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++  エピソード日本史 ~人物で繋ぐ日本の歴史~ 
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ vol.008━2007.01.09━…‥*



 ◆◇ 日本武尊 《ヤマトタケル(の)ミコト》

 日本神話の英雄。古事記では「倭碓命」、日本書紀では「日本武尊」。
 ともに12代天皇景行の皇子で、本来の名を小碓尊という。
 九州に勢力を誇っていたクマソの大将「クマソタケル」を討った時、
 彼から、ヤマトタケルの名を捧げられたと伝えられるが…


 《景行天皇:ケイコウ天皇》
 《小碓尊:オウス(の)ミコト》



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■ 白鳥となった悲哀の英雄、ヤマトタケル
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ヤマトタケル。名前はなんとなく聞いた事がある人物でしょう。
でも、一体何をした有名人なの?というと、
案外知らない人もいるのではないでしょうか。


崇神天皇の孫・景行とキビツヒコの姪・播磨稲日大郎姫との間の子で、
小さな頃から武勇に優れていたといわれています。

《播磨稲日大郎姫:ハリマ(の)イナビ・オオイラツメ》


成長したヤマトタケルは、父・景行天皇より
西方のクマソを討つように命じられます。

九州のクマソタケルには女装して油断を誘って討ち、
出雲のイズモタケルには木刀を差して、戦いの前に剣の交換をしてから討つ。
こんな風に計略を用いながら平定していきます。

西方の平定を終えて戻ってきた後、次は東方への平定も命じられます。


東方へ向うと、焼津では騙されてしまい火攻めにあってしまいますが、
叔母から受け取っていた草薙剣で草を掃い、返り討ちにします。

余談ですが、実は元々草薙剣は天叢雲剣という名だったのですが、
この事から草薙剣と呼ばれるようになりました。

《天叢雲剣:アメ(の)ムラクモ(の)ツルギ》


こういう事を繰り返し、時には妻をも失いながら平定していくのですが、
最後には力尽き果て、三重の能煩野《ノボノ》で病死していまいます。

そして、白鳥になって飛び立ったと伝えられるのです。


このヤマトタケル神話は古事記と日本書紀では性格付けに違いがあるのです。
古事記では、平定に向かわなければならないと涙しながら向かうのですが、
日本書紀では、頼りない兄に代わり俺が行ってやると意気揚々と向かうのです。

こういった違いがある事なども含めて、現在ヤマトタケル伝説は、
複数の英雄譚を寄集めた作り話で架空の人物と考えられています。

しかし戦前教育では古代最高の英雄と称えられ、一時期お札にもなりました。
仮にヤマトタケルが存在したとして、1500年近く後にまで、
政治的に利用されていたというの現実を考えると、
古事記のヤマトタケルの涙に何か感じるものがあります。


さて、ヤマトタケルの活躍もあり、大和王朝の勢力は広がり、
大きな力を持ち始めて来たのが分かりますね。



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実は一説によると、ヤマトタケルは死なずに、別の人物として生きたのでは?
とも言われております。英雄不死伝説の一つですが、その人物は謎に満ち、
ヤマトタケルの時代から国政に仕え、300歳生き、神として祭られました。
後の世に大きな影響を与えた白ひげのお爺さんとして伝えられますが、
一説によると浦島太郎のモデルではないか?と考えられています。
彼の名は武内宿禰《タケ(の)ウチ(の)スクネ》と伝えられています。



┏━◇ 次回の予告 ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

  浦島太郎!?それとも…?謎の長老、武内宿禰

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━━[編集後記]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
古代史を彩る英雄ヤマトタケルをとりあげました。
昔、ヤマトタケルはものすごい英雄だと思っていたのですが、
やっていることは騙まし討ちみたいのが多く、案外かっこ悪くも思ってしまいます(汗)
でも、ヤマトタケルが古代の日本の鍵を握っているのは今も昔も変わらない、と
考えると、やっぱり英雄なのかなぁ、とか思ったりします(笑)
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