熱く散って逝ったもののふ達のフォト列伝

各地で撮った写真とともに、我ら祖先のもののふ達の、熱き生きざまを書いています。
地元タウン紙「松本平タウン情報」に「信州往来もののふ列伝」を連載中。

邪馬台国? 吉野ヶ里遺跡



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来た、来た! ついに来たぞ!
吉野ケ里遺跡。

授業ではよく話した遺跡。見てはいなかったけど。

………「いいか、先土器(旧石器)時代といえば、岩宿遺跡

 

▼発見者・相沢忠洋さんの名は永遠!


「で、縄文といえば、代表的な遺跡は? 青森の三内丸山…しかし」

 

 

「いや、いや信州人ならば、そうではな~い!」
「???」
「知っといてくれよ、国宝・縄文のビーナスが出土したすぐ近くの尖石遺跡!有名だ」

 

▼縄文のビーナスが出土したのは近くの菜畑遺跡。尖石考古館に保管されている。

 

「…次。弥生といえば登呂遺跡でなく、待ってました!吉野ケ里

 

▼これは水田址が見つかって当時大きな話題となったという登呂遺跡(静岡県)。弥生時代研究を一気に加速させたとか。


 

話を吉野ヶ里に戻さねば。

 

吉野ヶ里遺跡の規模の大きさ、精巧な復元にはほんとうにおどろかされた。

 

 

この深い堀などは、戦国時代の城砦の空堀とよく似ている。

 

 

これは遺跡というより、石垣こそないが城跡、いや城塞集落・都市というべきか。

 

 

建物の中にはこんな展示もあって凝っている。

 

日本百名城に加えられていることに納得した。

ともかく復元が実に丁寧、また行きたくなるような。

 

邪馬台国説が出ても不思議でない。
今後の発掘で、はたして卑弥呼の金印は出土するか~。
すごい量の甕棺墓や、人力で全て建立した各建物の太い柱に、弥生人の強烈な息吹を感じた。

 

 

ずーっと向こうに有明海が見えたような、霞んでいたような。九州広し、日本広し!

 

 

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「信州往来…」というタイトルなれど、      

      登場するもののふに意外な面々が。     

 

●新皇・平将門がなぜ信州と?

       ●あの「悪役」・梶原景時の塚が諏訪に?

           ●後醍醐天皇・皇子の宗良親王は…

 

明智光秀蹶起の原点は信州?

       ●赤穂四十七士の赤埴源蔵がどうして?  

中岡慎太郎は来たのに、竜馬は来てない…

 

 ▼「信濃毎日新聞・書評」です        

ぜひ、ご一読のほどを!

 

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「列伝 巻24 小笠原長時」を書いたのは、7年前。

この時、7年後の今回「巻101」として書いた、中塔城主・二木重高のことにもふれている。

 

 

だが7年前、二木重高のことを「書く」気持ちはまったくなかった。

武田信玄、小笠原長時、諏訪頼重…など、なんとなく「大物」「よく知れた人物」を追っていた、書くつもりでいた。

 

だがこれからは、書くネタ・素材さえあれば、見つけたら、信玄や謙信、信長、秀吉、家康に、敗れたりしていても「もののふ列伝」に取り上げ、登場させたいと思っている。

この7年間でのはっきりした心境の変化というべきか。

 

「列伝101 二木重高」の紙面版です。

またぜひご一読の程を。

 

 

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    定価1200円(税別)       信濃毎日新聞の書評

 

 

  ◆◆◆登場するもののふ 五十将星◆◆◆

坂上田村麻呂 平 将門  岡田親義

手塚光盛    根井行親 今井兼平 木曽義仲           

木曽義高12歳で死、淡い恋の相手は頼朝娘…   

佐々木高綱 熊谷直実  梶原景時  

源頼朝   北条国時   北条時行   

宗良親王 

小笠原長時負けても負けぬ!「反信玄」を貫いたが…

村上義清  武田信繁   山本勘助   

馬場信春  高坂昌信

武田信玄  上杉謙信  木曽義昌  

仁科五郎盛信⇒血戦、高遠城、「使者の耳をそぎ落とせ!」  

依田信蕃  織田信長

明智光秀  森 長可  上杉景勝  佐々成政   

石川数正  仙石秀久   真田昌幸   

真田信繁   真田信之  

小笠原秀政  福島正則

花井吉成   

松平忠輝⇒家康六男が信州・諏訪に配流、何ゆえか?

保科正之  赤埴源蔵  吉良義周  

太宰春台  武田耕雲斎  佐久間象山  

中岡慎太郎  

赤松小三郎⇒竜馬より早く議会政治を提唱した男、京に死す

堀 直虎  相良総三

 

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天文19(1550)年、小笠原長時居城・林城が陥落すると、平瀬城(本市島内)に長時を迎えた平瀬義兼は最後まで武田に抵抗し、長時を落ち延ばせ、城兵二百とともに全滅。

そして深志城と目と鼻の先に位置する犬甘城(現在の城山公園・松本市蟻ケ崎)に拠っていた犬甘政徳も4か月間戦い抜き、落城後は二木重高の中塔城へ。

 

さらに林城落城後2年以上も小岩盛親は、小岩嶽城(安曇野市穂高)で戦い抜きが、無念、城兵五百とともに全滅した。

▼復元された城門

▼城跡に立てられている戦死者五百人の供養塔

かくして松本安曇一帯の小笠原支持勢力は壊滅し、信玄の軍門に降った。

一時は北信濃の村上氏と結び、信玄に対抗した。

しかし武田の壁は厚く、ついに長時の捲土重来はならなかった。

 

武田に降らず、長時支持を貫いた豪族たちの地元での知名度は残念ながらきわめて低い。

刈屋原城(松本市刈屋原)城主の太田資忠などは徹底抗戦、降伏したのは天文22(1553)年であった。

長時には、かくのごとき多くの忠義一徹の家臣・豪族がいた。

 

「長時よ、なんとか一党化出来なかったか!」

 

一貫した長時の生涯に感じつつも、愚痴を言いたい気持ちだ。

 

因みに、歴史作家・海音寺潮五郎氏は大著「武将列伝・武田信玄」の項でこんなことを述べている。

「(戦国時代)、一体信州の抵抗力が弱いのは、それは信州の地理的条件による。

山が多く、小さな平野が分散している地勢そのものが割拠的であるために、この地には統一的な大勢力が成立しにくく、小豪族の割拠がいつまでも続いたのだ。

余談であるが、今日の信州人が自我が強く、理論好きで一人一党の観があるのもここに最も大きな原因があるとぼくは思っている」

 

氏の前半の論はきわめて納得いくが、後半部分の信州人論は、信州人として苦笑しつつも反論したい気もする。

 

信玄にほぼ統べられた信州を去って30年余、流転した長時は遠い異郷の会津若松で没した。

家臣に殺害されたとも病死ともいわれる。

奇しくも同年、子の小笠原貞慶が家康の家臣となり、松本城主として復帰を果たした。

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  ◆◆◆登場するもののふ 五十将星◆◆◆

 

坂上田村麻呂征夷大将軍に挑んだ信州人とは?

平 将門   岡田親義     手塚光盛      根井行親   

今井兼平   木曽義仲           

木曽義高   佐々木高綱  熊谷直実  梶原景時  

源頼朝   北条国時   北条時行   宗良親王 

 

小笠原長時  村上義清   武田信繁   山本勘助   

馬場信春  高坂昌信

武田信玄   上杉謙信  木曽義昌  仁科盛信  

依田信蕃   織田信長

 

明智光秀➡蹶起の真因は信州?

森 長可   上杉景勝   佐々成政   石川数正 

仙石秀久   真田昌幸   真田信繁   真田信之  

小笠原秀政  福島正則

花井吉成   松平忠輝   保科正之   

 

赤埴源蔵➡信州出身の四十七士にて候

吉良義周  太宰春台  武田耕雲斎  佐久間象山  

中岡慎太郎  赤松小三郎  堀 直虎  相良総三

 

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二木重高 下の巻

中塔城に立て籠もった長時・重高は武田勢に包囲されたが、城兵は意気盛ん、籠城戦は半年にも及び落ちなかった。

その間信玄の降伏勧告をガンとして拒否し続けた長時だった。

だがついに城を脱出、越後の上杉謙信を頼った。

 

城を去るにあたって長時は、これまでの重高の忠節に感謝し、

「必ずや復帰する。その時まで武田に仕え待っていてくれ」

と言い残したという。

 

中塔城↓は松本平を東流する黒沢川上流の南、比高400㍍余の急峻な山城である。

遺構は残っているようだがとても登れない感じがする。

 

その後重高は信玄に帰参した。

多くの信濃衆が早々降った中、 長時に忠義を貫いた重高 を評価したのか信玄はこれを許した。

 

 こんな逸話 が残っている。

ある時、信玄に「重高に叛意あり」との密告がもたらされた。

直ちに信玄は、重高を甲府の躑躅ヶ崎館↓への出頭を命じた。

そこで重高を訴えた洗馬の三村氏と対決したが、重高は堂々と身の潔白を証明した。

そればかりか後に三村氏が武田に反旗を翻した時、重高は即座に出陣、三村氏を討ったという。

 

重高の没年は不明である。

しかし子の重吉(しげよし)はよく父の心意を汲み取っていた。

武田、そして織田が滅んだ後、動乱の信州の中で長時の嫡子・貞慶をもりたて、府中(松本)の城主に返り咲かせた。

残念ながら長時はすでに没していた。

 重吉は長時の孫の松本8万石藩主となった小笠原秀政のもとで家老職に栄進している。

 

次の巻は、本多忠勝。

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◆◆◆登場するもののふ 五十将星◆◆◆

坂上田村麻呂 平 将門  岡田親義

手塚光盛    根井行親 今井兼平 木曽義仲           

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佐々木高綱 熊谷直実  梶原景時  

源頼朝   北条国時   北条時行   

宗良親王 

   小笠原長時負けても負けぬ!「反信玄」を貫いたが…

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馬場信春  高坂昌信

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   仁科五郎盛信⇒血戦、高遠城、「使者の耳をそぎ落とせ!」  

依田信蕃  織田信長

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