谷中浄名院と「新演藝」の水島爾保布 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
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谷中の八万四千体地蔵で知られる東叡山浄名院は、毎年旧暦8月15日に行われる「へちま供養」で知られ、明治時代に不治の病と言われたぜんそくの加持祈祷に由来します。境内ぐるりお地蔵さんばかりで、詳しくはネット検索してください。詳しそうなおじさんがいらっしゃったのでいろいろうかがったのですが、思いだせませぬ。ただ、今でも地蔵さまを奉納することができるそうで、永代供養代込みで50万円だそうです。地蔵さまに空洞を穿って自身の骨を収めて、お墓代わりにならないか?

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左から大正7・8・10年の「新演藝」の表紙と表紙裏、少女・婦人雑誌で活躍した田中良の挿絵のようです。松田青風ではなかったですね。訂正します。間違いの多いブログですので、すべてを疑ってかかることです。裏広告は「畏しくも御料に召され給う」御園白粉(みそのおしろい)で、役者さんも決まって使われたのでしょう。通年デザイン変わらず、商品流通とも自信あふれた姿勢がみなぎっておりまする。

さて、今年1~9月における広告関連業者の倒産件数が前年同期比40.6%増の201件、01年以降で最悪のペースで推移、倒産の7割は中小代理店だそうです。私のような個人業者は零細にも混ぜてもらえず、ノーカウントですけど、泡沫(うたかた)と消ゆる虚業産業ですから、何があっても恨みに思ってはならぬ覚悟ではおりますが。

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こちらは大正8年に記載された水島爾保布(におう)の挿絵です。珍しいのでご紹介します。爾保布については、過去ブログで幾度もとりあげていますので簡単に。水島爾保布(1884-1958)東京は下谷根岸生まれ、大正8年に谷崎潤一郎『人魚の嘆き 魔術師』(春陽堂)にビアズリー風の挿画を描いて有名になります。戦後は愛人と新潟県長岡市に隠居し、画壇からは距離をおいてローカルな絵を描いてのんびりと暮らしています。この挿絵には30代半ばの油っ気がたっぷりとしたたっていますね。