邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国熊本説にもとづく邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、一から始める日本書紀研究について
ぼちぼちと綴っていきたいと思います。


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推古天皇:豊御食炊屋姫天皇:33代天皇

 

 推古天皇は、歴代天皇で最初の女性天皇であり、容姿端麗であったとされます。そして、推古天皇の治世には非常に重要な事績が多く見られます。

 

●仏教の興隆を図り、法興寺を建立(推古4年)

●冠位十二階の制定(推古11年)

●十七条の憲法を発布(推古12年)

●遣隋使の派遣(推古15年、16年など)

 *『隋書』では推古8年(600年)に最初の遣隋使を送ったとされる

●天皇紀、国記の編纂(聖徳太子、蘇我馬子による/推古28年)

などです。

 

 しかし、輝かしい事績を残す一方、多くの大切な人の死をみた女帝でもあります。32歳で夫の敏達天皇、34歳で兄の用明天皇、39歳で弟の崇峻天皇を亡くしました。そして、いずれ皇位継承させようと考えていたわが子竹田皇子も、それを叶えることなく早くに亡くします。また、晩年の68歳で政治をたすけてきてくれた聖徳太子を、そして73歳で敏達、用明、崇峻、推古と4代の天皇に仕えてきた蘇我馬子を亡くしています。

 

◆推古天皇年表

【欽明?年 554年 甲戌 1歳】※欽明天皇の実年代は未決

欽明天皇の第二女として誕生。母は堅塩媛(蘇我稲目の女)であり、31代用明天皇の同母妹。

【欽明?年 571年 辛卯 18歳】

18歳で皇太子であった敏達天皇と「結婚」。

【敏達5年 576年 丙申 23歳】

敏達天皇の「皇后」となる。

【敏達14年 585年 乙巳 32歳】

夫である敏達天皇崩御。

【用明2年 587年 丁未 34歳】

同母兄である用明天皇崩御。

【崇峻5年 592年 壬子 39歳】※基準年

異母弟である崇峻天皇が、蘇我馬子の命を受けた東漢駒に暗殺される。

【推古1年 593年 癸丑 40歳】

豊浦宮で即位。聖徳太子を皇太子とする。

【推古2年 594年 甲寅 41歳】

皇太子と馬子大臣に詔して仏教の興隆を図る。

【推古3年 595年 乙卯 42歳】

高麗の僧慧慈が帰化。百済の僧慧聡が来る。二人が三宝の棟梁となった。

【推古4年 596年 丙寅 43歳】

法興寺が落成。馬子大臣の長子善徳臣を寺司に任じる。

【推古5年 597年 丁巳 44歳】

百済王が王子阿佐を遣わす。吉士磐金を新羅に遣わす。

【推古6年 598年 戊午 45歳】

吉士磐金が帰国。

【推古7年 599年 己未 46歳】

四月二十七日地震で建物すべてが倒壊。

【推古8年 600年 庚申 47歳】

新羅と任那が戦う。境部臣を大将軍とした一万余の兵で新羅征討。しかしまた新羅が任那を犯す。

【推古9年 601年 辛酉 48歳】

皇太子が宮を斑鳩に建てる。大伴連囓を高麗に、坂本臣糠手を百済に遣わし、すみやかに任那を救えといわれる。

【推古10年 602年 壬戌 49歳】

来目皇子に新羅攻略を託すが、皇子が筑紫で病にかかり断念。百済の僧観勒が、暦の本、天文地理の本、遁甲方術の本を奉る。高麗の僧僧隆・雲聡が帰化。

【推古11年 603年 癸亥 50歳】

来目皇子が筑紫で薨去。兄の当摩皇子を将軍とするが妻の舎人姫王が播磨で薨じ、征討は中止。天皇は小墾田宮に移られた。十二月五日、冠位十二階を施行。

【推古12年 604年 甲子 51歳】

冠位を諸臣に賜る。四月三日、十七条憲法発布。

【推古13年 605年 乙丑 52歳】

詔して、銅と繍の一丈六尺の仏像を各一軀造り始める。皇太子が斑鳩宮に移られた。

【推古14年 606年 丙寅 53歳】

一丈六尺の仏像が完成して元興寺(飛鳥寺)の金堂に入れた。鞍作鳥の手柄をほめ大仁の位を賜る。

【推古15年 607年 丁卯 54歳】

小野臣妹子を大唐(隋)に遣わす。

【推古16年 608年 戊辰 55歳】

小野妹子が帰国。同行した大唐の使人裴世清が帰還する際に、再度小野妹子らを随行させる。

【推古17年 609年 己巳 56歳】

小野妹子らが帰国。

【推古18年 610年 庚午 57歳】

高麗王が僧曇徴・法定らを奉る。新羅・任那の使人が都に来た。

【推古19年 611年 辛未 58歳】

大和の菟田野に薬猟をした。新羅と任那が貢を奉る。

【推古20年 612年 壬申 59歳】

群卿に宴を賜り、蘇我馬子はお祝いの歌を献上。堅塩媛を桧隈大陵に改葬した。

【推古21年 613年 癸酉 60歳】

難波から都に至る大路を設けた。

【推古22年 614年 甲戌 61歳】

犬上君御鍬・矢田部造を大唐に遣わす。蘇我馬子大臣が病気になり平癒を祈り男女千人を出家させた。

【推古23年 615年 乙亥 62歳】

犬上君御鍬・矢田部造が帰国。

【推古24年 616年 丙子 63歳】

屋久島の人三十人が帰化。朴井に住まわせるが、帰郷を待たずに皆死んだ。

【推古25年 617年 丁丑 64歳】

出雲国から神戸郡に大きな瓜がなったと言ってきた。

【推古26年 618年 戊寅 65歳】

高麗が土地の産物を奉る。高麗が隋の煬帝の軍を破った旨を伝える。河辺臣を安芸国に遣わして船を造らせる。

【推古27年 619年 己卯 66歳】

(近江国、摂津国から異様な話が伝えられる)

【推古28年 620年 庚辰 67歳】

さざれ石を桧隈陵の敷石にしいた。天に赤色の気が現れた。聖徳太子と馬子大臣が相謀って天皇紀、国記を記録した。

【推古29年 621年 辛巳 68歳】

聖徳太子が薨去。磯長陵に葬る。

【推古30年 622年 壬午 69歳】

※無事績年/(高麗の僧慧慈が予告通り二月五日に死ぬ?)

【推古31年 623年 癸未 70歳】

新羅が仏像一体と金塔、舎利を奉る。新羅が任那を討ったので、数万の兵で新羅を討伐した。

【推古32年 624年 甲申 71歳】

寺および僧尼を調査・記録。寺は四十六カ所、僧八百十六人、尼五百六十九人であった。馬子が葛城県を賜りたいと申し出るが天皇は聞き入れられなかった。

【推古33年 625年 乙酉 72歳】

高麗の王が僧を奉り、僧正に任じられた。

【推古34年 626年 丙戌 73歳】

蘇我馬子が亡くなり、桃原墓(石舞台)に葬る。

【推古35年 627年 丁亥 74歳】

(ムジナや蠅の説話が語られる)

【推古36年 628年 戊子 75歳】※基準年

天皇が七十五歳で崩御。厚葬を望まず、竹田皇子の陵に葬ればよいと言い残されたので、そのようにした。

(推古天皇の項:完)※詳細な内容検討は歴代天皇の年代確定後に行いたいと思います。

 

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『日本書紀』の原文と読み下し文。全5巻です。

 

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参考文献:『日本書紀』読み下し文は難しいという方へ。現代語訳。上下巻。

 

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