ランコム ローズ マガジン
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |oldest Next >>
2010年10月15日 Theme: 義母

こんな気持ちで

2010年10月11日 Theme: 義母

一週間が過ぎて

最初に、義母の逝去に際して、コメントを頂いたjiadaoさん、ゆめさん、そしてmarinaさんへ。
あたたかい言葉、ありがとうございました。
皆さん、私のこのブログでは長きに亘って励ましを頂いておりました。
コメント返しもせずに1週間すぎてしまい、すみませんでした。
ここで改めて御礼とお詫びを申し上げます。
本当にありがとうございました。

==================================================================================

タイトル通り、義母が亡くなって1週間が過ぎました。
お通夜、告別式、その後の挨拶周りやお寺との打ち合わせなど、
バタバタと(文字通り)とりあえず、すぐに行わないといけないことを優先にこなして
気がつくと1週間。先週の今頃は告別式や会食を終えて帰宅した頃。

義母が亡くなった、死んだ、という現実が今ひとつピンとこないのは
やっぱり4年間入院していたからでしょうか。
これが義母が在宅で1人暮らしをしていた時期だったら色んな思いがあったかも。
夫も、私が(勝手に)思っていたより気丈です。

忌明けまでの間、我家にある祭壇(というのかな)にある、
お骨や遺影、お花、提灯、ロウソクやお線香などなど見慣れない数々のものを見るたびに
あ、義母はもう病院には居ないのだな、と思う次第です。

直接の死因は肺炎だったけど、色んな機能が衰えて、老衰のように思いました。
最後に面会に行った時のゼロゼロという呼吸音、背中をさすった時の体温、
むくんでパンパンになっていた手指の感触、それらはなかなか消えません。
あと、半日もってくれたら、土曜日だったから義姉や夫も会えて、
そういった現実の義母に会えたのになぁ…と思ってしまいます。
最後にあったのが私でスミマセン…と。

本当、色んなことがありました。
このブログを書き始めたのが2004年の12月。まだまだ義母が達者だった頃です。
約7年、色んなことを書きました。
今、読み返してみると私自身も『若かったなぁ』と思ってしまいます。
今なら1歩も2歩も引いて義母と向かい合うこともできただろうに、と思います。
その頃はそれが精一杯で義母にも自分にも正しいと思っていたのが恥ずかしいです。
その思いがあったからか、遺影に向かって思わず、
『私も大変だったけどお義母さんも大変だったね』と思ってしまいました。
逝去に伴う色んな手続きを進めていく中で、知らなかった事実がいくつか出てきて、
義母の人生観を垣間見るような出来事もあったのだなぁと初めて知りました。
せめて夫や義姉にそういうことも話していてくれていたら、私も、う少し寄り添うこともできたかも。

にっこりと笑う遺影はとても表情がいいですね、と参列者の方々に言われました。
その写真は私が撮ったもの。
今の病院に転院して間もない頃、病院内のレクリエーションである生花教室に参加し、
作品を展示してもらって、その作品の前で鼻高々の義母を撮ったものでした。
こんな笑顔もあったんだ、こんなに喜んでもらえるなら、とその時は思ったっけ。。。

告別式の翌日、義母宅のご近所に挨拶に回りました。
挨拶をしながら、「このお宅にも謝りに行ったな」 「この人には呼び出されたな」
「この人には電話で『いったいどうされるつもりですか?!』と言われたな』 などなど、
ご近所の人とのいろんなことも思い出しながら、会葬のお礼を。
皆さん、当時のことは何一つ口にされずに対応して頂きました。そういうもんなんですね。


忌明けまでのいろいろや、色んな手続きなどまだ山のように残っています。
特に義母宅の遺品整理。これはもう業者に任せるしかなさそうです。
今日も金庫の鍵を夫と2人で探していて、あ!ここに…?!と思ったポーチの中には、
もう一回り小さなポーチが、そしてその中には判子入れのような細長い袋が、
しかも中に何か細長いものが入っていそうな感触。
期待してその袋を開けると、中にはティッシュに包まれた細長いものが…
いよいよかも、と思って包みを開けたら…中には大きなゼムクリップが大事に包まれてました。
お義母さん、いい加減にしてぇ~!と思わず夫と吹き出しました。
こんな調子なので一体どうなることでしょう。。。


このブログはまだ続けていくつもりです。
サブタイトルも含めて近々模様替えでもします。
その際は今迄とは180度違う私が出てきても皆さん、どうか驚かずまたお付き合い下さいね。
くじけそうな時や折れそうな時、自暴自棄になってしまいそうになったこと、
自分が犯罪者になるかも、と思ったこともありました。
本当に色々と励まして頂いて、助けてくださった多くの方々、本当に本当にありがとうございました。
今はもうお付き合いなくなった方も、もし読んで下さっていたら嬉しいです。ありがとうございました。
これからタイトル通り、えくぼの出る、笑顔で過す毎日を(今よりも更に)心がけて、
又更新していきたいと思います。
どうか、またよろしくお願いします。













2010年10月03日 Theme: 義母

面会の翌日に

義母が亡くなりました。

私が面会に行った翌日の朝、自宅に病院から電話がありました。

『血圧が低くなられて、呼吸も止まられて…』と言われているのが

何を言われているのか判らなくて、思わず 「亡くなったということですか?!」と問いただしていました。

それから夫とすぐに病院へ行って、義母の亡骸を一旦義母宅へへ連れ帰り、

いろいろ準備や決め事をして今日のお通夜を迎え、明日が告別式。

お通夜は思いのほか100人近くの参列者がありました。

在宅の最後の方はご近所と色々確執があったのでどうなるのかと思っていましたが、

ご近所の方々も来て下さりました。


いろんなことが走馬灯のように思い出されるのかな、と思ったけど

今はまだ明日の告別式もあるので感傷的な気持ちにはなれません。

ただ、お焼香の時に思ったこと、

『私も大変だったけど、お義母さんも大変だったね。』


また改めて。


2010年10月01日 Theme: 義母

中心静脈栄養法  

中心静脈栄養法、または 高カロリー輸液療法 
【鎖骨下静脈などから心臓に最も近い大静脈までカテーテルを入れて輸液ライン(IVH)を確保し、
 このラインを通して栄養補給する方法。
 輸液ラインを常に留置しておくことで、点滴のたびに静脈に針を刺さなくてすみます。
 何らかの疾患で消化管を通しての栄養摂取ができない患者や、
 消化管を休める必要のある患者に施行されます。


鼻からの経管栄養をしていた義母が、中心静脈栄養法になりました。
先週、病院の医師から連絡があり、
鼻からの経管栄養で、もどして吐いてしまったとのこと。
原因は胃の動きが弱っていて栄養分を受付けられず、もどしてしまったようだと。
そうなると、当初予定していた胃ろうも危険だと。
鼻からだろうと、胃ろうだろうと、栄養分がたどり着く先は同じ胃なので、
その胃がちゃんと機能してくれないことにはどこから栄養を摂ろうと同じように
もどしたり吐いたりしてしまう恐れがある。
もどしたり吐いたりするとそれは肺炎を誘発するのでそれこそ命取りになる。

ということで、これからは静脈から栄養を補給する方法に変えます、とのことでした。
というか、これしか方法がない、というかまだこの方法があって良かったというか。
義母の場合は、鎖骨ではなくてそけい部、足の付け根からカテーテルを入れて
輸液を入れます。

今日、面会に行って会った義母は、
腕には血圧の測定、耳たぶには酸素濃度の測定のそれぞれの器具が、
口元は酸素マスクで呼吸は『ゼロゼロ』と苦しそうな音。
胸元には心拍数を計る為のパッチがペタペタはりつけられていて、
血圧、酸素濃度、心拍数のそれぞれのコードが義母の体から延びていました。

眉間にシワがよった苦しそうな表情であえぐような息遣い、
思わず 「しんどいですね、息苦しいですね」と肩や背中をさするけど、
勿論、義母の反応はありません。目が開いていても見えているのかも判りません。

看護士さんによると、痰をとってもとって取りきれないので、
痰が絡んでこういう息遣いになってしまうのだそう。
血圧は高い(低くて160くらいと言われた)けれど、酸素濃度は充分なので、
酸素は体全体に行き渡っています、とのこと。
今は栄養分(食事)を止めているけれど、明日から足の付け根からのカテーテルで
高カロリー輸液を入れますと言われました。そうすると少しは状態が良くなると思います、と。

会うたびに衰えていくのが本当に目に見えて判ります。
こうなると、認知症で脳の萎縮がどうのこうの、というよりも徐々に体の機能が衰えていく、
老衰という感じも。

息遣いは息苦しそうだったけど、とにかく、義母はずっと寝入ってました。
眠れないほど苦しいわけではない、と思って、眠れるだけ良しと思って病室を出ました。

ところで。この静脈からの栄養の摂取になるということは
病院から連絡があってから夫がすぐ義姉に連絡してました。
そしてその2日後くらいに義姉が面会に行ったのでした。
その時の義姉からのメールには 『静脈に栄養を入れる管が胸に刺さっていて体が管だらけです』と。
なので夫は、面会に行く私に、胸にいっぱい管が刺さっているようだから
心の準備をして(驚かないように)、というようなことを言いました。

私も、そうなのか、と思いながら、でもいくらなんでも胸から静脈ににグサッはないだろうと、
思っていたけれど…今日行ってみたら、やっぱりそんな胸にグサッということはなく、
胸に刺さっている管なんてないのでした。
胸には心拍数を計るためのパッチが貼られているだけ、
そのパッチから伸びたコードが機器に繋がっているだけ。
…ということは、義姉はこのコードを見て、これが胸から静脈に刺さっている管、と思った…?!。

そういえば、最初に義母が骨折して入院した時、
義母の指に挟まれた、酸素濃度を測るクリップを見て、
義姉が『これが繋がっている酸素ボンベはどこにあるんでしょうね』と真顔で言ったのを思い出した。
その前に看護婦さんからこのクリップの説明を私と一緒に聞いていたのに、である。
義母の状態は楽観視出来ない状態ではあるけれど、
義姉の、時々見せるこういった天然キャラぶりにちょっと脱力して、
ちょっとほっとした私でした。









2010年09月22日 Theme: 義母

理想のサイズ

面白い?サイトをみつけました。

http://members.jcom.home.ne.jp/crystallization/check.html
(リンクしていません。)

「理想の体重チェック表」だそう。
身長を入力すると、理想のスリーサイズに加え、太もも・ふくらはぎ・足首までのサイズを教えてくれます。

加えて、「健康体型」 「美容体型」 「モデル体型」 「スーパーモデル体型」
のそれぞれの理想体重と1日の摂取カロリーも出てきます。
勿論、やってみましたとも。。。!

私は小柄で、というか背が低く、小学6年生から身長が5センチ伸びたかどうか、というくらいです。
6年生まではごく普通だったんですよ。背の高さで並んでも大体真ん中の後ろ辺りだったし。
それから殆ど伸びなかったんですねぇ。気がつくと周囲は私よりも5cm~10cm高い…。
身長が低いというコンプレックスのせいか、5cm~7cmのヒールで上げ底してカモフラージュしていますが、
色々と苦労があるのでした。
一番の苦労、というか問題は服のサイズがない、ということ。
世間のお店では「大きいサイズ」というのはすごく充実しているのに、「小さいサイズ」の何と少ないことか。
OLの頃は「小さいサイズ」を売っているブランドもお店ももっと少なかったから、寸法直しは当然でした。
着丈に肩幅、身幅、袖丈、腰幅など、デザイン変わるんじゃないかと思うほどお直しをして、
出来上がった時に店員さんに『お直しした時に切った分ですが』と差し出された布を見て、
勿体無くて貰って帰ってました。。。

この、理想の体重のページを見ていて思いだしたのですが、
10年くらい前、とある占いに行った時、私の生年月日を見たその占い師さんが言ったこと。
『あと1日早くか遅く生まれていたら、モデルとして大成していた』だそうな。
何を根拠に(生年月日?)『モデル』 で『大成』なのか、疑問だらけだけど、
1日ずれていたら、とりあえず身長だけは今より伸びていた、ということ(笑)?!
そんな私ですが、身長は当然だけど、そのほかのサイズも大きく変わることなく、このトシになりました。
でも、はっきり言えること、それは 『体重は変わらなくても体型は変わる』ということ。(ノ_-。)


義母は以前はよく、『私は大きいから』(身長が160cmあると)言っていて、
私には『ekuboさんは小柄でええねぇ』とよく言われてました。
それでもそのころから義母の背中は円背で丸くなっていて、そのせいか160cmあるようには見えず、
私と同じ視線くらいに思えたけど。
その後、足の骨折などがあったけど、義母の足のたくましかったこと、
筋肉質でしっかりとした足でした。
今はすっかり細くなって、以前のたくましさはどこへやら。

医療病院から今までの療養病院へ戻ってから1週間くらい後、
40度の高熱と右肺に白い影(肺炎です)が見られると言われました。
でも2日後くらいには解熱剤で熱も36度台に下がり、肺の影は消えないものの呼吸も問題なしだそう。
薄いタオルケットをかけられてスースー寝ている義母の体はぺしゃんこで、
体重もだいぶ落ちているんだろうなぁと、思いながら寝顔を見てました。



理想の体重チェック、こっそりぜひやってみてください。。。
(今更、という話もありますが(*^.^*)








2010年08月23日 Theme: 義母

胃ろうと人工呼吸器

お盆が過ぎてすぐ、義母は入院していた療養病院と提携している、医療病院に入院しました。
容態が急変したわけではないのだけど、微熱と時折起こる痙攣、
これらがなかなか治まらなくて、療養病院で血液検査とレントゲンを撮ってもらい、
でも、その結果も異常なく、血液の数値も正常(=内臓の機能も正常)、
肺にも酸素が行き渡っており異常は認められない、なので微熱と痙攣の原因は不明。
医師の「原因がわからないんです」という言葉に義姉が不安に思ったのか、
医療病院への転院を申し出たのでした。

今迄にも似たような状態が度々あり、そのたびにどこも異常はありません、と言われて、
いつのまにか平熱に戻り容態が落ち着いていた。
でもそういうことを繰り返すたびに義母は言葉少なになってゆき、
終始寝ている状態、目を開けていてもベッド脇に居る私たちのことをわかっていないようだった。
それでも、口からとろみ食のご飯を食べ、ごく稀に笑顔があり、
そして更にもっとごく稀に言葉があったんだけど。

義姉が転院を申し出たのには、きっかけがありました。
たまたま義姉がお見舞いに行った時に、義母のベッド周りに医師や看護士さんたちが
集まって酸素マスクやら点滴やら、ワサワサとしていて、
そんな時に義姉が部屋に入って行ったものだから、
丁度良かったと言われて、微熱が下がらないことや痙攣があることを説明されたそう。
そして、義姉が言うには『最悪のことも覚悟を』やら、『延命措置はどうしますか』とか言われたらしい。
そこまで言われたのに後日医師から言われた検査結果が何も異常が認められなかったので
義姉は不安に思って転院を申し出たようでした。

最悪のこと、やら延命措置、なんて言葉を聞いたら動転するのは判るけど、
検査結果を説明された時は医師の口からはそういう緊急性の言葉は一切聞かれなかったんですね。
その時は義姉も「今日はこないだみたいなこと(最悪の覚悟や延命措置のこと)言われヘンかったわ」と
言っていたけど、ちょっと私は「んん?!」と思ってしまったのでした。
最初の義姉の『最悪の覚悟』『延命措置』という言葉に対して。
こんな時にこんなことを思っちゃイケナイとは思うのだけど、
今までに何度と無く、義姉の勘違いというか、天然ぶりに 「ええっ?!」と驚かされてきた私は
どうも今回も義姉の聞き間違いや勘違いのような気がしてしまって…(不届きものな私)。

でも、夫も医療病院で精査をしてもらって悪いことはない、
ということで義姉と夫で決めて義母は先週転院したのでした。

そこである程度のことがわかりました。
とにもかくにも、認知症がかなり進行しているということと、
今までに何回か脳梗塞が起こっていた痕跡がみられるということ、
これらによって脳がダメージを受けていて、微熱と痙攣が起こっているそうです。
脳の画像を見た夫は、その様子にかなり驚いたようでした。
私は、それこそ10年くらい前、最初に『もしかして…』と思った頃に受けた義母のMRIの
画像を見たことがありましたが、その時点で当時の担当医に「萎縮しています」と言われてたものでした。
それから10年以上経っていたら、そりゃぁかなり、進んでいたことと思います。
脳梗塞のことは判らなかったけど、これも大小かなりの痕跡があったそう。

で、意識はあるものの、昏睡状態が長く続き、時折目を覚ますけど
認識する力(能力)はもうないそう。
とにかく、認知症の進行による原因が大きいみたいです。
口からの食事もできなくなり、鼻からの経管栄養と腕への点滴になっています。
でも、この鼻からの経管栄養も1ヶ月もできるものではないそうで、
近々胃ろうになるかもしれません。
劇的に回復すればまた口から食べることはできるでしょうが、
医師によると、アルツの進行は止められないので、
良好な状態に保つことは出来ても、現状からの回復は望めないそう。

そして、このまま進行して自発呼吸が困難になった時、
人工呼吸器を使うことになるが、どうしますか、と確認があったそうです。
夫と姉はそこで相談して、人工呼吸器は使わない、と決めたらしい。
…ということは、自発呼吸ができなくなった時は・・・。
このことを私に話してくれた夫はなみだ目になっていました。
夫と姉が決めたことなので私はただ、わかった、と言うだけでしたが、
覚悟を決めたんだなぁ、とずしりと胸にきました。

ネットでちょっと調べてみたら、
認知症の後期には痙攣が見られるとのこと、
その痙攣も緊急性の無いものも勿論あるけれど、
全身の痙攣が継続するようであれば緊急性があるみたいです。
痙攣の発作に酸素が使われてしまい(筋肉が収縮する為に酸素が必要)、
呼吸の為の酸素量が少なくなってしまうからだそう。
だから、人工呼吸器が必要になるみたいです。

ベッド脇で見る義母はスースー気持ち良さそうに寝ていて、
痙攣は見受けられなくて、ただ本当に眠っています。
口からの食事が摂れなくなったのは残念です。
それから、言葉。6月だったか、久々に聞いた義母の言葉。
眠いですか?という私の問いかけに、「眠ない」とこたえた声。
これが最後だったのかな、と思うとちょと切ないです。
しかもそれを聞いたのが義姉でも夫でもなく、私だったというのも。


義母の認知症を疑いだして約10年、それくらい経てば認知症後期(末期という言葉は何だか…)
になるのですね。
でも私は、今でも密かに思っています。義母は100歳は無理でも90歳までは永らえるんじゃないかな、と。
ちょっと前までは100歳まで、と思っていましたが今はちょっと譲って90歳までは。
そんな気がします。





2010年08月16日 Theme: 義母

義母の容態

猛暑日を何日か過して、お盆が過ぎて何となく夜は、涼しい…かも、と
思ってみても午前中から太陽がギラギラです。

この暑さのせいなのか、義母の容態があんまりよくないです。
冷暖房完備、管理下での毎日だから熱中症ってことは無い筈だけど、
半月くらい前に熱が下がらず、けいれんが見られると連絡がありました。
こういうことは今までも何回もあって、そのたびにこれといった原因がなくて
いつのまにか又元に戻って、と繰り返していたので今回も同じように思ってますが。

たまたま義姉がお見舞いに行った時に、
まさに義母の周りに主治医や看護士さんやらが取り囲み『一体何事?!』という
感じだったらしい。
義姉の連絡で私と夫もあとから行ったけど、結果は今日明日、どうのこうのという
ことではないけれど、やっぱり熱が下がらずに痙攣が見られて、とのことで
義母が酸素マスクを付けてスースー寝ていました。

義姉によると、最初医師は『延命措置をしますか』とか『覚悟を』とか言われたらしい。
それを聴いて義姉も慌てて私たちに連絡をしてきたのだけど、
レントゲンや、血液検査の結果は全て異常無し、内臓の状態も良好、
なので熱と痙攣の原因は判らない、けれど確実に体力も落ちているので
段々と弱ってきているというようなことを言われました。
医師ももっと深刻な状態を予想していたのかもしれないけれど、
私と夫が駆けつけた時は『覚悟を』とかは言われませんでした。
義母は酸素マスクはしているけれど、他は点滴(食事が摂れないから)を
しているだけで、血色もよくてとても命に関わるような状態には見えなくて、
言葉は悪いけれど夫も私も拍子抜けしたような感じ。

でも、ずーっと眠っていて時々目を開けるけれど認識があるのかどうかは?
深刻な状態ではないけれど、いつまでもこういった状態が続くとどうなんでしょう。。。


義母がこういう状態だからというわけではないと思うけれど、
個々何ヶ月か義姉が急に義母宅(=義姉の実家)の整理をしています。
とにかく物が多いからとても大変です。
私も行った方がいいのかな、と思ったけれどこういうことは手を出さない方がいいかも
(後々何かあったら、とつい思ってしまって)と思い、傍観者でいます。
夫が何回か行ってはその都度ゴミ袋を沢山持って帰ってきます。
雑多なメモ類や公的な記録など色々ごちゃまぜですが、一応夫が目を通して
要不要を判断してるみたい。
ちらっと見たら、今では?懐かしい義母の文字で『○○に電話しない』、
『お金とられる』等という言葉が。あ、あの時のだな、とまざまざと思い出されます。

そして、お盆の昨日、義母宅に集まった時に、義姉が食器棚を開けて、
好きなものを持って帰って自由に使って下さい、と私に言われました。
食器棚の中には香蘭社やノリタケ等のブランドものから、
景品でもらうようなジャンクなものまで、危なっかしげに積み重ねられている。

使ってください、と言われてとりあえずは「有難うゴザイマス」と言ったけど、
うーん、、、ちょっと…。
実際2人家族の我家に食器は今の数で充分足りているし、寧ろ多いくらいだし、
これ以上増やしたくない。
でも、本音を言うと、義母が使っていたものを使いたくないのですね。
たとえ義母が使っていない新品のものであっても、義母宅にあったものを
「これ使わせても~らお!」とは思えないんですね。
こういう気持ちってどうでしょう、意固地になりすぎでしょうか。

そういう思いの中で一つだけ持って帰ったマグカップがあります。
そのマグカップは義母が私のために買ってくれたもので、
結婚して間もない頃に義母宅へ行った時に、
『これはekuboさんの。ekuboさんがここに来た時は、このコップ使ってね』と言われたものでした。
そういうこともあって最初のうちは言葉通りそのマグカップを使っていたのだけど、
段々と、「お茶を飲む」という(優雅な)行為をすることがなくなって、
もうずっと使わずにいたのでした。

義姉から「これはekuboさんのやね」と言われて手渡されたので
持って帰ってきたけれど、このマグカップ、どうしたものか…。
ひびも何もないけれど、カップの底についた紅茶の茶渋をみていたら、
何だか複雑な気持ちになってしまいました。。。









2010年06月22日 Theme: 義母

久々の声

ekubo's Room 渦巻き型のものはシナモンロール、上部に切り込みを入れたぼってりしたものはチーズを入れた丸パン、細長いものはベーコンとチーズを入れたもの。
3種類あるけれど、基本の生地はみな同じ。やや「手抜き」感が(*^.^*)

お久しぶりです。
梅雨に入り、鬱陶しい天気が続いています。

思い立って義母の病院へ久しぶりに行ってきました。
午前中に到着したら義母は目を覚ましていました。
私を見ても無反応。無表情。
スッと視線をそらせるので、肩をゆすってこっちを見てもらいます。
もう、ここ何ヶ月も義母の声らしい声をきいてません。
 何かで耳したけど、おしゃべりをしなくなると喉の器官が衰えて、
 その結果食事時の飲み込みに障害が出て、嚥下障害になる、と。
 まさに、義母はそうなのかも。
 そういえば在宅していた頃の義母は、ひっきりなしに喋り続けていたっけ。
 そして食欲も旺盛だったっけ。なるほど。

古いアルバムを持ってきたのでそこから1枚ずつ抜き取って義母の
視線の先にくるように持って行って見てもらいました。
写真の殆どは義母が大好きな義姉の写真です。
義母は誰かわかっているのかしら、と思いながら大きく写っているものを選んで
義母の視線の先に持って行って見てもらいました。
『これ、誰でしょうねぇ』と耳元で言いながら。
でもしばらくするとまぶたが下がってきて、寝てしまいそうな様子。
思わず、『眠いですか?』と尋ねると、  「眠ない」。
うわぁ~、久しぶりに聞く義母の生声でした。
受け答えが成り立っていました。
もしかしたら、写真もちゃんと見ていたんだろうか?

義姉が来た時にも一緒に見てもらおうと思いアルバムはそのまま病室に置いてきました。
あんなにあんなに喋り続けていた人が、すっかり無口になると、
本当に人が変わってしまったように思えるんですねぇ・・・。
でも、実は声は発しないけれど、いろんなこと思われてたりして…。











2010年03月02日 Theme: 義母

思うこといろいろ

オリンピックも終わってしまってちょっとさびしいです。
2週間ほどの開催でしたか?
何だか毎回毎回、オリンピックの開催期間が短くなっているような、そんな気がしてしまいます。

今日は久しぶりに一人で義母の病院へ行ってきました。
昼食に間に合って、介助の看護士さんとバトンタッチして食事の介助を。
義母は食欲は変わらず、口元に持っていくと拒否無く口にしてくれて完食です。
食欲もあり、顔色も良く、私が居ることは認識されているのかは?だけど元気そうです。

ただ、言葉が全然ないのです。
あれだけお喋りだった人が、ほんっとに言葉を発することがなくなりました。
長い間喋らずに居ると発声しにくくなるのかなぁと思い、行けば何かしら問いかけたり
喋ったりしてるけど、うんとも、すん、とも。。。
同室の方でも普段ずーっと黙ってらしても、看護士さんの問いかけには言葉を返している人も居るのに
何でかな。

でも、今日は久々にはっきりとした義母の一声「うん」という声を聞きました。
弟の子供3歳、の画像を携帯で見せたら、じーっと食い入るように見つめているので、
『可愛いですよね~』と耳元で言うと、 「うん」 と。
こちらがびっくりするくらいはっきりとした張りのある声でした。
義母の孫たちを思い出したのか、それともたまたまの「うん」だったのか。
その後はじーっと携帯をしまっても同じ目線で一点を見つめるだけでした。

そして時々、カッと目を見開く表情、これにはこちらがたじたじしています。
前も義母の目力には驚く、と書きましたが時折見せるこの目力には参ってしまいます。

食後もしばらくベッド脇に居たけれど、満腹感でか、うとうととし始めたので私も退室。
帰りしなに、前に義母が居た部屋を覗いてみました。
その部屋の入り口には、いつも怒っている人が居らして、義母を見舞いに行った時はとても気を使ったのです。
ちょっとでも大きな声を出そうなら、「うるさい!」「ここをどこだと思ってるんですか!」と怒鳴られたもんです。
それでも挨拶をするとニコッと頷いてくれる人でしたので、
開いた入り口から挨拶をしようとしたら、、、、ベッドに脇にはお見舞いに来られている方の後姿が。
その方にお見舞いの人訪れているのは初めて見たのでちょっと驚いたけれど、
ベッドに居らしたのは、別の方でした。
あの、いつも怒鳴って怒っていた方はどうされたのかな・・・。


話は変わりますが、私がとっても参考にしていた、とある介護の掲示板が、最近閉鎖されてしまいました。
義母の介護の手が離れてからも閲覧をし続けていましたが、最後のほうは今思えば、
掲示板のやりとりがヒートアップして、とんでもない方向へ行ったり、
「わ、わ、わ、、、これどうなるんだろう」とヒヤヒヤして先行きを見ていましたが、やっぱり、閉鎖。
長年お世話になっただけに何だか淋しい思いです。


またまた、話は変わりますが、最近の私はなぜか、
粉もの系の甘いもの、要するに焼き菓子系に凝っています。
それでどうしているかというと、せっせと手作り。買えば済むけど貧乏性なのと、作る楽しみと、
ドン!と目の前にある方が嬉しいのとで、せっせと手作りに勤しんでいます。
先月はほぼ毎週くらい、パン(甘系の)、パウンドケーキ、カステラを繰り返し焼いていました。
当然ながら、小麦粉と強力粉の減りが早い~!
BPを使わずに焼くパウンドケーキなので(たまたまBPの買い置きが無かったから)
撹拌が必死です。モチロン電動ですけど。
カステラも、これでもか!と思うくらい撹拌しますが、
家でカステラが焼ける!、という魅力に頑張りました!
おかげでどかーんと大きなカステラを思う存分食べました(^_^)v
でも、手作りしてわかったことですが、カステラって卵と砂糖を信じられないくらい使うんですよね。
…言わずもがな、です。




2009年12月30日 Theme: 義母

行く年来る年

ほんとに12月の30日?
明日は大晦日?
・・・・・・

毎年思うけど、本当に12月って短いです。
この1年、2年、3年何してたんだろうと思わず振り返ってしまいます。

2006年の12月は義母はまだ在宅していて、このブログを見てみると
義母宅のトイレが壊れてすったもんだしてましたね。
年が明けて2007年の1月に家で骨折してそこから今に至る、ですね。
約3年前のことなのかぁと思ってしまいました。
と同時に3年前には今の義母の様子は考えられなかった。
というか、どうなっているかも想像できなかったのが本音です。

意思の疎通も難しくなって義母の口から言葉を聞くことはなくなったけど、
お互いが穏やかに過せるようになって、(少なくとも)私は良かった、と思っているけれど
全て良しというわけでもないし、だからといってどうすることもできないけど。

去年、一昨年まではお正月は家に一時帰宅してもらう?というような
考えも無きにしも非ずだったけど、今の状態では100%無理です。
そう思うと短い間だけでも家に行く(義母の家に)ことはできないか、
などと殊勝なことも考えてしまいます。
でも無理だろうなぁ。。。歩けないし立てない義母を、段差の多い義母の家に
連れて行くのは至難の業かも。
慣れない者が抱きかかえても、又どこか骨折したりしたら、と思うととてもとても。

ということで、そういう思いは頭をかすめはしても現実的に無理、と思い、
年末でも我家はいたって普段と変わりません。
夫は30日の今日が仕事納め。
私は28日が仕事納めだったのでのんびりです。
普段のように洗濯して、掃除して、テニススクールへ。
大掃除、というようなたいそうなことはしないし。普段から小掃除をしているので。
(とここでは言っておきます(*^.^*)。)
掃除と言えば最近、眼からうろこ的に驚いて気に入って使っている掃除グッズがあります。
白いスポンジのようなもの、洗剤要らずで殆どの汚れが落ちるというヤツです。
ナイフや包丁で適当な大きさにカットして少し水を含ませてこするだけ!
今まで苦労していた洗面器の湯垢がススーッととれて感動しました。
これって昔からあるものだけど家で使ったのは初めてでして。
昨日はこれでお風呂場の浴槽、床、壁、あらゆるところを磨きまくりました。
レンジ周りも今まで中性洗剤とか使っていたけどこれでOKなんですねぇ。
目に付くあらゆるものを磨きたくなります。
何て便利なんでしょう…!と今頃気がついた私でした。

磨く、という行為は好きです。綺麗になっていくのがはっきりと目に見える、
というのは気持ちいいですよね。
ガァーっと一心不乱に磨きたくなる時、それは気持ちがむしゃくしゃしている時が多いですけど。
イライラしてたり腹が立って居る時などひたすら没頭してしまいます。私だけでしょうか??
で、翌日腕や肩が痛くなるんですけど…。

来年は寅年、トラ、ということで、ここ関西はきっとタイガース一色だろうなぁ。
にぎやかになりそうです。
私は…何はともあれ、NHK大河『龍馬伝』!今からすっごく楽しみです。
毎週かぶりつき!(笑)

どうぞ良いお年をお迎え下さい。
来年もどうぞよろしくお願いします。











Amebaおすすめキーワード

    1 | 2 | 3 | 4 | 5 |oldest Next >>
    アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト