ヤス・ナガノの随想録

文学的・哲学的・社会学的な内実です。昨今はあまり本が売れないようですが、このブログがきっかけになって、さまざまなジャンルに興味が湧き、読者のみなさんの読書の機会が増えれば幸いです。

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○タラタラとした生き方、それでいいんじゃないか?


ご多聞に洩れず、人生の意味を考え続けてきたのが、僕のこれまでの生の軌跡である。これ自体、悪しきことではないのだろうけれど、人がそもそも自己の生の意味・意義を考えはじめるとき、その底には、自分はなにかを成し遂げる存在であるとか、はたまた自分は、他者とは違う何ものかである、ありたいという願望が潜んでいるのが人間の哀しきサガだ。


いまにして思えば、反吐が出そうな自己愛の変質した願望だ。耐え難き自我像である。哀しいくらいに。過去において、<タラタラした>という形容語を口にするとき、それは決まって、他者の言動を批判するためだけの、己れの意見が認められないことへの苛立ちの、自己愛から発せられた言葉である。換言すれば、英雄願望。無論、この際の英雄とは、己れの姿を重ね合わせている、あり得ない夢想である。バカとしか形容のしようのないことであった。


一切の思い入れを剥ぎ取っても、過去の教師生活で得たもの、獲得し得たと思っていたあらゆる能力は、どのような社会機構の中においても通用すると錯誤していた、しかし、それらの殆どすべてが、自己の無能力の別称だと気づいたときのおぞましさといったらない。絶望というような概念すら当てはまらない。それは、一種のapathy(無感動)だ。世界から投げ出された、どうしようもない孤立感にたじろいだ末に訪れる、ブラック・ホールのような精神の底の底の暗黒である。


僕は期せずして、文字通りタラタラと生きることしか出来ない状況に追い込まれた。自分には何かが出来る、と思い込んだ根拠となったはずの能力?は無能の裏返しに過ぎず、それを生活言語で表現すれば、単なる独りよがりというものに限りなく近い。独りよがりで生きてきた47年間のツケが後年どっとまわってきたことになる。人間の感覚とは鈍いのか鋭敏なのかは分からないが、教師生活最後の2.3年間の記憶の中の風景のすべてが、灰色にしか感じ取れなったのが、当時の僕の心境を感覚で表現した結果だと思う。あの頃、日本では認可されていないはずの、怪しげなクスリをどれだけ大量に個人輸入したことだろう。十分な認識がなかったにせよ、たぶん麻薬に限りなく近いものも混じっていたのではないか、と思う。最初の家族との最後の年末に、訳のわからぬ植物の種(ネット上では観賞用ということで取締りを逃れていたが、明らかにトリップするはずの植物の種だ)を数粒噛み砕いて呑み込んで数時間したら、猛烈な嘔吐感に襲われて1時間以上吐き続けた。典型的なバッドトリップだ。救急隊員のみなさんにはまことに迷惑な話だが、僕はたまらず当時の女房に救急車を呼んでくれと懇願したが、彼女は、冷たい目線を投げかけるだけで、放置されたのである。もし、違法薬物で病院に担ぎ込まれたら、それだけで仕事をクビになると思ったのだろう。当然のことだが、当局はこんなことが起こらなくても、虎視眈々と学内の政治的な理由で、僕の首切りを画策していたのに、それを彼女が知らなかっただけだ。それにしても、状況を読めない人が考えることはいかにも興味深い。というか、お笑いに近い。彼女は、僕の脳髄の中の灰色の風景のことなどツユ知らず、「あなたもそろそろ教頭になる歳ね」だって。忘れもしないね、あのときの白々しい感覚を。制度的な夫婦関係といっても、ここまで距離感があれば、もはや見知らぬ人のように思える。当然だが向こうも同じだっただろう。


年の暮れに京都市内のヴァプテスト病院に担ぎ込まれたが、こういう病人?には医者も冷たい。嘔吐感と微熱が続いていたが、生理食塩水の点滴だけ。かろうじて水だけが飲める状態。まったく眠れず、睡眠導入剤が処方されたが、勝手なものでクスリに対する拒絶反応にて、飲むのを拒否すると、香水をつけすぎた当時の女房(病院に香水などつけてくるな!それも海外からの土産に買ったポワゾンだ。皮肉かいな、それって)に呑めと言われても絶対に呑まなかった。が、オウムみないな化粧をした、どうみてもヤンキー上がりの看護婦(やはり看護師よりもいいね、この呼称の方が)さんに説得されたとき、どういうわけか、とめどなく涙があふれて、素直に呑んだ。ふと、ベッドの足元を見やると、冷たい女房の視線が突き刺さるように僕を射抜いた。まあ、当然と云えば当然か。


正月の2日に帰宅して、かたちだけのおせち。その年の6月に僕は退職に追い込まれる。崩壊という名がつくことのすべてが、僕の、あるいは、当時の家族に襲いかかった。家族崩壊と、無職になった、47歳の路頭にまよった自分。


それ以降、今日に至るまで、タラタラとした生き方をしてきたが、こういう心境も悪くはない。過去への未練から3度の自死からの奇跡的な帰還はあるが、もはや、すべてがふっきれた。訪れるべき死までせいぜいタラタラと生きて、そういう生き方の中からしか手にすることの出来ない価値観、世界観を通して世の中を見据えていこうと思っている。あるいは、人間も。そういう覚悟で、いまを生きている。今日の観想として、書き遺しておきましょう。


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長野安晃

yas7135328の投稿
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○メメント・モリ!


いま、ここに存在する自分にとっての、メメント・モリ!(死を想え!)とは、自己の死の時期が迫り来るのをひしひしと感じている、このときに、残り少なき生のありように想いを馳せるということである。一般論にすりかえないために具体的に書きおくと、僕のメメント・モリ!は、人生がおもしろい、という実感を字義どおり体感することと同義語だ。


よく考えてみれば、生のまっさかりのときにこそ、人生がたのしい、という心境に立ち至れば幸福だったものを、僕のその頃は、「いま」が壊れるだろうことを怖れていただけなのである。その壊れの現われは、生活にまつわる現象などではない。それは、常に自己の死がついてまわる終焉の姿だった。唐突なガンの宣告とか、平々凡々たる日常に耐え切れなくて、自死するというイメージと相場が決まっていたのである。


至極当たり前のことだが、いま、目の前にある幸福(幸福であると実感すればするほど)など、必ず遠からず消失する命運を背負っている、という消しがたき悲観主義が、生の真実の一側面だとするなら、僕はこの暗鬱な真理にばかり目が向いていたことになる。ひとりひとりの生活人の繁栄と衰退が目撃できないのが現実であってみれば、たとえば、かつてのマスコミの寵児たちの不幸な出来事の報道にはかなり敏感な反応をしてしまう。人間の明滅のあからさまな現れ。正直、ゲンナリするのが常である。彼らの繁栄そのものが幻想であれば、幻想のまま、あるいは、幻想にふさわしい終焉の仕方があるだろうに。僕らとは次元の違うところで生きていたはずの、彼らの末路は、妙に凡庸で、日常生活人のそれに限りなく近いというのは、どうしたものか?


もはや、自分の生の壊れのありようには、年齢的にも、環境的にも自覚的にならざるを得ない。壊れに自覚的になると、かえって、人生のおもしろさに目覚めるという逆説に到達するのは、いかにも皮肉な話だが、実際にそうなんだから致し方なし。日常の中の多少のゴタゴタは、避け切れないにしろ、そんなものは大したものではない。終末という到達点がはっきりと見えるにしたがって、肩の荷がどんどん軽くなって、前進するエネルギーに加速がかかる。生きるとは、なんとも不可思議なものだ、と思う。僕の裡なるメメント・モリ!は、「死を想え!」から「残りの生のありかたに心を砕け!」という文言に変質しているのが身に沁みてわかる。


さあ、だから、ドンと来い!なんであれ。そういう想いで今日を生きている。毎日が、今日そのものだ。この感覚が幸福そのものだ、と言うことは果たして僕の強弁だろうか?そうは思わないのである。今日の観想として、書き遺すことにする。


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○「アバウト・シュミット」再々考


「アバウト・シュミット」という映画について書くのは、これで3度目である。書き尽くしたと思えば、書き残したことがすぐにも思い浮かぶような不思議な映画である。それだけ人生という捉えがたき、納得しにくい、反吐が出るほどに浅薄で、また、その反面、生きることそのものに深みあるのが、人生というものだからだろう。そういうテーマとまともに向き合わせてくれる映画だからだろう。


主人公は、ジャックニコルソンでなければ成立しない映画だ。「恋愛小説家」や「恋愛適齢期」のジャックニコルソンに適役以上の要素があったように、「アバウト・シュミット」におけるジャックニコルソンは、凡庸な人間にも自己の人生を回顧し、自己の人生に対して自分なりの評価を与え、残りの人生を生き抜くには、あまりにも歓び見出しがたき真実と向き合い、勇気なきがゆえに生が耐え難いのに、それでも自分特有の人生なんてないのだ、と納得しながら遺された時間を生きるしかないことに気づかせてくれるからだ。鑑賞後、後味がよいか悪いかは、その人の生に対する向き合い方次第だ、と思う。


仕事における実人生で主人公が成し遂げたことなどない、と言っても過言ではないだろう。会社創設以来の最古参という立場でありながら、退職時の部長代理という役職が、彼の無能さ、無能であることが、安全であることと同義語のような仕事ぶりを象徴的に物語っている。また、そのことを、独白で妻が自分に冒険をさせなかったためだ、と言わしめ、自分の能力とは、決してこんなものではなかったはずだとも言わしめている。自己弁護、自己擁護の最たるものだろうが、現実に起こり得なかった可能性に対する憐憫の情が、平凡な人間に考え得る最大の人生脚本のあり方だ、とするなら、凡俗な人間にとって、生きる上で、自己弁護・自己擁護は不可欠な要素とも言えるのだろうか。


退職後、ベッドの横に寝ている、42年間連れ添ってきたはずの、年老いた女のことを、自分はいったい、どこまで知りえているのか?と、彼女の寝顔を見ながらつくづくと思う。望みもしなかったキャンピングカーで思い出づくりをするのだ、と言う妻に、とてつもない違和感を感じる。大き過ぎるその車で、巨大スーパーマーケットに買い物に出かけて、車に積み込んだ買い物の多さにうんざりとして、買い忘れて、レジ待ちの長蛇の列に苛立ち、結果、万引きを仕出かして、警察のお世話になる。大切に育てたと思い込んでいた1人娘がつまらない男と結婚する。妻が突然死するが、主人公にとってみれば、それが自分の老後の人生にとっての痛手だとはすこしも思えないほど、自分がもともと孤独であり、家庭の中で孤立していたことが痛々しく描かれる。親友だと思っていた男と自分の妻が、ずっと昔、自分の出張中にデキていたことを知って憤慨するが、その憤怒そのものが、実感を伴わないほどに主人公は世界の只中で、独りぼっちなのである。その姿は、世界に投げ出された孤独な存在と云って然るべき姿である。


さて、自分のこと。この物語とコラボするか?生活面でも、金銭面でも自堕落な両親に育てられて、自分は絶対両親のようにはならん、と固く決意して、それでも血は争えないのか、環境の影響ゆえなのか、僕自身もかなり自堕落な高校生になり、大学にもまともに入れず、オタクの街でもなく、無論AKB48など存在するずっと大昔の秋葉原の電気屋の小僧をしながら、やっぱり俺はまっとうな生き方をするべきだ、と自分の本質を見誤り、大学に入り直し、英語の教師になった。家庭まで持った。自分が一人っ子だったから、意地になって、二人の息子の父親になった。見た目はきっちりとしたファミリーマンだったけれど、心の中はいつも大荒れだった。その頃の心の叫びとはーこんなはずじゃあなかった!の一言に尽きる。家族を持つことが、こんなに違和感があり、こんなに孤独なのか、と思い知った。父親であるために、毎日決まりきったルーティーンワークに耐えることが、自分にどれほど似つかわしくないことか、身に沁みて分かった。職場も退屈極まりなかったから、退屈感を紛らわすために、いろいろやった。特に思想的な確固としたものがあっての組合活動でもなく、西本願寺の坊主たちに盾ついたのも、無能な職員が多過ぎたこともあるが、それよりも坊主たちが寺の世襲制に胡坐をかいて、その上銭金に汚いことが僕をますます過激にさせた。僕の場合は、外部的な崩壊というよりも、ずっと前に内部的な崩壊感覚に突き動かされていた、という方が正確なのである。


アバウト・シュミットのジャックニコルソン演じる、定年後の哀愁に満ちた孤独感、絶望感を一身に背負っている主人公の立場であれば、僕ならたぶん、耐え切れなくて、自死したことだろう。僕が、いま生きていられるのは、主人公のようなまともな人生を耐え抜けなかったからだ。逆説的に聞こえるかも知れないが、それがもっとも真実を言い表している、と思う。


それにしても、この映画は、これから先の人生を生き抜くためには、示唆多き作品である。主人公がエンディングで流す涙は、養子制度の姿を借りた寄付金集めに乗っかって、自分が金を仕送った子どもからの、哀しいまでにありきたりの、括弧つきの絆を想起させる、ヘタくそな絵に対して、である。当然のことながら、主人公は決して救われてはいない。救われてはいないが、救いの仮想に身を任せざるを得ないのである。この哀しさが生の哀しさと共振して、この作品をより普遍的なものにしている。僕にはそのように感得出来る。まったく検討はずれの解釈なのかも知れないが、自分の人生と重ね合わせると、アバウト・シュミットは、生の哀しみの普遍化、それがテーマとして僕の胸に落ちる。どうだろうか?ともかくも、今日の観想として、書き遺す。


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yas7135328の投稿
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○急ぐということ。


急ぐという言葉を想起すると、必ず浮かんでくる概念は、僕の場合、<生き急ぎ>である。思い起こせば、この傾向はずっと以前から僕の裡に存在したもので、殆どの場合、僕は生き急いで、失敗を重ねてきたと言っても過言ではない。


いま、目の前に在って、大抵は立ち向かうべき必要不可欠なことなのだろうけれど、僕にはそれらが、やけに凡庸であるゆえに無価値で、なすべきこととは思えないという、実に性根の捻じ曲がった感性として身についてしまっているから難儀なのである。こういう人間にとって、あらゆる日常的活動が、ルーティーンになるべく存在することが、頭をかきむしりたくなるほどに受け入れがたく感じられてしまう。まあ、こうなるのが理の当然とも云えることだろうと思う。こうして、僕という人間は、日常性のあらゆる側面でぶつかり、そして、あらゆる人間的関係性の中に不協和音を鳴り響かせる。調和という概念から、天文学的とも云うべき距離を隔てて、僕の生きかたはなんとか、いま、この時点に至るまで持ち堪えるようにして、続いてきたのである。より正確に言えば、何度も生の終焉に直面し、その度に偶発的に生き延びてしまったのである。だから、この場に書き綴ることは、決して声を大にして語ろうとしているのではなく、震える声で、その声まで潜めて呟いているわけである。そういうことなら、口を閉ざせばいいではないか!というお叱りを受けること必然なのだが、何せ、性根の曲がり具合から云うと、ひそひそ声でも語り続けたいという非論理の感性が働くというわけなのである。どうぞ、これを読んでいただいている方々、眉につばしながら、辛抱強くお付き合いくださらんことを!


ええ歳になっても、捻じれた性根というのは、萎えることもなく、僕の裡でいまだ健全?なのであるが、それにしても、生き急ぐことに対して、たぶん、間違ってはいない規定をするまでにはなったような気がする。どういうことかというと、生き急いで、日常性というルーティーンに耐えがたき退屈感を抱いてしまう、というのは、決してそこに何らかの高次元の、冒険主義的な飛翔感が潜んでいるのではなく、ただ単に、ルーティーンに耐えるだけの忍耐力が欠如している、というつまらない結論に辿り着く。そういうことに自分が気づき得なかったという意味では、つまらないわけだけれど、その実体は、生きる、ということのかなり本質的なファクターを含みこんでいると思えるようになったのは、一つの遅ればせながらの気づきではある、と思う。


生き急いでなし得ることなど、タカが知れている。それよりも、じっくりとそろそろ腰を据えて、なし得ることのスピードが多少消沈しようとも、眼前の壁と真摯に向き合うこと。確かな日常生活の中で、困難と向き合えるだけの忍耐力を意識してつけること。これを当面の僕の獲得すべき課題としたい、と思っている今日この頃なのである。その意味で、人生に絶望しても、いや、深い絶望感に翻弄されたからこそ、絶望の深みの中から一条の光を見抜いてやろうと思っているのである。決して急がずに、である。人生は常に理不尽で唐突な断裂としての死によって、すべてが中断させられる命運を背負っている。何かが完成・完結することなどあり得ない。このことを胸に刻みながら生きるしかないのだろう。今日の観想として、書き遺す。


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○「アバウト・シュミット」再考


この映画を再び鑑賞して、まずジャック・ニコルソンってやっぱりいいなあ、というのが、素朴な印象。この人を抜きにしては、俳優業というものについては、何も語れないような気がするのである。


ジャック・ニコルソン演じる主人公は、保険会社の創業当初からの最古参社員。定年の役職が部長代理というから、この人は、無能なのか、あるいは人生のどこかで、勇気を挫かれて守りに入ってしまったのか?映画の中の主人公の独白は、こうである。保険会社を起業し、脚光を浴びるような人生を送りたかったのに、42年連れ添った嫁がそうさせなかった、と。そうであれば、建前としては、後者が、部長代理で会社を去っていかねばならなかった理由なのだろう。また、そのように観た方が、この映画の意味が理解しやすい、とも思う。


殆どの人たちが通る悲哀。会社のお荷物が去っていくときの、儀式としての惜しまれ方と、駐車場の片隅の、自分が受け渡した必要書類?のダンボールの山との乖離感。それを目撃したときの、すべてを瞬時にして、否応なく諒解させらる自分の過去の無残な総体が、ジャック・ニコルソンの微妙な表情の動きによって明かされる。この瞬間から、主人公の、人生に対する後悔、憤怒の情、絶望感、先の視えなさ等々の感情は、普遍化されて、観る者全ての共感を獲得する。会社は、無論のこと、妻も、一人娘も、まったく自分のことを理解していない孤独感。あるいは、それは他ならぬ自分自身が創ってきた生の軌跡そのものである、という目覚め。ただし、この目覚めは悪夢からのそれだ。生の暗黒を注視しなければならない苦痛は、この世界の誰もが、いつかは身に沁みて感じとらねばならないものだ。生が喜びであるという幻想から、生こそが絶望そのものである、という墜落感。これが人生における最大の気づきの一つなのだとしたら、いったい生きるということは、いかなるものなのだろうか?


アバウト・シュミットという映画は、第2の人生の生き直しとしての物語などではない。これは、生が存在論的に悲劇である、という真実を深く胸に落とすための、老年のための死へのエチュードだ。が、それは諦念とは似て非なるものだ。諦念とは、諦めの境地の中から、何かを悟るということを前提にした概念だけれど、生の晩秋におけるエチュードとは、後悔と嘆きと憤怒の中で、絶望し、孤独そのものと化し、いかなる光も視えない暗闇から、それでも、力なき腕を指し延ばすような、絶望の瓦礫の中からなんとか踏ん張って手を出すごときの、実りなき反復運動である。悪あがきとは、無知のなせる業。それに対して、実りなき生の、あるいは、死に向かう精神の反復運動は、言葉の定義どおりの「あがき」というものに違いない。あがくことによって、希望の光など視えはしない。そんなヤワなことを思い描いているのではない。ただ、悟りの境地の中で座して死を迎え入れるよりは、あがきの連続の、その延長線上に自己の死を認識する方が人間らしい、と僕は思うのである。主人公が、物語の最後に涙するのは、幻想としての養子制度への寄付金がもたらした、一枚の幼児の拙い絵に対してだった。空らしき高みに、太陽らしきものがあり、その下で、主人公らしきおとなと幻想としての幼児が手をとりあっている、4つに折りたたまれた紙切れに涙して、どうして生に対する救いなどが訪れようか?そんなものは、幻想だと諒解した上で、涙するのである。そういう感性を持ちつつ、主人公の台詞のように「自分の死が20年後にやって来るのか、はたまた明日やって来るのか分からないが、その訪れをこうして待つしかないのだろう」という感慨に突き当たること。これが、あがきの只中で生きるということである。僕も、このように生き、死にたいと切に願う。今日の観想として、書き遺す。


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○空中分解


人間、生きていくためには、さまざまな場面で自分の感性、思想と相反することと妥協しながら、また妥協する度に、自分の無能さやその結果が自分にもたらした敗北感に打ちひしがれるということがしばしば起こるのだろう。


そんなことくらいは、僕にだって分かるのである。また、実際の社会生活上の妥協などというものは、数えきれないほどに経験済みでもある。ところが、である。たぶん幼児性の名残りだろうと思うのだが、現実的な諒解事項の蓄積とは別次元で、妥協=敗北という観念的固執が澱のように心の底に溜まって来始める。これが、僕の心的原風景である。


と、ここまで書いて、書き継ぐ意欲が失せて、テレビを何気なく観ていたら、昔、昔の邦画、「煙突の見える場所」をやっていた。高峰秀子に田中絹江、芥川比呂志に上原謙というかつての日本映画を代表する名優たちも、現代の映画づくりの視点で観ていると、誰もが稚拙な演技をしているように感じられる。上原謙と過去に訳ありの田中絹江夫婦のもとに、田中絹江の元夫によって、呑み屋の女に産ませた赤ん坊が棄て置かれる。田中絹江の夫を演じる上原謙は冴えないサラリーマンで、生活力も頼りにもならない凡庸な男。いかにも上原謙にぴったりした役どころだ。彼は困窮した状況で愚痴り、田中絹江をなじることしか出来ない。一方で、同じ家屋の二階に下宿している芥川比呂志は、役人で、字義どおりの「正義」の概念を拠りどころにして生きている。ふすま一枚を隔てた隣の部屋に住んでいる主役の高峰秀子は、芥川比呂志を愛しながら、彼の一面的な「正義」の概念に対して、生活者の言葉で疑義を唱え、それが二人の愛の距離感を微妙に広げてしまっている。そういう状況のもとで、窓の外遠くに、工場の3本の煙突からモクモクと煙が立ち上がっている。彼らの生活の場から見ると、煙突はあくまで3本に見える。が、住居から離れた場で、芥川比呂志と開店記念で安い肉を買いに出向いていた田中絹江とが出会って、立ち話をして、何気なく見上げた空には同じ工場の煙突が2本にしか見えない。病気で夜鳴きの耐えない赤ん坊の登場によって夫婦仲もおかしくなって、「正義」漢の芥川比呂志は、その「正義」ゆえに、田中絹江の元夫を捜すハメになった。彼は仕事を休み、足を棒にして、当の男を捜し当てる。同時に赤ん坊の実母とも話をしていて、そこから見える問題の工場の煙突は4本であることに芥川比呂志が気づく。こんなふうに、映画は、登場人物たちの心境の変化と状況の変化にしたがって、場面が変化して、そここで登場する工場の煙突の見え方が異なるという、低劣だが、ある種のメタフォリックな意味を持たせた存在として、工場の煙突は、この映画の重要なエッセンスとして挟み入れられる。さて、この映画における工場の煙突とは、どのようなメタファーなのか?物事の価値意識とは、絶対的なものではあり得えず、状況の変化や思想の変容によって常に変わる可能性を内包したものだ、と言いたげである。戦後の原風景が漂う中で、戦争に対する直接的な批判言辞は、田中絹江が、東京大空襲で親族をすべて殺され、自分が認識論的な孤独・孤立の只中にいることを、火鉢に手をかざしながら語る一場面しかない。たぶん、それでも戦後民主主義的な思想的空気の中では、当時の映画鑑賞者の殆どが、生活者としての意識だけで十分に戦争と平和の意味を感得した、と推察する。机上の空論としての現代風の相対主義ではなく、ネチネチとした生のありようが土台に据わった、絶対論への反措定としての相対論的姿勢が、この映画のエッセンスであり、醍醐味であるように僕には思われてならなかった。


僕の妥協=敗北という心的原風景について、この映画を観終わった、いま再考してみると、僕の裡には、かなり偏狭した絶対主義的論理が支配的だったように思う。無論、それは軍国主義的なそれなどではなく、思想的には真逆ではあるけれど、それにしても、思想の硬直化としての絶対論が払拭し難く僕を支配していたのは間違いのない事実であったように思う。絶対主義が行き着く果ては?僕の脳髄が生み出すイメージは、飛行中の飛行機が何らかの故障で、空中分解し、バラバラと地上に機体の破片が落ちてくるものだ、と相場が決まっていたのである。何気なく送っている日常が、ずっと続くはずもなく、たまさかの存在に過ぎないものだ、という、寄る辺なき心境から自由になりきれなかったのである。そして、常体が壊れるイメージとは、飛行機が空中分解するごときに、元の姿形を留めぬような崩壊の仕方である。


こうして考えてみると、僕はまだまだ硬い。思想的に硬すぎる。芥川比呂志の「正義」と変わらない代物だ。実践力を伴った、もっと柔らかな相対論を!-これが、いま、これを書き終わらんとする僕の裡なる叫びである。今日の観想として、書き遺す。


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○自分を客観視できないのが、僕自身の課題なんだろう。


現在の状況に辿りつくまでの、もがき苦しんだここ10年以上の年月の間に、僕が最初に陥ったのは、うつ病だった。いまは、真逆の発想をするようにはなったが、ずっと僕はものごとの結末の最悪の状況を想定して、その状況に陥らないための努力をし、当初考えた最悪の状態からよりマシな結果を得て安心するような、馬鹿げた心配症をエネルギーに変換する、絵に描いたような小心者だった。だからこそ、文字どおりの最悪の状況に貶められてからというもの、朝を迎えるのが億劫になるほどの、さて、朝になってみれば、朝食を終えたままテーブルを離れることが出来ず、ただただ、そこに居座り続けること以外何も出来ず、ふと気づくともう昼食という始末。世の中とは完全に切れた精神状態ゆえに、なにものに対しても無関心にならざるを得ない。世界と完璧に切り離された状態とは、まわりに他者が居ようと、そのことにすら無関心で、人に迷惑をかけること、この上ないが、それにしても、自己の裡なる孤独感、孤立感たるや凄まじいとしか表現のしようがない。


さて、次に襲ってきたのが、パニック発作である。マジに死ぬかも知れぬというくらいの、苦しさ。どこでどんなふうに起こるやも知れぬという恐怖感にとりつかれる。とはいえ、恐怖感はあるものの、どこでそれが襲ってきても、それが死に直結するにしても、そうなったときは、道端ででも死んでもやる!という開き直りでどうにか克服した。うつ病は、うつ症状という、ちょっとマシな状態になり、しかしそれでも落ち込むのがどうやら習い性になってしまった。いまだに、開き直りの底には、落ち込みやすい心性が隠れているように思う。お次は過食。ひどいときは、たとえば、街に出ると、ケンタッキーフライドチキンを最低6ピース。途中で気分が悪くなるが、それでもひたすら食す。真向いに天下一品のラーメン屋があるから、すぐに飛び込む。ここのドロリとしたスープはチキンベースだから、どれだけ無駄な鶏を無意味に食い散らしたのか、いま考えるとおそろしくもなる。仕上げは、リプトンという喫茶店で、チョコレートパフェである。リプトンのそれは、どこよりも量的に優れている。チョコレートパフェを含めて、過食する僕の場合は、味なんて二の次三の次である。まずまずの味わいなら、あくまで量的なことに関心が向かう。そもそも太りにくい体質だったけれど、これだけ満腹中枢をぶっ壊すような食べ方をやると、かなり不格好な太り方をしてしまうし、太り方のペースが尋常ではないのである。具体的に書くと、着るものがなくなる。特にパンツのサイズが、たとえばユニクロの最大のものに行き着くまで、それほど時間がかからなかったわけで、まあ、病的であったこと間違いなし、である。


それでも、自分がどれほど醜悪(容姿は当然のことだが、精神が鈍重になっているという意味で)になり下がっているか、ということには、どういうわけか、意識が向かなかったのである。自分の体躯が巨大化していく過程で記録された写真を見てはいるはずだが、そのときどきに、自分は(敢えて告白するが)かなりイケテいると錯誤し続けてきたのである。たとえば、ずっと以前のスラリとしていた(自分ではそう思い込んでいたわけだ)時期の写真すら、いまから見なおすと、病的にしか見えないから不思議だ。機会あって、現在はかなり厳しく身体を鍛えていて、体型はこれまでにないマッチョタイプに属するようになってきたが、これとても後から写真でも見れば、相当に行き過ぎた鍛え方をした、醜い中高年男そのものだろう。


そもそも、自分とはいったい何ものなのか?という問いを自分に課してきて長い月日が経つ。が、自分の外見すらその折々で、自己満足的に充足した評価をしていて、後で見返すと背筋に冷たいものが流れ落ちるくらいだから、思想的な実像など、到底掴み得ぬ感性・知性しか僕にはないのかも知れないな、と今さらながら思う始末なのである。


人生の総括と称して、ブログという形式をかりて時々の自分なりの考えを公にしてきたが、何をどのように書いても不全感が伴うのに気づきつつも、絶えまなく書き続けてきたが、こういう姿勢すら、思想のラビリンス(迷宮)の中を無目的に彷徨っていただけなのか、と猛省している今日、この頃なのである。


という観想を書き残しつつ、どこまでももの分かりのよろしくない自分がいることにも気づいているので、たぶん、まだこれからも長きに渡って書き続けるのだろうか、と思う。お付き合いしてくださるみなさんにはまことに申し訳ないのだが、今後とも寛容の精神で読み流してくださるならば、この上なく幸せであります。今日の観想として、書き置くことに致します。


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○せめぎ合いだね、このところ。


あがいて、あがいて、これまで命をつないできたけれど、それもあがかざるを得ない状況下に追い詰められてもいるから、命をすり減らすようにあがいてきたので、どうもこのところ、自分の中の生の姿の本質的なありようが、ジタバタとあがくことと同義語のようになってしまったことが、ひどくつらく、切なくもある。そうかと云って、これ以上あがいたところで、たいしたことはなにも出来ないのだから、僕という人間は生きる知恵に乏しいというか、なんとも情けない限りなのである。


何ごとも起こらなくて、学校教員のままで勤めていたとしても、すでに定年まじかの年齢にまで到達してしまって、なんだか、あがくことにも、もはやそれほど意味が見出せなくなってしまう瞬間、瞬間がある。ある意味、ほっとすればいいものを、これまでは、愚にもつかないことにさえ、あらがいの気分をかき立たせ、生きるエネルギーにしてきたという、どうしようもないバカげたことをやってしまった。現在の客観的な立ち位置と心境、また現在に至るまでの悪あがきの蓄積とが、文字どおりせめぎ合っているのだろう、と思う。換言すれば、もがき、あがくことと、平静な気分でいることとのせめぎ合いの時期とも言えるのだろう。


僕は、少なくともこの10年以上の間に培われた生に対する構えとは、反抗の論理そのものではないか、と気どってはきたけれど、実際のところ「反抗の論理」を思想化したアルベール・カミュの苦悩の上っ面だけを掬い上げて悪利用した感があり、そういう自画像には、唾を吐きかけてやりたい衝動に駆られるばかりである。


こういう状況のもとで、さて、短いには違いない僕自身の命の残り滓に如何なる意味を見出せるのだろうか?なにをどのようにすれば、僕はこの先の生き方に、ぼんやりとしたものであれ、光を照射することが出来るというのだろうか?


こんなふうに考えると、僕の中に、かなり卑近な二者択一の論理が渦巻いていることに気づく。一つは、もうこの歳なんだから、これまでの過去の出来事に対するこだわりをすっかりと捨て去って、せいせいした気分に浸って、穏やかに己れの来るべき死と向き合うか、はたまた、幼稚で拙い己れの思想(とも呼べない代物に過ぎないけれど)を、一旦壊し、壊し尽くして、瓦礫の中に、こマシな思索の跡を残して死にゆくか、という、実にありふれた、新味のない選択の余地である。


と、書きながら、こんな裡なるバカ騒ぎには毎度のことながら辟易させられる。こういうグチにつき合ってくださる人の身になって考えてもみろ!という内心の声が、僕の脳髄の中で反響しあっている。前記した選択肢は、つまらないグチに限りなく近いものだけれど、この小さき僕のような人間にとってみれば、ハムレットの独白ほどの意味を持ち得ると告白すれば、大仰過ぎるのか?


ともあれ、このところのせめぎ合いの答えは出ていない。かつてのように強がって、瓦礫の中に思索の跡を残して死にゆくのである、などという、はじめに結論ありきのような感覚ではない。言葉どおりのせめぎ合いである。すっかりと肩の荷を降ろすという選択肢も、いまの僕にはとても現実的なものなのだ。これを凡庸というひと言で片付けまいと思っている。いましばらくの時間の猶予を!という気持ちで、今日の観想を閉じる。


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yas7135328の投稿
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○情熱的であること。これは結構大事なんだと思う。


生きることに慣れ切ると、自分がいったい、どのような価値観に基づいて日々をやり過ごしているのかが、分からなくなることがしばしばある。そもそも<やりすごす>というモノ言いが、日々の怠惰を象徴しているかのようで、書きながらウンザリとしている自分に気づくのである。


自分は、passionateな資質を縦横無尽に使い切って生きるタイプの人間だと、かつては思っていた。確かに、限られたある時期、かなりな素養を駆使したようにも思うが、残念ながら、僕の場合、passionateと云う言葉の「情熱的な」とか「熱烈な」という概念からずり落ちて、いつしか「怒りっぽい」「短気な」という意味がぴったりと当てはまるような、実に扱いづらい、単なる考えのないおっさんに成り下がっていた時期が長いのである。


合わんなあ、と思いつつも、大学を出てから長年しがみついていた仕事から追放されたあたりから、僕の生に対する確信が根底からぐらつき始めた。いまにして思えば、宗教法人のなすがままの私学の学校経営のいちいちに盾ついて,放逐されるだろうな、という想いが募るにつけ、ますます自分の中の言葉本来のpassionateな資質を研ぎ澄ませていた、とは思う。その時点での僕の言動には、時勢を読み切れない過剰さがあったにせよ、思想的・実践的な意味での過ちはなかったと確信している。まあ、かつての同僚や上司たちから言わせると、たぶん、僕はどうしようもなく、浮き上がった存在にして、扱いづらい教師だったは思う。


しかし、その学園を放擲されると、自分は結局のところ、唾棄すべきだと固く信じていた、当の学園の名前の下で胡坐をかいていただけの、小さな、実力なき英語教師に過ぎなかったことが分かる。その後の数年間は、家庭崩壊、それまでの友人・同僚たちとの決別、能力なきがゆえの無職の彷徨の時期を掻い潜らねばならなかったわけで、いつしか、僕の裡なるpassionateは、単なるshort-temperedにすりかわってしまうハメになった。いや、もっと正確に言うならば、その前にapathy syndrome(無気力症候群)と称するのが最も妥当な状況下で、腐れ果てていたと言うべきだろう。


人間にとって、apatheticな状態ほど、自己にとってはつらく哀しく、また自分に関わっている他者に対して、egoisticな態度を見せてしまうことになるのである。それが、「わがまま」「自分本位」であることは言うまでもないが、「わがまま」で「自分本位」な歪み切った個性が、根拠なき「うぬぼれ」を生み出すことを、言葉の定義を識るまえに、自分の中で生起することを実感として感得しているのである。もう、こうなると、情熱はどこかへ去り、虚無的なエセら笑いしか自己表現の手段がなくなってもくる。生に対する絶望が心の隙間に忍び込んで来るのは、まさにこういう時なのだ。僕は絶望し、孤独の果ての果てで生き忍んでいた。生きる希望など微塵もなくなっていた、と思う。いまやそういう記憶すら曖昧にぼやけているから、無意識下で、自分の過去の姿を消し去りたいという気分、濃厚なのだろう。


さて、言葉本来の情熱について、である。少し書きとどめておこう、と思う。人が情熱を抱くことは、当然のことであって、それは、冷静の反意語ではない。冷静な言動が意味をなすのは、その底に深い情熱が込められているからに他ならないのである。もっと言うならば、僕たちはこの時代性において、あらためて裡なる情熱を再燃させる必要があるのではなかろうか。僕たちの心は、知らず知らずのうちに冷え切ってしまっているのではなかろうか。他者の存在を尊重するのはまことに結構なことだ。が、それは単に精神的な距離を置くことでなされるべきものではない。他者性に対して自覚的になるためにこそ、情熱が必要なのである。こういうことを抜きにした他者との関わりなどは、冷え切った料理みたいに、つまらない存在だ。相互補完的に情熱を注ぎあえる存在、それが、他者を視野に入れた生き方なのだ、と僕は思う。他者を尊重するかにみえる実質的なapathyなどは、ドブにでも打ち捨てるべきものだ。こうしてはじめて、僕たちの未来は、血肉化されたものになり得る。生きる可能性は大いに広がるのである。自戒のこととして、書き記す。


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yas7135328の投稿
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○人間の尊厳が貶められてはいまいか?-アカンよ、これは。


僕が失職したのは、47歳のとき。教育職としてはあぶらの乗り切っている時期に当たるだろう。経験も豊富、教育力量もまず人には劣らない自信もあった。私学の理事会の富の独占、人事権の乱用、宗教法人の絶対化、それらに嫌気がさして、とうの私学を辞めたけれど、さて、この歳の教員の受け皿が公立学校にはない。公立学校こそ、年齢制限の撤廃に先鞭をつけるべきだろうに、教員試験など受けるすべもない。おかしなことだと思う。他の私学だってそう。教育という分野においては、キャリアはまったく通用しない。一部の例外を除けば、学校における人事採用は、大学卒か大学院卒の新卒が基本である。中・高校以下の学校はこういう状況のもとにある。この意味においては、教員免許ほど無意味な免許状はない、と思うね。僕なんか、かなり前の自民党政権下の文部省(当時はこう呼んでいたわけです)と、いまは存在理由としては見る影もなくなった日教組との、何かの取り引きで、僕くらいの年齢の教師は、大学院卒の専修免許を授与されたんだけれど、そんなものこそクソの役にも立たなかったな。


僕は思ったね、つくづく。大抵の教師がダメになっていくことの原因は、職場にしがみ付いてさえいれば(無論、それなりのストレスはかかるけれど、結局しがみ付くしか手がないんだね)、自分の教育に対する熱が冷めようとも、定年退職まで勤めあげればまずまずの退職金が出て、共済組合からの年金は国民年金など比べようもないほどによい。持家のローンも払い切れるし、資産運用の上手い人は、不労所得を得ることだって、難しいことではない。ともかく教師には、銀行も貸し渋りという概念なく貸したがる。自営業になってみて、はじめて世の中の不条理を身に沁みて感じるんだから、僕はひどい世間知らずだった。世界はどうあるべきか、なんて屁理屈をこねているより、日常生活の上で、明らかな矛盾が自分の生活を縛りつけるわけだね。人間の尊厳なんていう概念すら、空虚に感じられることしばしば、だ。


それにしても、いったん、教育職場を離れたら、特に僕のような年齢で、いかなる意味においてもコネクションというものがない中では、まず間違いなく路頭に迷う。安易なスライド先としては、学習塾への就職だが、こういうところはむしろ学校現場における経験を嫌がる。学校の教師でまともな人間なら、学習塾の進学一辺倒の方針に素直に従えない。そもそも、学習塾における教授法の技術などは、学校では使い古されて捨てられてしまったものが多い。それでも、成績中心主義でスパルタ式にやれば、受験対応としてはまあ、通用する。塾に通ってくる子どもの意識が学校のように受け身ではないことが理由としては大きいと思う。かなり心理的な要素で塾の講師は助かっているわけである。それに、学校現場には実力も伴わず、自分研鑽を投げたひどい教師が大勢いるから、塾で助けられる生徒も多い。かと言って、こういうことが、理想的な姿とかけ離れたものであることに変わりはない。それにしても、教育現場というのは、多少甘っちょろくてもやってはいけるということである。また、それでよいのか、ともいまは思う。


やっと本題。上記のような分野を含めて、大抵の職場というものが荒廃している。たとえば派遣社員の方が正社員より多いというのもめずらしくはない。さらにその下にアルバイトまでいて、業績の良し悪しによって、いとも簡単にクビを切られて、もともと安い人件費をさらに切りつめるという、人の尊厳や感性を奪い去ることがあたりまえのことになってしまっている。当然、クビ切りに遭う人間には生活の保障はなく、食いつめることだってある。ほんとに日本の労働市場の考え方として、これでいいのか?と思うね。当初はアメリカのレイオフ制度をみならったフシがあるが、当のアメリカにしても景気回復によって、レイオフした労働者を呼び戻せなくなっている。リストラの嵐は世界中で吹き荒れているというわけだ。昨日まで長期のローンで買った持家で一家団欒を楽しんでいた家族が、あくる日には路頭に迷う。アメリカなんて、無慈悲なサブプライムローンという高金利の住宅ローンを低所得者に貸し出して、金のないところから、さらに絞りとろうとしても金融破たんするんだから、報われない人々はどこまでいっても不幸がつきまとう。人間の尊厳などと言っていられない状況がひたひたと差し迫るということだ。


富の不均衡は、その規模が拡大している。ドルもユーロもダメ。信用不安で、別に評価もされていないのに、緊急避難的に円が買われる。信用不安に備えて、当事者のアメリカやヨーロッパの国や企業や金持ちが円を買って、その結末が、日本の高度経済成長を支えてきた大手製造業を直撃する。輸出で日本の経済を支えてきた、かつての優良企業が数年に渡る円高で、何千億円という赤字を出している。経済なんて、ある部分を修正すれば、別の部分にひび割れが生じる。こういうバカげたイタチゴッコを解消出来ると思って発明した政治形態が共産主義や、社会主義だけれど、これだって、人がやっている限り、矛盾だらけの政治形態だということが明らかになって、さて、僕たちはいったい、これから先、どうなっていくんだ?という素朴な疑問に突き当たる。


ともかく、人間の尊厳を、なにより先に考えないと。具体的にどうか、という検証よりも、こういう思想が根付かないと、すべてがはじまらないように思う。これから先の世界を生き抜いていく次世代の人たちのためにも、僕たちの世代が、人の尊厳に対して、もっと、もっと鋭敏にならないと。心底そう思う。何の具体性もないが、人間の諸活動の根源に関わることで、僕みたいな出来そこないに言えることと云えば、こういうことしかない。恥をしのんで書きおくことにする。


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