思わず口ずさんじゃう!?東大寺修二会の南無観コーラス | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。


修二会は一部の奈良人にとって、
あるいは全国の奈良好きな人にとっては、
特別な日々だったりします。


こちらは悔過の法会ではありますが、
ただ自分たちの過ちを懺悔(さんげ)しているわけではなく・・・

精進潔斎した僧侶が、人びとになり代わって、
観音様を賛美しながら、
人びとの犯してしまった罪を「赦してください」と
懺悔しているわけですので、

奈良国立博物館 西山厚先生のお言葉をお借りすれば、

「奈良を中心に愛を叫んでいる!」行であると表現できます。

まだまだ私自身は勉強不足ですので、
多くを語れるほどではないのですが・・・

そんな私であっても修二会に聴聞しだしてから、
かならず口ずさんでしまうようになったのは、

宝号(観音様の名号「南無観自在菩薩」)を
繰り返す
声明の唱句です。

これは観音様を賛美するものであり、

「南無」は「帰依する」という意味、

「南無観自在菩薩」は「観音様に帰依します」ということ。

はじめは「南無観自在菩薩」が繰り返され・・・
そのうち「南無観自在」が繰り返され・・・
あげくに「南無観!!」って愛称のように叫ばれますので、

最後は「観」って呼ぶほどまでに
人と観音様との距離感が近くなるのです。

これまた西山厚先生いわく、
「観様めっちゃスキ!」って叫んでいるみたいな?
呼びかけなのですよね。


<二月堂声明の伝承について>

塔頭二院、
観音院ご所蔵の次第本『二月堂時作法』は、
浄憲筆、文明十七年(1485)の奥書があり、

龍蔵院ご所蔵の『二月堂作法』は
訓盛相伝、天文十九年(1550)の奥書があります。

(ただし、『二月堂作法』は、英憲自筆本を順定から訓盛へと相伝したことが
記されているため、成立は奥書の年記より遡ります)

これらが次第本の中で最も古いものであるそうで、
成立は同時代のことです。

佐藤道子先生によると、
室町時代後半の成立のものが最も古い資料というのは、

それまでは口伝で伝えられてきた二月堂声明の、
正しい伝承についての危惧、あるいは一種の危機感が、
この時期寺内に顕在化し、次第を書き留め、

博士(はかせ・声明の経文の傍らに記して、
音の高低・長短を示す記号のこと)

を付して伝承する必要性が出てきたのではないか
ということです。


上記『二月堂時作法』
初夜作法の宝号の欄に

南無観自在菩薩 五十遍
南無観自在    三十遍
南無観       二十遍
南無         百遍

と四段構成が記されているそうですが、

現在ではおおよそ、

南無観自在菩薩 二十四遍 (上段)
南無観自在    二十遍   (中段)
南無観       十八遍   (下段)

ほどの回数による三段構成となっていて、
「南無」は呼ばれていません。

宝号は悔過法要の中心部にあり、
名号を讃え礼拝して懺悔の真情を吐露する一段であり、

かつての方がご本尊への
悔過の賛嘆の意味合いが色濃かったのだろうと、
佐藤道子先生がおっしゃっていました。

少し厳しいご意見ではありますが、
現在でもこの宝号の繰り返しは非常に耳に残ります。


聴聞者が親しみを込めて、
「南無観コーラス」と呼ぶことが聴聞すると
よくわかると思います。

はじめての聴聞で
思わず・・・口ずさんでしまうかも!?


それでは、今日も健康で幸せに過ごせますように。