誰もいないどこかへ

最後の旅。


テーマ:
 インターネットを通じて「弱さ」というテーマに共鳴してつながった人は何人もいるが、じつは「弱さ」が、人と人をつなぐ要素になり得る、ということが、普通の人にとっては理解できないものなのかもしれない、と思い始めた。


 もちろん“つながる”と言ってもその繋がり方は様々だ。
 自らの弱さをさらけ出していたらその思いに共感してくれた、という人もいるし、人間の弱さについて哲学的、または臨床的に勉強をしている、という人もいる。自分の子供が障害を持って生まれたことをきっかけに、人間の弱さについて考えるようになったという親もいるし、自殺未遂や自傷行為を繰り返していて、なんとなくこいつも弱そうだからひとまず悪いやつではなさそうだ、という理由で接点を持ってくれた人もいる。

 ただ1つ言えるのは、「弱さでつながる」というのは、よく企業や団体や、あるいは同じ志や野心を持つ者同士が、連帯したり協働したり、または同盟を結んだりするようなイメージではなく、言うなれば「スラムで身を寄せ合って生きている」という感覚のほうが近い。
 お互いに力はない。互いに言葉を交わすことも少ないし、別段仲が良い、というわけでもない。誰か傷ついた人がいても助けられるような甲斐性を持っているわけでもないし、事実、そのつながりの中では、今日は誰々が自殺した、今日は誰々がいなくなった、ということが日常茶飯事的に起こっていて、それでも「ああ、あいつもいなくなってしまったんだな」という感慨のような感情を湧き起こす以上に、できることがあるとも思えない。

 日本では経済的スラムとして、いわゆる「ドヤ街」と呼ばれる、東京の山谷や大阪の釜ヶ崎などが有名だが、経済的なスラム以上に、「精神的なスラム」がインターネット上には多くできあがっている。
 そこには、支援者や一般の人間では絶対に知りえない、「弱さのリアル」が今日も繰り広げられているが、それは各人が各々の個人的関係の中で作り上げているものなので(Twitterを知っている人なら、Twitterでフォローする人間を増やしていくことで、各人独自のタイムラインが構築されていく、というイメージだと分かりやすいかもしれない)、傍から見て可視化することができない。

 しかし、「ただ身を寄せ合う」ということの効能はバカにはできないのだ。
 経済的なスラムで、たとえ満腹にならなくても、1つのパンを3人で分けあって、3人が共に餓えない、ということに大きな意味があるのと同じで、たとえ満足や安心が得られなくても、同じ境遇の人がそこにいて、今日もいなくなっていない、ということには大きな意味がある。
 ただしそれは同じ境遇の人間同士でなければ意味が無い。経済的スラムでセレブレティが突然やってきて、「私も同じ人間なんです」などと言っても説得力がない、というのと同じで、ただ知識的に理解している、共感している、ということ以上の親近感が、そこには必要だ。
 私も完全に、とまではとても言えないが、一部の“彼ら”にとって、「身を寄せ合うに値する人間」と見てもらえたことは、いつも光栄に思っている。


 それを思うと、ひょっとしたら、「弱さでつながる」というより、「知識的に理解している、共感している、ということ以上の親近感を持って、弱者と同じ境遇に座り、身を寄せ合う」ということが、普通の人には理解できないのかもしれないし、支援だの理解だのいうこと以上に大切なことがあると、私自身も“知っていたはずなのに忘れてしまっていた”ような気がする。

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