●江藤さんも、大隈さんも政党の設立・発展でがんばった! | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

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熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

吉野ヶ里遺跡へと行く前に…ちょっと。

 

「おい、日本初の政党内閣って、原敬じゃねえのか」

という友人のご指摘が。

確かになぁ。

 

原敬内閣は、閣僚のほとんどが政友会党員だったことから、これを本格的政党内閣としている。盛岡の原敬生家が記念館になっている。

 

だがやはり高校の日本史となれば、原敬内閣は「日本初の本格的政党内閣」かな。

 

大隈重信首相、板垣退助内務大臣の憲政党内閣は、わずか数ヶ月の内閣だったとはいえ、やはり「日本初!の政党内閣いうべきだろう。

 

大隈は立憲改進党を結成、後に板垣と合同して憲政党を結党。隈板内閣を組閣した。

 

薩摩・長州独占の藩閥内閣に一旦終止符をうった意味も隈板内閣の意味は大きかった。

 

因みに、「日本初の政党」、愛国公党の設立には、江藤新平が名を連ねている。

 

佐賀城で購入した本の表紙。江藤は板垣や副島種臣(佐賀出身)らと、愛国公党を結成して、民撰議院設立建白書を提出した。

 

これもまた、日本初の政党となれば、「板垣の自由党、大隈の改進党なのでは?」

と疑義が出そう。

 

板垣は大隈とほぼ同じ頃、自由党を設立。「板垣死すとも自由は死なず!」と、岐阜で暴漢に襲われたとき叫んだとか。

岐阜城内に銅像が立っている。

 

いやはや、近代史は、政党の「党名」だけでもややこしい。

それなのに、ああそれなのに、ここで出題!

 

日本の政党政治の発展について、下記の語句を必ず使用して200字以内で述べよ。

  愛国公党  隈板内閣  原敬  憲政会  五・一五事件 」

 

この問題はいわゆる論述問題で、最も高校生が苦手とする問題の一つ。

ここでも、憲政党でなく、憲政会がややこしい。「どうちゃうねん?」

「五・一五事件と政党の歴史はどないな関係なん?」

 

必ず予告してよくこの問題は、テストに出したが…。

 

予告して、解説して、出しても、デキが悪く、「次回テストにも出す!といって、出しても…。

「せんせ、止めよう、政党は難しくて~。穴埋めがいい!」

 

ほんとになぁ、高校生のみならず、私も、政党の発展・意義などとなれば難しい、おもろうないな~。

 

「江藤さぁも、大隈さぁも、板垣さぁも、原さぁも、み~な頑張って、政党政治を成し遂げてきたのになぁ」

 

それにしてもむずかしい。

 

今や政党政治の真っ只中にいる国会議員や私たちにとっても、その歴史なんておもろうないかも。

 

やっぱ、おさむらいさん、武将、もののふの話がいいなぁ!

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明智光秀➡蹶起の真因は信州?

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赤埴源蔵➡信州出身の四十七士にて候

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