善知鳥吉左の八女夜話

福岡県八女にまつわる歴史、人物伝などを書いていきます。


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夜話67   土橋八幡宮縁起  その三


土橋八幡宮とは正式の神社名ではない。

「八幡宮」でよいが鎮座している地名などを冠して区別している。

土橋は鎮座地区の商店街名である。



この神社の境内は戦後、間口一間足らずの店がびっしり立ち並んでいた。食糧・古着・魚・肉・みそ・しょうゆ・飲食店その他あらゆるものが売られ飲まれた。


敗戦は神の存在を否定する時代。ここに「闇市」的雰囲気の店が密集した。

新宿の花園神社の八女版といった風景になった。全国的傾向か。


物資不足の時代でここの商店はこの地方の戦後経済の簡便な生活を支えた。「八女を記録する会」はその発祥の歴史を知りたいが。資料皆無。


また、商店主は戦災、引き上げ者など戦争による被害者が多かった。

八幡神の功徳とも言得た。


いま過去の八幡宮境内の面影は全くない。

絵馬堂もあったというがその面影もない。


「八女郡一の神社風景」の復活を願うのは筆者だけだろうか。


火災予防・衛生管理等々のこともさることながら、はるか昔の神社の歴史をかえりみる心のよりどころの復活を行政に期待するのは無理か。


八幡神も期待していると思う。


この社は≪夜話65≫のように稲富村・福島村により宇佐八幡から勧請された神を祀る。


田中家により城郭が築かれたとき両村は郭外に押し出された。

郭内には町分が新しく出来た。福島町である。


しかしこの八幡宮の氏子はあくまでも村方の者である。


旧福島城郭内の町分は全部「本町」、城郭により郭外に押し出された福島村は「本村」といい稲富村分は「稲富」として残っている。

そのために八女市福島地区は行政名称として「本町・本村・稲富」の三地区名が残った。


このうちの本村地区の一部と稲富地区の家家が今もこの八幡宮の氏子である。


毎年10月17日の例祭の神幸行事もこの二地区の氏子のみで執行される。お旅所は稲富にある。


八幡神は本宮から神輿でお旅所に送られ二泊ののち19日に本宮に戻る。

この往復の行列が「土橋八幡宮神幸行事」として八女市の無形文化財に指定されている。


各種の飾りによる行列は賑々しく、汐井をまく子どもや赤黄色のかつらの「しゃぐま」をかぶっての神幸随行がある。


神幸を囃しにたとえて「ドンドンカンカン」とも言う。


青年が使う獅子頭は文久元年長府城下で購入したもの。

お旅所の古いのぼりに筑前の学者亀井昭陽の書いたものがあった 。


指定文化財の民俗行事を続行するには、土橋八幡宮の境内にそれにふさわしい心の寄りどころを発見したい。行政・商工会議所の努力と関係商店の協力を切に期待する。


土橋八幡宮を親社とする宮野町八幡宮の開元縁起は「放生会」の「灯篭人形」として生き続いている。


親社の土橋八幡宮勧請のむらびとの願いを、われらも共有したいものだ。注明確な城郭図が存在しない事を。付言する。

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