誰もいないどこかへ

最後の旅。


テーマ:
 自分自身のことを振り返ると、結局「傷つけるとか見捨てるとか置き去りにするとか踏みにじるということに関して、なんで自分ばっかり常に気にしながらびくびくしてて、他の人は何も気にせず平気でそういうことができてしまうんだろう」という思いに、ずっと苛まれてきていたような感じがする。

 理想の教育とか、理想の食事とか、理想の憲法とか、理想の社会とか、そういう「器」を美しく整える議論は今も活発だけど、その中身である人間自身の「傷つけるとか見捨てるとか置き去りにするとか踏みにじる」という感覚に関しては、誰もがこれからも無視し続けていくんだろうと考えると、憂鬱だ。
 自分は神様ではないから、上段に立って「俺様ができていることを貴様らはできてないんだ」なんて説教はできないけど、赤の他人に対して、配慮する、熟慮するという感覚を持ってほしいな、と思うし、持ってくれなければ、結局また自分だけがびくびくして生きることになるから、どこに行っても同じだ。

 なんでこんなにも普通の人は、赤の他人に対して配慮したり熟慮したりすることなく、平然と傷つけたり見捨てたり置き去りにしたり踏みにじったりできるようになるんだろう、と考えると、結局ネットだけじゃなく現実世界でさえ「都合の良い人間だけと付き合う」というやり方に染まりきっているかだと思う。
 4歳くらいの子どもでも、例えば週1で銭湯に行くような生活をしていて、よく分からないおっちゃんや刺青の入った兄ちゃんと向きあうような機会があれば、それなりに公共の場では、相手の顔色を伺ったりびくびくして気を遣ったりするようになるし、そういうことが普通の人は1度もないんだな、と。

 たぶんそういう「相手の顔色を伺ったりびくびくして気を遣ったり」ということが、家族内で極端な形で行われると、いわゆる「アダルトチルドレン」ということになるんだろうけど、だったら極端は避けるとして、普通の人よりもAC的な人間のほうが、むしろ人の在り方としては正しいのではないだろうか。

 ツイッターだとリムーブなりブロックなりという機能があるけど、良い意味で言えば自助グループとか当事者研究会なんてのも、悪く言えばアースデイとか在特会とか、ああいうのも現実の生活における「ブロック」なんだよね。都合の悪い人間の存在を、自分の生活圏から排除する、という。
 「壁」だよね。壁の中で「庇護されている」という安堵感と後ろ盾が保証されれば、人間はいくらでも残酷になれるというのは、現実で言えば職場内の飲み会から、ネット上では時折晒される有名人とその取り巻きによる炎上案件の一部始終にまで、あらゆる場面に見て取れる。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

よっひーさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。