NHKスペシャル「決断なき原爆投下 ~米大統領 71年目の真実~  8/6放送 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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日々接した情報の保管場所として・・・・基本ネタバレです(陳謝)

番組紹介
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160806

 

感想
原爆投下の日に行われた、重いテーマのNHKスペシャル。
京都がターゲット候補に入っていたという話は以前聞いた覚えがあるが、投下の決心自身が大統領の明確な指示なく行われたというのは驚き。また「戦争を早く終わらせるための原爆投下」も後付けの屁理屈だったというのも不快。

 

それにしても、もしルーズベルトが急死せずに計画推進の中心に居続けていたとしたら、当初計画通り17発もの原爆を投下されていたかも知れない、と考えれば、トルーマンが3発目以降を食い止めてくれた事は、良かった。

 

内容

今年5月のオバマ大統領による広島訪問。謝罪のことばはなかった。

 

1945年8月6日。広島に投下された原爆。
ハリー・トルーマン大統領の演説(原爆投下は)戦争を早く終わらせるための決断。
この時、トルーマンは原爆投下について明確な判断をしていなかった可能性が最近浮かび上がった。

 

空軍士官学校に保管されていた重要な資料。
原爆投下の軍側の最高責任者、レスリー・グローブス准将のインタビューテープ(1970.4.3に収録)。
グローブスはその3ケ月後に心臓病で死亡。
「大統領は軍を止められなかった」

 

原爆製造のための「マンハッタン計画」はルーズベルト大統領の指示で始められた。予算は22億ドル。
1945年4月のルーズベルトが急死。その直後、副大統領だったトルーマンが、引継ぎのないままマンハッタン計画の最高責任者になった。
トルーマン自身、原爆投下の計画を全く知らなかった。

制作スタッフは米国の機密資料を収集。政権と軍との攻防が見えて来た。

 

4月25日。大統領執務室。グローブスからトルーマンへの進捗説明(続行の許認可)。議題はどこに落とすか。
当時文民統制のルールにより、計画の実行には大統領の承認が必要。24ページの報告書(目的、材料、仕組み等)。だがトルーマンの反応は意外なもの。報告書の詳細を知ろうとしなかった。グローブスはこれを「承認された」と解釈。

 

実行計画。1回目7月。2回目8月。その年の暮れまでに17発の原爆を作る(大量投下を計画)。トルーマンは気付いていなかった。
トルーマン図書館に日記が残っている。1945/4/12 不安、トップの重圧。外交に自身なく、軍にどう見られるかの心配。
当時の情勢。ヨーロッパではナチスが降伏寸前。戦争をどう終わらせるか。ソ連との関係。

4/27 計画は次の段階へ(目標検討委員会)。気象専門家の意見→6月は最悪(梅雨)。8月になって良くなる。9月に悪くなる。投下日8/10が決まる。
物理学者。人口集中の都市。空襲を受けていない事。最大の効果を得られる(直径5kmを確保)。その結果、広島と京都が候補にされた。

 

ヘンリー・スティムソン(陸軍長官)。トルーマンに原爆投下に関する情報を伝える役目。5/30 トルーマンに呼ばれる。スティムソンは「京都は認めない」。日記が残っている。6/6 原爆投下はアメリカが残虐行為をしたとの汚名を着る。スティムソンは二度京都を訪れていた。おびただしい死者が出る。アメリカのイメージを悪化させたくなかった。

 

グローブスは京都にこだわり、京都には軍事施設があると主張(実は紡績工場)。グローブスはトルーマンのところへ6回通ったが、京都への攻撃は国益を損なうとして認めなかった。

事態は7/16に大きく動く。ニューメキシコで世界初の原爆実験成功。日本への空襲は激化しており、降伏は間近。戦争が終わる前に原爆を使わなくてはならない(22億ドル使った計画の効果証明)。

 

7/24 軍の動きを受けてスティンソンからトルーマンへ電報。「京都は外すべき」。
トルーマンは、原爆投下は軍事施設に限るべきと指示(女性、子供はターゲットにしない)。
軍は、広島には日本軍の司令部があると報告し、軍事都市だと断定。研究者、軍が事実を覆い隠した。報告書は巧みに書かれていた。
トルーマンは、原爆投下しても一般市民は死なないと思い込んだ。

 

7/25 グローブスは指令書を起草。最初は広島、小倉、新潟、長崎のいずれか。2回目以降は追って指示。

テニアン島。原爆投下の前線基地。原爆投下の特殊部隊:509混成群団。
レイ・ギャラガー(投下時の搭乗員)。目標はヒロシマ。徹底的に破壊しろとの指示。目標地点は「相生橋」直径5kmで円を描くと山裾ギリギリ→破壊効果を最大にするため。

 

8/6 1:45に出発し、8:15に投下。二度と見たくない光景。運べと言われたものを運んだ。

投下時、トルーマンは大西洋上。ポツダム会談の帰り道。この時に演説を収録。軍事目標に落としたと強調。軍の思惑に気付いていなかった。

8/8にトルーマンが気付く。スティムソンから広島の被害写真を見せられた(市街地がことごとく破壊)。
トルーマンの言葉。こんな破壊行為の責任は大統領の私にある。明確な指示をしなかった責任。軍の暴走。
次いで原爆は8/9 長崎に投下された。

 

8/10 トルーマンは全閣僚を集め、これ以上の原爆投下を中止せよと指示。グローブスは3発目の準備をしていたが、断念せざるを得なかった。

8/9 トルーマンが米国民に向けた言葉に追加された文。戦争を早く終わらせ、多くの米兵を救うために決断した。投下の責任を都合の良い理屈で覆い隠した。
命を救うために原爆を使ったという世論操作の演出。8割の国民がそれを支持した。

その後被害の実態が伝わらないまま、核開発競争が行われた。