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シンガーソングラーターymのブログ

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崖っぷち歌姫

テーマ:
はろー!


ちょっと今日はしんみりするかもしれない話を書きます。
でも、なんか深く思ったことなので、共有したいです。
長くなりますが、喫煙者の方などに読んでもらえたら。




*******




先日、祖父が亡くなりました。
肺がんでした。
まあまあお歳だったので、私たちから見れば大往生だったのかな?と思うのだけど。


遡れば前にも書いたけど、そんなゆみとおじいちゃんが、最後に三年前に会った時の話です。



******



生まれも育ちも東京の私にとって、鹿児島にいる父方の祖父はそんなに身近な存在ではありませんでした。

でも小さいときは毎年帰っては近くのおもちゃ屋さんでうちでは買ってもらえなかったような大きなおもちゃを買ってくれ、
毎年お年玉も送ってくれ、優しい優しい祖父でした。


私がアメリカに渡ってからは、東京に帰るのがやっとだったので、もちろん鹿児島に帰る時間もなく、会わないまま10年が過ぎました。


祖父が肺がんになったとの知らせを聞きましたが、家族全員でいきなり帰るのはよろしくないというお医者様の提案で(自分が死んでしまうから会いにきたのか?と勘ぐられてしまうため)、私たち孫は、無理なく用事があったら寄ってあげよう、ということになりました。


そして3年前、ふとした用事から鹿児島に行くことになり、初めて大人になって1人で訪ねたのです。

鹿児島空港と市内のちょうど間にある姶良という地域は、元は郡で今は市になり、近くにはユニクロなどもでき、少し発展していました。

市内からのバスは果てしなく本数が少ないので、レンタカーで移動、祖父の家と表の墓場はそのままあり、

出る前に市内から祖父の家電に電話し、

「多分何時頃に着くよー!」

と、行ったことないので超予想で言った時間より大幅に早く着いてしまいましたが、祖父はずっと玄関の前の車道のところに立っていて待ってくれたようで、多分よそ者?笑の私の車が通りかかると、10年ぶりにも関わらず外から手を振ってここだよーと合図してくれました。



その平家は父と父の姉である伯母が生まれ育った木造の立派な庭付き一軒家で、家族で里帰りするとよく父親が、ここが子供部屋で、ここは昔はボットン便所で、この木は金柑でーーと説明してくれました。

昔は大きなハローマックというおもちゃ屋さんが隣にありましたが、そこは取り壊され、小さなお家たちとカラオケ屋さんになっていました。


高齢になってきたときに免許を返却し、車も売却し、どこへにも行きづらくなってしまいましたが、
歌が好きな祖父は、亡くなる直前まで夫婦でやってらっしゃる隣のカラオケ屋さんに通い詰め、そこの奥さまが、一人暮らしの祖父のためにごはんなど差し入れしてくれた様です。



私がお家に着くと、小さい頃にはすごく高かった記憶のある玄関先が待っていました(大人になっても高かったから、小さいときはよじ登ったかも)

すぐ畳の居間ですが、畳は綺麗に張り替えられ、私たちやいとこの写真が飾られていました。
居間のノートには、自分の好きな歌のカラオケ入力番号がリストになっていました。




父に似てぶっきらぼうの祖父と2人っきりで話すのは初めてだったので、鹿児島弁も分かるか不安だし、少し挨拶したら帰ろうと思っていたのですが、畳に座った途端にアイスを出してくれ、それを食べながら話を聞くことになったのです。




祖父がほとんど行ったことのない東京の話、
みんなは元気かな?とか、祖父は頑張ってゴリゴリの鹿児島弁ではなく、なるべくテレビに近い言葉で話してくれました。
そんな世間話から、ついに祖父の病気の話になりました。




隠し事はしていなかったので、自分自身の病気について全て知っていました。

レントゲンを見せてくれ、このモヤモヤが癌だと。そして転移もしていると。


毎日こんなにたくさんの薬を飲んでいること。

そして、癌だと宣告された時の話になりました。



父も祖父譲りだなと思ったのですが、ガンコで自信過剰。誰もが自分に対してはそうな様に、祖父も、自分が病気になるなんて、思っていなかったそう。



祖母が亡くなったのはかれこれ20年以上も前のため、それからは1人でお庭の手入れから家のことなどすべてやっていた元気な祖父。


彼ががん、肺がんだと申告されたのです。



肺がんかぁ。。
と思ったときに、真っ先に出てきた思いが、


「タバコを辞めていればよかった。」



「...」

なんとも言えない気持ちになりました。


もちろん、肺がんの理由はタバコだけではありませんが、タバコは大きな要因になりうる。


「タバコをやめたほうが健康を害しそうだ」
「逆にもしやめて、病気になったらどうするんだ」

と、昔は笑って言っていた祖父、父親も同じことを言っていました。



「戦時中はね、しょうがなかったんだよ」


戦争中の話になりました。


10代の頃に戦争に行った祖父は、無事生還しましたが、その中での娯楽と言ったら少なく、先輩に勧められたタバコを10代から吸っていたそうです。


好きなタバコを死ぬまで吸って、それで満足なのかと思いきや、
そんな祖父でさえ、


「あのときに、ちゃんと断ればよかった。」


半世紀以上も前のことを、いきなり悔やみ出したのです。


私は黙って、聞いていました。



毎回、煙草があれば幸せなこと、煙草をやめるなんて考えたこともないほど毎日に密着していたタバコのことを語っていた祖父。


祖母が亡くなった時も、タバコを吸って心を落ち着かせたとか


人生の、色々な部分に登場するタバコ。



それを、今更、やめておけばよかった、と言い出したのです。


涙が出そうになりました。



あまり、人生に後悔のない祖父が、肺がんになってから初めて、なお生きたいと思ったときに、タバコを吸っていなければ、まだ生きられたのでは、と思ったのです。




結局私は3時間ぐらい祖父の家で色々な話を聞き、なんとも言えない気持ちで、またね、と言いお家を後にしました。

それが、最後になってしまったわけですが。。。


祖父にもう一度会いたかった、というのはそこまで思わず、むしろ3年前に会えていてよかったな、と思います。


でも、祖父が最後に話してくれたことはすごく心に残っています。



亡くなる半年前ほどからは入院が嫌な祖父のために、自宅で酸素ボンベを背負って生活するスタイルを取っていました。


うちの両親は、危篤の知らせが入ってからすぐ鹿児島に向かったため、亡くなる2日前に筆談しかできない状態の祖父に会うことができました。

ずっと面倒をみてくれた伯母は、祖父が亡くなった瞬間には立ち会えず、泣いていたそうです。



煙草が大好きだった祖父の、ほんの少しの心残り。

何十歳になっても、どれだけ満足な人生を生きていても、更に長く生きたいという欲は生まれてくるんだな、と。


そう思ったときに、自分も今から少しでも健康的な生活をしなければ、と思うようになりました。



ほどなくして、父親も、30年以上吸い続けてきたタバコを、誰に宣言するでもなく辞めました。



「辞めたわけじゃない、偶然吸う気分じゃないだけ」


父はそう言いますが、もう辞めてから半年経ちます。


タバコを吸わない私にとっては経験がないので、一概に全部悪とは言い切れないタバコですが、


ヘビースモーカーだった祖父の、こんな話があるよ、と伝えたかっただけです。



長い話を、読んでくれてありがとうございました。


R.I.P
My Coolest Grandpa! 






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