バカヤロー駒田
テーマ:ゲンダイ【弱いチームと強いチームは何が違うのか】
今でも思い出す藤田監督のミーティング
「大野のバカヤロー」
前回、ミーティングはチームの方向性を確認し、ナインの結束を固めるいい機会になるという話をした。
それで思い出すのが藤田監督(元司=故人)だ。1989年から4年間、巨人で指揮を執られていたとき、僕も在籍していた。試合後のミーティングに普段、藤田監督は出てこない。コーチ陣がその日の試合について選手に話をする。藤田監督は節目節目の試合の後にだけ顔を出す。
ある試合で香田(勲男=現巨人投手コーチ)が初回に5点を取られた。打線が追い上げたが結局、7―8と1点差で逃げ切られた。
その試合後のミーティングに藤田監督が出てきた。そして選手を前にこう言われた。
「きょうはみんなよく頑張った。先発は初回に5点を取られた。これは大いに反省して次にやってもらわないと困る。ただ、二回以降は中継ぎ陣が頑張って3点に抑えたし、打線もよく追い上げて7点も取った。みんなが粘り強く戦った。監督としてうれしいし、優勝できると確信した。きょうの気持ちを忘れずに明日からもやってくれ」
こんなこともあった。広島戦で大野さん(豊=来季から広島ヘッド兼投手コーチ)にピシャリと完封された。いいところなしの敗戦だ。
このときも藤田監督がミーティングに出てきたので、何を言われるのかと固唾(かたず)をのんで見守っていると、こう切り出した。
「みんなでひと言、声を張り上げてくれ。『大野のバカヤロー』と叫んでみよう」
これでおしまいである。沈んでいた選手の気持ちが救われた。絶妙のタイミングだった。ミーティングはペナルティーではない。負けたからやる、勝ったからやらなくていい、というものではない。日常的にやるべきものだ。勝ったときは、
「ナイスゲーム!」
だけでもいい。
日頃からやっていれば耳の痛い話を聞いても、
「ガタガタ言うな、次は打ってやる」とか「よし、力を合わせてやろう」となる。明日につながる。
ところが日常的にやっていないと、コーチの話を聞いても選手は、
「きょうは話が長いな」
で終わってしまいかねない。そういう雰囲気というか、体質が横浜にはあった。それもチームが最後まで浮上できなかった一因だろう。
▽こまだ・のりひろ 1962年9月14日、奈良県生まれ。80年のドラフト2位(1位は原辰徳巨人監督)で巨人入団。81年から93年まで巨人、94年に横浜にFA移籍。00年に2000本安打を達成して引退。05年に楽天、今年横浜打撃コーチを務め今オフに退団。通算成績は打率.289、195本塁打、953打点。ベストナイン1回、ゴールデングラブ賞10回。
大矢や田代の話を聞いても眠くなるだけだろう、その点尾花は明確にデータを示しながら語るので選手も興味をもって聞くかもしれないしそうじゃなきゃ切り捨てられる。
駒田も大矢や田代同様無責任である、まるで部外者かのように自分は悪くないというスタンス、その割にはフロントに食ってかかることもない。
ゲンダイのこのシリーズの記事には▽こまだ・のりひろ 1962年9月14日、奈良県生まれ・・・と記載されているが
2005年、新球団の東北楽天ゴールデンイーグルスの打撃コーチに就任する。当初は一軍担当だったが成績不振のため4月30日付を持って二軍コーチ降格となり、シーズン終了後に退団。
2006年、再び野球評論家としてテレビ東京を中心に、TVK、東北放送、テレビ北海道、STVアタックナイターにも出演。
2009年から古巣横浜で1軍打撃コーチ就任。古巣には9年ぶり、コーチとしては4年ぶりの現場復活となる。「技術的なものは杉村(繁)さんがいるから、俺の仕事は少ないであろう。選手とのコミュニケーションを大事にして、強かった頃の1番・2番コンビ復活をめざす」と語ったが、昨年のチーム打率.265を大きく下回るチーム打率.239(チーム打率リーグ最下位)と何も結果を残せず、退団が決まった。楽天、横浜といずれも1年で退団しており、コーチとしての指導力に疑問符がつく。
引退後のコーチ歴の詳細も書いておけ!
なぜ1年でクビなのか、自己分析をしたほうがいい。駒田や高橋には今後ベイスターズの解説をしてもらいたくはない。
選手が悪い、監督・フロントが悪い、で自分(駒田)はどうなんだという疑問が拭えないが、だらけている選手が生まれる要因はフロントにある。フロントが補強をしていないから中堅ものんびりしていられ若手の突き上げもなくただ左右病で出番が来るのだから競争はない。
尾花監督は加地社長のバックアップを信頼しているが補強が失敗したら次なる補強をしてこそ(こんなことは当たり前だが)であり残りいくら使えるのか確認しておいたほうがいい。








