神宮の杜から

名古屋・京都・奈良のこと、その他日常のこといろいろ。
…だったのが、最近はほぼ育児日記。ぼちぼち更新。


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珍しく、先日の定例会資料とメモを読み返して整理していました。
 
最大の関心事はもちろん、尾張からの大量供給の意義は何か?(笑)
浄御原宮廃絶に伴い一気に廃棄された大量の尾張土器。天武朝の土器供給体制の革新において、その需要にどう応えるか、やはり、天武天皇の擁立基盤である東海の窯が注目されたという説明は最も納得できるものでそう考えるのが自然だと思います。
 
ただ、今回の講演を聴いて凄いと思ったのは、様々な場所で数多の土器の現物を見てきた先生ならではの着眼点でした。
石神遺跡や飛鳥京跡はさておき、水落遺跡から出土した東海産須恵器だけ古墳時代以来の杯Hが主体であることに注目し、その出土場所が貼石遺構直上の埋立土中だったことから漏刻を大津京へ移設した後の660年代後半〜670年代前半のものだろうと推測、同時に出土した遺物とも考え合わせて、壬申の乱に従軍した尾張兵が持ち込んだ什器であろうとの考察でした。
どこでどういうタイプの土器が多いのか話を聞くだけだと、それにどんな意味があるのかまでは考えが及びませんが、実際に現場を見ているとその遺物が何を物語るのかということに自然と思いを巡らせることができるのかなぁと、小田先生のお話を聴きながら思いました。
そういえば講演タイトルは「飛鳥の土器が語ること」。そういうことか!気づくの遅っ;
 
もちろん語るのは土器だけではなく、瓦や木簡、仏具、溝跡、焼土…挙げればきりがないほどあるのでしょうが、田んぼの地割もそのひとつ。
事前散策時に歩いた古山田道に風人さんの「気になる田んぼの地割」が、そして講演では甘樫丘東麓遺跡の東に小田先生の「気になる田んぼの地割」が紹介されました。
特に後者については、入鹿邸の所在地とも関連して説かれた先生の私説は斬新で、なるほどそれもありかな、と、想像力が著しく欠如している私はその発想の柔軟さに驚きを禁じえませんでした(笑)。
 
惜しむらくは、各遺跡についてもっときちんと理解していれば、さらに目から鱗だっただろうなと…資料チェックと言いながら、何も頭に入っていませんでした(笑)
 
 
さて次回は…詳細決定していないのであまり言わないほうがいいのか(笑)
でもこれだけ叫んでおきます。
葡萄唐草文様軒平瓦!
葡萄唐草!
瓦!
 
以前からネーミングが気になっていたのです、その寺跡。
 
次回もなかなか楽しそうですよ♪
 
 
 
 
 
 
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