※ 追記しました (2010/7/16)


ようこそ!お越しくださいまして、ありがとうございます。


平成22年3月24日にこのブログは誕生しました


それで一般公開に踏み切ったのはは3月31日です。


4月1日というキリのいい日にしないところが、私ならではです。f^_^; 


実はクリニックのホームページやブログは別にありますが、複数のためそれぞれに日記を書くということが、時間的にも大変になってきました。


そのため、各ブログの日記をここに集めて、一つの日記を見ていただくようにした次第です。


このブログもこれから作っていくことになりますが、手作りですからどうなることやら。


(;^_^A


ブログのテーマも、いろいろ設定しましたが、やっぱり哲学的なことを書いてしまうようですね。


趣味についてもいろいろ書いていきたいと思います。(選挙公約みたいですが f^_^; )


これも我ながら数だけは豊富です。

しかしその分だけ、底が浅いのだということは、本人が一番良く知っております。(-.-;)


まあ、ボチボチ始めていきますので、テキトーに覗いて下さればありがたいです。


それにしても、訪問診療美容形成外科の組み合わせってなんか変わっているというか、ユニークな組み合わせと思われるかもしれませんね。


私にとっては、保険診療も自由診療も同じ医療です。ただ、報酬をもらうシステムが違うだけだと解釈しています。

どちらの診療も、卒業してから今まで私が学んできた全てをもって行なっています。


実際、訪問診療では75歳以上の後期高齢者の皆様に、整形外科主体とした保険診療を主に行っています。

一方、美容医療は主に20代~60代の皆様への美容的な施術を保険外診療として行なっています。


一見、水と油のようですが、共通のキーワードがあります。いわゆるアンチエイジングです。

だからこれらの治療は、その方々にとっての余生でのより良い生活が送れるような方向へのアシストであると思っています。


ただ、私個人はアンチエイジングという言葉よりはアクセプタブル・エイジング(詳しくはコチラ )だと考えております。


その辺のところは、「医療全般」のテーマで日記でも書いていく予定です。



このブログ自体は、どちらかというと医療以外のことを主に書こうと思っていますが、美容形成や医療についても書いていきますので、ご覧ください。


他のホームページも、重複はしておりますが、それぞれ個性を出していますので、お気軽にご覧いただけましたら幸いです。m(_ _)m







☆アレルギー対策は大丈夫ですか?


当院も花粉症などアレルギー治療を行っています。ソフトレーザーを使用します。

皮膚炎など局所に照射する事もありますし、首すじの両側にレーザーを当てる場合もあります。


痛くもなく傷も付きません。一回で劇的に効くという方法ではありませんが、現在治療を続けられている方の話でも、「眠くなる薬を飲まなくてもよくなる」という点が長所の一つです。抗アレルギー薬には、眠気などの副作用があります。

このような薬を飲まなくてもよくなるという治療は、少ないと思います。

ご興味がありましたら下記のソフトレーザーのホームページをご覧ください。


さらにソフトレーザーは自律神経失調症の治療にも使用しています。

病院の検査では問題ないと言われていてもずっと続く症状、頭痛、肩こり、めまい、不眠などの症状の緩和に使用しておりますので、お気軽にご相談ください。

 ソフトレーザー



1 アンチエイジングに関するお悩みは
横浜アンチエイジング情報

2 プチ整形のことなら
プチ整形

メスを使用しない、痛くないリフトアップ、たるみ治療なら
テノールでシワ・たるみ解消

3 肌質改善のことなら
肌質改善

4 しわ・たるみのご相談は
しわ・たるみ相談

シミ・クスミ、毛穴などお肌のお悩みは
肌質改善術

5 当院で行っている美容形成外科全般のこと、および横浜FCクリニック形成外科については
横浜FCクリニック形成外科のホームページ

5のブログは2000年7月から続いており、日記も結構なボリュームになりました。
これらの日記は、医療以外のことが大半を占めています。
私にとっては、聖地のような、思い入れの深いブログです。



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2012年05月23日(水) 15時51分53秒

ほぼ目標似たわ

テーマ:哲学・人生観



横浜FCクリニック形成外科ー横浜で開業している形成外科医師の独り言ブログー




人間がこの世に存在するのは、
金持ちになるためでなく、
幸福になるためである。

by スタンダール


我々は、
自ら幸、
不幸をつくって、
これに運命なる名称をつける。

by ジョンソン



人生はつくるものだ。

必然の姿などというものはない。

by 坂口安吾





私は、「お金持ち」は人生での色々な選択肢の一つを選んだことから続いて起こる結果の一つであって、それを直接の目的にはしない方が良いと思っています。

そして、「幸福」も同じだと思うのです。


「幸福」って、例えば「ラーメン」と同じもんじゃないでしょうか。

「ラーメン」と一言で言っても、それぞれの人によってイメージするものは違うでしょう。

麺が細麺か、縮れ麺か、太麺か……

ダシは、醤油か、塩か、とんこつか……

トッピングはなにか、チャーシュー、ナルト、シナ竹、卵……

そもそも、どんぶりに麺とダシが入ったものか、つけ麺なのか、


要するに、「これだ!」と言うような限定ができないのです。


ラーメンでさえ、人それぞれでイメージが違うものですから、幸福も同じようなもんです。


だとすれば、自分でこれと決めれば、それでOKとも言えるのです。

だから、「今が幸福」と本気で望めば、今すぐにでも幸福になれます。

それは自分がそう思うことです。

ついでに言えば、「もう俺は金持ちだ」って本気で思えば良いんです。


もしも、こう思っているって、人に言えば再確認できます。

高頻度で言われる言葉は、「お前って、幸せな奴だね」です。

自他共に認められたのですよ、すごいでしょう。


私自身は、「幸福」なるものは追い求めていません。

まあ、自分の中での定義が「ようわからん」からでもあります。



私の場合は、

生きるために、活きて、

活きるために、動いて、働いて、脳みそ使って、

なんだか時間が経つうちに、ここまで来たなと感じて

最後の最後には、まな板の上の魚のように、もうどうにでもしていいよと思えるように、活きたいと思いつつ、

生きている


って感じです。



世の中には色々な情報が溢れかえっており、色々な言葉が飛び交っています。

そういう実体のないものに、できるだけ振り回されないように、

自分を決めつけないで、居たいと思う次第です。


もう少し具体的には「ほぼ目標似たわ」です。


ある本に書いてあったのを、自分用にアレンジしました。



ほ    ほんのりと
ぼ    ボチボチと
もく    黙々と
ひょう  飄々と
に    ニコニコと
た    淡々と
わ    ワクワクと



2012年05月22日(火) 16時06分40秒

映画エンドのNGシーンが楽しめるように

テーマ:哲学・人生観

横浜FCクリニック形成外科ー横浜で開業している形成外科医師の独り言ブログー


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もし、
人生に再版があるならば、
私は改訂したい。

by ジョン・クレア


私は、もうこのままでいいです。

改訂もめんどくさいし、誤字脱字にしてもね~。


むしろ昔のまちがいや行動はそのまんまで眺めるしかないでしょう。

とりあえずの事実の表現を変えたところで、もう自己満足でしかないのですから。

「改訂したくなる」ということ自体、今を認めていないということになるのではないでしょうか

逆に、ジャッキー・チェンのカンフー映画や、ピクサ―のCGアニメなどでは、ラストのスタッフ紹介の時にNGシーンを載せていますよね。

あれくらいの遊び心がある方が楽しいでしょう。


一番重要なことは、まだこれからの白紙のページに載せる内容です。


実は今、サマセット・モームの「人間の絆」を読んでいます。

以前から読もう読もうと思っていたのですが、何故か微妙にタイミングを外してしまい、まだ読んでいませんでした。

それにしても著者の自伝的小説ですから長いです。

でも、案外読み出したら止まりません。(^_^;)

「カロマ―ゾフの兄弟」と同じくネタが満載です。




この世を動かす力は希望である。

やがて成長して果実が得られるという希望がなければ、
農夫は畑に種をまかない。

by M.ルター


ぱっと読んだ時に、すぐに頭に浮かんだのは今の政治です。

もう農夫たちに種をまかせようなんて思ってないように感じます。

むしろ試みていることは、農夫たちに管をまかせることでしょう。

(-.-;)





ビアンション!ビアンション(自作小説中の医者)を呼んでくれ!あいつなら、
私を救ってくれる……。

by バルザック


「自分」というものはホントは無いと思えば、逆に全てが幻と言うか夢とも言えます。

自分が映画を観た時には、その映画は存在する世界になります。

作家にとっては、自分の小説の世界は脳の中にちゃんと存在していますから、ある意味で小説の世界は作家にはリアルな世界とも言えるのではないかと思います。

ただ、とりあえずの現実世界と、小説の世界が混同されてくると問題にはなるでしょう。


ご高齢の方で、寝たきり状態になってくると、昼夜の区別が無くなっていき、夢と現実が混同していく現象が見られます。

私は最近は、このような夜間せん妄のような状況は周囲の人には大変なことですが、ご本人にとっては必ずしも「苦痛」とは言えないんじゃないかとも思っています。

今世の人生を脳内でまとめあげている過程での、整理の途中経過じゃないかという仮説も持っています。


だから、夢と現実がたとえ混同しても、外見上は変わらないという人もいると思うのです。

言いかえれば、もう達観しているというか、悟りの世界に居られる方です。


実は、私はこの仮説を体験してみたく、今を行動しています。

自分の人生という長編映画のエンディングをきれいに決めたい、って思うのであれば、そういうシナリオになるべく、自分が行動すればよいのです。





人間は地位が高くなるほど、
足もとが滑りやすくなる by C.タキトゥス

そりゃあそうです。

高ければ高いほど、例え高所恐怖症でなくても、目がくらくらしたり足がすくむもんです。

ミッション・インポシブル4のトム・クルーズのような人は滅多にはいませんね。



2012年05月21日(月) 09時27分08秒

舌には骨が無い

テーマ:哲学・人生観

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掲示板に相談が来た時に、いつも感じていることですが、この方にはどのように書こうかって考えていると限が無いのは分かっているのですが、難しいと思うことがしばしばあります。

まず同じ内容の相談でも、表現などで私が受け取るニュアンスが全く変わってくるのです。

この方は簡単に済ませたいと思っているなとか、この方はかなり権利を主張されてくるなとか、微妙な事なのですが、メールから感じるんです。

基本的にこちらの伝えたい内容は同じなのですが、まあ、それなりに言い回しを変えています。

大まかな回答内容を頭の中で構成した後は、その時に頭に浮かんだ文をまずツラツラと書いていき、読み返して校正します。


電話やメールなどによるご相談は、基本的にまだ診せて頂いていない状況での回答になりますから、どうしても一般的なことが主体となります。

そのため、その方には該当しない内容であっても、回答する時点では分かっていませんから、まとめてお話しする事になります。

そうなると、必然的に「一言で」とか「簡単に」というわけにはいかなくなります。

こういう性格だからか、私は、「つぶやき」というのがどうも苦手で。
(^_^;) 

短い言葉で伝えるものとして、川柳や俳句があります。

川柳はかなりダイレクトですから分かりやすいですが、俳句に至ってはかなり読み手の感性を必要とします。

二重、三重の意味が隠されていることもありますから、読み手に文字通り深い読みを要求するような句もあるでしょう。

私の印象ですが、俳句の場合はかなり作者の気持ちや言いたいことなどが、後世に人たちの解釈では微妙なずれ、違いがあるのではないかと思っています。


「人に自分の言いたい事を伝える」ということが仕事内容に大きく関わっているだけに、公式の発言である場合は、私は安易には話をしたくないと思う傾向があります。

発言内容にも気を配り、言葉の表現にも気を配ること、まあ、社会人としてみればあまりにも当然ともいえることですが、意識してやっていると、私の年になってもまだまだ完成されたとは思えませんね。


だから、セイジカさんたちが、安易に問題発言をされているのを毎日毎日ニュース等で知ると、ホントこの人たちに任せていていいのだろうかと考えてしまいます。

たとえ気楽な気分で参加できる後援会などであっても、立場を認識していれば、そういう場で言っていいことと、「こりゃここでは言わん方がええわな」的なことくらいの区別はついて当たり前と思うのですが。

ちなみに、私が公式の場での発言でいつも感心するのは、天皇陛下のお言葉です。

一言一言に何かしらご配慮されておられるな、ということをいつも感じるのです。

会話のペースも現代ではかなり速いですね。

ですが、やはり「人に伝える」と言う事を考えれば、天皇陛下の話されるペース、ゆったりとしたペースに私は魅力を感じます。


タイトルは、かなり昔ですがCMで森重久弥さんが、ユダヤのことわざだと言っていた言葉です。

「舌には骨が無い」というのは、「舌には芯がない」と言う意味に通じるのでしょう。

だからホントの事もう言うだろうけど、嘘だって言うよということなのでしょう。

舌はブレやすく、滑りやすいもんなんです。

だから車の運転のように注意して動かさなければならないのです。

舌の動きを意識しない時に、問題発言が起こるのです、きっと。

「朝令暮改」も当たり前だよ、ってことです。

ネットで検索してみたら、シェークスピアの作品にもこの一節があるそうですって。

とりあえず「ふ~ん」と思っておきます。

シェークスピアの作品を読んで気長に検証?してみましょう。


まあ、「世の中に飛び回っている情報なんて、安易には信じるなよ」ということです。

勿論、私の言っていることもですよ。
(^_^;)

2012年05月19日(土) 10時20分08秒

いや、まんざらアホではないのかもしれん

テーマ:哲学・人生観

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ちょうさん‐ぼし (朝三暮四)

辞典では、
目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに気がつかないこと。 また、うまい言葉や方法で人をだますこと。
と書いてあります。

「朝三暮四」の由来ですが、中国、宋の狙公(そこう)が、飼っている猿にトチの実を与えるのに、朝に三つ、暮れに四つやると言うと猿が少ないと怒ったため、朝に四つ、暮れに三つやると言うと、たいそう喜んだという「荘子」の故事から来ているそうです。


この漢文を初めて読んだ時は、私もかなり若かったので、「馬鹿な猿だな。同じ七つなのにな。」と思っていましたけど、今の私はそうとも言えないんじゃないか、って思います。

ひょっとしたら「諸行無常」が分かっているのかもしれないのです。


「一夜賢者の偈」(※)という短いお経には、「たれか明日死のあるを知らんや  誠にかの死の大軍と逢わずというのはあることなし」という言葉があります。

まあ、人間の死亡率は100%なんです。

だから猿だって同じです。


朝生きているとしても、夕方生きているかどうかという絶対の保証は無いのです。


いや、別に死なないとしても何か不測の事態が起こって、それによって自分が大けがをして、その夕方には実を口にすることができないかもしれないのです。

そう考えれば、朝のうちに四つもらえる方がより確実なんです。

暮れにも自分が生きていて実をもらえるという確実な保証はないゆえ、今現在に確実にもらえるだけもらっておく、というのであれば「不確実な世界を生きる知恵」と言ってもいいのかもしれません。



※一夜賢者の偈  中部経典131(初期仏教の経典)

過ぎ去れるを追うことなかれ
未だ来たらざるを願うことなかれ

過去 そはすでに捨てられたり
未来 そはいまだいたらざるなり

されば現在するところのものを
それがあるところにおいてよく観察すべし

揺らぐことなく 動ずることなく
そを見極め そを実戦すべし

ただ今日まさになすべきことをなせ

たれか明日死のあるを知らんや

誠にかの死の大軍と逢わずというのはあることなし

かくのごとく よく見極めたるものは
心をこめ昼夜怠ることなく実戦せん

かくのごときを一夜賢者といい
または心鎮まれるものとはいうなり

2012年05月18日(金) 10時03分21秒

割り切れるのか、余りが出るのか

テーマ:社会・世相
日本人は一回お世話になると会うたびに、「いやあ、あの時はどうも」と何回もお礼を言うが、英語では一回礼を言えばそれで終わりと考えた方が良い

   「ソニー式英会話 英語は3秒で話せ」より


確かに、日本人は恩を忘れませんね。

お世話になった方に対しては、その後も中元歳暮や年賀状等いろいろな形でお礼をする人が多いと思います。

「忠犬ハチ公」のストーリ―をすんなりと受け入れることができる国民性です。


過度になれば「恩着せがましい」という言葉もあるくらいです。



一方、外国の方の知り合いはいませんので、プライベートにどうであるかははっきりとは分かりませんが、なんとなく分かる気がします。

このようなプライベートではありませんが、面白い話を聞きましたので書いてみます。


先日、ある方との話でヨーロッパ旅行での飛行機会社の話になりました。

その方はフランスの空港で搭乗した旅客機の点検が遅れたため、その旅客機の機内に7時間居たそうです。

その方自身は座席で寝ていたためそれほど苦にはならなかったそうですが、7時間経った時にCAに起こされ、「この旅客機では飛べないので、他の飛行機にするから移れ」と言われました。

日本に帰るためにはロシア上空を飛ばないといけないため時間調整で待っている間に食事をしたそうです。

その食事は飛行機会社持ちで、空港内のどのレストランでもOKでオードブル、メインディッシュ、デザート、飲み物が付いているので、結構豪勢だそうです。

それから電話をしたいといったら、「世界中どこへかけてもOKで、10分間話せる」というテレフォンカードをもらったそうです。


興味深いことは、向こうのスタッフの対応の態度です。


「飛行機に問題があって、時間どおりに出発できないことは残念だが、仕方がない事。このまま飛べば大惨事になりかねないことを回避できたのだから、良かった」という考え方で毅然とした態度であるということです。

お客側も「なぜ乗れないんだ」みたいに文句を言ったり、スタッフに食ってかかる人もいません。

その代わりに、テレフォンカードや、お食事券、場合によっては宿泊券をもらうことでチャラ、みたいな割り切った空気があることです。


私も昔スペインのマドリードの国際形成外科学会に他の先生たちと参加した時に、帰りの便でチェックインしようとしたら、航空会社側がダブルブッキングをしていたため乗れないと言われたことがありました。

その時は宿泊券や食事券を渡されたのですが、その場に私たちがしばらくいたら(正確には、途方に暮れていたのですが)スタッフが来て「急遽、席に空きができたので乗るか」と聞かれ、もちろん「イエス」と答えて結果的にみんな時間どおりにフランスから飛び立つことができたという思い出があります。


その時も、日本語の話せるスタッフが説明してくれましたが、日本人ほど悪びれた様子も無く、むしろ毅然とした態度で応対しました。

女性の方でしたが「もうこうなった以上、どうしようもないじゃないか」みたいな感じでした。

ある方の話では、こういうトラブルの時はこういう対応、というように決まったマニュアルがあって、向こうはそれに沿って対応していくそうです。

それで電話ができたり、食事ができたり、場合によっては宿泊できるという対応を迅速にしていくのです。


一方、日本では例えば鉄道では人身事故で電車が動けなくなったときにも「○時○分、○○駅にて人身事故が発生したため、この電車は当駅でしばらく運転を見合わせることになります。お急ぎのお客様にはご迷惑をおかけします」などのアナウンスをして振り替え輸送などの説明をします。


よくよく考えれば、鉄道会社側も被害を受けた側ではあるのですが、車掌のアナウンスでは、必ずと言ってよいほどお詫びの言葉も入っています。

外国でも、一応「申し訳ない」旨の言葉を言っているのかもしれませんが、まあ、こちら側は分かっていないのです。(^_^;)

それにしても、日本での対応とは違っていると感じます。

なんか、欧米って算数で言えば割り切れる計算式みたいな感じです。

一方日本では、同じ割り算でも何かしら「余り」があるような感じがします、微妙な表現ですが。


まあ、どちらが良いということが言いたいのではなく、国民性の違いをこういう有事の際に感じると思った次第です。

2012年05月17日(木) 10時21分01秒

顔に耳あり、正面に目あり

テーマ:哲学・人生観

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ちょっとした言葉使いでも、その人の性格というかどういう傾向があるか、って考えることがあります。

例えば、

「やらなきゃいけないことが沢山ある」という人。

「やるべきことが沢山ある」という人。

「やれることが沢山ある」という人。

「やりたいことが沢山ある」という人。


同じような仕事内容を見ても、上記のようにいろいろな表現があります。

勿論、4つとも意味合いがかなり違ってきます。



「やらなきゃいけないことが沢山ある」という人は、mustタイプとでも言いましょうか。

仕事内容を義務というか、使命のごとく、時には強制的な感覚で見ている人です。

自分の体力、気力が充実していれば、モチベーションが3つのうちで一番高いと思いますから、効率が良いかも知れませんが、疲れてくると能率が下がるのも一番早いのではないかと推測できます。

多分、ストレスたまるでしょうね。


「やるべきことが沢山ある」という人は、shouldタイプです。

やはり義務という意味がありますが、mustタイプよりは強くありません。

少し期待感を持っています。

このタイプも、使命感はありますから、仕事を頑張るタイプです。

ただ、mustタイプよりは柔軟性があるように感じています。


「やれることが沢山ある」という人は、canタイプですね。

自分の能力をある程度信じていて、仕事内容を選択したり、順序を自分で調節できる臨機応変さがあると思います。

このタイプは、その時の気分、調子で多少波があるかもしれません。


「やりたいことが沢山ある」人は、wantタイプです。

自分中心に考える傾向があります。また、大抵マイペースです。

他人に干渉されることをかなり嫌がります。

仕事も、自分のペースを大切にします。


まあ、ざ~っと思う所を書きましたが、あくまでも私見ですので。
(^_^;)

ただ、その人の仕事との向き合い方が分かりますし、仕事をする経過もある程度予測できたりします。



ところで、ちょっとした言葉から、その人のある一面を見ることができるというのは、多くの方面で知られていることだと思います。


今は終了しましたが、テレビドラマ「相棒」に登場する杉下さんは、犯人(その時点では分かっていませんが)が何気なくしゃべった一言から事件の臭いをかぎ取るということを頻繁にしていますね。

こういう面白さも、このドラマの持ち味です。


閑話休題


いずれにしても、人の話は良く聞くことです。

そこから、自分が何を感じるかは自由です。



われわれに耳が二つと口が一つ与えられているのは、少なくとも話すことの二倍は聞くことをしなければならないということである。

   ホーデノショーニ(アメリカ先住民族の一部族)


写真の携帯カバーですが、お店で見ていて「欲しいなあ」と言ったら、娘に「絶対駄目」と言われてしまいました。


シャレの分からん奴じゃ


(-.-;)

2012年05月16日(水) 11時13分12秒

「生」と「活」、どちらも「いきる」

テーマ:哲学・人生観

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男というものは……家ではまったく邪魔になります!

by ギャスケル夫人



私は仕事の場でも、訪問診療やデイサービスに伺う時でも、よく耳にする言葉なんですね。
(^_^;)

ただ、ご高齢の方の言葉ではありませんよ。

職場のスタッフの方だとか、私の年齢に満たない若い女性の方たちです。

まあ、私が思うことですが、男性諸氏も昭和から平成にかわりましたし、結婚後の家庭での立場については、かなり変革されたと思っているのですが、まだまだ女性軍との意識の差は感じられると思っています。

今はauのCMで登場していますが、「巨人の星」の星一徹さんみたいな方は今はかなり少なくなったと思うのですが。


育児が関わってくると、一般的に女性の方が大変というのは分かります。

しかし、平成になってからは明らかに女性の立場が上がっています。

いや、逆に景気から見れば、男性の立場が下がったと言うべきなのでしょうか。


あとは、その生活環境に対する解釈の違いでしょうね。

是非の言えることではないと思いますから、個々のケースによって違いますし、どうしても微妙な話になってしまいます。




歴史はまず悲劇として演じられ、
次に喜劇として繰り返される。

by J・エリュル


歴史に関して今は確信を持って言えることが一つあります。

それは「決して真実が語られることは無い」ということです。

例え、今当事者がまだご生存されている範疇の事件でさえ、ご本人が真実を語ることは無いでしょう。

第三者から見られた現象はかなり正確であったとしても、その事に至った経緯は、当事者たちの心の中にあり、それも自分から見た、自分を正当化するべく脚色した記憶に変容していますから、真実の経緯は誰にも分からないままだということです。

まして、2000年前のことだとかになってくると、もう少ない情報からの想像の世界のことになってしまいます。

だから、歴史を知るということは、真実を知ることではありません。

いかなる経緯があったのかを公表された内容だけでも構わないので、そこから自分が何を感じるか、何を学ぶかということが大切なのだと思っています。




鳥の血に悲しめど、
魚の血に悲しまず。

声あるものは幸いなり。

by 斎藤緑雨


この詩から金子みすゞさんの詩を思い出しました。

詩繋がりです。




海の魚はかわいそう。

お米は人につくられる、
牛は牧場で飼われてる、
鯉もお池で麩(ふ)を貰(もら)う。

けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうして私に食べられる。

ほんとに魚はかわいそう。


人間はもっと他の動物たちから命をもらって生きていることを自覚するべきなんですね。

私は別に菜食主義者になれとは思っていません、全然。

ただ、一食一食に皿に乗っているオカズに感謝することです。

そのおかずを調理した者、そのおかずを店で売っている者、そのおかずの元である食材を運んでいる者、その食材を取った者、そしてその食材になった生物まで遡り、そのご縁をかみしめることです。

そうすれば、一口の惣菜であろうが、徒(あだ)や疎(おろそ)かにはできないでしょう。

エスキモーの方たちは、鯨を狩猟で取ってきたら、食材だけでなく全部を生活に利用すると読んだことがあります。

一方、都会のファーストフード店では、4時間経てばフライドポテトは全て廃棄処分になるそうです。

衛生上でのそういう条例があるからなのか、その店の方針なのかは知りませんが、そうなんです。

このことも、今話題にした動物性の食材ではありませんが、食べ物に関しての人間社会の認識のある一面なんです。


「歴史から学ぶ」という事を書きましたが、家族としての人間の生き方もそうですし、食べることの意味についても何らかの形で学べると思うのですが、現実社会ではなかなかそこまで意識が回らないというのが本当のところだと思います。

まあ、このままで良いのかどうか、をせめてちょっとくらい感じる程度でも良いと思う次第です。


2012年05月15日(火) 09時34分07秒

将棋的それとも囲碁的生き方

テーマ:哲学・人生観

横浜FCクリニック形成外科ー横浜で開業している形成外科医師の独り言ブログー


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私は、将棋は「ほとんど」と言う言葉を自信を持って使えるくらい?分かっていません。

なにもそんなに大げさに言うことではないのですが。(^_^;)

ただ、羽生さんは尊敬しております。

何冊か人生哲学的な著書を読ませていただきましたが、考え方も素晴らしいです。

また、故大山 康晴十五世名人の著書「勝負の心」は私の座右の書であります。

そういう私ですが、将棋と囲碁について漠然とではありますがあるイメージを持っています。

将棋はお互いが相手の王将を取りに行くという、非常に目的が具体的な、まさにピンポイントの方向に向かっています。

また、チェスと違い、取った相手の駒を自分の駒として使用することができます。

これは、歴史的にチェスは取った駒は「殺す」と同等の意味なので使えなくなるが、将棋では取った駒は「捕虜」であり、それなりの恩賞や褒章を餌にしてスパイというか、こちらの味方兵士にして利用することを意味していると読んだことがあります。

まあ、如何にも日本的です。


以上の事から、将棋をイメージしますと、目的志向が明確で、その目的を達成するためであれば途中でのいろいろな事象を巧妙に利用していくという臨機応変さが際立つように感じます。

駒を見れば、「個々の能力」「個々の個性」が目立ちます。

サッカーでいえば、組織力もありますが、個々の選手の能力の高い南米系のようなイメージです。

攻撃もそれぞれの駒の個性を生かした多彩な連係プレーであり、見方によっては派手な、華麗なコンビネーションといえるでしょう。


時間の要素は様々でしょう。

スパッと速い展開になることもあるでしょうし、ゆったりとしたジワジワ的展開もあるでしょう。


武器のイメージでは鋭利な刃物ですね。対して囲碁は鈍器です。


このような将棋の特徴を人生から見れば、どういう感じになるでしょうか。

物事の局所を見極める力を養うように思います。

そして、効率よく進めていくには如何にして周りのものを使っていくか、利用していくかを考え、最短距離にある方針を選ぶというイメージです。


視点では局所を切って、掘り下げて展開することが得意かもしれません。

この方向を極端にすれば顕微鏡的な精査です。


囲碁の場合は逆にマクロ的です。

「大局観」という言葉もあるように、大きく全体を見る視点です。

この方向を極端に言えば天体望遠鏡的な世界になるように思います。


2回に分けて、囲碁と将棋的なイメージを展開しましたが、まあ、どっちがどうのというのではなく、類推して参考にして、得るものを得るということです。

人生の見方なんて、如何様にもできるということですが、煎じつめれば根本的なことは「生きる」というだけで、さほど変わらないということです。

少なくとも「私がこの世で一番の悲劇のヒーロ―(ヒロイン)」的な考えにはならなくて済みます。



2012年05月14日(月) 13時03分10秒

囲碁が教えてくれる生き方

テーマ:哲学・人生観

横浜FCクリニック形成外科ー横浜で開業している形成外科医師の独り言ブログー


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囲碁ですが将棋の駒と異なり白黒の石を使用します。

石一つひとつは単独では等価です。

その石を碁盤に打つと、その場その場にある石が「場」の価値を持つようになります。

一局の碁は、その碁盤全体で勝負します。

極端に言えばどちらが多くの「地、陣地」を有するか、またどれだけ相手の石を取ることができるかで勝敗を決めます。

将棋の王将を取るというルールとは異なり、盤面の4~6か所の局地戦が同時に進行していきますので、盤面を隅々まで利用しなければなりません。

将棋では王将を取ることができれば、試合時間が短い場合も結構あると思いますが、碁ではよほどの大石(数多くの石)が取られない限り、終盤まで持ち込まれることが多いようです。

囲碁はどちらかというと「ジワジワ」と時間が流れていきます。

将棋は王将を取れば勝ちですから、いわば「100:0」の勝負です。

一方囲碁は、「100:0」にはなりません。

よほどの地力差があればそれに近い状況にはなるかもしれませんが。

囲碁では、それぞれの局地戦で、双方とも自分の陣地を得ることができます。

「私はここの地をもらいますから、あなたはそちらを取ってください」というような、無言の会話でやり取りをしていくような中で、少しでいいから相手よりも多く地を取って行くことを目的にします。

もちろんチャンスがあれば相手の大石を狙いに行きますが、プロ同士であれば、あまりそういう状況にはならないようです。


囲碁はサッカーに例えれば、個々の選手の実力はそれほど秀でている選手がいるというような感じではなく、同等の力の選手ばかりです。

それで攻撃パターンは、相手よりも有利なポジションを取ることでジワジワを攻める感じです。

細かいパス回しで、相手を撹乱するイメージです。

囲碁は、複数の局地戦を同時進行で見ていきます。

いろいろな問題を抱えていますが、その中でその時に一番有利になるポイントを見つけていきます。

一手ずつしか一度に打てませんから、当然他の問題を抱えたまま進行するのです。

この、「いろいろな問題を抱えたまま、時間が過ぎていく」という所に、私は人生を感じます。


囲碁は、このような「保留すること対する忍耐力」を養うことができます。

むしろ、逆に局地的な勝負は早く付けないようにして、あとあとでそれを利用して自分に有利な展開に持って行くようにします。

現実的にも、一つひとつをきれいに解決させてから次に進むということは理想かもしれませんが、この人間社会ではそのようにできないことの方が非常に多いと思うのです。


囲碁は、その対処に仕方の中にうまく「時間」を織り込んでいるような感じがします。

問題を抱えながら、時間を使っていき、相手というべきか運命の打ってくる一手一手に対応していくという囲碁の姿勢は、私にとって非常に重要なことを示唆してくれているように思います。

2012年05月12日(土) 11時11分26秒

即結論派か 経過派か

テーマ:社会・世相
「すぐに酔いたい」「ハイ、瞬間酔っ払いスプレー」

シュッとノドの奥に吹きかけるだけで酔っ払うことができるスプレー「WA|HH Quantum Sensations spray」が開発されたとフランス通信社(AFP)が伝えたそうです。

このスプレー、アメリカの研究者 デビッド・エドワーズ氏とフランスのデザイナー フィリップ・スタルク氏の共同開発によるもので、二日酔いになることもなく、ほんの数秒で酩酊状態になることができるそうです。

ただし、スプレー1回分のアルコール量は0.075ミリリットルしかなく、酔ったとしても数秒しか持続しないそうです。

ちょっとしたわずかな時間に酔いたい時には効率良さそう。

値段は26ドルで日本円で約2100円ほど。12ミリリットルの内容量になるそうなので、27回ほど使用できます。 


大きさは、ちょうどリップスティックより少し大きいくらいです。

将来的には、アルコール中毒の治療に効果があるのではないかと期待されているそうです。



こんなもんが出てくるのも、現代の象徴ですか。

「酔う」って結果でしょう。

「酒を飲む」という行為から続く経過ですよね。

私は酒を飲みますが、それは酔いたいからではなく、その酔っている時間を楽しみたいんですね。

この二つは同じではありません。


そういうジワジワ感にいる時が好きなんです。

酔い過ぎないように自分の酒の量をちゃんと知ること、これが大人だと思います。


時にはバカ話や、時には下ネタでも、時にはマジな話をしたりして、その時間を楽しみたいんです。


つい例え話にしてしまいますが、こういうスプレーだと「出会ってすぐにホテル直行」と変わらんでしょう。

それが良い人はそれで良いですけど。



ついでに言えば、「ノンアルコールビール」というものにも抵抗があります。

飲んではいけない状況には飲めない、という縛りがあるからこそ、飲める状況が楽しめるのではないでしょうか。

まあ、私はノンアルコールでも良いから、ビールの味を楽しみたいという方ではないからでしょうけど。



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