Affirmative Action
テーマ:アメリカの話いつも読ませていただいているマイスターさんの「俺の職場は大学キャンパス」に、日本の大学教員の採用についての話がありました。そこに、恐縮ながら、僕の先日の記事も載せていただきました。どうもありがとうございました。
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50037994.html
この記事を読んだ後、日本の大学はまだこんなことを公然とやってるのかー、と正直思いました。大学改革という言葉があちこちで叫ばれていますが、こういった肝心なところは結局変わってない。外見が変わっても中身は旧態依然のままであるというわけです。
そんなわけで、今日はその比較対照として、アメリカの大学における教授の採用方法についての話を、僕が知っている限りですが、紹介したいと思います。
アメリカにはAffirmative Actionという差別を禁じる法律があります。これは人種だけでなく、年齢、性別、宗教、性的な趣向などによる差別も禁止されています。日本で言う雇用機会均等法の徹底したバージョンみたいなものです。
教授の職に応募する時、履歴書を提出しますが、そこには顔写真はもちろんのこと、年齢、生年月日、性別、国籍というものは載せません。名前と、卒業した学校、そして過去の実績のみです。もしマイスターさんが紹介されたような採用方法をアメリカで行ったとしたら、その大学は全て確実に訴えられて、人権軽視の学校というレッテルを貼られます。しかし、実際に人権を軽視しているのは事実でしょう。日本の大学の人権感覚がいかに遅れているかの一つの例にあたります。
これは僕の話ですが、自分が今の仕事の面接の際、自分が外国人であるかどうかも向こうは聞いてきませんでした(自分からいってしまいましたが)。僕のような外国人を雇う場合、就労ビザやそれに伴って弁護士等を雇わないといけないので、数十万他のアメリカ人を雇うより余計にかかります。しかし、それが理由で雇わない、というのはAffirmative Actionで禁じられています。そのビザ申請費を、給料から天引き、なんてことももちろん禁止です。そして面接では、向こうからそういう話も一切聞いてきませんでした。
もちろん、弱者の味方ようなAffirmative Action ですが、問題ももちろんあります。一つが、逆差別という問題です。実際にこれに関しての裁判も起こっています。そして、MajorityとMinorityの人々の溝も逆に深まっているという指摘もあります。
こういった差別の問題というのは、人間の心の内側の問題なので、法律で全てを解決するというのは難しいかもしれません。今回のハリケーンでも、アメリカに潜在している差別という問題が表面化してしまいました。
だからこそ僕は大学が非常に大事になってくるのだと思います。何度もいうように、大学は人間を教育するところです。しかし日本では、そこで教えるような人たちが、未だにそういった差別意識を持っている、-本人たちに自覚はないにしても-、というのは残念でもあります。大学の教授というのはいわゆる知識人であり、かつては賢人といわれる人たちの集団でした(日本の話ではないですが)。
日本の大学が、人権意識を人々に啓蒙していけるような、社会で最も開かれた、進んだ場所になることを強く願います。
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