やまたくの音吐朗々Diary

フリーライターのやまたくが綴る、

映画レビューを中心としたバトルロイヤル風味。


テーマ:
ツォツィ

4月14日より公開される2006年アカデミー賞外国語映画賞受賞作品「ツォツィ」の試写。

イギリス=南アフリカ合作。監督・脚本はギャヴィン・フッド、出演はプレスリー・チュエニヤハエ、テリー・ペート、ZOLAほか。

【ややネタバレを含んでいます】

ぜい肉のないシンプルな文章を、美しいと思う。

「ツォツィ」は、そんな美しい文章のようである。

決して長くない95分のフィルムのなかに、余計なぜい肉がいっさいない。

ぜい肉のない映画は、たとえ95分でも十分な満足感が味わえる。「ツォツィ」は冗長という言葉から無縁だ。短いクセに、人が描かれ、社会が描かれ、テーマが光り、物語を味わわせ……なおかつ、深い余韻さえ残してくれる。

アパルトヘイトの名残を引きずる南アフリカのヨハネスブルクに、ダレも本名を知らないツォツィ(=不良)と呼ばれる少年がいた。仲間とつるんで窃盗などの犯罪をくり返すツォツィは、ある日、カージャックしたクルマの車内に、生後数ヶ月の赤ん坊を見つける。ツォツィは迷った末、その赤ん坊を紙袋に入れて自宅に連れ(持ち?)帰った…。

経済的、物質的、社会的に恵まれた先進国(日本)に住む者が、差別社会の後遺症や貧富の差、大規模な失業問題などを抱えるアフリカ人の生活や気持ちを理解することは容易ではない。自分が体感していないものを理解することは、頭では可能だとしても、心ではほぼ不可能である。

だからといって、ツォツィが犯す犯罪行為を、擁護しようとは思わない。とくに、その犯罪が傷害や殺人である場合、窃盗などの犯罪と同列に語ることは言語道断だし、彼を取り巻く社会環境や家庭環境に対する同情を差し引いたとしても、ヘドが出るほどの嫌悪を感じる。

アナタが思い浮かべる凶悪犯はダレですか? と聞かれたら、ひとりやふたりは頭に思い浮かべることができるだろう。簡単に言えば、ツォツィはそんな凶悪犯と同じくらい卑劣な人間である。

そんな卑劣な凶悪犯であるツォツィを、この作品がどう描いたかは、ぜひ劇場のスクリーンで目撃してもらいたい——。

物語の大きな見どころは、ツォツィの赤ん坊に対する接し方にある。

ポイントとなるシーンはふたつ。

一つは、カージャックした車内にいた赤ん坊を、(置き去りにすればいいものの)家に連れ帰ったシーン。

この心理については、さまざまな分析ができるだろう。なかには、あのときのツォツィの精神状態を考えれば、わざわざ手間をかけて赤ん坊を連れ帰ったことを“不自然”と考える向きもあうだろう。

が、それでいいのだと思う。赤ん坊を連れ帰った動機を特定することは、おそらくツォツィ本人を含めてほぼ不可能だろうから。解釈はさまざまでいい。

ツォツィには、赤ん坊を連れて帰りたくなった“何か”があったのである。それをツォツィの錯乱した精神状態から生まれた衝動とみるもよし、彼の生い立ちや家庭環境に起因する感情の“ゆらぎ”と考えるもよし、単なる好奇心と考えるもよし。とにかく、ツォツィには、赤ん坊を連れて帰りたくなった“何か”があった。そう漠然と考えておけばいい。

もう一つポイントとなるシーンは、終盤、格差社会を象徴するかのような高層ビル群を遠望する丘の上で、ツォツィが赤ん坊と向かい合うシーンである。

このシーンには、ツォツィを自宅に連れ帰ったシーンとは異なり、ツォツィの明確な感情(動機)が描かれている。そして、このとき彼の胸に去来した赤ん坊への思いを想像することが、この作品の意図を理解するための大きなカギとなる。

赤ん坊を抱きしめるツォツィ。

美しいシーンだ。

赤ん坊との出会いと別れ。その間に芽生えたツォツィの感情の揺れを知るためにも、前述したふたつのシーンが持つ意味の違いを見抜いておきたい。

前者は漠然。後者は明確。

そして物語はクライマックスへと続く。

前半で残虐性・残忍性を見せ、中盤でうつろう感情を見せ、そしてラストでツォツィ自身に“踏み絵”を踏ませようという物語の運び方は——嫌らしいほどに——秀逸至極としか言いようがない。

ツォツィは、“踏み絵”を踏むのか、踏まないのか? その選択は、人間の本質や再生の可能性に迫った選択でもある。

ツォツィを演じたプレスリー・チュエニヤハエの存在感と、シーンに応じて色味を変化させた映像、そして鋭敏にしてダンサブルな南アフリカ流ヒップホップ・クワイトの音楽。突出しているわけではないが、すべてが端的かつ効果的で、ぜい肉のそぎ落とされたこの美しい作品に寄り添っている。

本作「ツォツィ」は、アフリカ社会の底辺で生まれた凶悪犯というギリギリの主人公の心の変化を描くことにより、人間の本能に潜むものが、凶暴性なのか? それとも愛情なのか? その両者の綱引きを描いた物語である。さしずめクライマックスは、その集大成(決勝戦?)と言うべきものだろう。

厳しいことを言えば、クライマックスでツォツィが正反対の行動に打って出る可能性は大いにあった——と、あえて言っておきたい。

綱引きの勝者は、単純な善悪の問題ではなく、どの目が出るか分からないダイスのようなものだから…。

エンドロールを見つめながら込み上げてくる深い感慨と感動は、作為的な美談から生まれるそれとは、少し違う。

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