2016-08-19 00:00:00

ハイパーテキストという考え方

テーマ:イージー・ゴーイング

デジタル感覚のファーストステップは、コンピュータがハイパーテキスト、あるいはハイパーリンクという考え方の上に成立していることを知ることだと思う。
大切なのはコンピュータそのものではなく、デジタルな思考のほうだ。
たとえば、ぼくらはごく簡単に「小説」と言う。これをデジタル風に言い換えれば、「シーケンシャルなテキストデータによるフィクション」ということになる。
つまり、時間軸に沿ってずーっと続いているテキスト、それが小説というものだ。
だがインターネットでもローカルなコンピュータ上でも、デジタルはそうではない。
たとえばインターネットのウェブサイトでリンクボタンをクリックすれば、たちどころに別のデータに飛ぶことができる。これがハイパーリンクというもので、なぜそんなことが可能かと言えば、あたり前の話だが、コンピュータで使用されている言語がハイパーテキストだからである。
“ じつは、ハイパーテキストのほうが、シーケンシャルなテキストよりも遙かに人間の思考そのものに近いのではないかという説がある。あるいはそれは、人間の脳の構造によく似ている。デジタルが脳に快感をもたらすのは、きっとそのせいだ。
美しい女性と、あるいはハンサムな男性と、つまり恋人と甘いキスを交わそうかとするその瞬間、「あれ、ちゃんと歯を磨いてきたっけ?」と思い、「そう言えば歯磨きがもう残り少なかったな」「帰りに角のコンビニで買っていこう」「小銭持ってたっけ?」「それにしても消費税って不便だよなあ」という具合に発想が繋がっていくことだってあるだろう。恋人と抱き合い、キスするまでのほんの数秒のうちにである。
長い小説を一気に読んでしまう人はいない。途中でぼんやりしたり、ある単語にひっかかり、小説の本筋とは無関係な思い出に耽ったり、ピーナッツをつまんだりするだろう。それこそが、ハイパーリンクと“いうものだよ。
個人が所有できるコンピュータというものが生まれたのはそれほど昔のことではないが、それを使うことで知った自由の感覚は、ぼくらの脳を変容させてしまったのだ。
インターネットやゲームやマッキントッシュの世界は、おそろしいほどの吸引力を持っている。それはすなわち、デジタルであること(Being Digital)が、強力な磁場を持っているということだ。そいつにのめり込むことは、サディズムやマゾヒズムといった性的嗜好に溺れることや、睡眠薬に頼らないと眠れなくなるのに似ている。トリップできるってわけだよ。

 

抜粋:: 山川健一. “希望のマッキントッシュ”。 iBooks.

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