181 第3シリーズ「問題論」 第七章 vol.6
2009年10月02日
yanayuhの投稿
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メールマガジン: 「原因が結果を生じさせる」という発想は間違っている
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「病気を診て、人を見ない」その仕方について説明しよう。
医科学などの(西欧)学問では、人の、
具合と意思が捉えられない
のである。
学問は、人を研究すると言う。
そして、「人とは何か?」と問う。
挙げ句、この問いに間違って答えてしまう。
人は、これこれの
〈正常〉なありようになるよう本来〈予定〉されている
のだ、と。
こうした見方をしていると、人を、
この本来的な〈予定〉通りになったか、ならなかったかという基準でしか
捉えることができない。
別の言い方で言えば、
〈正常〉なのか〈異常〉なのか
という見方でしか見ることができない、ということである。
この本来的な〈予定〉通りになること。
それを医科学は、機能すると言う。
この〈予定〉通りにならなかったものは、
機能不全(機能障害)を起こしている、
とする。
このように、医科学は、人を「機能の束」にすぎないと解している。
人にとっての
問題は「機能不全」だ。〈異常〉であることだ、
というのである。
ところが、
こんな基準で人を見ていると、人の、具合と意思が捉えられなくなってしまう。
例を出してその確認をしよう。
再度ここで、脳科学者である伊藤正男に登場してもらう。
彼の書いた本『脳の不思議』(岩波書店1998) のp.104から引用する。
彼はここで、脳研究の初歩的手続きについて説明する。

伊藤正男『脳の不思議』岩波書店、105頁から引用
脳科学もまた「原因が結果を生じさせる」という信仰
の上に成り立っている学問分野である。
脳が「原因」である。
それが、人の体験を生じさせる、と解している。
そして、体験とはまさに、「意識」と「世界」が関係することだった。
だから、脳科学によると、
脳が、「意識」も「世界」をも生じさせている
ことになるのである。
ところで、上記引用文にて、伊藤は、
こんな脳科学の、初歩的な研究方法
について述べている。
そして、この方法では当初から、理論的に、
「感情、意思、自意識」が捉えられない
と告白している。
「感情、意思」が捉えられないというこの発言に注目しよう。
感情がわからない。
それは、
具合が捉えられない
ということである。
具合の良し悪し、快苦、気持ちが良い悪い、
それらがどういうことか、わからないということである。
具合と意思が脳科学では、その初めの出だしの時点で既に捉えられない。
脳科学者・伊藤正男の言っているのは、そういうことである。
脳科学ではいつまで経っても、
人間の、生きる、ということが理解できない。
そう断言しているのだ。
人は常に『今どうしようとするか』という問いを解いているようなものである。
その問いをヨリ解けている程、具合がヨリ良い。
その問いの解き方こそ、意思である。
これは既に説明した通りである。
責任を果たしながらも、この問いをどれだけ解決できるか。
それが生きることの課題である。
具合と意思、これらを捉えられないで、人がどう生きているか、理解することはできない
のである。
脳科学では伊藤が言うように、具合と意思は捉えられない。
生きるということを理解できない。
人を人として見ることができない。
「原因が結果を生じさせる」と信じていると、
このように、人を人として見ることができない。
人を「機能の束」と捉え間違ってしまう。
人は、〈正常〉なありようになるよう本来〈予定〉されている。
生きるとは、「原因」がこの本来的な〈予定〉を実現するかどうか
ということだ、と誤解してしまう。
しっかり機能するか、しない (機能不全に陥る) かだと解してしまう。
こうして医科学は、人間とロボットの違いが分からなくなる。
人を前にして、
人に本来的に定められる〈予定〉を「原因」が、この人に実現しているかどうか
としか見ることができない。
実現されていなければ、
それは病気、
とする。
これが「病気を診て、人を見ない」である。
病気を診る見方は、人を見ることではない
というわけだ。
人を見るには、具合と意思を捉えないといけない。
『今どうしようとするか』どのようにどれだけはっきりしているか。
それを捉えられないで、人がどう生きているか、理解することはできないのである。
(続く)
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具合と意思が捉えられない
のである。
学問は、人を研究すると言う。
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挙げ句、この問いに間違って答えてしまう。
人は、これこれの
〈正常〉なありようになるよう本来〈予定〉されている
のだ、と。
こうした見方をしていると、人を、
この本来的な〈予定〉通りになったか、ならなかったかという基準でしか
捉えることができない。
別の言い方で言えば、
〈正常〉なのか〈異常〉なのか
という見方でしか見ることができない、ということである。
この本来的な〈予定〉通りになること。
それを医科学は、機能すると言う。
この〈予定〉通りにならなかったものは、
機能不全(機能障害)を起こしている、
とする。
このように、医科学は、人を「機能の束」にすぎないと解している。
人にとっての
問題は「機能不全」だ。〈異常〉であることだ、
というのである。
ところが、
こんな基準で人を見ていると、人の、具合と意思が捉えられなくなってしまう。
例を出してその確認をしよう。
再度ここで、脳科学者である伊藤正男に登場してもらう。
彼の書いた本『脳の不思議』(岩波書店1998) のp.104から引用する。
彼はここで、脳研究の初歩的手続きについて説明する。
こころの働きの脳のしくみに迫るために
脳科学で用いられる基本的な研究戦略は、
まずその活動が脳のどこで起こっているかという機能局在をはっきりさせ、
次いでそこで起こっている神経細胞の活動を調べることである。
こころの働きには表1に示すようないろいろな成分があるが、
この中で認知、運動制御、情動、記憶・学習、睡眠・覚醒、
認知的意識、思考、言語、注意などについては
脳科学の手法が成功、ないし進歩しつつあるということができる。
まだまだ困難は大きいが、少なくともこれらの活動が
脳のどこで営まれているかがある程度わかっているし、
そこでどのような神経細胞の活動が起こっているかを調べる方法論が得られている。
したがって、それらの成分について脳との関係を明らかにできるのは、
時間と努力の問題ともいえる。
しかし、チャルマースが脳とこころの問題には
やさしいものと難しいものとあるといっているように、
表1のなかで太線で囲んだ
感情、意思、自意識
を問題にするようになると、
状況は極めて困難になる。
その
機能局在はわからないし、
それを客観的に計る方法がない。
表1の中の太枠を破ることができれば、科学上の大発見になるだろうが、
それを
楽観的に考えることは禁物
である。

伊藤正男『脳の不思議』岩波書店、105頁から引用
脳科学もまた「原因が結果を生じさせる」という信仰
の上に成り立っている学問分野である。
脳が「原因」である。
それが、人の体験を生じさせる、と解している。
そして、体験とはまさに、「意識」と「世界」が関係することだった。
だから、脳科学によると、
脳が、「意識」も「世界」をも生じさせている
ことになるのである。
ところで、上記引用文にて、伊藤は、
こんな脳科学の、初歩的な研究方法
について述べている。
そして、この方法では当初から、理論的に、
「感情、意思、自意識」が捉えられない
と告白している。
「感情、意思」が捉えられないというこの発言に注目しよう。
感情がわからない。
それは、
具合が捉えられない
ということである。
具合の良し悪し、快苦、気持ちが良い悪い、
それらがどういうことか、わからないということである。
具合と意思が脳科学では、その初めの出だしの時点で既に捉えられない。
脳科学者・伊藤正男の言っているのは、そういうことである。
脳科学ではいつまで経っても、
人間の、生きる、ということが理解できない。
そう断言しているのだ。
人は常に『今どうしようとするか』という問いを解いているようなものである。
その問いをヨリ解けている程、具合がヨリ良い。
その問いの解き方こそ、意思である。
これは既に説明した通りである。
責任を果たしながらも、この問いをどれだけ解決できるか。
それが生きることの課題である。
具合と意思、これらを捉えられないで、人がどう生きているか、理解することはできない
のである。
脳科学では伊藤が言うように、具合と意思は捉えられない。
生きるということを理解できない。
人を人として見ることができない。
「原因が結果を生じさせる」と信じていると、
このように、人を人として見ることができない。
人を「機能の束」と捉え間違ってしまう。
人は、〈正常〉なありようになるよう本来〈予定〉されている。
生きるとは、「原因」がこの本来的な〈予定〉を実現するかどうか
ということだ、と誤解してしまう。
しっかり機能するか、しない (機能不全に陥る) かだと解してしまう。
こうして医科学は、人間とロボットの違いが分からなくなる。
人を前にして、
人に本来的に定められる〈予定〉を「原因」が、この人に実現しているかどうか
としか見ることができない。
実現されていなければ、
それは病気、
とする。
これが「病気を診て、人を見ない」である。
病気を診る見方は、人を見ることではない
というわけだ。
人を見るには、具合と意思を捉えないといけない。
『今どうしようとするか』どのようにどれだけはっきりしているか。
それを捉えられないで、人がどう生きているか、理解することはできないのである。
(続く)
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