邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国熊本説にもとづく邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、一から始める日本書紀研究について
ぼちぼちと綴っていきたいと思います。


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「魏志倭人伝」の記述からみると、卑弥呼の最初の遣使は「景初(けいしょ)二年」だったという結論にたどり着きました。

 しかし、二年(238年)であれば遼東で司馬懿(しばい)と公孫淵(こうそんえん)が交戦中であり、その混乱の中を難升米(なしめ)一行が洛陽に行くことは不可能であるとして、三年だったと考える説があります。

その「景初三年」説を生んだ遼東と朝鮮半島の状況はどうだったでしょうか。『三国志』のいくつかの紀伝の中に当時の状況が記されているので、そこから考えていきます。

 

 まず景初元年(237年)の「明帝紀」です。7月に明帝は幽州刺史(ゆうしゅうしし)の毌丘倹(かんきゅうけん)を遼東に派遣・駐屯させ、詔勅によって公孫淵を召し寄せますが、公孫淵は反旗を翻します。そこで毌丘倹を進軍させ公孫淵を伐とうとしますが、雨が十日間も降り続け遼水が氾濫したため詔勅により右北平(ゆうほくへい)に帰還させます。

 これを見て、公孫淵は自身を燕王(えんおう)と称して独立を宣言し、年号を紹漢(しょうかん)元年と改めます。

 

 この毌丘倹と公孫淵の交戦で、「公孫度伝」は「倹等不利而還(毌丘倹は情勢が不利になり帰還した)」とします。しかし、「明帝紀」では川の氾濫により引き揚げたと述べるのみですし、「毌丘倹伝」では「公孫淵逆與倹戦不利引還(公孫淵は毌丘倹と戦うが情勢が不利となり引き還した)」と記されています。

 「明帝紀」は続けて、烏丸(うがん)の単于(ぜんう)寇婁敦(こうろとん)や烏丸都督王護留(ごりゅう)らが部族を率いて帰順したことや、詔勅により遼東の将校、軍吏、兵士、庶民で公孫淵の脅迫によって降伏したものをすべて赦したことを記しています。この時点ですでに公孫淵の権力はかなり弱まっていたのではないかと推測できます。

 しかし、公孫淵はここでおそらく最後の手段として燕王としての独立を宣言します。実は公孫淵は以前(233年)に呉から燕王に封じられた過去があります。その時は呉を裏切ったのですが、ここにきて再度呉との連携を目論んでいたと思われます。

 これに対して、明帝は即座に反応します。海沿いの四つの州に大々的に海船の製造を命じます。これは、魏にとって遼東の背後にあたる楽浪郡・帯方郡を攻めるためのものだったと考えられます。

 

 「韓伝」には景初年間(237年~239年)に、明帝が帯方太守に任じた劉昕(りゅうきん)と楽浪守に任じた鮮于嗣(せんうし)に、秘密裏に海からそれぞれの郡に入って郡を平定させたとあります。公孫淵が燕王を宣言した以上、それを認められない魏としては新たな太守を任命して領地回復を図るのは当然のことだったのでしょう。それが速やかになされたとしたら、景初元年(237年)中のことだったかもしれません。

 そう考えると、景初二年(238年)正月に詔勅を下し、司馬懿に軍を統率させ、毌丘倹を副将として公孫淵を攻めさせたのは余裕の既定路線にみえてきます。逃げ場もなく襄平(じょうへい)に閉じこもった公孫淵を討つのに急ぐ必要もなく、悠然と進軍しています。時間的余裕が生じたからでしょうか、高句麗伝では王の宮(きゅう)が数千の軍勢で加勢したとされています。そして、九月についに公孫淵を打ち破りその首を都に送ることになるのです。

 

 ここまで遼東および朝鮮半島の状況を『三国志』の記述から探ってきましたが、上記のようだったとしたら、景初二年(238年)六月の帯方郡は劉昕の次の太守劉夏(りゅうか)のもと平穏を取り戻していたと考えられます。

 公孫氏の弱体化が明らかであり、直近の滅亡が予測されたなら、卑弥呼は急いで魏への遣使を企てたことでしょう。それは、早ければ元年中であったかもしれませんし、遅くとも帯方郡が魏に帰した時点であったはずです。そして、景初二年六月以降の状況をみれば、海路なら何の問題もなく、陸路でもほぼ戦闘に巻き込まれることなく安全に、難升米の一行は洛陽を目指すことができたのではないかと思われます。

 

 以上のような考察により、私は「魏志倭人伝」の記述通り、卑弥呼が帯方郡に遣使したのは「景初二年」が正解なのではないかと考えています。『梁書』や『日本書紀』所引の『魏志』が「景初三年」とするのは、写本における誤記、もしくは司馬懿と公孫淵の交戦状況を過大に慮った撰者の意図的な書き換えであったと思われます。(完)

 

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参考文献:『正史三国志I『正史三国志II『正史三国志IV』(ちくま学芸文庫)

 

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