横浜市健民少年団

夏には多くの思い出があるが・・

昭和20年代後半に
京都市と横浜市が『都市交歓会』という
子ども達が相互に子ども達の家庭に
ホームステイをして交流を深める
とう言うプログラムがあった

 

今日

横浜市健民少年団のHPの

横浜市健民少年団の歴史に


1953(昭和28年)
7月 22日~25日 
 都市交歓会(京都:京都-出向)
 約1,300名が参加
 貸し切り列車14両。途中、豊橋、名古屋、岐阜、
 米原の各駅で停車時間(10分程度)を利用して
 ホームで交歓活動  横浜~京都約10時間

8月 25日~27日
 都市交歓会(京都:京都-来浜)
 1,300名を迎える

 

という記事を見つけた。

 

小学校5年生の7月
祇園祭の後祭りの時期に
横浜の子ども達が

京都に来ていたのだ
2人一組で

各家庭に泊まって過ごした
我が家は

当時は狭ったので

ペアーを組んだ
Mくんの家にとまっていた

 

そして
8月お盆過ぎに
京都からも

特別列車で横浜へ行った
京都の訪問団の団長を
父が務ためたようで
京都駅を出発するときの
京都新聞写真に

父の姿があった


横浜ではM君と一緒に
本牧の7月にM君宅の泊った
少年の家に泊めてもらい
横浜や東京に行った


当時

横浜の町には
米軍のカマボコ兵舎があった
国会にも

雨の中連れて行ってもらった・・


今も健民団の団歌
♪ ポプラ並木の砂利の道・・
が思い出せる

 

後年
奈良で行われた
団委員長特修所に参加したとき
風呂で
山田利雄所長と

話す機会があり
横浜市健民少年団のことを聞くと
山田利雄師も
関わっていたとのことであった

 

このときの明倫校の
引率教諭が
私の

ボーイ隊長であり
この年の9月に
明倫校で

『ちかい』を立てる
ことにも

繋がっている

 

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