• 22 Jan
    • イクメンとか言うけど育児が女中心で何がいけない?

      イクメンとか言う言葉いる?男が育児に参加する必要ある?  全く何もせん男はアカンとは思うで。休みはバイクとゲームばっかで全然育児に参加せえへんクズ旦那がおると聞くけど、そういうのはアカン。  俺はそういう考だという前提を強調してから言うけど、 「ええんちゃうか?育児は女中心で」  育児休暇取る男は数%しかいないと問題視しているがそもそもそれの何がいけない?女は専業主婦、又は育児と両立できる程度にセーブして仕事する。男は毎日遅くまで残業、休日出勤もある社畜だが時々できる範囲で育児に参加。それでいい。そういう男女分担をして何がいけない?  男が育児に積極的でないのは、既にもう育児をスタートする時点にそうなるように仕向けられているから。男は腹も痛めないし母乳も出ない。それで女に思いっきり差つけられる。それをきっかけに戦意喪失する。  人間はそういう作りなっているんだから仕方ない。  バイク、ゲームのクズ旦那だけシバキまわしたらええ。俺はそういう奴らとは違う。適度に育児やってる。わざわざイクメンなんてキモい言葉でアピールせんでよろし。

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  • 14 Jan
    • ドラマ「下剋上受験」第1話の感想と自分の中学受験体験の話

      ドラマ「下剋上受験」の第1回を観たが脚本、雑くない?中卒の悔しさが全然感情移入できなかった。なぜに不動産屋?実話は土方やろ?もっともっとどうしようもなく貧乏の底辺の世界を描かないと。あと、賢いと思っていた子がアホやった描写は偏差値と点数だけではよくわからない。テスト問題解いてみて「こんなの学校で習った?」みたいな異世界が存在することを知って驚くみたいに私なら描きます。 ところでここでカミングアウトしますけど私は中学受験をしたことがあって、そして受験に失敗した側の人間なのです。といってもこれまでこの話をしてもあまり興味をもたれたことはなく「あっそう」って感じでしたけど。 めっちゃ勉強しましたので、恐らく秘密基地で遊んだとか小学校の時に体験しておくべき楽しい思い出がみなさんよりかなり少ないのだと思います。それも報われていれば何の問題もなかったかもしれませんが、結果は敗北でしたから今も私の精神に大きく影響するトラウマのようなものになっています。 思い出すのが毎週、塾でテストがあったんですが算数が毎回30点くらいしか取れなかったこと。中学受験の算数って学校の算数とは全くレベルが違う、いや別の科目と言っても過言ではない奇妙奇天烈の難問ばかり。解いたことない人でもクイズ番組「平成教育委員会」を観たことある人なら多少は知っているでしょう。 本当に情けなかった。なぜ解けないのか?なぜわからないのか?受験勉強は2年やりましたがほぼ大半の期間、全く太刀打ちできませんでした。 志望校の試験問題を解いてもどう考えても合格できるような点は取れない。そんな状況でなぜその志望校を受けたのか、塾の先生から志望校のレベルを落としてはどうかとかの指導がなかったのか、あまりよく覚えていません。 それから10年。私は大学生になって塾講師のアルバイトをするようになりました。そして私は驚くべきことに気付くのです。 中学受験クラスの算数を受け持つことになった時のことですが、なんとあれほど難しかった中学受験算数が簡単に解けてしまうのです。前述のクイズ番組も算数は全問正解ですよ。人生やり直せるなら小6に戻って灘中を受けてみたいと思うくらいでした。 その理由を考えてみましたが、恐らく中学、高校の数学で論理的に物事を考える思考が身に着いたのも大きいとは思いますけど、何よりも「大人になった」ということが大きいように思います。 よく頭の良さを示す指標としてIQが高いとか話題になりますが、あれは「実年齢に対する精神年齢の高さ」だと聞いたことがあります。当然大人になれば精神年齢は高まります。(IQは実年齢に対するですから頭が良いことになりませんが)それで解けるようになったと個人的な感想ですけど結論づけました。 それからまた10数年後のこと。兄が子を中学受験させると言います。私は兄に中学受験のアドバイスを求められることが何度かあったことを記憶しています。私は中学受験に負けたと言っても家族の中では唯一の実戦経験者です。兄は自分自身は中学受験をしたことがありませんでしたので当時の気持ちを経験者の私に聞いてみたいと思ったのでしょう。 私も当時のことを久しぶりに思い出し少しわくわくする気分になりました。兄は休みの日や仕事を早く上がった日は子に勉強を教えていたようです。本屋で買ってきた学校別の試験問題(大学の赤本のようなものです)を自ら解いてみて「90点取れた」などと自慢していました。 私はその様子を兄から聞いて自分が中学受験した頃との圧倒的な差を見せつけられたように思いました。それは兄の子には我々大卒の大人がついていて、さらに加えて我々には中学受験と塾講師経験があるということです。 親が高卒と中卒の私は親から勉強を教わった記憶はほぼありません。恐らく私が中学受験した時も同じく中学受験をした友人の中に親が大卒で親から勉強を教わっていた者はいたのでないかと思います。 親が高卒と中卒の私は圧倒的に不利です。勉強を教えないにしても「今の成績じゃ志望校は無理」と判断してくれる大人が欲しかった。経験のない親にはそんなことはできません。あの中学受験は身の丈を考えない無謀な戦いだったのだと気づかされました。 先日の話です。今、上の子が小4なんですが、嫁が言うには○○くんが中学受験するということを子が言うそうで気になるようです。 私は「俺は中学受験は必要ないと思っている。但しこれが西宮あたりに住んでいたら俺の言うことも違ったかもしれない」と返しました。西宮はそうなのかはっきり調べたわけでありませんが、地域に通える範囲の私立進学校が多くあり、地元の公立に何かしら問題があるなどのようなことで中学受験志向が高い環境であれば受験を考えるかもしれないということです。 ただ私の地域では私立進学校よりレベルの高い公立進学高がかなり近い所に多いですのでそんな環境でわざわざ私学を検討する必要もないと考えています。 まあ子供のことですから○○ちゃんと塾に行きたいとか言い出して勉強している内に受験してみたいとか流れでなるかもしれませんのでその時は封印している中学受験指導の能力を発揮することになると思います。

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  • 24 Dec
    • 一人キャンプをテーマとしたドラマの構想

      俺「ありがとう、○子さん(嫁)」嫁「は?」俺「この間、子供たちとママ友さんパパ友さんと行ったキャンプは楽しかった」嫁「うん。楽しかったねえ」俺「そこで会社の先輩から20年前に譲ってもらったテントをほぼ初めて使ったね」嫁「そんなん持ってるなんてびっくりやった」俺「このキャンプに行く機会を得たのは○子さんがママパパとの付き合いをやってくれていたから。すごく感謝する」嫁「ええ」(汗)俺「運命の糸を感じている。20年前にテントを譲ってもらったこと、○子さんと結婚してキャンプに行けたこと、全てが神が創りたもうたシナリオなんだ」嫁「最近なかったと思ってたらまた始まったね!」俺「これはね、アカシックレコードと言うんだ。全て決められている神に」嫁「それは知ってる。結婚前に言うてたから」俺「ほんでね、これは運命なので書かないといけないと思った」嫁「結局それか!言うてみ」俺「先日、芸人がね一人キャンプをやってるのをテレビでみた」嫁「『それは前から考えていた』やろ?ヤスさんは未来人やからね」俺「そう。20年前にこの構想があった。会社の人に誘われて初めてキャンプに行ったがすごく楽しかった。勿論みんなで行くので楽しいのだが一人でキャンプに行く人ておるんやろかと考えていた」嫁「その小説の題は?」俺「アウトドアー(仮題)」嫁「じゃあ手短にあらすじ言うてみ」俺「一人でキャンプに行くのが趣味の主人公。楽しそうに男女が入り乱れてバーベキューをやる集団を横目に一人で肉を焼いて食べている」嫁「ほうほう」俺「天気予報がはずれて夜は雨になる」嫁「はい」俺「朝起きると川が増水している。そこへ鉄砲水が迫る。みんな急いで逃げるが男女の集団の中のかわいい女性が逃げ遅れて水に飲まれてしまう」俺「後先考えず水に飛び込む俺。じゃなかった主人公!」俺「ラスト30分を見逃すな。彼女を助かる為の壮絶な戦いが始まる!みたいなー」嫁「甘いな。設定が甘い」俺「といいますと?」嫁「やっぱり日頃から恋焦がれている女性にしないといけないわ」俺「ということはその男女の集団は知り合いの方がええかな?」嫁「いっしょにキャンプに行く会社の同僚と言う方がいい」俺「なるほど。彼女は主人公のかた思いの女性である方がいいな」嫁「それじゃ一人キャンプじゃなくなるね」俺「おおー、忘れてた。あれだね。何かしら一人キャンプをやってるのが会社でバレて連れっててくれよーみたいのがいいね」嫁「その連れっててくれよーって言うのはチャラい男でその彼女の彼氏というのはどうやろ?」俺「ああ、それ。王道ベタパターンや。それ採用」嫁「一人キャンプをやってるバレ方はどうする?」俺「ちょっと話題になってテレビに出るのはどうかな?一人キャンプの主人公はテレビでちょっとした有名人になってることにする」嫁「センパーイ。見ましたよーみたいな」俺「チャラい男は後輩?」嫁「そう。ヤスさんの作品によく出てくる年下に負けるみたいなニュアンスが醸し出されていいと思う」俺「なるほど。チャラいけど営業成績は主人公よりいいみたいな」嫁「それでチャラい男が嫌がる主人公に無理やりキャンプ企画させる」俺「そこで出てくるのが例のスノーピークやね。みんな主人公のキャンプ装備に驚きまくる」嫁「まだ甘い。会社でチャラい男が彼氏とわかっているけど密かに女性に恋焦がれている描写は必要やわ」俺「それはもちろん描く。あと思ったけど女性を助ける為に飛び込む伏線がいるな。命かけるだけの理由がいる」嫁「自己犠牲やね」俺「そう。会社の中での主人公の振る舞いは自己犠牲に満ちている。自分は悪くないのに責任とったりとか。生い立ちから掘り下げて主人公の性格を伏線として描いていく。父親は幼い頃に亡くなっているが、キャンプに連れて行ってくれた記憶がかすかにある。あと一人キャンプの目的にも自己犠牲というか自分には何の特にもならない目的がある」嫁「ボランティアとか?」俺「ゴミを拾うとか。自然を守る地道な活動がいいかな?」嫁「環境問題を絡める?」俺「壮大なテーマが背景にあるみたいな。鉄砲水に自然の大きなパワーを感じるみたいな」嫁「すごい壮大になってきた」俺「ここまでのまとめ。映画化を意識して冒頭は独り寂しくキャンプをやるシーン。キャンプ装備はメチャメチャすごい。でもテントの中で寝る時はなぜか涙が。奇しくもその日は主人公の誕生日。主人公はすごい装備で一人キャンプをやるちょっとした有名人。それを知った会社のチャラい男にキャンプを無理強いされる。これでいい?」嫁「おもしろくなってきた」俺「それでキャンプに行くがいちゃいちゃしているチャラい男と女性の様子を見せつけられながら黙々と肉焼いたりちゃんちゃん焼きしたり、もちろんスノーピークのテーブル。テントの張り方指導したり、そのカッコよさに女性も少しときめいている。何もしないチャラい男とはちょっと喧嘩になっていたりして」嫁「そこからは鉄砲水起こって主人公が飛び込むと」俺「彼女が鉄砲水にさらわれているにも関わらず腰の抜かして逃げ惑うチャラい男。セリフが欲しいね。『愛する者の為に命をかけてみろ!』と言い放ち濁流に飛び込むわけね。この辺りはポセイドンアドベンチャーのパクリ」嫁「ラスト30分のクライマックスが始まるわけやね」俺「最後の戦いが始まる。木の葉のように濁流に翻弄される主人公。彼女になかなか辿りつけない」嫁「意識が朦朧とする中、走馬灯のように思い出が蘇るんやろ?」俺「ようわかるね。出来たら女にモテるんちゃうやろかと始めたキャンプ。でも環境問題に目覚めてゴミ拾いをしにキャンプに行くようになる」嫁「不純な動機から始まって別のことに昇華していく。ヤスさんの王道パターンやね」俺「鉄砲水の件は即テレビ報道。ネットでは一人キャンプくんが鉄砲水に飛び込んだことがすぐに話題になる。山崎監督率いる白組のCGで濁流の再現が必要やわ。自衛隊の全面協力は当然。全国から応援の声も描写するからエキストラすごい人数いる」嫁「無名の俳優で製作費節約!」俺「絶望的な人生。結局どうにもならなかった。でもこの一瞬にかける。この日、この為、彼女を助けるためだけに一人キャンプを始めたんだ。これは初めから決まっていた運命だったのだー」嫁「ベタベタなパターンや!」俺「やがて彼女を助けることができて二人、河口近くの河原に横たわっている。自衛隊の救助ヘリの爆音は必須。全国からかけつける応援の人々。エンディングロール」嫁「うーん。そこは違うなあ。よくある10年後って奴が欲しい」俺「あっ。いやそれも考えていた」(汗)嫁「ほんまかいな」俺「そして10年後。当然ながら恋愛はそんなに上手くいかなくて彼女とは結ばれていない。スノーピークのキャンプ装備は全部鉄砲水で流されてしまったが主人公はキャンプをやめてしまったのだろうか」嫁「うむ」俺「彼女とは異動で離れ離れになっている。彼女は風の知らせでチャラい男と結婚したが離婚したという」嫁「女はホンマにアホやわー」俺「主人公は諦めてはいなかった。失ってしまったキャンプ装備を少しずつ揃えようとしていた。既に40歳。一人キャンプを再開するのに10年かかった」嫁「時間は残酷」俺「そしてやっとのことで一人キャンプを再開する主人公。やっぱり一人なのにスノーピークの豪華装備でバーベキュー。キャンプ場に来ていた人たちがその滑稽な様子をみてツイッターで拡散」嫁「ツイッターやったことない」俺「『キモいおっさんが一人キャンプやってるー』『キャンプ装備すげー。声かけてみようかな?』というツイッターの声。古参のネット民が気づく『それって一人キャンプくんじゃん!女性を助けた英雄じゃん!」と」嫁「ピンと来ない」俺「テントで一泊して朝起きると主人公の前に大勢の人が集まっている。一万人のエキストラやね。『一人キャンプパイセン、肉食わして下さいよー』というDQN。『肉持って来ましたよー』という親子連れ。いつしか拍手が湧き上がる。鳴りやまない拍手。その中に彼女がいることを発見する主人公。見つめう主人公と彼女。軽く微笑み返し。ぱっとスクリーンが暗くなってエンディングローーーール」嫁「ツイッターで拡散とか意味がわからない」以上「アウトドアー(仮題)」というドラマの構想でした。

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  • 03 Nov
    • ドラマ「逃げ恥」は女性差別、女性蔑視!

      ドラマの「逃げ恥」なんだがめちゃおもしろい。今期のドラマ視聴率ナンバー1らしいね。エンディングのダンス、完全マスターは無理だけどなんとなく練習してたりする。 ところでこのドラマってタジマみたいな女性なんとか団体が「女性サベツダー、ギャー」って叫びそうな内容だと思うのは私だけでしょうか? 女を家政婦扱い、あげくにシェアするなんてモノ扱いしている。→女は家事の道具という思想。 あと、石田ゆり子扮する伯母さんは未婚独身のキャリアウーマンなんだがその生き方を後悔しているような描かれ方。→女性社会進出の否定。ということになりませんか?女性なんとか団体さん、差別してますよー。 このドラマってそういう批判をかわすのが上手い感じがする。それでいて暗に最近の時代の流れにアンチテーゼ投げてるように思う。考え過ぎですか? #逃げ恥

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  • 30 Oct
    • 【黒歴史】私は学級崩壊させた張本人でした(笑)

      多分、今年の4月以降のことだったと思いますが、嫁が小3の子の授業参観に行った時のことを話しました。嫁「○子ちゃんがね、国語の時間はちゃんと先生の言うこと聞いてたんやけど、社会の時間はお喋りしてたのよ」俺「そんなもん、席まで行って頭こついてこいや!」嫁「うわあ。でもね、あとでママ友さんに聞いたんやけど、担任の○○先生って頼りないって親の間で噂になってるらしいのよ」俺「そうなんか。そうであっても叩かなあかん。子供の教育は命がけや。周りの目なんて気にしてられないんや」というような話をして特に解決策を話すでもなくその話は終わりました。実は私、その話を嫁から聞かされた時「叩きなさい」とは言ったものの内心、血の気が引くような感覚を感じていたのです。私は小学5年生だった時のことを思い出しました。何十年もの間、独身時代は勿論、結婚してからもその間の生活には何の関係もなかったので忘れてしまっていましたが私が小学5年の時のクラスは所謂「学級崩壊」をしていたのでした。授業中はものすごく騒がしく立ち歩きをする生徒もいて誰も先生の授業を聞いていませんでした。そしてカミングアウトしますけども、それを最も激しくやって最も学級崩壊の中心人物だったのは私なのです。私は当時、有名私立受験を志しており進学塾に行っていました。塾では学校より先取りで学習します。学校では、一度塾で勉強したことがある、しかも遥かに簡単な内容を聞くわけですから学校の授業はつまらない。それで授業中にお喋りしたり立ち歩いたりしておったのです。(○子ちゃんが俺見たいになったらどうしよう)私はあらためて自分が小学生の親であることを自覚するのでした。そんな話があって私は何十年かぶりに小学校の時のことを思い出したわけですが、ちょうどその時、小学校の同窓会が計画が持ち上がっていました。私のところにも案内状が来て既に出席のハガキを返信してしまっていました。当時のことを覚えている同級生もいるだろう。学級崩壊のことで私のことを嫌っている同級生もいるかもしれない。小学校の時に学級崩壊を起こした張本人なのにどの面下げて同窓会に行けるんだろうか。私はそう思いました。私はこの悩みを嫁に相談しました。俺「同窓会で一言謝ろうか。あの時は俺も子供で何もわかってなかったって」嫁「そんな何十年も前のこと、みんな忘れてるよ」俺「そうやなー。昔過ぎ。気にしているのは俺だけかも」嫁「うん、ほんとそう。自分から言うことないよ。何か言われたとしてもさらっと流せばいい」俺「確かに自分から言い出すのもなんだか変に思われそうや」嫁「うん。絶対おかしい」私は嫁にそう励まされてシレっとしてればなんとかなるかなと思うようにしました。先生も出席するらしいですが出席するのは小学6年の時の先生で小学5年の担任は来ないし大丈夫だと思いました。それから迎えた同窓会当日。私は小学校の同窓会に出席するのは初めてでした。あれから30数年が経ち、みんな大人になっていました。友「やっちゃん(私の小学校の時の呼び名)、久しぶりー。全然変わってない。小学校の時のまま!」俺「ええー。誰でしたっけー」(半笑い)そんな会話を何度もしました。なんだか私を迎え入れてくれている。私を怨んでいる同級生もいなさそう。たとえ内心怨んでいたとしてもう学級崩壊の件は触れずにシレっとしてればなんとかなると再度思いました。そして宴も中盤にさしかかった頃、同窓生一人ずつのスピーチがありました。語れるわけがない。小6担任の女先生には一言お礼を言いたかったのですが学級崩壊の件に触れることになってしまう。皆が小学校時代の思い出を語る中、私は当たり障りのない何の面白みもない近況報告だけをしました。それから学年主任だった先生のスピーチがありました。その先生は小学5年の時の学年主任でもあり、厳しい頑固親父タイプの先生。教えてもらったことはありませんが私も恐い先生と思っていたと記憶しています。先生は開口一番、「担任持ったことないけど、○○ヤス(私のこと)のことはよく覚えているよ」と私のことをフルネームで言いました(会場からどっと笑い)俺「・・・」もう逃げられない。先生の口から避けていた例の話が出てしかも全員に告げられた。もう話さなければならない。先生の話が終わった後、私は横の席にいた友人に言いました。俺「あの時のことを悔いている。悪かったと思っている」友「みんな悪かったで。やっちゃんだけのせいやないで」俺「そうなんかな?みんな俺の行動に流されて悪くなったんとちゃうか」友「それは違うで。その証拠に俺の妹も○○(私の小5の担任)が担任になってその時も学級崩壊してたんや」俺「そうなんか・・・」その友人は現在、教師をしています。彼はこうも言いました。「子供は未成熟なので悪くなるのは当たり前。親の躾もあるけど学校の授業ではコントロールできない教師が悪い」彼曰く、現在は学級崩壊対策マニュアルというものがあって、先生を訓練するプログラムがあるそうです。別の友人で小5の時に同じクラスだった女性はこう言いました。「私ら女子も悪かった。やっちゃんは関係なく女子は全員、○○を嫌っていたんよ。なんか話してることが薄いというか何言ってるかわからんかった」その後、前述の教師の同級生と色々と議論しました。俺「みんなそう言ってくれるけど、やっぱり俺はよくなかった。塾がいけない。塾で先に勉強しちゃうから学校がつまらない」友「それはちゃう。塾と学校ではベクトルが違う」俺「だったら俺みたいな生徒をどうしたらいい?」友「それでも上手くやるのが学校教師やで」俺「そんな具体性のない答えはないわ。学校が塾と戦えるようにすればいいんとちゃうか。小学校も進学コースを作って対抗すればいい。それが競争原理ってやつ」友「それは無理。民間はあくまでもビジネス。ビジネスを出発点としない公立学校はコンセプトが全然違う」・・・などなど話は塾存在論にまで発展していきました。俺「そういえば俺って小6からは割と大人しかったもんな」友「そう。それも○○がアホやった証拠」俺「そう考えると塾で先に習ってたから学校がつまらなくて騒いでたというのは違うような気がしてきたわ」友「○○先生(小6担任の女先生)がよかったんよ」俺「ああ、俺もそう思う。○○先生には感謝している」小学5年当時のことを知っている別の先生とも話しました。先「あの時はたいへんやったよー(笑)○○○○(問題の教師)が○○先生(前述の学年主任)にいつも怒られててねー。横で聞いてるのが辛かった」(終始笑)俺「実は○○○○先生が算数のテストの答えを間違えていて指摘したことがあるんです。○○○○先生はなかなか間違いを訂正せず、授業中に長い間議論になったんです」算数で小5に論破されたことがあるのに校長になれる教師の話先「へええ、そんなことがあったの。○○は算数もできないアホやったと言うことやね」俺(笑)学年主任の先生とは宴では話しませんでしたが、帰りのエレベーターでいっしょになって声をかけられました。「○○ヤスやな。○○○○(問題の教師)の時は・・」(笑)「ええ、小5は黒歴史なんです」(周りの女性陣からどっと笑い)「黒歴史って・・・」と小6担任だった女先生。そして私はこう言いました「後2年で子供が小5になります。今度は親として考えなければ」(すぐにお別れの雰囲気になったのでそれ以上は話しませんでした)ここで気づいたんですが先生たちは問題教師のことを呼び捨てにするんです。普通生徒に対しては○○先生と言うでしょう。後輩なら○○くんと言うのかもしれませんが。私にはなんだかそれが一人の教師として認めないと言っているように聞こえてなりませんでした。先生たちの話ぶりからして私の知らないところで色んなことがかなりの問題になっていたと推測します。勿論なにもかもわかったわけでありませんが、先生たちにとってはもう生徒が授業中にお喋りする云々の次元の話でなかったのかもしれません。その問題教師ですが教師の同級生曰く、今度校長になるそうです。俺「考えられへん」友「ああ、俺もそう思う。○○とすれ違ったことあるけど無視したったわ」教育界って一体どうなってるんでしょうかねえ?-----この件ついては同窓会終了後、実家に帰ってから母とも話しました。母「最初は○○(問題教師。母も呼び捨て)に呼び出されてヤスはどうなってしまったんやろってびっくりしたけど、お父ちゃんと授業参観に行って『この先生、何?』って思ったんやで」俺「その話は初耳やな。保護者会でやりこめた話は聞いてたけど授業参観みてそう思ったというのは」母「それで一気に自信ついたんよ。ヤスは何も悪くないって」俺「そうやったんか。それでその後の保護者会の話になるんやね」(ここから私も聞いたことがある話)母「お父ちゃんが『子供の成績が悪いなら補習してください』って言うたんよ。そしたら○○は『上司に怒られます』やって。お父ちゃんは『だったら校門の前で補習すればいい』って言うたんよ」俺「お父ちゃんらしいわ」母「それでお父ちゃんがコテンパンにやりこめて、あんたの通知簿の成績が一気に上がったんよ。この子、勉強できるのに何でこんなに成績悪いんやろって思ってたけど、そのことがあって、ほとんど全部『よくできる』(3段階の最高)になったんよ」俺「ヘタレやな。上司に怒られると言ったことといい、親を恐がって成績よくするなんてそこがヘタレ」母「お父ちゃんはね、子がどんなに悪くても子を守らないといけない。子を信じないといけない、そう言うてたんよ」俺「・・・」信じていてくれた死んだお父ちゃんのことを思い出すと私は涙がこみ上げて来ました。前述の教師の同級生は「あの小5の体験があるから自分が教師になってもあれ以上の酷いことはないって自信がもてるんや」と言っていました。私も子が後2年で私が学級崩壊を体験した学年と同じ小5になります。今の処、学校からの呼び出しはありませんので、冒頭で書いた子の授業中のお喋りの件は比較的軽傷のようですが、これから○○○○のようなヘタレが担任になって学級崩壊が起こらないとも限らない。どんなに同級生に励まされてもどんなに先生たちが問題教師に不適合者のレッテルを貼ろうとも、やはり学級崩壊の一端を担った私の罪が消えたとは思いませんが、この経験は子育てをする上で普通の親が持ち備えることがない大きな経験だったと思います。私はこの経験を生かし、そしてお父ちゃんと同じように、全力で子を信じ全力で子を守ろうと決意するのです。

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  • 25 Oct
    • 【逆差別】女管理職3割枠でこれから男は昇進できない

      政府は2020年までに女性管理職の割合を3割にする数値目標を掲げているらしい。てか、皆さんの会社の女比率ってどれくらい?管理職候補の女ってどれくらいいる?パートのおばちゃんと派遣社員ばっかりとか?俺の嫁なんか総合職だが子育てと両立したいから責任の重い過酷な仕事はいや言うてるわ。管理職いや言うてる。そんな女もいる。いや寧ろ多い。管理職拒否の子育て奮闘ママ社員と事務職除いたらどんな女が残る?これはですよ「正社員総合職でかつ一生独身女なら片っ端から管理職に登用しなさい」と政府が会社に命令しているってことでっせ。 そうしないと3割無理。頭数は限らてるんだから。管理職の能力がなければ登用しないのは男も同じだが、女の場合はさらに子育てママ除いて、そもそも女は派遣事務職も多いんだから、女はますます頭数少ない。 女の管理職3割枠のおかげで昇進できない男も出てくる。こういうのを逆差別と言うらしい。 政府から突きつけられる数値目標を達成する為、多少難ありでも女なら登用!○○君の方が能力あるけど男なのが惜しいねえ、みたいな暗黒の未来が待っている。 #女性活躍推進政策 #逆差別

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  • 13 Sep
    • ネットで見つけた男女比率1:9の世界【まとめ】

      ネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート1http://ameblo.jp/yasushi135/entry-11062881203.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第1章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12131183041.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第2章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12133551492.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第3章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12135872770.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第4章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12140754555.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第5章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12143899707.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第6章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12148662021.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 最終章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12152280430.html-------------------------------(関連記事)135神戸ライブメモリアル (ネットで見つけた男女比率1:9の世界 原案)http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12148754674.html通ってた結婚相談所の変だと思ったルールhttp://ameblo.jp/yasushi135/entry-11255270705.html小学校から私立に入れる」と言ったお見合い相手の話http://ameblo.jp/yasushi135/entry-11237074654.html嫁とのお見合いの場所は絶対にお見合い場所として選んではいけない所でした。http://ameblo.jp/yasushi135/entry-11182300133.html今の嫁と結婚を決めた条件はことごとく裏切られたの話http://ameblo.jp/yasushi135/entry-11162417630.html

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  • 28 Aug
    • 母がネットもやってないのにフレッツ光に入会していた。

      母が「(固定)電話代が高い気がする」というので明細を見てやったら、フレッツ光をやってるんです、インターネットもやってないのに。ネットもやってないのにフレッツ光をやってるのはオプションの光テレビをセールスに勧められたからのようです。明石では普通のアンテナでテレビ大阪が観れないので「テレビ大阪も観れますよ」と言われたとのことです。(電話代が高いと思ったのは母の勘違いでNTTの明細に光テレビの為に契約したフレッツ光ライトの料金が入っている意識がなかったようです)「これってさあ、テレビはあくまでもインターネットのおまけ機能やで。インターネットやっててそのついでにテレビ大阪も観たいというならお得なんやが、テレビ大阪だけの為にフレッツ光やるってどうなんやろ?なんだか騙されている気がする」母曰く、そうやって近所の年寄りがネットもやってないのにフレッツ光をやってるのが多いらしいです。NTTのカスタマーセンターに電話して「ネットはやってないから安くならないか」と聞いてみましたが、私が思った通りやっぱりテレビはネットのオプション機能で、そういう理由で安くなることはないそうです。「ネットはやってないけどテレビだけでフレッツ光に入る人って多いんですか」「はい、そういうお客様も多くいらっしゃいます」「まあそう言うでしょうね。でもこういう売り方ダメですよ。騙しですよ。この電話で言っても仕方ないので意見として上に上げておいてください」「・・・。はい、ご意見として今後の参考にさせて頂きます」それから解約金とか解約手続きの話しを聞いて電話を切りました。「最近、テレビ大阪観てとらへんから今までのアンテナでエエけどなあ」と母。「セールスっていかにもNTT本社から来たみたいな感じで信用してまうけど、あれって単なる代理店やからな。押し売りと同じ。ネットをやらないのにフレッツ光ってどう考えてもおかしいと思うのが普通だわ。あいつら押し売りと同じやからそんなこと考えない。今後は大企業の商品であっても信用したらあかんで」と言っておきました。解約金がかかる期間があるみたいですのでそれが過ぎたら解約手続きをやろうと思います。(関連記事)ジェイコムが勧誘に来たけどクーリングオフした話http://ameblo.jp/yasushi135/entry-11961760346.html

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  • 06 Aug
  • 30 Jun
    • 寿退社とか甘いこと言うてる女に内心イラっと来てます

      「会話のある夫婦シリーズ」です俺「この間、結婚するから会社辞めるって言う女の子の送別会があったんよ。俺は欠席したけど」嫁「寿退社かあ。最近、珍しいねえ」俺「うん。俺の職場の周りではすごい久しぶり。結婚しても仕事続ける女ばっかだ」嫁「女は男の仕事に左右されるからなあ。旦那が東京だと辞めてそっち行かなあかんとかあるんちゃう?」俺「あ、そういうこともあるんか・・・。話してよかったわ。ちょっとは気が晴れた。実はね、その辞める子のことでモヤモヤしとったんよ」嫁「なんとなく言いたいこと想像つくわ」俺「『ここまでいっしょに頑張って来たやんか。もうちょっと頑張られへんか?』って思うの。確かにこの会社は地獄。女子供が働くところじゃない。でも、せめて子供が出来るまでは頑張られへんか?って思う。ここんとこ、そのことでイライラしてたんよ。」嫁「ははは。ヤスさんて、女だからって容赦しないみたいなとこあるね。それが本当の男女平等やけどね」俺「そうやねん。寿退社とか甘いこと言うてる女、実は内心イラっと来る、口に出さへんけど。男同士だと『女に学はいらん。女は家に引っ込んでろ』とか言うてるわりに、いざ自分の周りで家に引っ込む女いたらイラっと来る。言うてることは男尊女卑で、考え方はフェミニスト。自分でもおかしいんよ」嫁「最近はその面倒くささがだいぶんわかって来たわ」

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  • 20 Apr
    • ネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 最終章

      いよいよ最終章だよ!!-----------------------------<最終章> (前回までのあらすじ) 結婚の宛てもなく20代を過ごした私。そんな中、偶然にも圧倒的に女性が多い集いの場を見つけそこで初めてお付き合いするようになる女性をものにする。しかし1年半後の33歳にして結局別れてしまい、再び結婚可能性ゼロに陥る。私はスポーツクラブで体を鍛え始め、女性の見る目が急に変わったと感じ始める。しかし何か今後のプランがあるわけでもなく結婚の可能性ゼロであることは変わりなかった。そこで私は最後の手段として結婚相談所にお見合いの世話をしてもらう。しかしお見合いトークが上手くいかない。女性からの申し込みはあるもののいつもお断りは相手から。このままずっとこんなんだろうか。不安を感じつつ毎週のようにお見合いを続ける私であった。(あらすじ長!)-----------------「なんだか変な感じになってしまったわ」 4回目のお見合いは最悪の結果になりました。私が何か軽はずみな発言をしたらしくそのせいで途中から急に雰囲気が悪くなり相手の女性は終始つまらなそうな感じになってしまいました。 お見合いをした喫茶店を出た後、私は「この先に用がありますので」と言ってすぐに女性と別れました。いつもでしたら駅までいっしょに歩いて駅近くでお別れでしたが今回は歩くのもいやでしたのでその場でさよならしました。 相手の女性に再び会わないようにする為、暫くは何をするでもなく北野の辺りをうろうろしていましたが季節は夏の8月です。うだるような暑さに耐えられなくなりすぐに女性が向かった駅の方へ降りていくことにしました。 私は駅までの途中のファミレスに立ち寄りました。「ああ、ここ懐かしいな」 それは6年前のことでした。当時私はあるミュージシャンのファンが集うチャットをよくやっていました。私は高校の時からそのミュージシャンのファンでCDは全て揃えていてライブにも何度か行ったことがありました。 そのファンたちとのチャットを通しての交流は兎に角楽しかった。毎日のようにファンたちとあれこれ話すのを楽しんでおりました。 チャットで話すようになってから数ヶ月後くらい経った頃だったと思います。いい話がありました。私の地元である神戸でそのミュージシャンのライブがあると言います。チャットは毎日ライブの話で持ちきりでした。 そんな中、いつもチャットで話していた方が「ライブが始まる前の数時間、いつものチャットのメンバーでちょっとしたお茶会をしませんか」と言い始めました。 私はその方に「ヤスさん(私のハンドルネーム)は地元だから場所探しをお願いします」と頼まれてしまいました。 なんだか不思議な感じでした。なんせ私は相手の顔も名前も知らないのです。誰なのかもわからない人たちが集まるお茶会の場所探しをするのです。私は断ろうと思いましたが、チャットの盛り上がり方に押されて、場所探しをやる羽目になりました。 そこがこのファミレスでした。そしてそのお茶会で私はあることに気付くのです。(女が多い) お茶会は男女比率は3:5の割合で女性の方が多かったと記憶しています。私は気にとめたこともありませんでしたが、そのミュージシャンは女性ファンが多かったのです。お茶会の後、ライブが始まってからの観客は圧倒的に女性が多いと一目でわかりました。 大学時代、会社入って以来、何もなかった、お商売の女性との出会いしかなかった私に突然、一般女性と気軽に交流できる場が目の前に拡がったのです。 私は思いました。これは神様がくれたチャンス。結婚できる最大のチャンスだと思いました。そしてそのチャンスを何もかも無にしてしまったのは第1章で書いた通りです。(あれから6年くらい経ってるのかな?あの頃は本当に楽しかったな・・・。こんなことになるなんて思ってもみなかった。もうええ加減しんどくなってきたわ。このお見合いで終わりしようかな・・・)「いや、諦めたらアカンわ」 そして私は結婚相談所に電話しました。「あのさ、俺だけど、ヤス」「あら、ヤスさん。今日(お見合いは)どうだった?」「あかんやろね。ところでさあ、この間、申し込みがあったって見せてくれた、身長162cmだからって断った子なんやけどな」「はいはい、○○さんね」「名前は知らんけど、公務員だった?あと国立出てるな?あってる?」「はい、合ってますよ」「見合いするわ。段取り頼むわ」 どんなに辱めを受けようともいいんです。いっぱい恥ずかしい思いして、どんなに無様でもいいんです。これまでの6年間は決して無駄じゃない。最後までやり遂げよう。そう思い直しました。 そして迎えた次の日曜日、2004年8月22日。私はその女性とお見合いをすることになりました。いつものように事務所に顔合わせをしました。彼女は特に一目ぼれするとかそんなこともなく可もなく不可もなく、真面目そうで将来いい嫁さんになりそうというのが第一印象でした。そしてまたいつものように喫茶店へ移動ということになりました。「あの、いつも場所は○○○○珈琲ですか」と私「ええ、そうですね」「今日はちょっと違う場所にしませんか」「はい」 私たちは「今日も暑いですねえ」などとお決まりの天気の話しを軽くしながら駅の方向へと向かいました。 私はインスピレーションのようなものでお見合いの場所を決めていました。その場所でお見合いすれば必ず成功するという何か根拠があるわけでありませんが直感というかひらめきのようなものがありました。「ここです」 そこは例のファミレスでした。 ネットで「お見合い ファミレス」とキーワードで検索しますとたくさん記事が出てきます。お見合いの場所としてふさわしいか否かという話をしている人がよくいます。 ファミレスはふさわしくないというのがひとつの見解のようです。お見合いはホテルのロビーにあるようなカフェラウンジでやるのが一般的で私の相談所の近くにはそういうのがありませんでしたので高級喫茶店として名高い○○○○珈琲が利用されていたようです。 私は敢えてそのルールを破ることにしました。 結婚可能性ゼロのどん底まで堕ちた私はオトナに従うしかない、それはよくわかっています。でも、神様が結婚のチャンスを最初にくれた1998年7月5日のあの場所にもう一度戻ってみたい、そこに何かある、必ず何かある、そう信じようと思ったのです。 私たちは店員に促されて席につきました。席に着くと彼女が周りを見渡しているのがわかりました。「日曜日だと言うのになんだかすごく空いてますね」 店内は私たち以外の客はまばらで思った通りほぼ貸切状態のようでした。「ええ。○○○○珈琲もいいんですがあそこは隣の席との距離が近くてね。ここなら一目を気にせずお見合いができるでしょ」「いいですね。私もそれが気になっていました。ほんと、こんなとこにファミレスがあったんですね。全然知らなかった」「ここはサウナビルの奥まった所にあるんでここにファミレスがあるのを知らない人が多いんだと思います」「サウナはよく利用するんですか?」「サウナはあまりないですが、一度、昼間にコーヒー1杯でおおぜいが集まれる場所という条件で探して欲しいと頼まれたことがありまして、予約するようなところですと高くつきますから、歩いて探し回ったことがあったんです。それでここならと思ったんです」「穴場ですね。休憩所としてチェックしておきます」「休憩所ね」(笑) 最初にそんな会話をしました。 この後そのファミレスについてはそれ以上は特に何も話しませんでした。このお見合いルールを破った私の行為が彼女にどう映ったかを聞くことはしませんでしたが、 彼女が一目を気にしないでいいことに甚く喜んでいると言うことは感じ取れました 。 それからは普通にお互いの仕事ことや趣味のことを話し、特にここで書いておもしろいこともありませんので省略しますが、ただ一つだけ言いますと初めて2時間会話がもちました。 沈黙が続くことなく話題がなくて焦ったりとかもなく、なんとなく普通の会話をしている内に気がつけば2時間が経っていました。彼女は終始にこやかでドリンクバーのカフェラテをおかわりしていました。 私は仲人士さんの「話がもった人がご縁のある人」という言葉を思い出しました。 次の日の午前中に相談所に電話しますと彼女からOKの返事があったとのこと。勿論こちらの返事もOKです。絶対にこちらから断らないのが信条ですので(笑)当然その彼女が今の嫁というわけです。 私は3年前につきあっていた女性と別れ、神様がくれた最大の結婚チャンスを無にしてしまいました。でも最後の最後に少しだけ、全てが始まったその「約束の地」を使わせてもらったのです。 こうして私の嫁探しの旅は終りました。ミュージシャンの追っかけやったり、初めて彼女が出来て失恋も経験して、急に体を鍛え初めて、そしてお見合い。お見合いは意外にあっけなく終わりましたけど最初に「男女比率1:9の世界」を見つけてから6年。今ではいい思い出となりましたが、この6年はこれまで生きた中でも最も自信を持って語れる人生の一コマとなったのでした。というわけで感動のエンディングロール!(終わり)

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  • 28 Mar
    • ネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第6章

      ネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート1http://ameblo.jp/yasushi135/entry-11062881203.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第1章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12131183041.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第2章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12133551492.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第3章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12135872770.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第4章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12140754555.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第5章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12143899707.html<第6章> (前回までのあらすじ) 結婚の宛てもなく20代を過ごした私。そんな中、偶然にも圧倒的に女性が多い集いの場を見つけそこで初めてお付き合いするようになる女性をものにする。しかし1年半後の33歳にして結局別れてしまい、再び結婚可能性ゼロに陥る。私はスポーツクラブで体を鍛え始め、女性の見る目が急に変わったと感じ始める。しかし何か今後のプランがあるわけでもなく結婚の可能性ゼロであることは変わりなかった。そこで私は最後の手段として結婚相談所にお見合いの世話をしてもらうのであった。(お話しは何度かお見合いしてから続きます)「相手さんからお返事ありました?」「既にお電話がありました。今回は御縁がなかったということでした」(またダメか・・・) 私が入会した結婚相談所ではお見合いの次の日の午前中に相談所の事務所に電話をかけ、仲人士さんにお見合いの返事をすることになっていました。 そしてお互いの返事がOKであればお互いの携帯電話番号を仲人士さんが教えて、そこからおつきあいが始まるというシステムでした。 これはどの相談所も同じ感じと思います。因みに私はそういうことがなかったのですが、おつきあいをしながら別の人と同時並行でお見合いするという人もいます。特に悪いことではないそうです。 先ほどの仲人士さんとの会話は2004年8月上旬頃の話です。当時35歳です。その時点で私は既に3回のお見合いをしていました。最初のお見合いは7月の第一日曜日。結婚相談所の登録申し込みをしたのがは6月上旬でしたが、たまたま仕事が忙しかったり、必要書類の準備に手間取ったりしたせいもあり、初めてのお見合いはほぼ1ヶ月後のことでした。7月の約1ヶ月の間に3人の女性とお見合いをしたわけです。 約1ヶ月の間に3回と聞いてお見合い経験のある方はどう思われるかわかりませんが私はものすごいスピード感だと思いました。なんせ2002年4月につきあっていた女性と別れた後、ちょこちょこ出会い系をやって以来約2年間新たな女性との出会いなど皆無に等しかったわけですから。何も行動せず日常生活を普通に送っていたら女性との出会いなどありません。私はあらためてそう思いました。「それにしても難しい。会話がもたない」 3回のお見合いは全て翌日の連絡で相手からのお断りでした。3回共、このお見合いは失敗だったとお見合いが終わった後、相手の返事を待たずともすぐわかりました。 お見合い開始直後はお互いの仕事や趣味を聞いたりするのですが段々と話題がなくなり次第に沈黙の時間が多くなって行ったのでした。 こういうのは焦れば焦るほど上手くいかないものです。結果、相手に好印象を与えることができず応えはNG 私は仲人士さんに言われた「お見合い時間は2時間」と言うのを忠実に守ろうと努力しましたが、全く初対面の女性と話を2時間もたせることは至難の業でした。 恥ずかしながら私、自分は女性とのトークが得意だと思っていました。スナック従業員の女性や男性に優しくすることをお商売とする女性が私の話で抱腹絶倒、腹を抱えて笑っていたのを何度も目にしていたので自信を持っていました。 しかしそれはお見合いトークには通用するものではありませんでした。 下ネタ御法度、マニアックな話は御法度、初対面の人に濃い話は御法度(ここで書いてるような話しです)。相手は真面目に結婚を切望する至って普通の女性。(男に優しくする従業員女性が不真面目と言ってるわけでないですよ)あくまでもマジメな感じで誠実さをアピールしないといけないのです。 誠実さなんてアピールしたことがありません。下ネタしか言ったことがありません。ここで書いてるようなアクの強い濃い会話しかしたことありません。 私はかなり頭を打ちました。今までのことは全て無駄。一からトークを学びなおさないといけない。果たしてこんなことをやっていて本当に結婚できるのか? 私は気を取り直して電話の向こうの仲人士さんに言いました。「確か既に決まっているお見合いって次の日曜のあと1回だけですよね。その次のお見合いも決めておきたいので土曜日に紹介リスト見に行きますわ」「はい、お待ちしてるわ。ヤスさんにお見合いのお申し込みあるから見に来て下さい」「わかりました。見に行きます」 そして次の土曜日、私は結婚相談所に行きました。「お申込みがいっぱい来てるわよ」 仲人士さんは私が事務所に入るや否やすぐに紹介リストを持ち出しました。「この方なんかどう?」「いやあ、ちょっと待ってくれよ。その前にさあ・・」 因みにお見合い3回目の頃には仲人士さんともぶっちゃけた感じで話すようになっていました。「(お見合いの)会話がもたへんわ。初対面の女性と2時間も話されへんで」「ヤスさん、最近何の映画観たん?」と仲人士さんは言いました。 私は「またその話か」と思いました。 この仲人士さんはお見合いの最初の顔合わせの時に話のきっかけをつくる為かよく「最近観た映画は?」と聞いていました。 映画観賞というのは最も無難な男女共通の話題ではないかと思います。それで仲人士さんはそう聞いていたのだろうと推測します。 私も自分の趣味の欄に一応書いておくか程度の気で「映画観賞」と書いていました。しかし、その頃は全く映画館に行きませんでしたし家でゆっくりレンタルのDVDを観ることもありませんでした。なんせ、仕事とお見合いの他はスポーツクラブで忙しかったものですから。(兎に角、少しでも話をもたせないといけない) 紹介リストには趣味の欄があります。この趣味の欄は話すきっかけを探る手掛かりでした。相手のことは会ってみないとわからないでしょうけど、そこに私が苦手な趣味を書いていれば、お見合いの時間はもたない可能性が高いと考え、お見合い候補からはずすようなことをしていました。 因みに私が拒否反応を示した女性の趣味を思い出せる範囲でいいますと「スポーツ観戦、ゴルフ、釣り(意外にある)」でした。 今思えばそんなことを考えるのは馬鹿げたことだったと思います。お見合いの時間をもたせられたら成功ではないのです。短い時間でも自分のことをアピールできたらいいのです。しかし当時は仲人士さんに言われた2時間に拘ってしまい、それを達成する為にはまず趣味の話題で入っていくのが得策だろうと考えていました。 一体私は何をめざしているのだろうと思ったりもしました。本当の目的は結婚相手を見つけることであってトークが上手くなることではないのですから。 「聞き上手は話し上手よ」仲人士さんは優しくそう言いました。「ああ、わかっている。しかし相手のことを聞くのも1時間ともたない。段々と沈黙が長くなるよ」「話しがもたなかったらそれで御縁がなかったと考えて見れば?御縁のある方は自然と話せるものよ」「そんなもんかなあ」 私はそんな仲人士さんの励ましで少しを気を楽にしました。 それから仲人士さんは何枚も申し込みがあった方の紹介リストを見せてきました。 私は人気がありました。殺到していたと言っても過言ではありません。それまでの3回のお見合いは3回とも相手からの申し込みでした。中には「こんな美人が私に?」というものもありました。(やはり痩せた効果が出たのか?) 私はいつしか選り好みをしていました。結婚の可能性ゼロで最早選ぶ権利さえもないと感じていた私でしたが、この世界は男女比率1:9の再来のようでした。 断っておきますが私は面食いではないですよ。寧ろブス専(笑。ただ拘る条件もあって職業欄が家事手伝いか空欄はNG、同年齢か年上(35歳以上)はNGでした。「じゃあこの方どう?前にヤスさんが断った方だけどどうしてもと言ってるのよ」「162cmはちょっと高い」 あと身長も条件でした。あまり思い出せないんですけどこの頃の私の小柄な女性が好みだったようです。最近は寧ろガタイのいい女が好きだったりして。 結局この日は翌週以降のお見合いの日取りを決めることができませんでした。私は、あと1回だけ決まっている翌日のお見合いを控え「聞き上手!聞き上手!」と自分に言い聞かせ、相手の趣味や仕事からどう話しを展開していくかの作戦を考えながら家路に着くのでした。ネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 最終章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12152280430.htmlへつづく

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  • 27 Mar
    • ネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第5章

      ネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート1http://ameblo.jp/yasushi135/entry-11062881203.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第1章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12131183041.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第2章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12133551492.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第3章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12135872770.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第4章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12140754555.html<第5章> (前回までのあらすじ) 33歳で結婚の可能性ゼロのチョーやばい状態となった私はスポーツクラブで体を鍛え始め、女性の見る目が急に変わったと感じ始める。しかし何か今後のプランがあるわけでもなく結婚の可能性ゼロであることは変わりなかった。そこで私は最後の手段として結婚相談所の門を叩くのであった。 カミングアウトしますが実は私、結婚相談所のお見合いで結婚したのです。 これをカミングアウトというのかどうかちょっと半信半疑なのですが、私以外で結婚相談所で結婚したという人は周りではあまり聞いたことがありません。 たとえそうであっても隠しているような感じがします。30歳超えて結婚する人で、きっかけが「友人の紹介」の人は十中八九そうです。(何の根拠もない断言!) 隠すようなことだとしたら、カミングアウトでいいかもしれません。 業者(結婚相談所の自虐的表現)に頼らなければならない状況に陥った、あるいは最初からそれしかなかったことを知った時は非常に残念でしたが、今は良い嫁、かわいい子に恵まれて、とてもよかったと思っています。 業者に頼ったことは他人には堂々と言うようにしています。 最近はもうあまりないですけど以前は年に1回あるかないかですが「結婚のきっかけは?」と聞かれることがありました。そういう時は「結婚相談所に登録してお見合いしました」と応えます。 それに対するこれまでの反応は、意外な応えに困った様子で「ふ~ん」と言うしかないか、「出会いは何でもええ。それも出会いの一つや」なんて何だか私が間違ったことでもしてフォローでもされるかのようなのが多かったです。まあそうやってドン引きさせて反応を楽しんでいるんですけど。 余談になりますが嬉しかった反応も言いますと「どんくらい金かかった?」って食いついてきたことですね。私は「こうこうこうで総額ン十万(詳細はあとでいいます)かかったかなあ」と言ったのですが「それメッチャ安いやん!」と言われました。 その嬉しい反応は高校の時からの親友で私と同じく結婚に苦労したタイプの奴。私のように最終的にお見合いではありませんでしたが、女性にかなりの高額プレゼントをして次の日連絡が取れなくなったという武勇伝を持っているような人です。恐らく彼はそういう自身の数々の失敗を思い出して結婚相談所がリーズナブルと感じたのでしょう。彼は業者に頼むことより自力でやることの方がもっともっと無駄なお金を遣うのだということを私に言わんとしたのです。 話し戻します。2004年6月、私は満を持してある結婚相談所の門を叩きました。 結婚相談所についてはネットでメッチャ調べました。勿論、結婚相談所について知るのは初めてでしたが、中には入会金と会費がバカ高くて積極的に成婚を促さず長く会員のままでいてもらうことで儲けているような悪質な業者もあるようでした。私は入会金、月会費がリーズナブルで、成婚した際に成功報酬を納めるタイプにしました。 雑居ビルの一室にある事務所に入ると少し化粧が派手目の高齢の女性がテーブルに案内してくれました。私はいかにも若い人の世話が大好きなおばさんという第一印象を受けました。「どうぞこちらにお座りください」「こういうの全く初めてです。お見合いもしたことないし」「そうですか。あなたならお見合い申し込み殺到よ」と謎の言葉を言う女性(こういう世話をする人を仲人士さんと言って資格試験もあるそうです。以下、仲人士さんと言います) そしてまずお見合いの流れについて簡単に説明してもらいました(あくまでも私が入会した相談所の場合です)「まず初めにこの事務所に来ると女性の会員リストが閲覧できます」「こんな感じよ」と言って仲人士さんはいくつか見本を見せてくれてました。 リストは一人一人1ページを割いた「紹介カード」というものになっていて写真、生年月日、職業、学歴、趣味、簡単な自己紹介が載っています。あと、初婚再婚とか家族構成とか書かれています。勿論、個人情報ですので名前欄は空白、仕事、学歴は最低限の表現にしています。本人の希望だと思いますが写真が載っていないものもありました。(なんかリアル。これって実在の人?見てもいいのか?私はまだ会員でもないのに)「リストの中からお目当ての女性を選んでもらったら、相手の女性にお見合いのお申し込みがあったことをお伝えします」 それから相手の女性が事務所に来た時に私の紹介カードを見てもらい、それでOKならそれからお見合いの日取りを決めるという流れになるとのことです。「私の紹介カードをみる為にわざわざ事務所にきてもらうってなんか悪いですね」「そんなに気を使わなくていいのよ。女性があなたのことを気にいらなかったら男性リスト見て他の男性にお見合い申し込みして帰ればいいだけだから」「あは。それもそうですね」「それからお見合いの日はまずこの事務所に来てもらいます。それで10分ほど顔合わせをした後、2人だけで移動、そこでお話しして各自解散になります」「場所は喫茶店とかですか?」「ええそうよ。○○○○珈琲さんをみなさん良く使われるわ」 ○○○○珈琲は高級喫茶店だと聞いたことがありますが、なんだかすごくラフな感じです。私が想像していたお見合いとかかなり違っていました。「お見合いって何時間くらいなんですか」「そうねえ。2時間くらいかなあ、みなさん」 その時の私はこの2時間という時間についてあまり何も思いませんでした。文字通り「2時間、女性と会話すればいいのか」としか思いませんでした。私はこの2時間がどれほど過酷な時間になるとは今は知る由もありませんでした。 それから入会するのに必要な書類や費用など一通り説明を聞き、特に問題は見当たらず、ネットでも評判を調べておったこともありましたので、すぐに入会を決めました。そして身上書(お見合い用語でプロフィールカードのことです)を記入しました。 身上書に書く項目は先ほど見せてもらった女性のリストとほぼ同じ感じですが、会社名、卒業校名を実名で書くなど多少詳しくなっています。(家族構成を書くのがおもしろいな。片親とかわかっちゃうな) 先ほど見た女性の紹介カードもそうでしたが私には「知り合う前から家族構成がわかる」ということを不思議なことに思えました。 お見合いだから当たり前のことなのかもしれません。私の薄い知識の中の話ですが女性が次男かどうか拘るということは聞いたことがあります。次男であれば親の面倒を看なくていいという話だったと思います。そこに拘るかは人それぞれと思いますが、身上書の各項目を埋めていく内に私は「昔はもっと周りの女性のことを知っていたなあ」などとおかしなことを思いました。 学生まではクラスの住所録が配られて住んでいる場所を知っていました。個人情報云々がうるさくなってからはなくなりましたが会社に入ってからも昔は年賀状を出すために住所録が配られたものでした。 住所録の話はまあいいんですけど、少なくとも同じ学校、同じ会社であることは間違いありません。間違いなく知っています。そうやって相手の素性をある程度知っていて安心感を持っているのです。そういう意味で学校や会社がお見合いの場を提供していると言えるのではないでしょうか。 学校時代、会社の縁での結婚の可能性が全くなかった私には、合コンなどで「どこの馬の骨?」という出会いしかありませんでした。いえ、そういう出会いを否定するわけではないですけど、この度、女性の紹介カードを見たり、自分が事細かく身上書を書いてみて、今まで自分が結婚しようと思ってやってきたこととかなりのギャップを感じたのでした。「年収いくらだったかなあ?」「今は大体で書けばいいわよ。証明になるものを提出してもらいますので違ってたら訂正しておきます」「やっぱり年収を書くのは男だけなんですね」「昔からそうよ。どんなに時代が変わってもこういうところは変わらないのよ」 私は思い出せる範囲で身上書の年収欄に金額を書きました。 そういえば私は先ほど見せてもらった女性の紹介カードの年収欄はどれもこれも空白だったことを思い出しました。女性が結婚相手の男性に年収を求め、結婚相談所とはそういう世界であることはネットで調べた時から知っていましたが、逆に女性には年収が不問であることは考えたこともありませんでした。 私は昔、男は三高と言われていたことを思い出しました。高学歴は兵庫県限定のローカルルールでなんとか満たした、高身長、高収入はアウト!と友人と話したものでした。また男余りで何%かの男は結婚できないと言われ、もてない男はふんだりけったりでした(一応、今後の伏線ですので抑えておいてください) では書類の提出みたいな話もちらっと出ましたので、ここで結婚相談所に登録する時に必要書類について箇条書きにしてみます。結婚相談所に全く縁のなかった人にはおもしろくなんともないかもしれませんが。●写真(まあこれはわかるでしょう)●戸籍謄本又は独身証明書 最近は個人情報保護の観点から戸籍謄本の提出はなくなっているそうです。独身証明書は役所でもらえます。●運転免許証(ある人のみ) 身分証明書の意味もありますが免許あるかどうかってその後のお付き合いにとって重要なんだろうと思います。●最終学歴の証明書(短大卒又は大卒のみ) 同窓会名簿とか卒業アルバムでもいいそうです。私は家の額に飾ってあった卒業証書を持っていきました。●資格(国家認定)を身上書に記入する場合それを証明するもの(ある人のみ)●年収500万円以上の金額を身上書に記入する場合、源泉徴収票などそれを証明するもの(勿論、年収を書かなければならない男性のみ)「最近写真撮ってないですわ。カメラ屋で撮って来ようかなあ」「じゃあ今ここで撮ります?」「え?」 すると仲人士さんはデジカメを持ち出して私を窓際に座るように促し、写真をパシャパシャ撮り始めました。派手目のおばさんにデジカメで写真を撮られる私。なんだか滑稽な光景のように思えました。 見せられた写真は少し逆光?と思いましたが紹介カードは会員さんだけですけども不特定多数の人が見るものですしこの程度でいいかなと思いました。 ついでになりますけど気になる費用ですが記憶の範囲で紹介しておきます(あくまでも私が入会した結婚相談所の場合です。また10年前の情報です)●入会金 約3万円●月会費 約7千円 お見合いしなくても払います。月会費を払っているからというわけなのかわかりませんが、毎月会報誌(紹介カードを集めて小冊子にしたもの)が届きます。会報誌を見て気にいった女性を見つけたらお見合いを申し込んでもいいそうです。●お見合い 1回につき2千円 月会費とは別に1回毎に払います。●婚約成立料 約20万円 めでたくご成婚に至った場合、男女それぞれから支払います。ここで結婚相談所を退会します。あと、写真撮影料840円(さっきので金取るんかい!)「では、書類が揃って初回費用の振込が終わったら入会です。それからお見合いを進めていきます」「来週までに全部揃えてまた次の休みに来ます」「お待ちしていますよ。頑張ってください」 という初めて結婚相談所の門を叩いた1日のお話しでしたが、これからどうなるかなんてすぐには何も考えませんでした。相談所をあとにした後、その足でスポーツクラブへ行って汗を流して家に帰ったことだけは鮮明に記憶しています。(つづく。今回は会話文を入れて小説風にしてみました)

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  • 19 Mar
    • ネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第4章

      ネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート1http://ameblo.jp/yasushi135/entry-11062881203.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第1章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12131183041.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第2章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12133551492.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第3章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12135872770.html(前回までのあらすじ) 33歳で結婚の可能性ゼロのチョーやばい状態となった私はスポーツクラブで体を鍛え始め、女性の見る目が急に変わったと感じ始めるのである。相も変わらず結婚の可能性はゼロであったが不思議と不安もなく自信に充ち溢れるのであった。 2003年11月、スポーツクラブで体を鍛え始めて1年になろうとしていました。当時、元々72キロあった体重は64キロまで落ちていました。 お気づきかと思いますが8キロ痩せるのに1年かかっています。 なぜかと言いますと、アイスクリームも食べてましたし、お酒も飲んでいましたし、食事制限とか見よう見まねで何もかも自己流だったからです。でもそうやって時間かけて痩せるのがリバウンドしにくいんだとも言われたこともありましたけど。 もう35歳。後がない。 私は忘れてはいませんでした。結婚しないといけない。その為には目標のジャニーズの若い子のような体型にならないといけない。前章で述べたように女性の見る目が変わったことで私は何の根拠もなくそのように思うようになっていました。 それにはまだまだ程遠い。そういえば最近の体重は一進一退を繰り返しています。 もっともっと頑張らないといけない。そこで私はこれまで適当にやっていた食事制限を強化することにしました。といってもコンビニで買う弁当のカロリー表示をみるくらいなもんですけど。お酒は控えて、よく言われる1日1600キロカロリー以下を守るように努めました。「さて、目標まで痩せたらその後どうする?」 「お見合い?」まあそう考えるでしょう、フツー。何をやってもダメだったのですからもうあれやこれや考えないでオトナの言うことを聞いてみようみたいな感じでした。 といいましてもお見合いをどうやってやるのかわかりませんでした。ドラマでよくあるような見合いババアが突然お見合い写真を持ってきて、庭でししおどしがカコーンとか鳴って「ではここからはお若い二人にお任せして・・・」みたいなんかな。私にはそんなイメージしかありませんでした。「結局『業者』に頼るしかないのか」 いつ知ったのかはっきりとは思い出せませんが結婚相談所という業種があることを私は知っていました。 確か子供の頃、母の自営のお客さんが結婚相談の仕事をしているというのを聞いたのが最初だったと思います。それから結婚情報の大手企業が私の会社の顧客であったりとか、家にどこで私の住所を知ったのかわからないですがそういう業者のDMが届いたりだとかそんなことだったと思います。「結局金で解決するしかないのか。それにしても堕ちたもんだ」 私は業者に結婚相談することを恥ずかしいことのように思いました。自力でなんとかすることにまだどことなく拘っているんです。しかしそんなことを考えても仕方ありません。現実は、もう自分は業者に頼らないと結婚できないほどに堕ちてしまっています。もうこうするしかないのです。 2004年4月、体を鍛え始めて1年と4ヶ月。昨年の11月からさらに6キロ落として体重は58キロになっていました。 ジャニーズの若い子のような体型になろうと思うと計算では52キロまで落とさなければならない。そしてさらなる食事制限をしてスポーツクラブに通いましたが、倦怠感など体調の異変を感じるようになりこれ以上は痩せられないと思うようになりました。 結局最も体調が良いと感じる60キロ前後で落ち着くことにしました。ジャニーズ体型にはなれませんでしたがそもそも35歳のおっさんです。もう充分だと思いました。 そして2004年6月、私は満を持してある結婚相談所の門を叩きました。「もうこうするしかないんです」 それは「婚活」という言葉が世に出る3年前のことでした。(つづく)

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    • ネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第3章

      ネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート1http://ameblo.jp/yasushi135/entry-11062881203.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第1章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12131183041.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第2章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12133551492.html(前回までのあらすじ)33歳で結婚の可能性ゼロのチョーやばい状態となった私。あの手この手と策を講じようとするが、結局はこれまでと同じ失敗を繰り返すしかなくとうとう親が心配していることを知りショックを受けるのであった。 2002年11月、34歳。引き続き、結婚する気配なし何の音沙汰もなし結婚の可能性ゼロ、男に優しくするのが商売の女性に癒してもらうのが唯一の楽しみという状況でしたが、そんな私にも少しずつ変化が現れ始めました。 ちょうどその頃、兄の奨めでスポーツクラブに行ってみることにしました。最初は筋トレマシーンとか自転車こぐ奴とかやってみました。長年の運動不足のせいですぐにヘロヘロになってしまいましたが、大きな温泉も併設していてなんとなくレジャー施設のような雰囲気で、どうせ休みの日は何にもやることないんだから風呂だけ入りに行ってもいいかみたいな感覚でなんとなく通うようになりました。 筋トレはやったりやらなかったり。風呂だけ入って帰ることもありましたが、自転車こぐ奴は比較的楽しかったので汗をだらだら流しながら30分ほどこぐのはよくやりました。そこにはプールもあってとりあえず水につかるようにしました。最初は水の中を歩くだけでしたが、元々泳ぐのは得意でしたので少しずつ泳ぐ距離を延ばして行き、やがて上級者に交じって1時間連続で泳げるようになっていました。 暫くは土日だけでしたが平日も仕事は早く上がれる日は家帰ってから行って営業時間ギリギリまで自転車こいで泳いで風呂入ってということをやりました。 やがて平日は兵庫県下のチェーン店をどこでも利用できるコースを利用して夜遅くまで残業してから会社近くの店舗で泳いで風呂入って終電で帰る、休日ともなると朝から自転車こぐ奴30分と水泳で1キロ、家に帰って飯食って少し休憩、昼からまた行って同じメニューをやって風呂入って帰るというような過酷なメニューをこなすようになっていました。 そしたら、私の生活にも段々と変化が現れて来ました。 スポーツクラブに行き出してから10ヶ月ほど経った頃から、会社の女連中から「なんか痩せたー。カッコよくなたー」と言われるようになったのです。 なんとなく会社の女連中の見る目が変わったのを肌で感じます。キャッキャ言うてる感じがするんです。 断っておきますが会社の女と今更どうこうなるとか全く期待してませんよ。そういう気はないということを断言しておきますが、なんかねー、わかるんです。 雌が持って生まれた動物的なもので、痩せた生物を見て本能的な条件反射で瞳孔を開かせている感じがするんです。あくまでも学術的な見地からです(嘘) それでようやく謎が解けたのです。あの日の、あの合コンの、あの時の、あの女の、あの目は、なぜあんなに死んだ魚の目をしていたのか、モノを見るような目をしていたのか! 思い出しましたよ、モノを見るような目。次の日から全然連絡取れなくなったメル友もそうでした。 これまで薄々感じていたのですが、やっぱり見た目主義社会なんだと思いました。 わかってはいたんですけどね。私って小学3年頃から太り始めて昔から小太りでアカンと思っていたんです。でもなかなか自分を磨く努力ができなくて、合コンで笑わせてとか、トークがおもしろければ見た目はなんとかなるとか信仰のように思ってきました。お商売の女性はすごく笑ってくれるんですよ。 あとたまにブサイクが美人連れてたりして自分もなんとかなると錯覚してしまう。いやそういう人はお金持ちなんです。あとキャバクラの同伴出勤とかもやめて欲しいです。最初は知らなくて勘違いしていました。 でもその頃、まだまだお腹とか少しぽっちゃりして摘まめる感じでした。よく格闘家にいる多少は脂肪もつけてる人みたいな体型。目標はジャニーズの人みたいな骨と皮みたいな腹。もっともっと痩せるぜ。 痩せても何も変わらないかもしれません。そんなことはわかっています。でもその頃の私は自信に充ち溢れていました。35歳で相も変わらず結婚の可能性ゼロでしたけども不思議と不安もなく、スーパーマンにでもなった気分で何も恐いものなんてないという感じでした。(まだまだ続く)

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    • ネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第2章

      ネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート1http://ameblo.jp/yasushi135/entry-11062881203.htmlネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第1章http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12131183041.html(前回までのあらすじ) 結婚の宛てもなく20代を過ごした私。そんな中、偶然にも圧倒的に女性が多い集いの場を見つけそこで初めてお付き合いするようになる女性をものにする。しかし結局は別れてしまい、33歳で再び結婚可能性ゼロに陥るのであった。 2002年4月、33歳で付き合っていた女性と別れ、結婚する気配なし何の音沙汰もなし結婚の可能性ゼロのチョーやばい状態に再びなりました。 私は早速、出会い系サイトを始めました。今回はかなり行動が早い。まだつきあっていた女性に正式に別れを告げておりませんでしたが、さすがにスピード感を持って行動しようと思いました。 現在は婚活サイトという形で比較的健全な目的で利用されるサイトも多いですが、ちょうどその頃はいかがわしい系全盛期にあたる時期でした。私は比較的健全なサイトを選んで登録している女性たちに下手な鉄砲も数撃ちゃ的にメールしまくりました。メル友(死語?)からって言う奴です。 そして根気よくメールのやり取りをしてついに実際に会うところまで漕ぎつけました。 ところがですよ。会って次の日から連絡取れなくなるんです。もうあまり語りませんけどお察しください。そういうことが何回かあって、しんどくなってやめてしまいました。 あとこの頃、後輩が声かけてくれて合コンをセッティングしてくれたりしたことが1回あったかな?あまり思い出せませんけど、確か男は後輩と私、相手は女性2人だったと思いますけど、なんだか女性同志で盛り上がっているみたいな感じで私はおいてけぼりだったのを記憶しています。そもそも20代の頃に全然ダメだった合コンに何も期待していませんでしたが。 さすがになんとかしないといけないと思い考えた挙句あることを思いつきました。「つきあってた女と知り合ったのと同じことやればいいやん」って。 もう1回やればいい、もう1回女だらけの世界に飛び込めばいい、そう思いました。思いついたと言っても結局新しいことは何も思いつかないんですけど。 しかし第1章で述べた圧倒的に女性が多い世界には戻ることはできませんでした。実は私、その世界でトラブルを起こしてしまってそこの中心人物にもう顔も見たくないと言われてしまっていたのです。「よ~し、やったるでー。新しいテーマで」 私は圧倒的に女性が多くかつ男性が入って行っても違和感のないという条件で新たなテーマを見つけることにしました。 しかし重大な問題に気付きました。そういえば私って男女問わず人気がある趣味を他に何も持っていませんでした。興味あると言えば歴史とか?特に近代歴史。その頃はまだ歴女は出現しておりませんでしたので無理でした。「逆にテーマを見つけた後で、その趣味を始めたらどうだ?」 そう思い色々とネットを徘徊するのですがやっぱり興味がないものはダメ。やる気がでない。 前のテーマでは私はそのテーマにかなり精通しており、マニアックな話も女性と何でも話すことができたので、多くの女性とお近づきになれたのだと気づきました。 それともう一点重大な事実に気付きました。そのテーマをきっかけに女性とお付き合いするようになるまでに2年かかっているのです。ということは今からやっても35歳になっているのです。 しかも当時はかなり上手くいった方。思い起こせば色々な偶然が重なっておつきあいに至りました。今度はもしかしたら5年かかるかもしれない。そしたらもう38歳だ。こんな周りくどいやり方で結婚相手を探すなんて今からできんのか?と思いました。 どうすればいい?もう何も思いつかない。このままだと結婚できない。「兄は結婚している。勿論、オトンもオカンも結婚した。そしておじいさんもおばあさんも結婚した。従兄妹も結婚した。なぜ俺だけが。なぜ俺だけなんだ」 ある日、休日に2階で昼まで寝ているとオカンが近所の人と話しているのが聞こえて来ました。「弟さんは結婚まだ?」「そうなんよー。困っとるんよー」と母。 普段は私に早く結婚なんて一言も言わない母。多分社交辞令でそう言ったのだと思いますが軽くショックを受けました。 昔、確か小学生の頃だったと思いますが、オカンが近所のおばさんと話していて、「○○さんとこの息子さん、33歳やのに、彼女と別れたんやて。結婚どないする気やろかって、○○さん、心配してたわ」というようなことを言っていたのをはっきりと覚えています。 オカンもまさか自分の子が・・・でしょうね。『(笑)』とか書いたりして。 というわけで母の言葉にショックを受けた私は・・・と物語はいつもの王道パターンを辿ると思いきや、それでも何もしないんですよね、これが。 考えるのも段々としんどくなってきて、やっぱり気が緩んでお商売なので優しくしてくれる女性のとこへ行ったりして。 無情にも時間だけが過ぎて行きます。私はDQN(将来のことを何も考えずその日一日が楽しければいいという本来の意味)状態であれやこれやと34歳になってしまうのでした。(つづく)

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  • 18 Mar
    • ネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2 第1章

      ネットで見つけた男女比率1:9の世界http://ameblo.jp/yasushi135/entry-11062881203.htmlのパート2ということで。<第1章> 先日、ある女性と話しました。その女性には32歳の息子さんがいて息子さんは独身だそうです。息子さんには早く結婚して欲しいと思っているそうですが20代後半でつきあっていた女性と別れて以来、今は何の気配もないそうです。 私は「『孫の顔いつ見れるんかいなー』とか親は適度にプレッシャーをかけた方がいい。煙たがられても根気よく続けるしかない」と返答しました。 私はそれくらいしか言葉がないなと思いましたが、親御さんの気持ちはよくわかります。私自身「30代前半で何の気配もなし」からなんとかしないと親が心配すると思ったことがある側の人間ですから。その息子さんはどう思っているか知りませんけど。 聞くところによると30歳~34歳の男性が5年後までに結婚している確率は15%なんだそうです。35歳~39歳だと3%しかないそうです。40越えたらもっと低い。35歳越えて独身だったらほぼ全員が一生独身で生涯を遂げるということです。 この統計は完全に正確なものではないと思いますがその計算式から推測するにかなり現実に近い数字と思います。 そういえば20代の頃から世の中は晩婚化が進んでいると聞かされていて男性は30代過ぎ、女性は28,9で結婚というようなイメージがあり、自分もなんとなく30超えてからかななどと思っていましたがそれはあくまでも単に結婚できた人が何歳で結婚したかということに過ぎず、30代で結婚できるということではなかったのだと思います。30代で結婚した男は大半が20代から彼女がいることでしょう。 私のことですけど本当に20代の頃は何もありませんでした。学生時代は親しく話すことができる程度の女性はいましたが、お付き合いしたことはありませんでした。 会社入ってからも、社内恋愛のようなことを周りで聞くこともありましたが、私には縁がありそうな感じではありませんでした。後で思ったことですけど、それは別に私が不遇だったというわけでなく、学生時代になんとなくイメージしていたような社内恋愛ってそう多くあることではなかったのですよね。 学生時代につきあっている人がいて社会人になってから結婚するというパターンができなかった人は結婚はかなり難航します(個人の感想です) 合コンに誘われたら毎回行くようにもしていましたが、毎回何もありませんでした。 これも最近調べた統計で正しいかどうか知りませんが、合コンから結婚に至る確率は100回合コンをやって3回くらいなんだそうです。私の場合ですと年間2,3回合コンがあればいい方でしたので社会に出てからの20代の内、15回くらい合コンをしたとして、結婚できる合コンの回数は0.45回だったということです。 こういうことは段々と肌で感じるようになって来て20代後半ともなると「どうせ前の合コンと同じ結果やろな」って冷めた感じでした(いや確率だけの問題でないですけど) 結婚できる確率0.5%未満の俺世界。 刻々と時間だけが空しく過ぎていきます。年が暮れようとしている頃に「今年も何もなかった」と毎年思うだけ。 とはいうもののそんなことを思うのは年末くらいなもんで、さほど切羽詰まった感はなく、学生時代の集まりに参加したり、友人との飲み会が楽しかったりとか、勿論、仕事やってる時は集中しますけど、お商売なので優しく話してくれる女性と話すのが楽しかったりとか、今が楽しければそれでいいかみたいな感じで、毎日の生活は特に悲壮感もなくダラダラと20代を終えようとしていたのでした。 1997年の夏、28歳でしたが、パソコンを買ってインターネットを始めました。いえ、別にパソコンで結婚相手を見つけようと思ったとかそんなことでありません。その年の5月に腰の病気になり1ヶ月入院したこともあって、それも影響してかなんとなくこれからの将来に不安を感じるようになり、パソコンで何かが変わるかもと何の根拠もなく思ったのです。 まだネット黎明期と言われた頃。私の周りでも、家にネット引いてる人はかなり少数派でした。 始めた当初は、ネットの世界は驚きの連続で興味あるサイトを(まあ結局エロサイトばっかでしたけど)毎日見て周ったものでした。 その内にこれは異性との出会いに使えるんじゃないかと思いました。当時、婚活サイトもなく、いかがしいエロ目的の出会い系サイトもありませんでしたが、メル友募集掲示板とか出会い掲示板とか、今からするとすごくかわいらしいサイトはいくらかありました。 よくやったのは自分のスペックと希望する相手の条件を入力したら、条件が会う人をハートマークの円グラフで相性をパーセントで表示してくれるというもの。表示される相性パーセントにドキドキ感があってなかなかの優れものだったのですが、結果はどうだったかと言うと、1人だけ私が運営していたサイトのチャットに誘って時々、会話を楽しんだくらいでした。 やはり致命的なのが当時の女性ユーザーの圧倒的な少なさ。まだまだネットという世界はオタク男性の巣窟で、ここもまた結婚できる確率0.5%未満の世界でした。 でも言うほど焦っていませんでした。なんせネットが楽しかったから。サイト(当時はホームページと言っていました)を作って人気出たりとか結構充実した毎日を送っておりました。 そんな中見つけたんです。1998年7月、後1年と少しで30歳になろうという頃、偶然にもネットを通じて、圧倒的に女性の方が多く、かつ気軽に女性とお知り合いなれる集いの場を見つけるのです。 これはものすごい出会いのチャンスだと思いました。女メチャ多くてしかも違和感なく男である私も入って行ける。女性が多い場の方が結婚できる確率は高まるに決まっている。色々と突っ込みどころはあろうかと思いますが、単純な数の理論とご理解ください。 とはいうものの、そこはあるテーマを嗜好する者達の集まりであって、男女が出会いを求めて参加する集まりではありませんでしたので、あからさまに出会いを求めて女性に声をかけたりということはしませんでした。 それでもそのテーマを通して仲良くしてくれる女性の友人が多くできたりして、それはもう、社会に出てから何もなかった、お商売なので優しくしてくれる女性と話すしかなかった、そんな私にとっては急に世界が180度変わったような感じだったのでした。 これが最後のチャンスだと思いました。結婚できる最後のチャンスと思いました。 それからそのテーマの集いをネットや現実世界で2年続けました。そして2000年9月、31歳で私はその世界で知り合った当時25歳の女性とお付き合いするようになりました。 それから1年半後、2002年4月、当時33歳であることがきっかけでその女性とは別れてしまうんです(展開早すぎ?) 本当に時間は大切です。30歳超えてですよ、決して容姿がいいとは言えない私にとっては神様がくれたラストチャンスだったのに、その女性を逃したらもう結婚の可能性なんてないのに、1年半もプロポーズすることもなくダラダラお付き合いを続けて何もかも失ってしまったのです。 でもね、あとで後悔して「もし早めに結婚を申し込んでいたら…」みたいなことも思ったりしましたが、なんだか彼女との結婚生活って全然イメージできないと思ったんですよ。本当に楽しかった思い出ですけど、自分に内心違うなあというのがあってプロポーズしなかったのだと振り返ってみて思います。 難しいもんですね。お付き合いするようになってからもそこからまた結婚できる確率が発生する。掛け合わせていったらどんだけ確率低いねんと思います(さっきから確率とか統計とか前面に出しているのわかります?(笑)) こうして私は33歳になって何の気配もなし音沙汰なし、結婚できる確率0.5%未満が0.1%未満くらい(個人の感想)状態に陥るのでした。(疲れたので続きはまた今度)

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    • ネットで見つけた男女比率1:9の世界

      <第1章> 今でこそ婚活が流行っていて、そういうことも、抵抗ないと言うか、だいぶん敷居が低くなって来てるというか、そんな風になっているように思いますが、私が20代の頃は、あくまでも個人の感想ですが、お見合いをするとか結婚相談所に申し込むとか、ものすご~く遠い世界の話のように思っていまして、まあ結婚自体が遠い世界で、その頃は彼女欲しい、セフレでもええわって独身の若者ならではの考えをしておりました。 大学時代も女とつきあったことなし、会社の女も可能性ゼロって感じで、合コンなんかも全然成功しないし、結局なんきょくお商売として優しくしてくれる従業員女性のところに通ったりして、そんな境遇だった男なら、大体想像つくと思うんで詳細は省略しますけど、この先、何もなし、八方塞がり、絶望の淵って感じでした。 なんか策を打たんといかんとは思ってもお見合いしようとまでは思わなくて、自力でなんとかすることに拘ってるのか拘ってないのかようわからんけど、ある時、大学ん時にサークルに入ったみたいに、なんかこう、女子と知り会えるような場所に所属したらエエんとちゃうか~っと、ボヤ~っと思いました。 社会人になってからできる若い女が所属しているサークルみたいなものって・・・。 休みの日は何もやることなくて暇だったのでそんなことを朝から昼間までボヤ~っと考えて、夕方からお商売として優しくしてくれる従業員女性に会いに行くのでした。 インターネットなんかやってなかった1997年頃以前の話です。---------------------------------<第2章> 社会人になってからできる若い女が所属しているサークルみたいなものとは何だろうか? そもそもそういうサークル活動ってどこで見つければいいのだろうか?タウンページだろうか? 新聞の折込に入っている市広報にある教室参加者募集の「料理」とか「英会話」とか?なんか違うなあ。 インターネットがなかった時代とはこんなことになっていたのです。みなさんもう忘れてしまっているでしょうけど。 ところで話は変わりますが、私には高校の頃からファンにしているミュージシャンがおりまして、かれこれ約25年近く経つのですが、今でも、音楽と言えばそれしか聴かないほど、コアなファンです。 そのミュージシャンというのは○○○と言います。ファンの方に検索されて当記事を読まれるのがイヤなので伏字にしますが、多分言っても99%の人が知りません。ヒット曲はありますが、1980年代懐かしの名曲大全集みたいな番組にも絶対出て来ない超マイナーなミュージシャンです。 超マイナーなもんですから、会社とか周りにはファンと言う人はもちろんのこと、1枚でもCDを持っているという人も一人もいません。 私は○○○ファンであることは誰にも言わず、1年に1回出るか出ないかのCDを逃さず毎回買い、カセットテープにダビングして、独りでひっそり、車の中で聴いておりました。家族以外の他人を車に乗せる時は、「誰これ?」と聞かれて説明するのもうざいのでFM放送に切り替えたりとかしておったのです。 それがインターネットを始めてからは変わりました。 ネットの使い方にも慣れてきた多分1998年春(当時29歳)頃だったと思いますが、ふと思いついたようにヤフーで○○○をキーワードに検索してみました。 驚きました。 ○○○に関する記事がいっぱい出て来ました。それに○○○をテーマにしたサイト(当時はホームページと言っていました)が3個くらいありました。 俺以外におる、○○○ファンが。おったんや、おったんや。感動でした。その日はものすごく泣いた。 な~んか、こういう感動って今ないですね。何でも当たり前になってしまって。 今は全然楽しくない。ネット始めた頃の楽しさって今の100倍。今の子供たちはかわいそうだわ。子供の時からあるからそんな感動ないだろうね。 それから、その○○○サイトの1つにチャットがあって、チャットでファンの人と話すようになりました。 あれこれコアな話をしましたね。なんとかのCDに入っているあの曲がどうとかこうとか、毎日のように話していました。相手の顔は見えないとはいえ、○○○について自分以外の人間と話すことなんてありませんでしたから、その頃は楽しくってたまりませんでした。 そんな楽しい毎日が続く中、いつものようにチャットにアクセスし、誰かわからない人と話しているうちにあることに気づきました。「もしかして、この人、女?」 今はどうかわかりませんが、その頃のネットは、相手の性別を聞くのは礼儀に反するみたいなことがありましたので聞きませんでしたが、なんとなく文章から伝わってくる女の匂い、○○○のある曲に対する感想なんかで、女なんじゃないかと思いました。それに若そう。「○○○って女のファンが多いのか?」 そういえば、このチャットは女が多いような気がする。 それまでの私は○○○ファンの男女比率なんて気にとめたこともなく、チャットの相手がドブスかもしれんし、ババアかも(当時デビューから12年経ってるからその可能性高いだろ)しれんかったのですが、そんなことも考えず、その時の私は、ちょっとだけドキドキしなから、次の日もテレホーダイ(この響き懐かしいねえ)開始時刻後のチャットを楽しむのでした。---------------------------------<第3章> 当時のことを書いてて思いましたが、あの頃の私はキモいです。 チャットでは○○○のことしか頭にないコアなファンを装っていたのですが、実は相手は女子かも?って、キモオタのクセにときめいていたのです。 まあ、こんなことを書けるのも私が今は結婚して、最終的に勝利を勝ちとっているからなんですけど。 では話しを戻します。 1997年8月にネットを始めてから、ネットって異性との出会いに使えるんじゃないかと思い、チャットもやったことがありましたが、なんせ女が少ない。 その頃のネットという世界はまだまだオタク男性の巣窟でした。チャットで女と思われる人と話せるようになっても、なんだか大勢の男が一人の女に群がっている感じでした。 そう考えると、前章で書いたチャットの話は、かなり前進といったところでした。 しかし、その時の私は、特に○○○ファンのチャットを異性との出会いに使おうとは思っていませんでした。 相手が女であるかもしれないドキドキ感はありましたが、兎に角、○○○の話をするのが楽しい。そういうことが勝ってあまり考えませんでした。 そんなこんなで○○○のチャットで話すようになってから数ヶ月後くらい経った頃だったと思います。いい話がありました。 私の地元である神戸で○○○のライブがあると言います。チャットは毎日ライブの話で持ちきりでした。 そんな中、いつもチャットで話していた方が「ライブが始まる前の数時間、いつものチャットのメンバーでちょっとしたお茶会をしませんか」と言い始めました。 私はその方に「ヤス(私のハンドルネーム)さんは地元だから場所探しをお願いします」と頼まれてしまいました。 なんだか不思議な感じでした。なんせ私は相手の顔を知らないのです。誰なのかもわからない人たちが集まるお茶会の場所探しをするのです。私は断ろうと思いましたが、チャットの盛り上がり方に押されて、場所探しをやる羽目になりました。 そしてライブ当日。ライブが始まる数時間前にライブハウス前で集まることになっておりました。目印の旗作って持っていきますと言っていた方を探しました。「ヤスさんですか?」 声をかけてくる女性の声。(私ってどうもネット上のイメージ通りらしいです) それから7,8人ほどがその旗を目印に集まってきました。 私は本名を名乗りましたが、みんないつものようにハンドルネームで呼び合っていておかしな感じがしました。 私は特に事前に場所を予約するとかはしませんでした(ていうか予約できる場所がなかった)が、いつも比較的空いている場所を目星つけておくことはしておきましたので、お茶会のメンバーをそこに案内しました。 お茶会に集まったファンは全部で8人。3:5の割合で女性の方が多かった。 九州、山陰、関東とか関西以外から来ている女性もいました。「これが追っかけという奴か」 私は心の中でそう思いましたが、若くて結構かわいい子もいるもんだと思いました。 まあ、そこはそこ。そんなそぶりは絶対見せないようにして、周りにはファンがいないんで辛いよねーみたい話であるとか、ドラマのエンディングで○○○の曲が使われているとかのマニアックな話で盛り上がりました。 確かライブが始まるのが6時頃でしたから4時間くらい話したんじゃないかと思います。話が途切れることは全くありませんでした。今でもあの楽しい一時を思い出すことがあります。 私は「もしかしてこれってすごいことなんでねえ?」と思いました。 冒頭で書いた通り、ネットの出会いはどれもこれも上手くいきませんでした。 それがです。かなりなんなく、チャット→「合コンに近い状況」を達成しているではありませんか。 しかも3:5の割合で女性の方が多いという合コンは今まで体験したことない。(当然ながら、男女が異性を求めて行う合コンとは違います。あくまでもお茶会です) これは一体なんだろうかと考え、すぐに気づきました。 それはチャットで知り合った顔知らない人たちが実際に知り合う為のお膳立てが既に準備されていることです。 そのお膳立てというのはもちろん「ライブ」のことです! お膳立てがあるから、お茶会(オフ会)を仕切る側にしても、あくまでもライブのついでだからプレッシャーは少ないし、来る方もあくまでもライブのついでなので御気楽です。女性も警戒心が薄い。 ライブで必ず会える!、出会える!ということなんです。(追伸) 当時のお茶会を仕切ってくれたファンの方、真面目に○○○だけを追求しているファンのみなさん、ごめんなさい。ヤスは当時こんなことを考えていました。 「このままずっと独身はいや!」という必至の状況の中、足掻いとったんです。もうライブに行くことはありませんので、それに免じてお赦し下され。---------------------------------<最終章> それからいよいよ、ライブが始める時間になりました。 お茶会が終わって、ライブ会場に到着した後も開演前に、お茶会に参加していた女性の女友達を紹介されたりとか、多くのみなさんと一辺にお知り合いになりました。なんか芋づる式とはこのことかと思ったくらいです。「やっぱり○○○って女性ファンが多いんだわ」 ざっとライブ会場を見渡して、やはり男女比率1:9って感じでした。 1:9というのは言いすぎで実際は2:8くらいだったかもしれません。実はこの1:9と言うのは、その後知り合った○○○ファンの中心人物で○○○ファン同士で結婚したという方が、冗談で言っておられた言葉を引用したものです。それに当然ながら、既に彼氏いるとか既婚とか可能性の薄い(何期待しとんねん!)女性を除いていけば、1:9が2:8、3:7になるかもしれません(1:9って突込み所満載なので一応書いておきます) あと、突っ込まれないように断っておきますが、自分を磨く努力を何もしていないキモオタがいくら1:9の世界に入っても何も起こりません。そんなことはよくわかっています。 でもね、でもね。昨日まで何もなかった、昨日まで途方にくれていた男にとっては大発見だったのです! そしてライブが始まりました・・・・。 ここからは、適当に端折って書きます。まあ大体の言いたいことは前章でほぼ結論に触れていますし、あんまり詳細に書くと色々と問題が多く出そうですので。 その後私も、この神戸ライブで遠方からたくさんファンが駆けつけたように、東京までライブを観に行ったりを何度もしました。 ライブの後は、前述のファン同士で結婚した方が毎回、飲み会を開いてくれました。今度会うことがあれば改めてお礼言いたい。 東京はエエ女おるね!(って言うたりして(^^) あと、ファンクラブ限定ライブや、ファンの集いで温泉旅行に行ったりとかもありました。 ネット上でも引き続き楽しい日々。チャットで毎日のようにファンのみなさんと交流。ライブがなくてもファンのみなさんと京都見物や花見なんかに行ったりもしました。 1998年12月(30歳)、転機が訪れます。○○○のタニマチ的存在だった方が神戸に毎週、○○○を呼んでラジオ番組をやるとのこと。私は毎週、そのサテライトスタジオの収録模様をデジカメで撮った写真付でレポートするサイトをやるようになりました。 そのサイトが好評で、そのうちに○○○のご本人からもお声を頂戴するようになり、私はどんどん○○○ファンの中心的存在になっていきました。 しかし、その毎週の作業が段々と重荷になって来ます。 本業の仕事も忙しいのに、レポートに多くの時間を費やし、もう、この世界で彼女をものにするとか、そんなことは考えられなくなっていました。「なんでこうなってしまったんや? 陰でこっそりよろしくやってればよかった」 ファン同士で付き合うようになった男女を何組か見ました。羨ましかったです。「もういっぱいいっぱいや。こんなこと続けられへん」 半分、制作スタッフのようになってしまった私。今更、軌道修正はできませんでした。 そして2000年8月(31歳)。そんな日々も終焉の時を迎えます。 トラブっちゃったんですよね。私が全面的に悪いんですが。詳しくは言えませんが、私はファンのみなさんの前から姿を消しました。本当に無様な最後でした。 関係者のみなさん、もしこの記事を見ることがありましたら、この場を借りてお詫びします。 ものすごい大発見をしたと長々と書いたにも関わらず、なんだか結局、失敗の結末になってしまいましたね。 いえいえ、私は勝利を勝ち取ったのです。 ファンのみなさんの前から姿を消した後、いよいよ見合いでもせなあかんなあっとか思っていたんですが、その矢先、この○○○ファン活動を通じて知り合ったある女性が心配して電話をくれたのです。 こっちに遊びに来るって言うんで、それでつきあうようになりました。 結局1年半後にこの女性とは別れ、結婚には至らなかったのですが、それでも私にとってはかなりの大躍進だったわけで、この体験は今も、私にとって自信を持って話せる大きな大きな宝なのです。(もっとゲスい文章にしようかと思いましたが、最後はなんか綺麗にまとめてしまいました)終わりネットで見つけた男女比率1:9の世界 パート2http://ameblo.jp/yasushi135/entry-12131183041.html

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  • 17 Mar
    • 135神戸ライブメモリアル (ネットで見つけた男女比率1:9の世界 原案)

      第0章 「はじめに」 少し言い訳を・・・。この作品は、1998年8月、29才の時に体験したことを書いたものです。今読むとかなり稚拙な文章で、結構笑えます。また、その時も30近かったのですが、よくもまあ、いい歳こいたオッサンがこんなことやってたものだと思います。しかし、この体験は私にとって、人生の中でかなり印象深い出来事で、今でも時々懐かしくなって読み返したりしています。作中に登場するミュージシャンの曲のフレーズを引用しており、ファンの方に気づいてもらえれば光栄です。------------------------------------------------------第一章 「オフライン」 いやあ、俺もインターネットを始めてもう少しで一年なるが、とうとうオフ会に参加してしまった。オフ会という言葉をきいたことがないという人のために少し説明しておくが、オフ会とは日頃、インターネットやパソコン通信で文字を通して会話している連中が実際にナマで会うことだ。インターネットでは、そういった文字だけでどこの馬の骨ともわからんやつと会話ができる場がたくさんあり、それを「チャット」と呼んでる。オフ会の定義については間違ってるぞと思われる方もおられるかもしれんが、この文章では単純に「文字または音声でしか話したことのない匿名の者同志がオフライン(生身で)で会うこと」と拡大解釈したい。 俺は、ここ二ヶ月ほどの話であるが、あるマイナーなミュージシャンのファンが集うチャットによく参加するようになり、そしてその面々と実際に会うことになった。題名の「135神戸ライブメモリアル」を見て「いきなり題名からはずれているやん。」と135ファンなら、思うかもしれんがライブ自体の感想は他に任せて、少し別の視点からその体験記を書いて行こうと思います。------------------------------------------------------第二章 「マイナーなミュージシャン」 マイナーなミュージシャンって誰やねんと思うかと思うのでちょこっと紹介しておこう。そのミュージシャンというのは「135」という3人のグループ。「いちさんご」と読み、東経135度子午線から取ってるらしい。ジャンルはアコースティックになるんやろか?軽音楽っぽい。俺が高校の時に「我愛イ尓」(中国語で I LOVE YOUの意味)という曲がヒットした。途中、活動休止状態みたいになったりしたこともあるがCDは10数枚でてる。俺はデビュー当時からのファン。もう10年以上になる。コンサートは2回ほど行ったことがあったが、年に1枚出るか出ないかのCDを買って聴くだけで、なんとなくファン続けてるって感じだ。それでも、新しもの好きで、飽きっぽい俺がこれだけ続いているのは奇跡に近い。 ※現在、135は既に解散しています。 自分の恋愛の失敗談まで人にベラベラ喋る俺だが、今までこんな趣味があることを隠してきた。それはなぜかと言うと、疲れてしまったからだ、135を紹介することに。135に限らず、他のミュージシャンでもそうだと思うが、人に 「このCDいいから聴いてみて」 と、言ってCD貸したところでなかなか共感が得られないってこと、よくある。逆に人からCD渡されて聴いてみて、全然よくなかったとか…。一人一人感性が違うから「趣味を押しつける」ってことは難しい。人気があるミュージシャンなら多数の強さみたいなものがあるから、貸した相手に 「こんなの趣味じゃない。」 と言われても 「今メチャ人気あるんやで。なんで~」 と、言えるが、テレビにも出ないミュージシャンとなると、共感が得られなかったら、その痛手は大きい。「うぇー、友達やと思ってたけど全然感性ちゃうやん。」 と思ってしまう。ドラマの主題歌にならないと売れないという音楽業界にも問題があると思うが。 特殊な感性を持っているのかなあ、俺って。いい曲ばかりなんやけど(笑)------------------------------------------------------第三章 「ファンのウェッブサイト」 というわけで、めちゃマイナーなものだからファンクラブに入ったりこまめに音楽雑誌を見ないとその情報はなかなか入って来ない。ファンクラブにも入ってないし、音楽雑誌も見ない俺がよく毎回逃さずCDを買えたものだと思う。(実際はファンクラブ限定CDなどは逃している) でも今はそんな心配をする必要はない。インターネットがあれば情報はいくらでも入るのだ。(尤もファンクラブには入ろうと思うが) ネット上には無数のファンのウェッブサイト(以下、サイトと略す)が存在する。そのほとんどがそのミュージシャンのある一人のファンが自発的に開設したもので、ミュージシャンサイドには非公認であるものが多い。 それでは次章からは、俺がそんなファンのサイトで135に再会し、神戸ライブへ行くまでの過程を物語ちっくに書いて行こうと思います。------------------------------------------------------第四章 「再会」 1997年の9月頃、俺は出身校である大学の学園祭のサイト制作に忙しい日々を送っていた。俺はその学園祭実行委員会のOBだ。なぜ、俺がOBの分際でそのようなものを制作するかはここでは省略する。その年は学園祭に山崎まさよしを呼ぶと言うことだった。早速、俺はその情報を山崎まさよしファンのみなさんに流そうと思い、インターネットで山崎まさよし関連のサイトを検索してみた。その結果、オフィシャルのページの他にファンが勝手に作ったサイトが4,5件存在した。俺はそれらの制作者とメールでやりとりし、情報交換や相互リンクを行なった。山崎まさよしファンのページ制作者たちは一定して、俺のサイトを誉めてくれた。 そうこうしているうちにファンの人たちからメールが来るようになった。 「山崎まさよしファンです。絶対行きます!」 「山崎を呼ぶなんて、いいセンスしてる。うらやましい…」などなど。 学園祭前の一週間は特に忙しかった。山崎まさよしライブに関する問い合わせのメールが頻繁に来るようになったのだ。殺到するメール問い合わせ。間違えがあってはいけないと思い、現役の実行委員にいちいち電話で聞いてから対応した。そしてとうとう俺はファンのページのチャットにも出没するようになった。チャットに入るとファンたちは俺のハンドルネーム(ネット上で使用するニックネームのこと)を知っていた。 「もしや○○大学のサイトに出没する方ですか?」 そして質問攻めにあった。現役学生ではないという事情を告げ、出来る限りの質問に答えた。わからないことは後日、サイト上で答えることにした。忙しかったが、俺には充実感があった。 自分が独自で作ったものを同じ星に生きながら一度も逢えない人々が見てくれている。山崎まさよし目当てであるにしても、俺の思想の原点である学園祭に俺を通して関わってくれる。そんな自負心があった。 それにしても、ファンのパワーには圧倒される。俺はもしやと思った。俺はこの10年以上、一度も自分以外の135ファンに会うことがなかった。コンサートで間接的には会うが話したことはなかった。今思えばファンクラブに入ってなかったのが悪いと言えば悪いのだが…。しかし、インターネットはなんでもありの世界だ。必ず135のサイトは必ず存在する。俺には確信があった。 1997年12月、学園祭が終わり、サイトの方も一段落着いたので、俺は何気なく「135」を検索した。あった。少なくとも2件存在した。そのひとつには掲示板(アクセスした者が文章の書き込みを行えるサイト上の更新系プログラム)もあった。そこには日本全国に散らばる135ファンたちの書き込みがあった。共感を得られない友人に失望してきたこの10年。 「おったんや」 俺はそう思った。俺は135と再会した。------------------------------------------------------第五章 「チャット」 インターネットはすごいと思う。特にウェッブという概念はすばらしい。情報の得方は別にインターネットに限ったことではないが、他の媒体には一方通行なものが多い。テレビとか、雑誌とか、そのほとんどにおいて俺たちは「受身」であることが多い。インターネットの場合、誰でもサイト作成という手段で能動的に情報発信が出来る。また、別にサイトを作らなくても情報発信しようと思えば出来る。それが掲示板やチャットであったりする。インターネットは人と人の間の距離を埋める。精神的にも物質的にも…。「おったんや」って感じで。俺にとって135との再会は衝撃だった。空白の時間を埋めてくれるような感じだった。 発見した3つの135ファンのサイトのうちのひとつにチャットがあった。俺はそこへよくアクセスするようになった。当初、なかなか他のファンに出会うことはなかった。やはり、135ファンの絶対数が少なすぎるのか?山崎まさよしファンのサイトほどの盛り上がりはなかった。他の2つのサイトの掲示板はよく書き込みがあったがこのチャットだけはあまり人の出入りがあるように思えなかった。 その時はチャットが閑散としていることを特に気にも留めなかった。アクセスする時間帯が合わないだけなのか?ファンが入って来ている形跡はあったので俺は出来る限り、アクセスするようにした。それは別に労力の要ることではなかった。なぜならインターネットは毎日やっているのだから。 何度目かのアクセスでファンの人たちと話すことができた。俺はチャット上の礼儀作法だの、ネチケットだの、ハンドルネームを使うということがわかっているだけで、そんなものには全くの無知であった。元より自分が中心にならないと気が済まない嫌な野郎だ。俺は自己紹介ついでに勝手気ままに喋りだした。今までの135への思い。この曲がいいだとか。この曲のここが好きだとか…。 しかしそれが効を奏したのか、このアホな新参者にファンたちは好意的だった。他のファンたちは、なんと俺がこの曲がいいと言うと、その曲を自室で聴きながらチャットに参加しているようだったのだ。 「今聴いてるよ」 「何のアルバムに入ってる曲だったっけ?今かける」 そんな声が文字を通して聞こえてくるようだった。俺は興奮した。10年以上出会わなかった感性の人々と話しているのだ。 次の日、もう一度チャットに行くと、俺たちが去った後、過去ログ(チャットの会話は一定期間、残るようになっている。)を見た他のファンからこんな書き込みがあった。 「なんかすごく盛り上がってたんだね。昨日の晩。」 その日も何か話せるかと思ったが、また誰とも会わなかった。どうやら昨晩のように盛り上がるのは珍しいことだったようだ。 (最近のこのサイトのチャットは毎日のようにアクセスがある。その頃、なぜ閑散としていたかはよくわからない。サイトが始まったばかりだったのだろうか。俺の勘違いかもしれない。余談ながら付け加えさせて頂く。)------------------------------------------------------第六章 「彷徨」 それから、また暫くは135のファンのサイトには行かなかった。インターネットは135ばかりだけではない。俺にはやらなければならないことが多かった。その中でも学園祭サイトの管理運営のウェイトは大きかった。 「いつかはこのサイトを後輩に引き継がねば・・・」 そう思うようになっていた。俺ももう30近い。このまま学生気分を引きずるわけにも行かない。学園祭は俺のものではなく現役学生のものなのだから。そして俺は現役の学園祭実行委員会に対するパソコンやインターネットの指導を始めた。現役の者たちは一定しておもしろいと興味を示してくれた。しかし、将来は引き継ぐことを念頭においていると言うと、後込みしてしまうのである。 「無理もない。」 俺はそう思った。みんな今の活動で精一杯なのだ。また、インターネットに対する意識の薄さもその背景にある。その多くは彼らの大学に問題がある。他の大学だと一人一人が学内サーバでメールアドレスやサイト枠を持っていたりする。彼らの大学にはそれがない。個人でパソコンを買っている実行委員が一人でもいればいいのだが、そんな者は一人もいない。少し考えを変えて、他のクラブ(例えばパソコンサークルなど)から「技術者」が来るということも出来そうだが、兼部がないという特殊な事情によりそれもない。今思えば、別に意識が薄くても恥ずかしいことではないが、その時の俺はどっぷり浸かっていたからそんなことはわからなかった。なんとかして「他の大学に勝ちたい」「一歩前を歩きたい」そんな気持ちだった。 そして俺は未だ学園祭実行委員会サイトは俺が管理運営しなければならない状態にある。たまに来る他大学からのメール対して、現役の者たちの顔を潰してはならないと、懸命に返事を書くが、そんな行為も空しく思えた。いつしか学園祭サイトは、俺にとって重荷になっていた。もう俺にはインターネットをやり始めた時のような新鮮味はなかった。 突然、大地に打ち込まれた杭のような孤独感が襲った。もうあの頃は2度と帰らぬ日々なのだ。そしてこんな思いが沸々と沸いてきた。 「もっと自分の為に・・・。」------------------------------------------------------第七章 「神戸ライブ」 1998年6月初旬、学園祭実行委員会が担当する新入生歓迎行事や春のイベント企画が終わり、サイトの方も再び一段落となった。俺は思い出したように135のサイトへ行ってみた。「なんとしたことだ。」 俺は目を見張った。そこには135の神戸ライブの知らせがあった。俺は神戸の近隣に住んでいる。はリーダーの出身地は神戸だとそうだが、神戸でライブをやるのは今回が初めてとのことだった。 「行こう。神戸ライブへ」 チャットではその話題で持ちきりだった。俺はまた足繁くチャットへ通うようになった。「お久しぶりです。」 「はじめまして。」 そんな中、神戸ライブ当日、いつもチャットで話しているファンが集まってちょっとしたお茶会をしようと言う話が持ち上がった。整理券をもらってからライブが始まるまで3,4時間ほどがあるので、その時間を利用してとのことだった。初めは冗談混じりで、集まるなら目印がいるとか、場所はどんな所にするとか、そんな話をした。俺は、心の半分は不安で、心の半分はほのかな期待を抱いていた。 1998年6月下旬、135の神戸ライブチケット発売日。俺はライブハウスがある三ノ宮までチケットを買いに行こうと思っていたが、その日は朝から雨が降っていたので結局、車で郊外のデパートの中にあるチケットぴあへ買いに行くことにした。少し恥ずかしいような気持ちで係員にチケットの購入を申し出た。帰る頃になると空模様は青く広がりかけていた。車に乗って10分ほど経ってからそのチケットの整理番号が135番であることに気が付いた。 家に帰ると、早速135のサイトに行った。俺は整理番号が135番であったことを交えながらチケット購入談を掲示板に書き込んだ。そのあとチャットへ行ってみた。既に数人の者が話していた。昼間のチャットは珍しい。夜中だと「テレホーダイ」というNTTの定額料金サービスがあるのでさほど電話代を気にすることはないが昼間だと、市内ではあるがモロに料金がかかってくる。それでもファンたちはチケット購入の話題で盛り上がった。俺が入手したチケットが整理番号135番であることを告げると、それがウケた。これはいいネタになった。俺は少しだけラッキーだと思った。 話もようやく尽きてきて、そしてまたお茶会の「目印」の話になった。目印については未だ、それぞれがギャグを飛ばし、冗談半分のような感じだった。そしてその日はそれぞれのチケット購入をねぎらう形でチャットを終えた。 その後、神戸ライブまでの期間、チャットではお茶会の話が徐々に本格化した。目印はファンの一人が旗を作るという話で落ち着きそうな方向になった。そしてファンの一人が俺に頼むように言った。 「場所取りの方、よろしくお願いします。」 俺は驚いた。一番近い俺が場所の手配をするのが筋と言えば筋だが、俺はファンクラブにも入っていない不良ファンだ。「いいのだろうか」そんな気持ちだった。 そのあと、暫く場所はどんなところがいいか?などという話をしてOKした。 神戸ライブまであと2週間弱。その頃なぜか仕事が忙しく、休日もない状態だった。ライブの一週間前の平日にようやく休日出勤の代休が取れて、俺は三ノ宮に場所探しに出かけた。10人から15人程度入れる喫茶店がいいと言うことだったので、そんなところを重点的に探した。しかし、ことは巧く運ばなかった。そんな昼間に予約を取れるような喫茶店はまずない。一つだけ取れそうな所があったが休日はダメだということだった。ライブは日曜日なのだ。 その日はやけに蒸し暑かった。それでも街を行くカップルは腕を組んで歩いていた。情けない俺を笑ってるかのようだった。俺は暑さの為、頭が朦朧としていた。 「不思議な夢を見ているようだ。」 俺は至極、異様に思った。俺は誰の為に場所探しに来ているのだ?俺は相手の顔も身元も何も知らないのだ。普通、社会の常識としてあいまいな会話をかわしただけの、身元もわからない人と約束して、その言葉を信用できるだろうか。それは相手とて同じはず。そんな思いが頭をよぎった。 俺は、予約するのをあきらめて、店のピックアップだけでもしようと思った。気を取り直すようにショーウィンドウに映された自分の姿を見て背筋を伸ばした。やがて一通り、店のチェックを終え、もう帰ることにした。その道中、俺は、以前チャット上で、高速バスの強行スケジュールでライブに来る女性に風呂に入れる場所はないか聞かれたことを思い出した。俺はなぜかそのカプセルホテル付きサウナが気になり、そちらの方へ向かった。 「あった」 ファミリーレストランの看板を発見した。それはそのサウナビルの中にあり、あまり目立たない様子だった。サウナビルは震災後、建て直したらしく、俺もそれ以後そこへ行くのは初めてだった。ファミリーレストランはサウナに入らなくても利用できるようだったが、どうやらそんなことを知らない人が多く、サウナの客しか利用していないらしい。ここなら絶対大丈夫だと思った。無論ファミリーレストラン故に予約などないが、店内は広く空いていた。また、お茶会が昼食のピークを過ぎた2時頃からの予定でることを考え合わせると、予約がなくても大丈夫だと確信した。 家に帰ると、目印の旗を作ると言っていたファンの一人に場所取りの状況をメールで送った。そのファンは元々、場所の方は行き当たりばったりでなんとかなるだろうと言う考えだったが、一応の礼儀と思い、送ることにした。 ライブまであと一週間。相変わらず仕事は忙しかったが、俺は胸躍る思いでその一週間を過ごした。------------------------------------------------------第八章 「出会い」 中学生の頃、俺は、28歳頃にはもう結婚して安定した人生を歩んでいるものだと思っていた。今は29歳。もうすぐ30になろうとしている。今の俺は未だ、楽しかった学生時代の思い出から抜けきれず、日々、悶々と会社と家との往復するだけの毎日を送っている。金でもあればいくらでもいい思いはできるが、この安月給では…。同窓会でよく持ち上がる「給料な話」が嫌でたまらなかった。結局なるようにしかならなった。それでも会社からは抜けられない。俺は飼われた羊だ。野では生きて行けない。何も感じぬようにしたい。そうすれば、時だけが過ぎゆく。 俺は高校生活が終わる直前、135に出会った。高校卒業後、浪人をした。精神的に不安定だったのだろうか、集中力が散漫で勉強が手につかなかいことが多かった。そんな時、いつも、135を聴いた。 あの時の思いは今も変わらない。人生とは不思議なものだ。なぜか今日、俺は三ノ宮にいる。インターネットを道しるべにこの地に辿りいた。随分寄り道をした。もう少し早くインターネットをやっていれば、もっと早くここに来られたのにと思う。遅すぎたかもしれない。いや、それは仕方がないことだ。人生とはそんなことの繰り返しだ。せめて死ぬまでに気づいたことを幸運に思う。兎に角、心あるがままに今日の日にあふれよう。 俺は午後11時頃、ライブハウスについた。ライブハウスの前には既に数十人ファンが並んでいた。その列はまだ列とも言えない雑然した配置で、一瞬、列の最後尾を探すのに戸惑った。 やがて最後尾らしき5,6人の円陣を組んだグループを見つけると、俺はすぐに直感した。やはり、その中の一人の女性が恥ずかしそうに旗らしきものを持っていた。 「やすさんですか?」 そのグループの一人も俺が「やす」であることを直感したらしく自己紹介する前に声をかけて来た。「やす」は俺がチャット上で使っているハンドルネーム(ニックネーム)だ。俺は丁重に本名を名乗ったが、旗を持った女性はそのグループの一人一人を「この人が「○△さんです。」とハンドルネームで紹介した。俺は不自然に思ったが、皆がチャットの時と同じくハンドルネームで呼び合っていた。 整理券を配布するまでの2時間ほど、彼らと話をした。彼らの他にも色々な人が声をかけて来て、一辺におおぜいの人と知り合った。みんな遠くから来ているようだった。九州や関東、鳥取…。あとで聞いた話だが、鹿児島から単身飛行機で来た女性もいたようだ。俺はパワーの差を感じた。皆の会話を聞いていくうちに気付いたことだが、どうやら全くの新参者は俺だけでみんな1度以上は誰かしらに会っているようだった。 「そうか、みんなファンクラブに入ってるんや」 俺は至極恥ずかしく思った。俺はこの10年間何もしていなかったのだ。 その後、整理券が配られ、例のファミリーレストランでお茶会となった。ファミリーレストランは案の定、空いていた。お茶会の人数は全部で8人で5:3の割合で女性の方が多かった。 「周りに135ファンっている?」 そんな話で盛り上がった。あまりのマイナーさにファンが心配するほどだ。そんなことを誰かが言うとみんな苦笑していた。鳥取から来た女性は切実だった。彼女は鳥取で135ファンは自分一人だと断言していた。彼女はどこか醒めていた。俺は、遠方からライブに来る(追っかけというと失礼だろうか)ことが135ファン故に重要であることを認識した。 全国に散らばっていてもどこか共通点があるのだ。ファンのそれぞれが違う人生を歩み、違う人格をしているであろうが、心の中に「135の一点」を持ち、希な感性を共有しているのだ。それが何かはわからない。このお茶会の風景を会社の人や友人がみたらどう思うだろう。俺はおかしくてたまらなかった。今は135ファン以外はの人は皆、「向こう側」の人のように思えた。 それから富田靖子が主演したドラマのエンディングテーマに使われていたとか、135がメディアに登場した話を皆が持ち寄った。135はあまりメディアには登場しない。みんな135がもっとメジャーになって欲しいと思ってはいるのが、誰も知らないような珍しい話の方がおもしろかった。みんな「マイナー好き」なのだろうか。マイナーだからファンになる言うのは不自然だが。俺だけのことかもしれないが、俺は一時期、「爆風スランプ」を聴いていた。それも未だ売れていないマイナーな時期にだ。爆風が「ランナー」でブレークしたあとは聴かなかった。その後俺は135を聴きだした。マイナー時代の「大きな玉ねぎの下で」が、メジャーになったあとリミックスヴァージョンで発売されカラオケにもなった。俺は好んでそのマイナー時代の曲を歌った。135もメジャーになったら、過去の名曲がシングルカットされ、次々と売れていくのだろうか。そして俺はファンをやめてしまうのだろうか。俺はふと、そんなことを思った。 やがて話も尽き、そろそろライブが始まる頃なので俺たちはライブハウスに帰ることにした。------------------------------------------------------第九章 「一体感」 ライブが始まった。俺はコンサートやライブが嫌いだった。前にも述べたように135のコンサートには2回ほど行ったことがあったがあまり楽しいとは思わなかった。どちらかというと俺は家や車の中でひとりで音楽を聴くことを好んだ。しかし今日は何かが違っていた。ある、俺が最も好きな曲をファン全員で合唱するようだった。音響のボリュームでその声達はなかなか聞こえなかったが、みんな同じように口が動いていた。 「俺が知っている曲をみんな知っている」 そんな単純な思いがあった。そこには「一体感」があった。俺はファンのみんなの表情をも見た。ライブの瞬間はその参加者全員が同じ人格をしていた。俺は今までライブは曲を聴きに行くだけにあるものと思っていた。俺はライブの楽しみ方を知らなかった。 ライブの内容についてこれ以上この場で語ることは省略する。曲の批評することはこの文章の趣旨そぐわないと思うからだ。もちろん全てが完全無欠の曲である。それだけは言っておこう。それ以上の批評はファンのホームページや同人誌を作っておられるみなさんに任せよう。最終章 「祭りが終わる頃」 ライブが終わったあとは、135がきっかけで結婚したという夫婦が仕切る飲み会に勝手になだれ込んだ。そこでもまた多くのファンと知り合った。みんな、遠方から来ていた。名前を聞いてもなかなかすぐには覚えられなかったが、そんなこと別に気にしなくてよかった。話は妙に一致していた。結局あれやこれやで3時半まで飲んで、始発電車で帰った。朝まで騒ぐなんて久しぶりだった。 次の日、目が覚めた。不思議な夢を見ていたようだった。頭の中でまだ何かが鳴っているようだった。そして、また、ありふれた日常が始まった。しかし、今日からは何かが違っていた。 ライブが終わった後の一週間はボーッとしていて仕事もままならなかった。俺は隣の席で仕事をしている先輩にライブのことを話した。先輩は135のことを知らなかったが、俺が高校の時から密かにファンを続けていたことからインターネットでサイトを見つけ、ライブに行ったという経緯をよく理解してくれて、そしてこう言った。 「人との出会いほど刺激的なものはないからなあ。」 俺はいい言葉だと思った。それを越える体験はあまりない。いくら高い買い物をしても、海外旅行をしても、それには到底及ばない。 そして俺にはもうひとつある思いがあった。ビートルズ、爆風スランプ、SION…。他のミュージシャンも好きだったが長続きはしなかった。長くて3年くらいだ。今は全く聴いていない。俺は新しもの好きですごく飽きっぽい。それがなぜか135だけが10年も続いた。なぜ続いたのかはわからない。いや、そんなことを考えるのは無意味かもしれない。 「何かがつながった」 そう思った。俺の中で他と交わることのない一つの線だった135。色々なことが混沌と俺の中に存在していたが、それらが10年をかけて全てつながったような気がした。(終り)

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  • 06 Mar
    • 今ネットで話題の「#保育園落ちた日本死ね!」について思うこと。

      待機児童問題、東京の方って本当のところどうなんですか? 多分、俺の住んでる神戸は周りからみれば「神戸の待機児童は・・・」みたいな言い方されるんでしょうけど、、大阪に近い方の東灘と私が住んでいる北区じゃ全然ちゃいますからね。 私なんて、東灘に住んでる人が「保育園抽選落ちて無認可の・・」みたいな会話しているの聞いたことあるけど、「東灘なんかに住むんが悪いんじゃい!」って思っていますもんね。 北区は余裕。通勤をちょっと我慢すればいくらでも保育園はあるよ。 まあそんなに簡単に引っ越せないよね。言いすぎました。ごめんなさい。 言いたいのは近距離でも地域差あるんじゃないかと思ったんです。 埼玉に引っ越したらなんとかなるみたいなことも東京の方にもあるんでねーの?そういうことも注意して見ないと本質はわからない。ただ我がまま言ってる奴が東京には溢れてるだけかもしれない。 Mr.サンデーではブログの書き込みが全国に拡散してみたいなこと言ってたけどちゃんちゃらおかしい。東京に比べたら東灘でもマシな方ですよ。 日本全国、待機児童で溢れているみたいな言い方はちょっと違うと思います。日本死ねでなくて東京死ねだろ?

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