島崎藤村「家」と橘糸重 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
朝から段ボールの分別ゴミを出したり、銀行でわずかな預金から現金を引き出したりして事務所に戻ると、暗い顔をした印刷屋さんの営業が待っています。広告チラシに大変更があったようでクライアントに文句を言いつつ説明を始めますが、当然私はそれを許した営業をののしりながら変更箇所を確認します。広告内容が変わるのは当り前のことなので、いつも私が申しいれるのは修正にかかる「経費」です。田舎の版下屋なので時間給でデザイン費用を計算する。そのことをクライアントに伝えよと。この基本を理解していかないと、生計が成り立ちませぬ。やれやれ

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昨日はエネルギーが切れて尻切れブログになりました。書きたかったのは幸田露伴の妹・延のことではなく、彼女につづいたピアニスト橘糸重(いとえ)です。幸田延ほどの力量はなかったそうですが、彼女の演奏には聴者を惹き付けるものがあり、その演奏ぶりを讃えるほどに、幸田延の取巻き連中は面白くなく誹謗するという繰り返しで、糸重・延の意志とは関係なく険悪な雰囲気になっていきます。この糸重のサロンに出入りしていた島崎藤村が作品「水彩画家」に、妻子ある主人公に恋する悲恋の女流ヴァイオリニスト柳沢清乃として糸重を登場させます。

当時、村社会的だった文壇では柳沢清乃のモデルは糸重と推量するにたやすく、二人は恋仲であるとスキャンダルが巻き起こる。続いて明治43年正月から読売新聞に連載された藤村の「家」もほぼ同じ筋書きだったため、妻子ある“藤村”に恋する悲恋の女として糸重は追いつめられていく。今と違って人権など確立されていない時代ですからメディアに書き立てられ、その噂を鵜呑みにした長谷川時雨「近世美人伝」によって話は執拗に広がっていく。

 しのぶれどあまりにつらき夕べかな我むねささむ剣かせ人

 一人思い一人悔やみて一人せめて一人罪なわがこころ哉

 かくて猶ながらへぬべき道はしらずわが胸さけよ今の今いま

 おそろしき魔とうたわれてすごす身のまことの魔なれと思う頃哉

短歌の素養があった糸重はその苦しみを残している。「ツルギ・カセ・ヒト」剣もて自身の胸を貫きたい。ほとんど悲鳴に近い。短歌では婉曲に避けることが多い反復も、“一人”を4回“今”は3回連ねるなど、社会的には反論しなかった分、短歌では激情を吐き出している。やがて、抗弁もならず疲れ果て「本当に魔性の女であればいいものを」と諦めに変わっていく。結局、演奏家としての一線を退き後進を教えることに引きこもってしまう。

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この島崎藤村は悪い男で姪を孕ましておいてパリに逃げるは、泣かされた女性は数知れず。こんなところにも犠牲者を見つけてしまい、まぁ皆様にご報告しておきますね。あの詩と顔にだまされてはいけませぬ。橘糸重は静かな人だったようで、反論かなわずと知って自ら身を引いたようですが、哀れでありました。晩年、お弟子さんに囲まれピアノの前に座る写真が掲載されています。

 わがこころそととりだして見つれども何ものもなし何ものもなし

ふたたび「何ものもなし」と繰り返しを使った短歌は、奇妙にねじれてしまった人生を受け入れつつも諦念に身を沈めています。