お祝いメッセージくださった皆様、ありがとうございます。

 

最早、加齢を実感するばかりでありまして

今日の誕生日も「加齢」がキーワードでした。

 

実は先日から、飛蚊症になってしまいましてね。

 

ご縁のある眼科医の方に検査していただきまして

結論的には、加齢に伴うもので加療の必要性はない

とのことです。

 

眼科医に行くのはずいぶんと久しぶりでしたが

やっぱりビビります。

 

あえて詳しくは書きませんけど

ビビっているところを

女性スタッフに後頭部を押さえつけられるのは

なかなか恥ずかしいです。

 

そして、検査の前に、散瞳させるために目薬を使うのですが

その影響で、3~4時間ほど、スマホも見られないし、

本も読めない状態になります。

電車で1時間以上かかるところにある眼科医さんなのですが、

帰りは虚空を眺めている感じでした。

 

少し涙ぐんだ感じが続きますし

瞳が大きくなった自分の顔は・・・なかなかキモいです。

 

「電車の中で、気持ち悪いオッサンが泣いてた」

 

とか、誰かにつぶやかれているかもしれませんね。

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生で見るのは1年ぶり2回目でしたが
よかったですよ。
 
 
写真右側のキットカットは、
抽選で10人だけもらえるものでしたが
なぜか当たる確信がありました。

ここ最近、すっかりメジャーになった感はありますが
当日行って、普通に整理券がとれました。
少しずつ来場者は増えているようですけどね。
 
話は変わりますが
昨日(10日)、広島東洋カープファンクラブの
チケット先行販売だったんです。
 
ええ、9月下旬までのすべての試合、一瞬で
売り切れたそうです。
 
なんか、世の中間違っているように思えます。
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常々言っていることなんですが
ここ数年のことだけではなく
 
バブル期まで遡らないと
本物の議論はできないと思うんですよ。
 
バブル崩壊後の世の中は
「反省」のオンパレードでした。
 
特に「土地の値段が下がる」という初めての経験を
したわけですが、それは単なる「資産価値の下落」
ではなく
「担保の価値が下がる」という意味で、銀行の経営
にも大きく影響しました。
 
そして、人々の意識も変わりました。
「今、この不景気をどうするか」ではなく
「構造を変えなければならない」という認識が広がり
 
「では、今(1992~1995年ぐらい)の日本経済の問題点は
何なのか」ということが新聞や経済誌で論じられました。
 
主なものを挙げると
・バブルが崩壊したとは言え、地価が高すぎる
・法人税率が高すぎる
・規制が多く、物価が高止まりする
・日本的経営(終身雇用、年功序列)により、賃金が高い
・財政赤字が大きい
・少子高齢化が進行している
といったところでしょうか。
 
本当はですね。
25年前における、こういった認識が正しかったのかどうか
今一度検証しなければならないんですよね。
 
それはともかく、今日は財政の話。
 
1989年~90年の消費税導入をめぐる議論
1993年の細川内閣の国民福祉税構想
1992~1994年の、所得税減税・消費税率引き上げをめぐる議論
 
こういったものを経て、図らずも
財政は国民にとって「身近な話題」になりました。
 
そして、新党さきがけが「行革」ということを言い出しまして
1994年に、日本経済新聞を中心とする「特殊法人たたき」が
起こりました。
 
公共工事をめぐる談合の発覚や
公共工事の省庁別配分が硬直的だとか
そんな話も相俟って
 
「ムダが多いんじゃないのか?」
 
という意識が国民の間に広がったのは間違いありません。
 
国政だけではありません。
東京都で青島幸男氏が知事になった際も
「都市博中止」を公約に掲げていましたね。
 
 
確かにですね。
ムダは多いんだろうと思います。
ムダはないほうがいいに決まっています。
公的なお金を使って、「穴を掘ってまた埋め戻すだけ」
のようなことは、決してあってはならないことです。
これについては「GDPが増えるからよし」とするバカ野郎
もいますけどね。
 
だから、ムダを減らす議論が起こったのはいいことなんです。
しかし残念なことに
 
「何を以ってムダとするか」
 
の基準がないまま、議論が進んでしまったんです。
 
前述の「特殊法人たたき」で言いますと
「財政投融資で資金調達するのではなく、自ら市場で
資金調達し、市場の信を仰げ」
みたいなことが大真面目に言われ始めました。
社債を発行し、買ってもらえなかったら倒産・廃止しろ、
ってわけですよ。
 
これ、ものすごくおかしな論理なんです。
そもそもですよ。市場で社債を買ってもらえる企業
なのであれば、営利目的の民間企業でいいんです。
 
財政の役割は
「儲からない(民間はやろうとしない)けど、
社会的には必要な事業をやる」
ことのはずです。
 
それを忘れて、まるで企業が安易に成果主義に飛びつく
みたいに、公的機関を数字で測ろうとした。
定量的分析が最も向かない分野に、数字を入れてしまった。
 
その結果どうなったか。
 
実のある改革は何一つできていません。
 
小泉政権下では、無意味な郵政民営化や規制緩和ばかりに
注力し、「減らしやすいから」という理由で公共投資を大幅に
減らしました。
 
今は今で
オリンピックのことしか見ていないように思えます。
 
一方で、財政支出拡大を主張する人達も
「財政問題などない」とは、あまりに短絡的すぎます。
 
財政の本来の役割を忘れたまま
不毛な議論ばかりが展開されるのは
実に嘆かわしいことです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12244784713.html
↑こういう論理を展開する人が増えていますね。
 
財政赤字が国民に浸透したのは、
消費税導入の議論がされていた頃だったでしょうか。
当時はバブル景気の真っ最中で、税収も好調でしたが
建設国債は毎年発行され、国債残高は増え続けていました。
 
92年以降、税収が落ちてきましたが、
「赤字国債を発行するか否か」という、今にして思えば
どうでもいいことを一生懸命議論してましたね。
赤字国債を建設国債にすりかえるようなことも、
96年当初予算までなされていました。
 
94年度末に、国債残高が200兆円を突破し
96年当初予算では、新規国債発行額が20兆円を超えました。
 
当時はエコノミストも
「なんとなく、大変なことになっている」
という認識でしたね。
 
国債残高が200兆円を超えるとどうなるのか。さらに増え続け、
GDPを上回るとどうなるのか。新規国債発行額が30兆円を
超えると何が起こるのか。
それについて誰も何も説明できないまま「大変だ大変だ」と
言っていたような気がします。
 
21世紀に入り、各年の新規国債発行額がずっと30兆円を
超えているわけですが
これを1995年ぐらいに「予想」として発表していたら
「財政破綻だ」となったり
「こんなことは起こらないはずだ」みたいなことを言う奴が
出てきたりしたでしょう。
 
つまり今は、「20年前には到底考えられなかったこと」が
実現してしまっているわけで
それでも、国債の暴落や設備投資の減少(クラウディングアウト)
は起こっていないわけです。
 
したがって
「日本に財政問題はない」
という認識が広がっても、仕方ないかもしれません。
 
確かに
よくある「国民一人当たりいくらの借金」というのは、
何の意味もない数字です。
財政は、家計と同一に考えるべき問題ではありません。
 
しかしですよ。
「決められた期限に、返済しなければならない」
という意味では
家計における借金も国債も同じです。
返済のための予算を用意しなければなりません。
財政で言えば「国債費」です。
 
この国債費がどんどん増えています。
今や、税収の半分にまで膨らんでいます。
これが税収の8割になったり、税収と並ぶぐらいまで行く
ようなことがあっても、問題ないのでしょうか。
 
そもそも、日銀が国債を引き受けたとして
その国債が償還期限を迎えたらどうするんですかね。
日銀相手だから返済しなくてもいい、というのでしょうか。
 
そんな簡単な話ではないですよね。

 
もっとも・・・
財政問題に対する意識が、20年あまりの間、ヘンな方向に
いっちゃってることは事実です。
これについては、次回あらためて書きます。
 
言わんとすることはわかる。
昨今の中国人の増加は以上であり、
決していいことではないと、多くの人が実感しているであろう。
 
ただ、労働力について、中国に依存するようになったのは、
もう20年以上も前の話である。
 
当時の私は 「品質はどうなるの?」 と素朴な疑問を
持ったものであるが
 
「高コスト構造のままでは日本は戦えない」というのが
当時のコンセンサスであった。
それが法人税引き下げを求める声につながり
成果主義を横行させ
 
それが行き過ぎて、経営者が経営をしなくなり、
従業員にばかり負荷をかけるようになり、ブラック企業
なんてものも生まれてしまった。
 
グローバリズムというのは、昨日今日始まったものではない。
20年以上前、日本企業やメディアが勝手に始めたもの
である。
 
 
三橋氏と、その周辺の論客は
もともと安倍支持であったのが、消費税率引き上げや
TPP賛成への方針転換などを受け、政権批判側に
なっている。
 
それでいて、「日本に財政問題などない」というスタンス
をとっている。「日本経済は財政政策で立ち直る」という
点でも一致している。
 
これは、バブル崩壊以降のトレンドをまったく考えていない
稚拙な考えである。
 
いつも気になるのだが
三橋氏やその取り巻き達は、
1997年を議論のスタートにする。不景気の始まりが
1991年であるにもかかわらず、だ。
 
そして、昨今のホットな問題としてグローバリズムを論ずる。
 
内容的に賛同できる部分はあっても
日本経済の真の問題点がわかっていないことが見えてしまう
ので、説得力がない。
 
バブルの反省が、なぜかグローバリズムになり
いろいろ弊害も生みながら、20年以上続いている。
このトレンドを理解していれば
アベノミクスを礼賛することだってなかったはずである。

今になって安倍政権を批判したところで説得力はない。
当初、熱狂的な支持をしていた時点で、説得力を失って
いるからである。

もっと強く

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平成28年はいろんなことがありました。

 

1~3月の確定申告時期は

税務署の電話相談にも従事しましたが

知らないこと、というか

「思い込みで間違っている知識」

が自分の中にも意外に多くあることを

気付かされました。

 

新たな顧客との出会いもありましたが

今までの「自分の中での常識」だけで対処できない

こともある。当たり前ですが、それも思い知りました。

 

 

プロ野球では広島が優勝しましたが

私も久しぶりだったので、気持ちの持ちようが

なかなか難しかったです。

野球の見方も、まだまだ勉強が必要ですね。

 

チームのほうも、日本シリーズでは弱点が出ました。

まだまだ発展途上のチーム。

今年はまだ 「よく勝ったなぁ」 という感じでしたが

来シーズンは、「強いなぁ」と感じさせてもらいたいですね。

 

 

政治経済のネタも何度か書かせていただきましたが

日本がいろんな意味で「弱く」なっていることを感じます。

 

自分で考えることができない、「頭の弱い人」

自分を持たず、マジョリティに迎合する「意思の弱い人」

そして、根拠が薄弱な理論を自信満々に展開する、

「考える力の弱い人」

 

そもそもが

「強い」「弱い」の定義が

おかしくなっているのかもしれませんね。

ヤクザや不良が「強い人間」ではない。むしろ逆である

ことは、みんなわかっているはずですけど、忘れかけて

いるのかもしれません。

 

 

かく言う自分も

老眼が進み、記憶力も衰えてきました。

年末の仕事の締まり方もいまひとつでした。

 

日々経験値を得て

進化している部分もあるわけで

来年はさらに能力アップを目指していきます。

一見、いいことを言っているようであるが

実は危険な発想である。

 

「昔はできていた」「今でもできている人(会社)がある」

そうやってつぶれていった会社はいくつもある。

 

若い人はわからないかもしれないが

バブルというのは単なる好景気ではない。

 

崩壊の過程で

「実体経済から乖離した形で資産価格が上がること」

の弊害を反省させる機会でもあった。

「見込み」で動くことの怖さを知る機会にもなった。

 

もっとも、その反省というものが

行き過ぎているのかもしれないし

方向性が間違っているのかもしれない。

 

しかし、少なくとも言えることは

 

不景気と好景気は順番に来る。

不景気の度合いを和らげるよう、政府は経済政策を

やればいい。

 

というロジックが通用しなくなっている。

 

バブル崩壊以降

1993年10月~1997年5月

1999年1月~2000年11月

2002年1月~2008年2月

2009年3月~2012年3月

2012年11月~

と、5回も好景気が来たことになっている。

 

1992年以降の25年のうち、15年以上は実は景気拡大局面

なのである。

拡大局面が長くあるのにちょっとずつしか拡大していない。

 

この状況が

需要喚起の経済政策だけで

打開できるはずがないだろう。

 

 


一般論として

「言葉の使い方が間違っていることが多い」

というのはそのとおりである。

 

しかしこのブログ、書いた本人が

実に多くの誤用をしている。

 

たとえば

 

「一部の不正があったからと言って、業界全体を

批判するのは間違いだ」ということです。

 

未だに朝日新聞が使います「無駄な公共事業」

「旧来の公共事業という政策」などというのは、

本当に馬鹿らしくて例え1%の無駄が存在した

としても、ではそれのために公共事業費を削って

デフレを招くのがいいことか?と問われたら、

彼らは一体なんと答えるのでしょう?
公共事業とは「政府の国土に対する投資」で

ありますので、投資は無駄になるものも当然出てきます。
一部が無駄になるからと、投資そのものをやめる

のは、結論的に「日本国の衰退」しか待ち受けていません。

 

 

冒頭は正しい。一部を否定することと全体を否定すること

の区別がついていない論調が多い。

「二元論」「ステレオタイプ」というものである。

 

しかし、

「1%の無駄」「公共事業を削ってデフレ」

「一部が無駄だからといって投資をやめる」

これこそステレオタイプ思考の典型ではないか。

 

こういう 「語るに落ちる」 的な論調こそ、

考えが浅い、恥ずべきものである。