もっと強く

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平成28年はいろんなことがありました。

 

1~3月の確定申告時期は

税務署の電話相談にも従事しましたが

知らないこと、というか

「思い込みで間違っている知識」

が自分の中にも意外に多くあることを

気付かされました。

 

新たな顧客との出会いもありましたが

今までの「自分の中での常識」だけで対処できない

こともある。当たり前ですが、それも思い知りました。

 

 

プロ野球では広島が優勝しましたが

私も久しぶりだったので、気持ちの持ちようが

なかなか難しかったです。

野球の見方も、まだまだ勉強が必要ですね。

 

チームのほうも、日本シリーズでは弱点が出ました。

まだまだ発展途上のチーム。

今年はまだ 「よく勝ったなぁ」 という感じでしたが

来シーズンは、「強いなぁ」と感じさせてもらいたいですね。

 

 

政治経済のネタも何度か書かせていただきましたが

日本がいろんな意味で「弱く」なっていることを感じます。

 

自分で考えることができない、「頭の弱い人」

自分を持たず、マジョリティに迎合する「意思の弱い人」

そして、根拠が薄弱な理論を自信満々に展開する、

「考える力の弱い人」

 

そもそもが

「強い」「弱い」の定義が

おかしくなっているのかもしれませんね。

ヤクザや不良が「強い人間」ではない。むしろ逆である

ことは、みんなわかっているはずですけど、忘れかけて

いるのかもしれません。

 

 

かく言う自分も

老眼が進み、記憶力も衰えてきました。

年末の仕事の締まり方もいまひとつでした。

 

日々経験値を得て

進化している部分もあるわけで

来年はさらに能力アップを目指していきます。

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一見、いいことを言っているようであるが

実は危険な発想である。

 

「昔はできていた」「今でもできている人(会社)がある」

そうやってつぶれていった会社はいくつもある。

 

若い人はわからないかもしれないが

バブルというのは単なる好景気ではない。

 

崩壊の過程で

「実体経済から乖離した形で資産価格が上がること」

の弊害を反省させる機会でもあった。

「見込み」で動くことの怖さを知る機会にもなった。

 

もっとも、その反省というものが

行き過ぎているのかもしれないし

方向性が間違っているのかもしれない。

 

しかし、少なくとも言えることは

 

不景気と好景気は順番に来る。

不景気の度合いを和らげるよう、政府は経済政策を

やればいい。

 

というロジックが通用しなくなっている。

 

バブル崩壊以降

1993年10月~1997年5月

1999年1月~2000年11月

2002年1月~2008年2月

2009年3月~2012年3月

2012年11月~

と、5回も好景気が来たことになっている。

 

1992年以降の25年のうち、15年以上は実は景気拡大局面

なのである。

拡大局面が長くあるのにちょっとずつしか拡大していない。

 

この状況が

需要喚起の経済政策だけで

打開できるはずがないだろう。

 

 


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一般論として

「言葉の使い方が間違っていることが多い」

というのはそのとおりである。

 

しかしこのブログ、書いた本人が

実に多くの誤用をしている。

 

たとえば

 

「一部の不正があったからと言って、業界全体を

批判するのは間違いだ」ということです。

 

未だに朝日新聞が使います「無駄な公共事業」

「旧来の公共事業という政策」などというのは、

本当に馬鹿らしくて例え1%の無駄が存在した

としても、ではそれのために公共事業費を削って

デフレを招くのがいいことか?と問われたら、

彼らは一体なんと答えるのでしょう?
公共事業とは「政府の国土に対する投資」で

ありますので、投資は無駄になるものも当然出てきます。
一部が無駄になるからと、投資そのものをやめる

のは、結論的に「日本国の衰退」しか待ち受けていません。

 

 

冒頭は正しい。一部を否定することと全体を否定すること

の区別がついていない論調が多い。

「二元論」「ステレオタイプ」というものである。

 

しかし、

「1%の無駄」「公共事業を削ってデフレ」

「一部が無駄だからといって投資をやめる」

これこそステレオタイプ思考の典型ではないか。

 

こういう 「語るに落ちる」 的な論調こそ、

考えが浅い、恥ずべきものである。

 


京都大学大学院の先生である藤井聡氏が

大真面目に書いているものです。

http://www.mitsuhashitakaaki.net/2016/12/06/fujii-226/

 

全部が全部間違っているわけではないんですけどね。

学者にありがちな

 

「数字でしかモノを見ることができない」

「数字を用いた分析は正しいと思い込んでいる」

 

こういう要素が目につきます。

 

着眼点は悪くないんです。

ブラック企業は、長い不景気によって産み出された

ものに違いありません。

 

しかしですよ。

過当競争→過剰サービス→長時間労働

というプロセスで産まれたものではありません。

 

ブラック企業の実態について書かれた書籍等を

見ればわかることですが

 

ブラック企業は、若い社員に無理難題を押し付けます。

「営業社員にムチャなノルマを課す」

のがよくあるケースですが、非営業社員に対して

「レポートを書かせる」というのが多いです。ワタミでも

そうでした。

 

本来、上席者や先輩が教えるべきこと

本来、経営者が考えるべきこと

本来、経営者が責任を持つべきこと

 

そういうことを若手に押しつけるのがブラック企業です。

 

つまり

 

経営者に経営能力がないんです。それを若手に

押し付けているんです。

 

 

まぁ、ブラック企業の定義はともかくとしても

 

" ブラック企業は高い競争力を持つ "

 

とか

 

" デフレが20年も継続した今日、あらゆる業界で

ブラック企業が拡大していき、市場そのものが

「ブラック・マーケット」化していった "

 

とか

 

書いてて自分でおかしいと思わなかったんですかね。

 

藤井氏の 「分析」 によれば

 

労働者をギリギリまでコキ使ってきているので

今の人員では、需要増加に対応できず

そして「完全雇用状態」に近づいているから

新しく人を入れることもできず

 

結果、人手不足になるのだそうです。

 

どこがおかしいのかを

いちいち論じるのもバカバカしいロジックです。

 

そして解決策が 「過剰サービスの停止」 だと。

最後には計画経済みたいな話まで持ち出しています。

 

まともな思考回路の持ち主であれば

原稿書いてて、こんな結論に達してしまったら

初めに戻って考え直すもんですけどね。

 

 

結局はですね。

言いたいことは「移民反対」だけなんですよ、この人。

 

だけど立場上、現政権の批判ばかりはできない。

だから

「需要が増加している」「雇用が改善している」

として現政権を持ち上げなければならない。

 

それで、バカげた方向に進んでしまっているんです。

 

とにかく浅い。薄い。

 

さらに言えば

これをブログで引用して、「なるほど」と言っている人は、

もっとタチが悪い。

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12226407585.html

 

三橋氏自身、ブログの中で

「労働市場の問題の深刻さ」

と言っています。

 

そうなんです。25年間で、構造が変わってしまいました。

悪い方向に変わってしまったので、それが改まらないと

本格回復などありえない。

 

でもね。そうであれば

 

「財政政策をちゃんとやってればデフレ脱却できていた」

なんてありえないことがわかるでしょう。

 

労働市場のみならず、いろんな分野で

バブル以前の日本企業が持っていたものが

失われているんです。

 

こういうことを今まで考えていなかったのであれば、

評論家として失格ですし

 

考えていた上で 「財政政策やってれば」 と繰り返して

いたのであれば

 

やはり評論家としての資質を疑わざるを得ません。

論壇の人も若くなっていく

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最近、年齢を感じます。

 

老眼が進む

人の名前が出てこなくなる

物忘れがちょくちょくある

などなど

 

昔、銀行系シンクタンクにおりましたが

やめてから15年以上経っています。

時代の変化も感じます。

 

ときどき見るブログ

http://ameblo.jp/shingekinosyomin/entry-12223585090.html

なんですがね。

なかなかいいことも書いてあります。もちろん、

賛同できないものもありますが。

 

筆者のヤンさんという方は、ネット界隈では有名な方

のようです。

記事の最後で年齢がわかったのですが、私より

11ぐらいお若いようです。

 

そりゃそうですね。

30代の方々がいきいきと頑張るのは当たり前。

 

ただですよ。

30代半ばの人って

バブルを体感していません。

消費税が導入されたときの世論、さらには消費税が

少しずつ国民に受容されていく過程を知りません。

 

そして

1990年からのバブル崩壊

1991年からの景気悪化

1993年末から景気がよくなったとされるけど

実感がなかったこと

その間、政府は金融緩和も公共事業もやってきたこと

 

こういうことも知りません。

少なくとも体感はしていません。

 

・財政金融政策が効かなくなった

・政策は効いているのかもしれないけど景気は

よくならない

・ではどうすればいいのか?

 

1990年代後半に経済指標を逐一見ていた人間には、

こういう問題意識があるんです。

 

しかし昨今の議論は「リフレ派」とか難しい言葉は

使っているものの

 

そもそもデフレとは何か?

 

というレベルの内容が多いんです。

 

「リフレ派」って言葉は、最近出てきたもので、私は正直、

正確な定義を知りません。

 

推測するに

デフレは貨幣現象だから金融政策で解決できる

って考えのようですね。

 

で、「財政政策軽視はけしからん!」っていう反論が

なされているようです。

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12223607647.html

2014年以降、財政政策やっていたら、日本経済は

デフレを脱却できていたそうです。

 

リフレ派を擁護する意見としては

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20161018/dms1610180830003-n1.htm

みたいなのがあるんですね。

雇用の増加に寄与したから金融政策は有効

だそうです。

 

私に言わせればね。

どっちもバカ ですよ。

 

金融政策も財政政策も

1992年からの5年間ぐらいは、かなり行われたんです。

それでも本格回復には至らなかった。

その後、何度か 「経済指標的には好景気」 の時期が

あったが、本格回復には程遠い。

 

これを認識していれば

「財政政策やってればデフレ脱却」

のはずがないし

「雇用が改善したから」みたいに、少々の指標改善を

過大評価するはずもない。

 

思うに

アベノミクスの是非 = 安倍政権の支持不支持

という論点が背後にあるので

議論がズレていくのだと思います。

 

 

話を戻します。

初めに紹介したヤンさんのブログ。

1997年から現在までを「失われた20年」としていますが

これは誤りです。

不景気の始まりは1991年。ここを起点にしなければ

実のある議論はできません。

 

ただ、30代半ばの方が、こういう認識(橋本政権以降、

景気が悪い)を持つのは仕方ないかもしれません。

 

しかしですよ。

三橋貴明は私と同年代。

高橋洋一は私よりはるかに年長。

こういう人達が、「昔の経験」を活かせないのは

ちょっと情けないと思います。

最近、松山ケンイチや東出昌大が

いっぱいテレビ出て宣伝してます、

映画 聖の青春 ですが

 

実に残念な出来でした。

今年見た映画の中で最低です。

 

中途半端なんですよね。何を訴求したいのか

全然わからない。

 

将棋を知らない若い女性が見たところで

たぶんわからないです。

「ガンに侵された、強い棋士がいました」

ということしか伝わってこない。

 

逆にですよ。

事実を知っている人が見ると

非常に不快なんです。

フィクションの部分が多く

何よりも

「変えちゃいけない部分をフィクションにしている」

のが腹立たしいです。

 

私も、リアルタイムで村山さんの記憶がありますし

2001年1月6日に放送されたドラマも見ました。

「驚きももの木20世紀」や「知ってるつもり」でも

採り上げられましたが、もちろん見ました。

そして大崎さんの原作も読んでいます。

 

こういう人が見に来たらどう思うか

何も考えてないんでしょうね。

 

まず登場人物の名前。

有名どころ以外は、ちょこちょこ変えています。

ヒドいのが先崎学さんを演じた柄本時生。役名は

荒崎学ですけど、先崎さんとあまりに違いすぎます。

滝誠一郎さんを安田顕がやるのもどうかと思いますけどね。

 

それから、染谷将太が演じる江川。

実際は、加藤昌彦さんという先輩です。

四段になれなかった際、酔った勢いとは言え

先輩に対して「負け犬」と言ってしまう。

善悪はともかく、それが村山聖の生き様なんです。

映画のように弟弟子をなじったところで

なんにも面白くないですよ。

 

最悪なのが、羽生さんとの対局の設定。

まず、伝説の「7五飛」が出た対局は、1997年2月28日に

行われた、竜王戦1組の1回戦です。

これが映画では、大きな大会の決勝戦になっていて

しかも、打ち上げを二人で抜け出して近所の飲み屋で

ビールを酌み交わすシーンまであります。

 

こんなこと、あるわけないでしょう!?

 

しかもですよ。

「死ぬまでに一度でいいから女を抱いてみたい」

ってね。この発言自体は本当にあったものですが、

もちろん、羽生さんの前で話すわけがありません。

 

そして最後の対局。

映画の設定では棋聖戦でしたが

棋譜がNHK杯決勝でした。

私は途中で気付いて、舌打ちしてしまいましたよ。

 

このNHK杯については有名ですね。

村山さんが無理気味の攻めを敢行し、

羽生さんの反撃に遭いますが

それを受けきったかな?と思ったところでミスをして

その後、三手で急転直下の終局となりました。

 

今にして思えば

この対局に勝っていれば、人生の最後でNHK杯優勝、

そして羽生さんとの対戦成績も負け越さずに済んだ

わけですが

これはあくまで結果論。

 

村山さんにとっては

この敗北は、さほど重要な意味は持っていませんでした。

終局後のインタビューの様子からもわかりますよね。

 

命よりも将棋を優先するところがあった村山さんですが

この頃(1998年初頭)は気持ちに変化が出てきています。

 

1998年4月から1年間、休場を申し入れたわけですが

「命のほうが大切」と、師匠の森さんにも話しています。

1998年版「将棋年鑑」のプロフィールにおいて、

「今年の目標は?」との質問に対し「生きる」と回答しています。

 

実際には1998年8月に亡くなるわけですが

1999年4月にはA級棋士として臨み

2000年春には名人戦の挑戦者

という青写真があったはずです。

 

B級1組からA級への復帰を果たし

その手ごたえを感じていたと思います。

NHK杯決勝も内容的に勝っていたわけですから

村山さん本人にとっては、それほど重い負けでは

なかったはずなんです。

 

それを映画で重々しく長時間展開する。

見たくなくなったので舌打ちしました。

 

要はですね。

 

村山さんを含め、キャラが変わっちゃってるし

伝えなければいけないことを伝えていないんですよ。

 

 

村山聖という人間を語るポイントとしては

 

①幼少期、ネフローゼになってしまう

②病院で、同じ年ぐらいの子供の死に直面する

③森信雄六段(当時)に入門した後、師弟関係が

逆転したように、森さんが献身的に面倒を見る

④その結果、奨励会入会から3年弱(羽生谷川を

上回る速さ)で四段になる。

⑤目上の人にも臆することなくモノを言う

⑥体調不良で不戦敗が多くなる。体調不良をおして

対局することも多かった。

⑦四段になった後も、森さんは献身的に面倒を見た

⑧同年代の棋士から好かれていた

⑨命の短さを自覚し、焦燥感があった

⑩病気や死に向き合う姿勢

 

ちょっと考えただけでも、これだけ出てきます。

しかし映画では、これらのポイントにはほとんど

触れられなかったり薄かったりします。

 

映画終盤に、「自分の葬儀を密葬にしてほしい」

と父親に頼むシーンがありますが

 

ここもすごく軽いんです。牛丼食べながら談笑する

中で話しています。

大事なところなのに、軽くしてしまっているんです。

 

村山さんは命の短さを自覚しており、平成元年に

20歳の誕生日を迎えた際、

「20歳まで生きられると思っていなかった」

と森さんに伝えます(このシーンは映画にはありません)。

 

しかし、自分の死を受け入れるのは簡単ではありません。

なぜ密葬にしたいと思ったのか。

2001年のドラマでは

「(死を)認めたくないから公表したくない」

と父親に訴えるシーンがあります。

 

実際、8月8日に亡くなられた後

公表されたのは3日後でした。

 

映画では、森さんより先に羽生さんが弔問したことに

なっていて、心の中で大声でツッコミを入れましたよ。

 

おそらくですね。

2001年のドラマ、驚きももの木20世紀、知ってるつもり

とは違うテイストにしたかったんでしょう。

 

それで、1994年以降に絞っているわけですが

 

「羽生さんのライバル」という図式にこだわりすぎて

いるんですよ。

確かに、羽生さんとの直接対決では互角でしたが

タイトル戦挑戦は、1992年の王将戦(相手は谷川さん)

しかありません。

「ライバル」とするのは、羽生さんに対しても村山さんに

対しても失礼です。

そして結果的に、中途半端な作りになってしまいました。

 

エンドロールの最後に

「フィクションであり、事実と異なる部分があります」

って表示されるんですが、実に姑息です。

 

大事なところを変えてまでフィクションにしたいのであれば

「村山」「羽生」という名前から変えればよかった。

しかし、役作りのために太った松山ケンイチや、

所作を見事に模倣した東出昌大に対して、それじゃ

申し訳立たないですよね。

 

といいますか

「何が大事か」をわかっていない連中が製作している

と思うと、とても不愉快になります。

 

 

まだ言い足りない感じですが

 

将棋ファンであるならば

見に行かないことをお勧めします。

続:三浦九段の件

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渡辺竜王がブログでコメント出したようですが

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1611/02/news146.html

残念ですね。実に残念。

 

すでにいろんな方が指摘していますが

 

10月20日に、羽生さんが

「灰色に近い」とTwitter で発言し、文春に載った

「限りなく黒に近い灰色」が誤りであることを訂正しました。

さらに「疑わしきは罰せず」という意見も表明しました。

 

これ以降、形勢が傾き

今では逆転しているんですね。

 

今回の渡辺竜王も、それを受けての発言です。

旗色が悪くなって、あわててコメント出した感じが

あります。

 

とにかくね

「日本語の解釈」「伝聞される中で変化」

こういうことに転嫁するのは極めて卑怯です。

 

自身が連載を持っている週刊文春を否定するわけには

いかないことから、今日のブログで取って付けたように

「おおむね間違っていない」と言っている。

こういうのも残念に思います。

 

 

もっとも・・・

この渡辺竜王のブログだけが出てきたのであれば、

私も信用したかもしれません。

 

ただ、今回の騒動の「当事者」の一人である

橋本崇載八段。これはヒドいです。

 

橋本八段のTwitter (すでに削除)では

 

実は少し前からこの話は知っていた。将棋界の情報には

疎い俺でもです。

さて、何書くか…。 

 

数週間か1か月ほど前に、奴と対戦した人が不正行為を

やられたと憤慨していると聞いた。 
恐らく、その後に決定的にクロ断定できるものを掴んで、

踏み切ったのだろう。 
将棋連盟はタイトル戦開催まで数日というギリギリの

タイミングで よく英断したと思う。始まってからでは、より

取り返しがつかない。 

 

ファンには酷な知らせと思うが、個人的にも1億%クロだ

と思っている。 奴が除名になるかどうかは知らないけど、

俺は二度と戦う気しない。 
以前からソフト指し、モラル、カンニング、再三警鐘を

鳴らしてきたつもりだが、最悪の形になりただただ残念だ。

これでも潔白を信じるという人はどうぞご自由に。 

 

 

その後、10月30日に

 

夜分に失礼します、橋本崇載です。この度の不正疑惑問題

について、たびたび自分の名前が報道されていることに

つきまして、抗議をさせていただきたく存じます。
こちらは、公式な声明ととって頂いて構いません。ただし、

このアカウント自体は、私の公式アカウントではございません。

 

当アカウント、及び@SHOGIBARアカウントは、主に

SHOGIBARの宣伝を目的に5年程前に当時のスタッフに

作ってもらったものです。
この2つのアカウントにつきましては、これまでのスタッフと

ともにアカウントを共有しており、私が呟いたものもあれば

そうでないものもあります。

 

私が三浦弘行九段の不正を断定した。という事実は

ありません。そもそも、私はこの件の取材を一切断って

います。また、私が将棋連盟に対し、三浦弘行九段の

処分を求めた、という事実もありません。そもそも、

騒動後に私が将棋会館に行ったのは対局の日以外

には一切ありません。

 

 

「発言はスタッフがやったものです」

で逃げるつもりなんですかね。

 

くだらない逃げ道(逃げ道になってないけど)を作って

メディアに責任転嫁する。

実に見苦しいですな。

悔いが残る

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25年前とは全然違いますね。

あのときは、相手が西武。前年、巨人に4連勝しています。

下馬評でも「第5戦までに決まるのでは?」って感じで、

第6戦、第7戦の西武球場のチケットはシリーズ開始後も

売れ残っていました。

そんな状態で先に3勝。最後連敗しましたが、誰も責める

気にはなりませんでした。やはり力の差があり、そこを

なんとかすべく、選手は本当によくやりました。

 

しかし今年に関しては

力で劣っているとは到底思えません。

負けた4試合はすべて接戦でした。

そして、福井、九里、一岡は一度も登板機会がありません

でした。大瀬良も第3戦に1回と2/3を投げましたが、あとは

今日の敗戦処理だけです。

力を出し切って負けたという感じがありません。だからこそ

悔いが残ります。

 

8回表は本当に悔やまれます。

ジャクソンだけでなく、ベンチも冷静さを失っていたように

思えます。

遅くとも、バースに打たれた段階で大瀬良に替えておけば

どうだったでしょう。

中崎でもよかったかもしれません。実際、去年の10月7日

は、大瀬良が打たれた後、3点目を防ぐために8回途中で

中崎でした。

 

8回裏と9回裏の攻撃を「楽しみをもって」見られなかった

のが情けなかったです。

「延長戦が15回まである」ことを考えすぎていたかも

しれませんね。

 

何よりも

選手は、この6試合で得るものがあったのでしょうか。

 

今年のリーグ優勝は素晴らしいものです。

戦い方も見事でした。

それが色褪せるような終わり方は非常に残念です。