2012-01-18 03:14:06 posted by yamaken

ラスコーリニコフとぼくらの孤独

テーマ:イージー・ゴーイング
今まで、今日の芸工大の『罪と罰』講義のための準備をしてました。唐突ですが、ラスコーリニコフがソーニャに老婆とその妹のリザヴェータの殺害を告白する時、斧で相手を殺したように、彼はソーニャを殺したのだと気がつきました。秘密の告白は時に相手を殺すに十分です。

ソーニャはいわばラスコーリニコフが作り上げた女性です。あらゆる恋愛は、相手を作り上げることによって成立するのだとぼくは思っています。すると、ラスコーリニコフはソーニャに告白することで、自分を殺したことになります。したがって、スヴィドリガイロフのように自殺する道ものこされていなかったのです。

あるいは、ラスコーリニコフの自殺の可能性が閉ざされたところで、スヴィドリガイロフという奇怪な人物が生まれたのだとも考えられます。そのことで、ラスコーリニコフはキリストへの道を歩むことになります。ただそれは『罪と罰』では無理で、次作の『白痴』のムイシュキンの登場を待たなければなりませんでした。

ラスコーリニコフにあったのは超人思想というよりも、社会に対して自らが絶縁体であるかのような孤独です。ラスコーリニコフの絶望はスヴィドリガイロフやマルメラードフ以上に深かったはずです。ドストエフスキーはそれを、19世紀の社会ではすべての人間が陥る可能性のある孤独だと考えていました。


イージー・ゴーイング 山川健一-罪と罰
ラスコーリニコフとマルメラードフ(1874年版の挿絵)

19世紀だけではありません。今も被災地の仮設住宅には、深い孤独に苦しむ人達がいらっしゃるだろうと思います。都内で自らの行く末を思案する人にとっても同じです。東電福島の原発事故はわれわれに、ラスコーリニコフと同じような孤独と絶望を強いたのだとぼくは思います。

脱原発の運動は、そんな多くの孤独な魂に支えられているのだと思います。現代の日本の多くのラスコーリニコフやソーニャが、運動を支えているのです。そういう中で、原発国民投票は1つの希望であることは確かだとぼくは思います。

原発国民投票についての個人的な意見です。「2022年までに閉鎖」という選択肢は、現状維持を容認することになりかねないので良くないとぼくは 思います。「即刻廃止」で押し起きるのは難しそうなので、前にもツイートしましたが、選択肢は「運転、稼働を認める」「運転、稼働を認めない」で いいのでは? 

国民投票の意義は、多くの人々が原発に関心を持つきっかけにすることだと思います。つまり、国民投票はスタートラインで多くの事柄の1つだという ことです。稼働中の原発は、残りはあと5基です。再稼動をいかに阻止するか。それが大切だろうと思います。http://nanohana.me/?page_id=800


ぼくらがこの困難な状況を生き延びるために、実際にすべての原発を廃炉に追い込む必要があります。今後数ヶ月から数年がとても大事なはずで、繰り返しますが「2022 年までに閉鎖」では遅すぎます。

「原発」国民投票市民案・投票選択肢に関するアンケート、というサイトがあります。
http://www.pentatoys.com/vote2/posts/view/6360/?guid=ON 
このアンケートは有効だとぼくは思います。『投票選択肢は、「存続」「廃止」の2択にすべきである』という設問にぼくは「そう思う」に投票しました。興味のある方は、サイトへ行ってみてください。