家の国会質問についての非社会勢力

からの圧力」についての

追求記事を書いてほしいんだが、なんか違うところで足をすくわれちゃった

感じがしますねえ。

確かに、「糸川さん、どーでもいいことでヒヨラないで、

一緒に戦いましょうよ」と私なんか言いたくなるんだけど


悲しいかな、強制はできないだろう。

んで、一線を越えてしまった心情はなんとなくわかる。


ただね


記者がしていいことと悪いことなんて

個々人の記者の中でぜんぜん意識の強弱も違うだろう。

倫理憲章をしっかり守っていたら取材なんて出来ない。

そもそも記者の基本の夜討ち朝駆けだって、

私有地の無断立ち入りですわ。

実際よく警察に通報されているし。


そして基本的に記者は個人事業者だ。少なくとも私はそう思う。

新聞社は多少、チームワーク面で雑誌と違うことがあるかも

しれないけど。


個々人のネタ元との関係のあり方を

100%把握しているデスクなんて皆無である。


ぎりぎりのところで踏みとどまるか否か

そもそもどこで踏みとどまるべきなのか、その線はどこなのか

って

結構危うい前提の上にあるような気がしてならない。


ただでさえ、特ダネ抜いた抜かれたで、はっきり言えば

給料にも処遇にも差が付いちゃう世の中ですよ。記者稼業って。

途中まで自社独自ネタでも、

ほかの媒体がかぎ付けて先に書いちゃえば

ひどいときには左遷されちゃう人だっている。



自分の記事を世に出すことで、少しでも世の中を良くしたい。

読者に、わざわざ時間とお金を割いて自分の記事を読んでくれた

だけの価値を提供したい。

今まで知らなかった情報を盛り込んで「へー」と思ってもらいたい。

大それたことじゃなくてもいい、ほんのちょっと役に立てたら。


駄文を垂れ流すワタクシごとき若輩者でも

そんな野望はこっそり持ちつつ仕事してます。


毎日の彼もそうだろう。

そのために手段を間違えた。

本当に、自分の意図どおりに協力してくれる人と

そうでない人の見極めを誤った。


取材の努力を怠って人の記事をパクった

朝日、山梨日日、新潟日報とかの不祥事とは

ちょっと次元が違う不祥事である。これは。


私がこの毎日記者だったら、どうしていたんだろう。。

真相究明と、その先にある理想のために

手段の誤りに一瞬目をつぶるだろうか。


それとも、手段の誤りはあくまで許さず

真相究明の先に踏み込むことはやめるのだろうか。


養わなければならない家族の存在や

部署内にある、実績を上げることへの無言のプレッシャー。

さらに、毎日って給料も相当安いらしいし。


私なら、どうしただろうか。

答えは出ないまま、きょうもしこしこと原稿を書いてます。