あの世があるかなんて、いつかはわかるよ
テーマ:哲学・人生観死ねば全てなくなる。
by 坂口安吾
世の中には、数多くの宗教の信者もいますし、無神論者もいます。
また、「あの世」の存在を信じている人もいれば、否定している人もいます。
「魂」の存在を信じている人もいれば、そうでない人もいます。
多くの人がいるわけです。
どちらが正しいかなんて、私にはわかりません。
自分なりの仮説があるだけです。
一方、あの世を信じている人と信じていない人で共通点はないのでしょうか。
それは、「みんな、今生きている」ことです。
その「生きている」ことだけがすべてなのか、他に何かないのか、はそれぞれが回答を死ぬまでに出すことです。
その答えは、自己採点なのです。
いつ、答えが出るか、はお分かりでしょう。
ただ、人に言えないのが残念かも。
一休禅師は歌で、自分の考えを残しました。
「死にはせぬ どこえも行かぬ ここに居る たづねはするな ものは言わぬぞ」
これについては長くなるのでまた後日。
青春ほど死の翳(かげ)を負い、死と背中合せな時期はない。
by 坂口安吾
青春は、年齢的な範疇でいえば、10代~20代前半というところでしょうか。
そういう時期に、おぼろげながらでも「死」について考えることだあります。
でも、まだ漠然としか分かりません。
まあ、病気、事故や天変地異による死を除けば、だいたい年の順というか順序どおりに亡くなります。
江戸時代にいた仙厓和尚は、正月に信者から何かめでたい事を書いてくれと言われ、「祖死、父死、子死、孫死」と書いたそうです。
このエピソードは一休禅師と言われることもあります。
信者が驚いていると、仙厓和尚は「おじいさん、お父さん、子供、孫の順で死んでいくのが、一番悲しみが少ない。この順序が逆であれば悲しみも大きくなるだろう」と説いたそうです。
私は小学校低学年の頃、自分が大きくなるということは父母が先に死ぬことだと気づいた時に、非常に悲しくなった記憶があります。
この悲しみは、人生の前半であればある程、漠然としていてかつ不安も大きいのではないかと思います。
今の私のように、折り返し地点(とりあえずの表現です)も過ぎてしまえば、もうある意味淡々としていますから、この差のことを坂口安吾は言いたかったのではないかと思った次第です。
まあ、いつかは考えないといけないことですから、私はできれば早い方が良いと思っています。






