★お知らせ

・コメントは「承認制」で受け付けています。

 ただし、これは「個人のブログ」であり「掲示板」ではありません。載せる必要がないと私が判断したものは、

 理由の有無に関わらず削除させてもらいます。

 それについての答えや説明・対応も一切致しませんので悪しからず御了解下さい。


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●「袖振り合うも多生の縁」

本来の意味は「道で人と袖を触れあうようなちょっとしたことでも、前世からの因縁によるもの」である。


一般的には「袖すり合うのも多少の縁」と誤って使用されるが「多生」とは「輪廻転生」を指すもので

「多少」とは意味が全く違う。

「縁」とはその場で発生するものではなく、「縁」が予め存在しているから出会えるのである。


間違って私のブログを開いてしまった人でも、中身を読んで頂いた方というのは

何らかの「縁」がある方だろう。


「食」「芸術」「人間関係/色恋」の充実が豊かな人生と思っている。

旨い酒や料理、素晴しい絵画や音楽、素敵な人々と出会える事が楽しい。


そんな日々の悲喜こもごもの記録として、したためている。

Welcome



※多少でも読まれて違和感、もしくは反感を覚えるようであれば即刻読むのを中止して頂きたい。

 コメントの論拠が理解できるものであれば返答させてもらうが、あくまでこれは個人のページで

 あるのでわざわざ嫌なものを読んで文句を言われる筋合いもなく、お互いに不毛である。

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2017年05月03日

ブログを引越ししました。

テーマ:ブログ
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https://ameblo.jp/mykz713/
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2014年07月24日

運転免許は司法試験並みの難しさに。

テーマ:視点/雑感
今朝、横断歩道などお構いなしに突っ込んでくる「バカドライバー」を見る・・・まぁ世の中にはそんな運転手の方が多いので今更何を言う・・・なのだが。

自動車は「凶器」でもある。運転するにに相応しくない者が乗れば、それは拳銃と同じように凶器と化すのだが、どうもそういう認識がない。毎日どこかで起きる不条理な交通事故で亡くなる尊い命・・・要は「運転してはいけない人間」が免許を持っている事にある。

ならば「適正試験」を導入し非常に厳しくして「すぐに感情的になる人間」や「運動能力・反射神経」の少しでも劣る者には交付しない。車が減れば自動的に事故も減るだろう。

そこで出るのが「経済」の問題である。車が売れなかったり、ドライバーが減れば流通に支障をきたす・・・それはそうだ。しかし「命は地球より重い」などという歯の浮くような美徳感で言えば「命より金の方が重いんだな」という批判は当然だろう。

少しでも間違えば人をはね、命を奪う車・・・そもそもこんなに大量に走っている事の方が異常なのである。そして「経済(金)」の「代償」として毎年何千人もの命が奪われていく。一人殺されても大事件なのに・・・だ。

脱法ドラッグの問題の他、老人の運転ミス、暴走族、マナーを知らないオバちゃん・・・かのF1ドライバー中嶋悟は「一番安全な道はサーキットです。運転技術が一定ですからね」と言った。

そう公道には「キチガイに刃物」の如く、危険なドライバーがひしめいている・・・事故が起こらないほうが「奇跡」なのだ。
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2014年06月16日

同調化したがる若者たち。

テーマ:視点/雑感
サッカーの日本代表の試合の後に渋谷のスクランブル交差点で「騒ぐ」のがイベント化しているが、これはいつからだろう?
渋谷の交差点が特にサッカーと関係のある場所でもなかろうし、集まるだけなら新宿だって池袋だって、どこだっていいはずだが、いつしか渋谷の交差点が「お約束の聖地」となってしまったようだ。

渋谷の理由というなら、やはり「人が集まりやすい公道の大スペースがある」からで、そういう場所は「注目を浴びる」からでもある。公道だから面白い訳で「やってもいいけど代々木公園でやって下さい!」なんて言ってもあんなに集まらないだろう。

何の意味もなくともある習慣が固定化すると人はそれを体験しないと満足を得られないようになる。宗教心もないのに初詣をしたりクリスマスを祝ったり、蕎麦なんか好きじゃなくたって年越し蕎麦を食わないと落着かないし、夏は丑の日に鰻を食いたがる・・・のと同じだ。

そういう習慣は年代問わずにある訳だが、最近は渋谷や下北沢の既存駅が無くなる際にも若者が集まってきて「○○駅ありがとう!」などという「おかしな光景」が常習化して来た感がある。お前、本当にその駅に「愛着」なんてあったのか?と問うてみたいが、多分「イベント」に参加したいという動機の者がほとんどだろう。ちなみにデパートなどの閉館にも人は集まるが、それは「売り尽くしセール」に群がる客でしかない。「今までありがとう!」なんて言うが、だったら普段から買ってやれば潰れなくて済んだだろうに・・・である。

「集まる」という群集心理は自然なものだが、最近の集団化にはどこか違和感がある。それは以前「KY(空気読めない)」という言葉が登場したころから顕著に見られる傾向であり今時の学校での「いじめ」にも通じる。昔なら「俺は俺、私は私」という「皆と交わらない子」がクラスの中にいても「おかしな奴」くらいにしか扱われなかったが、今は「攻撃」される。それが嫌だから「大勢に従属」する事で安心感を得て、その立場を確保したいが為に無理やり「異端者」を作り上げ、いじめる・・・・実は「皆と同調しないと安心できない」という妙な「村意識」が都会の中でも蔓延しているのだ。

「協力」する事は大切だが「同調」は正しいとは限らない・・・いや、むしろ危険な方向に走る率が高い。そこを小賢しい連中に「操られる」のは非常に危険でだ。いつの間にか国家(という一部の利権組織)に操られて、気が付いたら自由な言動が許されない・・・なんて社会が着々と現実化しているのである。
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2014年06月08日

「予約困難な店」は「バンドワゴン効果」そのもの。

テーマ:酒・料理・レストラン

マーケティング用語の中に「バンドワゴン効果」というのがある。http://smmlab.jp/?p=21247
要は大衆が話題性に乗ろうとする「同調志向心理」を表したものだが、これは経済だけでなく政治や芸能まで様々な分野に及ぶ。

インターネットが発達し情報が溢れている現状では、この傾向が非常に強い。身近なところでは「予約困難な飲食店」であり「予約が取れない」という話題性が「そんな店なら凄く美味しいに違いない」という「妄信」が動機となり「雪ダルマ方式」に期待が膨れ、そして「需要と供給」のアンバランスが余計にその傾向を加速する。そしてそんな店の「常連客」になるという「優越感」が益々「予約困難な店」を「ブランディング化」してしまう。

メニューの選び方にも表れている。口コミサイトなどで「人気レビュアー」が「これが美味しい」と書けば、それに追従して皆が同じメニューを頼むようになり、そして「ここではこれを食うべき」などと「スタンダード化」されてしまう。

とんかつ屋の「特上」志向などが正にそれで、やたらと厚い肉のとんかつが良しとされているが、実は肉と衣と揚げ方のバランスを欠いている店がほとんどだ。しかし頼んだ本人は「皆がいいと言っているものを食っているのだから満足」という「自身の満足感」とは別な満足感を得ている。また反対に旨くても「期待したほどじゃない」という「天邪鬼」も多いのだが(笑)

バンドワゴン効果は一種の「集団催眠」でもあろう。しかしいつしか「正気に戻る」時が来なくてはならないのだが、戻る前に「次の催眠」にかかってしまうので自分がそんな状態にあるとは思わない・・・そう、何事も「自覚しない」のが「病気」なのである(笑)

ただ飲食やファッションなら可愛いものだが、政治や社会的な問題となると「笑えない」。野党があまりにだらしない為に自民党がやりたい放題・・・もちろんこんな状況を選択してしまったのは「バンドワゴン効果」に陥ってしまった一般大衆に他ならない

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2014年06月05日

略語大国

テーマ:視点/雑感
仕事で「リスケ」なる言葉はよく使用するが、その意味を知ったのは結構後の事で、最初は「利助?誰それ?」であった(笑)今でもその「略語」が嫌いで使わない・・・「リスケジュール」を略さずとも「予定変更」でいいじゃないか、と思うからだ。

ともかく日本は何でも略語化する。プレゼンテーションは「プレゼン」、コーディネートは「コーデ」・・・もちろん外人は略さない・・・略すと意味不明な言葉になるからだ。例えば日本語の「贈りもの」を「オクリ」だの「オクモ」なんて略したら訳が分らないのと同じである。

日常の仕事用語で気持ち悪いのが「イラストレーター」を略す「イラレ」である。これは「響き」が良くないのでイラっとする(笑)しかしパワーポイントの「パーポ」はイラつかない・・・勝手なもんだ(笑)

飲食店でも昔からよくあって、特に喫茶店ではレモンスカッシュは「レスカ」だし、アイスミルクティーは「アイミティ」・・・モーニングセットも「モーニング」であり、外人が聞けばそこらじゅうで皆が「朝」「朝」とつぶやいている「奇妙な光景」だろう。しかしオムライスを「オムラ」と言うのにカレーライスを「カレラ」とは言わない。ナポリタンやミートソースも略さないなぁ(笑)

もっと言うなら、レバニラ炒めを「ニラレ」とは言わないし、カツ丼を「カツド」とも言わない・・・カニ玉も「カニマ」ではなく、エビチリも「ビチリ」などとは言わない。

まぁ業界用語の「逆さ言葉」はギャグで使っているから楽しいが、日常の普通の会話での略語は上記のように不可解なことになる。ちなみに女子高生を「JK」なんて呼ぶのは略語ではないが、実は「JJ」なんてのも「女性自身」の頭文字から取っているので、昔からある習慣といっていいだろう。

ファミリーマートは「ファミマ」だが、セブンイレブンは「セブレ」ではなく「セブン」、マクドナルドは「マック(関西ではマクド)」だがミスタードーナツは「ミスター」ではなく「ミスド」、ロッテリアは略されない・・・吉野家は「ヨシギュー」だがすき家や松屋は「モス」のように「スキ」とか「マツ」とは略されない・・・ロイヤルホストは「ロイホ」だが、サイゼリアを「サイゼ」とは呼ばない。

・・・つまり、何の法則もないのである。誰かが勝手に呼び、それが一般化する・・・語呂なのか響きなのか韻なのか・・・分らんが、ある意味自由なので面白い。

では俺から・・・「ハメド」・・・これナ~に?(笑)

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2014年06月04日

科学と宗教は表裏一体。

テーマ:視点/雑感
「科学」と「宗教」はある意味「表裏一体」である。「ひらめき」がなければ発見もない・・・思いつきを「信じる」からこそ「実験」が繰り返され「実証」となって「科学」と認められる。では「ひらめき」とはどこから来るんだ?

小保方嬢が「STAP細胞はあります!」と涙ながらに訴えていた表情はもう「信仰者」のそれ、であった。会見は多分に「演出」もあったかもしれないが、妄信であっても彼女が「信じていた」のは間違いないと思うのだ。その後の理研の会見や行動を見ていても何だか「宗教団体の内輪もめ」という感じで「異教徒を排除する」的でもあった。そこには「理研」ならぬ「利権」が絡んでいたのは間違いない。ここも宗教団体とよく似ている。

俺は以前UFOの研究をしていた事があるが科学者ではないので実験したりすることはなかったが「観察による目撃」は何度もしているし、哲学的見解でも「宇宙とは何か?」には興味があって色々と調べたりした。難しい事は山ほどあったが、結論としては「無限の宇宙の中で、浜辺の一粒の砂程度の星だけに知的生命体がいるなんてことは余りに確率が低くそして非科学的である」。

そもそも人間の考えることは妄想であろうと、それが「あり得る」事だから想像できる訳であり、本当に「想像を絶する」ものであれば「思いも付かない」のである。江戸時代でも「月に行けるかもしれない」と思った人間はいるだろう。当時なら「夢物語」でも、その後人間は実際に月に立つ事となる。

今は言葉が喋れなくても脳波によって意志が伝えられる機器が開発されている・・・そのうちコンパクト化され、言語が違っても喋らなくても意思が伝わる「テレパシーグッズ」なるものが登場するかもしれない・・・つい何十年か前、誰が「インターネット」や「スマホ」の登場を予想しただろうか?

STAP細胞の実証は失敗したのかも知れないが、そこからまた別の発見があるかも知れない・・・潰すのは簡単だが、科学者ならば「可能性」を追求したくならないのかね?と思う。バチカンが「地動説」を認めたのはつい最近だが、それまで科学が何を言おうと「天動説」だったというのは可笑しい・・・が、それが「宗教」であり、そこを「改革」するのが「科学」ではなかろうか。プライドだのメンツだのに縛られるなら科学も宗教と変わらない・・・いや、表裏一体だからこそ科学の発達があるのだろう。

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2014年05月31日

バカ親が子供の未来を暗くする。

テーマ:人間関係

小学校の運動会も競争で順位を付けると差別になるとか、騎馬戦など戦うものは危険だからと競技に入れないのは珍しくなくなったが、最近は親のマナーが悪くて昼メシも親子別々に食わせる学校もあるという。


シートを広げ親子で「自家製弁当」を食う「普通の光景」は減って行き、コンビニの弁当や宅配ピザ、はたまた近くのレストランに行って・・・そして親が来られない家庭もあり、差別になるからと給食にしてしまう「余計な配慮」もある。昔なら近所のオバサンが「ウチが面倒みてあげるよ」という「交流」が普通にあったものだが今はそういうのは親子共々「重荷」になるらしい。


競技中も我が子を良く撮りたいがためにトラック内へ平気で入って来るのにも驚くが、注意されても「何が悪い?親なら当然でしょ!」と開き直るという。


先日の「自分が担任する高校の入学式を欠席して我が子の高校入学式に参加する教師」を「自分の子供の一生一度のイベントだから当然」と言う擁護意見が多いのも、本当に世の中に「バカ親」が増えたのだな、と呆れたが、同じ感覚だ。


また子供をタレントやモデルにしたいという親も増えてオーディションも大盛況らしい。「ウチの子、可愛いでしょ」と「売りモノ」にして自己満足を得る。ガキもガキでモノに囲まれて我がままな性格になる。


つまり・・・そういう家庭の子供というのは「ペット(愛玩動物)」であり、躾を間違えば勝手な事をやり出すのは当然だろう。動物ならまだしも、人間であれば人様に迷惑をかけるようになり余計に性質(たち)が悪い。


コレも「少子化」の影響なのか、「金銭至上主義」の影響なのか・・・子供の未来は、暗い(笑)

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2014年05月23日

日本は何故、舐められる?

テーマ:視点/雑感
タイのクーデターは現体制派と反体制派の話し合いがまとまらず、しょうがないから軍隊が出てきて「力で解決」・・・という非常に「みっともない」結果である。しかし「イデオロギーで物事は解決しない」という「いい例」を示している。ウクライナ問題も一緒だ。宗教や民族問題が絡めばもっと厄介である。

「集団的自衛権問題」について中国との軋轢を映画監督の山田洋次は「同じ人間なのだからちゃんと話せば分る」・・・などという非常に能天気な発言をしていて呆れる。だから日本は世界から舐められるのだが、これもいい例だ。

とかく日本人は「自国の価値観」で世界を見ようとする。何か問題があっても「私にも何某かの責任がある訳だから・・・」という「和を尊ぶ(これ自体は美しい思想だ)」文化があるが、海外では「じゃ、お前の責任だな」とバッサリやられる。「そこはまぁその、あれで・・・」などという曖昧な状況でも日本人同士なら納得してしまう。だから領土問題でも棚上げ発言を鵜呑みにして何の手立ても打って来なかったから、今になって大問題なっている。

中国では「井戸を掘ってくれた人の恩を忘れない」などという諺があるが、現在の中国人にそんな事を思う人間はほとんどいないだろう。今まで、そして今でもODAで多額の援助をしてきたのに、そんな「恩」や「義理」は微塵も感じない。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/chiiki/china.html

大きくなった力に任せて「人のモノも俺のモノだ!」と言い切ってしまえば何とかなるという強欲な国もあるのだ、という「事実/現実」を理解せずに「話せば・・・」と考えるのは日本でしか通用しない。

同じ敗戦国で経済的にも文化的にも先進国なのにドイツようにリーダーシップを取れる国でない日本とは何だろう?・・・もちろん潜在的な「欧米人優位の人種差別」があるのは間違いないが、やはり「ちゃんと発言して来なかった」のと「外交戦略」があまりに劣っていた事に尽きるだろう。なので経済が弱くなった途端、日本の価値は低落する。

しかし、だからといって「軍事力で」という発想も非常に愚かだ。確かに「話し合い」なんかで問題は絶対に解決しないが、だからこそ「どう話すか」の「かけひき技術」が重要なのである。そこで必要なのは「真心」なんかじゃなく「意思の強さ」であろう。

今まで様々な国を訪れたが、何処でも必要と思ったのは、その国の「文化への理解」と自身の「アイデンティティ」である。自分は日本人であるという「主張」も同時に持っていないと相手からは理解されないのだ。

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2014年05月04日

「子供の躾け」は絶滅危惧か。

テーマ:人間関係
自然界のドキュメンタリー「ネイチャー」を観に映画館へ訪れる・・・映画の感想はともかく、休日なので子供も多く、そして上映中も騒ぐ。親は注意しない。席が離れていたが近くなら文句を言っただろう。帰りの電車の中でもガキが騒ぐのを親は止めさせない・・・昔から「そんな光景」はあるのだが、最近はそれが当たり前のような風潮になっている気がする。

先日「高校の女性教師が自分の息子の高校入学式に参加するため、自分が勤め担任でもある高校の入学式を欠席する」という問題があったが、驚くのは「休んで当然、我が子の一生一度のイベント・・・」という世間の親たちの擁護意見が多かったことだ。世の中にこんな「バカ親」が蔓延している事の方が、教師が休んだという事実より根が深い問題なのだ。

「高校生」はもう「子供」ではないだろう。そして高校の入学式が「一生一度のイベント」という感覚がおかしい。こういう親は大学の入学式に出席するのは当然、就職した会社の入社式にも出席させろ!と言うのだろう・・・「一生一度のイベント」なのだから。

であるなら息子の「童貞:筆おろし」や娘の「初体験」は正に「一生に一度しかない大イベント」であるから「保護者同伴」すべきだろう。我が子が失敗して挫折しないよう「手取り足取り」教えてやったらいい。

それより当事者である子供自身が「しっかりしている」なら「母さん、自分の担任する入学式に出なくていいのか?」と、たしなめる事だろう。「仕事より家族」は否定しない・・・が、これから担任として人様の子供を預かる立場において、その「初日」に欠席するのは「道義上」外れているとしか言えない。それが嫌なら「公けの仕事」に就くべきではないだろう。友人は「その教師、これからずっと生徒に舐められるよね」と言っていたが、確かにそうだと思う。

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以前、回転ではない「普通の寿司屋」で小学生の息子がカウンターで漫画を読みながら食っているのを当然としている家族を見て、俺は店主に「アナタ、ガキに漫画読みながら自分の寿司を食われて悔しくないのか?」と問うたら「住宅地なんで・・・」と言う。そんなプライドの無い職人に呆れて、以降訪れるのを止めた店もあった。

「他の客に迷惑はかけていない」・・・そんな光景は十分に気分を害するので迷惑なのである。最近はバーなどの酒場や「オトナの飲食店」にも子供を平気で連れて来る親も多くなったが、同じ理屈で「迷惑はかけない」と言う。完全に自分たちさえ良ければいいという我がままであり、「非日常の飲食」を愉しんでいる「大人の雰囲気」を壊している事には鈍感で気付かない。これはチェーン居酒屋がファミレス化した要因が大きい。

「マザコン」も「子離れしない親」も昔から存在するが、世間がそれをたしなめるのではなく、肯定している状況を憂う。もう「躾け」なんていう「概念」は絶滅してしまうのではないか?と危惧せざるを得ない・・・あぁ「ペット」だから子供に「自立」なんて求めないのか(笑)
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2014年04月25日

デザインに「良し悪し」などない・・・誰が決めるか、だけである。

テーマ:アート/デザイン
先日、日本を代表する有名企業の仕事で空間デザイン提案を行う・・・が、使われる「内容」は教えてもらえず、デザインの希望テイストだけしか情報がないという、言わば「目隠しデザイン」であり、無茶苦茶だなぁ、と思いながらも「オトナの事情」で仕事を仕上げる。案の定、「ちょっと違うんだよね・・・」とか、施主メンバーの中でも意向のズレがあって「う~ん」という、要は「気に入らない」という結果になる。

かねてから言っているが「デザイン」には「良し悪し」など無いと思っている。余程に機能が劣っていない限り「色や形」は「誰が決めるか?」でしかないのだ。それは「趣味・嗜好」の領域である。
例えばどんなにモダンでカッコいいインテリアデザインであっても田舎のスナックには相応しくなく、オーナーからは「やっぱ真っ赤なモケットのソファじゃなきゃダメだろ!」と怒られる(笑)つまりが「そういう事」なのである。

なので仮に「良いデザインとは何か?」といえば、依頼者と製作者のお互いが納得でき、満足できるもの、と言えるが、それは良好な「人間関係」が成立しているかどうか?にかかっている。つまり「良縁」であればお互いに幸せな結果になる・・・正に人間関係そのものなのである。

今回の仕事で俺が注文したのは「デザインディレクター(責任者)を御社で決めてくれ」というものだった。デザインの仕事で複数のデザイナーが存在するとまとまらないケースが殆んどであり、誰かが妥協し、不満を持ち、中途半端な結果になる。任せてくれるなら最大限努力するが、とにかく自分たちの趣味嗜好を反映させろと言うなら、その責任を持ってくれる人間を立ててもらわなければ困る。

なので今回は完全に「従属」の立場を取る事にした。そもそも会議の冒頭から人目をはばからず「大あくび」するような人間の仕事は真剣に「やる気にならない」。そういう奴に限って「デザインの根拠は?」などと質問してくる。「条件」もなしにデザインさせられ根拠と言われても「これが感覚的にいい雰囲気と思ったから」としか言う他はない。「コンセプト」は重要だが、コンセプトで実際のモノを作るろうとするのは「こじつけ」にしかならず、ロクなものはできないのが常だ。

実はその企業の業績は非常に芳しくない・・・こういう社員がいるからなんだろうな・・・の表れであると思った。

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