やっぱり「筋トレ」?

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この6月に勇崎塾長が「50歳からは『筋トレ』してはいけない」何歳でも動けるからだをつくる「骨呼吸エクササイズ」という本を、講談社から出しました。ちょっと、長い題名なのですが、からだの学校・湧氣塾が言いたいことが詰まっている題名です。

 

今まさに、「筋トレ」の言葉が大きく広がっている「筋トレ」ブームですが、実は何のために「筋トレ」をするのか?どのような「筋トレ」をすればいいのか?どんな人でも「筋トレ」していいのか?ということは、あまり問題にされていないことを心配して、この本を出しました。

その実例を本の中で取り上げているのですが、この本を読んで「私は筋トレをして、からだを壊してしまい、筋トレの代わりに何をしていいか分からずにいました」という方が、多くいらっしゃることに「やっぱり!」と、思っています。

 

このことを言って来られる方は年齢に関係なく、30代の方から80代の方までいらっしゃって、本の「50歳からは」としているのは、この年齢からむやみに流行りに流されて「筋トレ」すると、弊害がありますよ!というメッセージを込めて題名にしているのですが、若い方でも学生時代に部活で過度な「筋トレ」をして、「あっちこっちが辛くて、からだが重いんです」と言われます。


その方々に稽古していただくと「からだを使うことはいつも苦しかったので、からだを使うことが、こんなに楽しいことだとは思わなかった」とか「からだは、こんなに軽く使えるんですね」と嬉しい言葉を言って頂けます。

そうなんです!幾つでも、自分のからだを使うことは楽しいことなのです。ですから勇崎塾長は、本の最後に「楽しく子供が遊ぶようにからだを動かしていただきたい」と結んでいます。

 

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骨を強くする方法

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ネットを見ていたら、雪印メグミルクの広告が目に止まりました。

そこには、骨密度を高める3つの方法として、①運動 ②睡眠 ③栄養となっていて、埼玉骨疾患研究所センターの板橋明先生が骨密度の低下について「知らないうちに背中や腰が曲がる、身長が縮む、転んだだけで骨折する。ひどくなると歩けなくなる。など非常に深刻な状態を招くため、早めの対策を立てることが重要」と言ってらっしゃっています。

 

まあ、私たちがいつも言っていることが載っています。

私は去年、セルビアに行ってヨガのインストラクター国際ライセンスを取ってきたのですが、その時ドクターに解剖学を習いました。そして、ドクターが言うのに「骨はとても大切な器官ですが、残念なことにここを強くする方法は世界的にないんです。骨はもっと注目されるべき器官なのです」と言ったのです。するとそこで、私をそこへ連れて行ってくれたセルビア人の友人が私を指して「この人は、日本で骨を強くする運動を教えています」と言ってくれたのです。そして、私に向って「ドクターに森さんの方法を教えてあげなさい」と言うのです。

 

そこで持っていた湧氣球(からだの学校で使っている桜材の5cmの球)の上に足先で乗ってみせたところ、ドクターも自分でやってみると言ってやったみて「これは凄いね!ただし凄く痛いね」と言って私の顔を見たので「この痛みが骨を強くするんですよ」と言うと、「分かる、かわる。これは本当に骨を強くするよ」と言ってくれました。私たちは骨を強くすることをずっと提唱していますので、このときのドクターの言葉に大変誇らしく思ったことを、この雪印メグミルクの広告を見たとき思い出しました。

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「遊ぶ」ことを忘れた大人のからだ

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稽古の中で一番言うことは「からだに力を入れないでください」「力を抜いてください」「緩めてください」の言葉です。本来からだを使う時に、重い荷物を持つなどしなければ「力」など必要ないはずです。重い荷物は「よいしょ」っと掛け声をかけたりしないと、持てないことがありますが、一般には力が必要なのです。

でもそういえば、寝ている姿勢から起き上がるときに「よいしょ」って言うという人がいました。からだが重いということでしょうか?

 

唐突なんですが「遊ぶ」って言葉を辞書で引いてみました。すると“[命令、強制や義務からではなく、趣味・レクレーションとして]自分のしたいと思うことをして、時間を過ごす”となっていました。なるほど、私たちはいつの間にか[命令]や[強制]や[義務]ばかりになってしまって、自分で自分のからだを縛り付けているのでしょう。そして、からだを開放することをしなくなり、自らどんどん動かないからだ、重いからだにして「遊ぶ」ことを忘れてしまているのでしょう。

 

そういえば、小学校の頃の勉強の時間は[命令・強制・義務]の時間だとすると、休み時間はからだを開放されるための時間だったのでしょう。ところがいつの間にか、からだを開放する「遊び」を大人になると忘れてしまいます。

 

からだの学校の稽古の中に「遊び」を取り入れていて、どの稽古の時間よりも皆さんが生き生きとなるのはこの開放したからだが使えるせいなのだとわかった気がしました。

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湧氣塾で教える身体の使い方

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皆さんは、生活の中で知らず知らずのうちに身体をいかに楽に動かことを考えていませんか?

また、身体を楽に動かす事が身体に良い事だと考えていませんか?

 

湧氣塾で教えている身体の使い方は、使える(使っていて気持ちがいいとか、楽な感じがする)身体の部分だけではなく、いかにして使えない(使っていて不快、または苦痛に感じる)身体の部分を使い、身体全体を使いきるかが大きなポイントになります。

 

なぜなら自分の使いやすい身体の部分ばかり使っていると、歪みや癖が高じてしまい身体に負担がかかる可能性があるからです。

 

からだの学校で身体使いを体得していくと、自分の苦手な体の使い方や苦痛に思っていた体の使い方が楽に使え、日々身体を使うことで元気になって楽しくなります。

 

今日はスタッフの秋山が皆さんにお伝えしたいことを書きました。

当たり前の日本人の骨格使い

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よく稽古のときに、日本の電化する前の日常生活にはからだの知恵が自然と備わっていたということをお話します。

 

例えば、布団の上げ下ろしもなかなか凄いものです。昔の布団は綿わた100%で、重いです。それをまずたたんで、朝晩押入れに入れるのですから、かなりの労働です。ただ布団が硬く金属的な重さでないというのは重要なところです。いわゆる、バーベルを持ち上げるのとは違うのです。歯を食いしばって持ち上げるのではなく、布団を畳んだ流れのリズムの中で持ち上げていく感じです。「よっこいしょ!」で、上がる感じでしょうか。

 

布団の上げ下ろしひとつをとってもこんな風ですから、数え上げるときりがありません。洗濯や釜戸に火を起こす姿勢は、いわゆる蹲踞(そんきょ)のからだ使いと同じです。洗濯物を絞るのも両手で手とヒジを交差させて水がほとんどでないように絞りあげ、それを竹竿に通して三つ又で2mぐらい上まで持ち上げるのですから、なんと素晴らしいからだ使いでしょうか。

 

掃除でもはたきは、ヒジから手首の動きを上に向けてパタパタと、ほうきでははたきと逆に下に向かってサッサッサとヒジから手首の動きを使うわけです。つまり、生活すべてが自分のからだを使わなくてはなりたたなかってのです。

 

こうしてみてみると、昔の当たり前のからだ使いはみんな骨格から十全にからだを使っていたことが分かります。あえて歯を食いしばらずに「ヒョイ、ヒョイ」とからだを使うこと、私はカッコイイ!と思っています。

 

 

 

活動する身体が精神

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からだの学校・湧氣塾の理論を支えるものは、身体哲学者である勇崎塾長が長年身体を研究しそれを実践化させたものです。つまり、私たちはあくまでも実践の部分は日々の稽古で自分のからだで体得し、その身体に対する知識や可能性も塾長から学んでいます。

 

毎月一回生徒なら誰でも参加できる『身体哲学研究会』を開催しています。塾長から課題の本が提出され、その解説を聞いたり自分の感想を述べたりするのですが、先月は市川浩さんの『精神としての身体』でした。そして、今月は講座・生命2000vol4の中の中村雄二郎さんと木村敏さんの対談です。

この中で中村さんが、市川さんの身体論を日本の草分けだと言っているのですが、塾長もその市川さんの身体論を発展継承したいと常日頃言っています。

 

対談の中で中村さんはこんなことも言っています「市川さんの、精神とは『活動する身体』だ、というのはすごく正しいと思う。精神としての身体。活動する身体が精神。これは凄い指摘です…」と。ここを読んだときに、ある方がこんなことを言っていたのを思いだしました。

 

「私は本当に湧氣塾に通っていて、よかった」。この方は一ヶ月半ばかり精神的にも肉体的にもキツイ生活の毎日だったそうです。「やらなければならないことがいっぱいあって、気持ちはやりたくないと思うのだけれども、からだが動けるのでできてしまうのよ。動けるからだがあると、気がついたら動いている自分がいるのよね」。つまり、活動するからだが精神を引っ張ってくれるというのです。動けるからだ、いいものです。

 

 

 

 

頭を使わない、からだの動き

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赤ちゃんのハイハイが大切と言いましたが、実はハイハイをさせたくても「家が狭くてすぐに家具にぶつかってしまい、そのまま立ってしまうんです」と言う方がいました。そうですよね。たしかにハイハイするにはある程度空間がなければなりません。

 

私たちは稽古場があるので、その真ん中に赤ちゃんを置いてあげれば周りに何もないんですから、ハイハイするしかないんです。でも、お家では椅子やテーブル、ベットなどの家具の中で生活しているわけですから、すぐにつかまり立ちする環境が整っているわけです。

 

たまには、何もないところに赤ちゃんを連れて行ってあげて、ついでにお母さんもハイハイしてください。

 

大人がハイハイと思うでしょうが、当たり前にできると思っているとそうでもないんです。たまに「ハイハイって、どうやればいいんですか」って言う方もいらっしゃいます。そうなんです。誰でもできるはずなんですが、頭で考えると「アレ、右の手が先に出るんだっけ」とか「手と足は一緒にだすんですけ」とか、質問が出ます。

 

「考えなければ、自然にできるでしょ」と私は言いますが、そうでもないときは「右手が出たら、左足」と説明します。からだの動きは出来てしまえば何でもないことでも、言葉で説明するとややこしいことが多々あります。その点、赤ちゃんはそんなことはありません。誰に教えてもらうわけでもなくちゃんとできます。頭を使わずにからだを動かすこと、大切です。

ハイハイは大切!

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このところ、生徒さんのところにお孫さんができたりと、赤ちゃんに接する機会が多いです。

 

そこで、お母さんたちに言っているのは「たくさん、ハイハイさせてあげてくださいね」ということです。からだの学校・湧氣塾では身体哲学者勇崎塾長のメソッドに則って稽古内容が組まれているわけですが、その中に「進化の過程」を取り入れた動きがあります。

人間が立って二足歩行をするようになるまでの過程において、魚類→両生類→哺乳類(四足)→人間(二足)と段階を通って来たことが重要だと捉え、稽古内容に取り入れているのです。

そこで、「ハイハイは、赤ちゃんの骨格形成にとって大切な動きなんですよ」と、お母さんたちにお話する訳です。お腹から出来きた赤ちゃんは、手足の指を動かすことと、口でおっぱいを吸うことと、泣くことと排泄することしかできないところから、グニャグニャだった首が据わり、仙骨がしっかりしてくると寝返りができるようになり、腹ばいができるようになります。

 

そして、始めて自ら動くことができるようになるのが、ハイハイなのです。腰をしっかり立てて、手足でしっかりからだを支え、前へ行ったり後ろへ行ったりを繰り返しお座りができるようになるのです。つまり、ハイハイができるようになると赤ちゃんの骨格は歩くための順備をして、様々な関節がしっかりしてきます。

 

親の気持ちは「這えよ、歩けよ」よりも、「立った、歩いた」に早く進んで欲しいでしょうが、ここは十分に「這えよ、這えよ」をしてくださいと、お話しているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

筋肉神話(1)

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リオオリンピックでメダルをとった選手を集めたテレビ番組で、男子水泳の200mバタフライで銀メダルをとった坂井聖人氏とカヌースラロームで銅メダルをとった羽田卓也氏が出演して、こんな話がでたそうです。

 

坂井選手が上半身裸になり、後ろを向き自分のヒジを広げて脇の筋肉の膨らみを見せて、「僕はここの筋肉が発達しているので、バラフライに向いているようです」と言うと、「それだけ肩甲骨の可動域が大きいのは、素晴らしいですね」と羽田選手が言ったというのです。その番組を見ていた方は「面白いものだなぁ~、同じからだの部分の話をしているのに、二人の観点が違うと全然違うことになってしまうんだ」と、湧氣塾の稽古で筋肉や骨格の話を聞いているこの方は、「なんで、こんな風になるのでしょうか?」と、私に聞いてこられました。

 

日本では未だに「筋肉神話」というような、「筋肉を鍛えるのが、からだにとって有益なんだ」という考えが主流を占めています。運動に関係のない方々も「筋肉を鍛えなくちゃ、ダメなのよね」ということをよく聞きます。

 

でも、「筋肉をなんのために鍛えるのか」「むやみに筋肉を鍛えればいいのか」ということにに私たちは警鐘を鳴らしたいと思っています。なぜなら、湧氣塾を訪れてくたさる方々に安易な「筋肉神話」の中で困ったことになってしまわれている方が多いからです。

変わる動きと変わらない動き

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からだの学校 湧氣塾では、毎回同じカリキュラムをするものと、逆に毎回違ったカリキュラムをする稽古と2種類大きく分かれています。


骨呼吸の基礎のクラスは、毎回同じカリキュラムです。ここでは、からだならしも含め同じことをすることにより、「今日の自分のからだ」、「今の自分のからだ」を確認します。「この前のときは、指がうまく振れなかったけれど、今日はよく振れるわ」とか、「稽古前には、湧氣球が上手く吸い付いてくれたのに、いやだ今はくっつかないわ」とか、同じことをすることで日々のからだの確認をします。


骨呼吸の応用のクラスでは、基礎でからだならしをした後で、ある範囲に限定したからだの使い方や、「こんなところも、使えるの」というような、普段あまり使わないところを使っていきながら、徐々に使える範囲を増やしていきます。そして、ここでは『阿修羅の骨呼吸体操』を最後にします。これは、湧氣塾のために尺八演奏家であり、作曲家でもある中村正樹さんが作曲してくださったものに、勇崎塾長がゆったりとした邦楽の調べに合わせて、湧氣塾のからだ使いを振りつけたものです。


からだの学校 湧氣塾は、他の所ではしないからだの動かし方をするので、この『阿修羅の骨呼吸体操』も最初は皆さん「難しい」とおっしゃいます。私たちは、今まで自分たちが日常馴染んでいるものには抵抗なくすることができますが、湧氣塾の稽古は非日常のからだの使い方で、生まれてはじめて出会うからだの動かし方に戸惑われ、他のものよりも身に付けるまでに時間がかかります。ところが、だんだん身についてくると「何だか分からないけれど、気持ちいい」とか、「爽やかな感じになる」とかおっしゃいます。『阿修羅の骨呼吸体操も』も「これ、ちゃんとできると気持ちいいよね」っと言われています。


もうひとつ毎回違ったプログラムの稽古にセルフメンテナンスのクラスです。ここでは、骨呼吸の基礎・応用で湧氣塾のからだ使いを憶えていただいた方に、本格的に自分のからだへのアプローチをしていただきます。ですから、その日の天候や参加してらしている方たちの様子、またからだの部分を使うテーマに合わせた動きなど、様々な要素を取りいれて対応したカリキュラムをするクラスです。最初、こういう方法になれない方は「いつも、同じことをしてください」とおっしゃるのですが、この方法が身につくと「同じことをしても、しょうがありませんよね」と言われます。からだとは、生きているのですから時によって違っているものです。そこで、今一番に必要なからだへのアプローチができるか、いかに毎回新鮮な稽古ができるかを心がけて毎日稽古しています。