2017-04-16 01:14:04

4/23(日)夜9時~『徹の部屋#13』に出演します

テーマ:イージー・ゴーイング

AbemaTV Special2チャンネルにて4/23(日)夜9時~『徹の部屋#13』への出演が決定致しました。

以下のURLから視聴予約をし、是非ご覧ください。

http://bit.ly/2nWSuXI

 

<番組概要>

出版業界の革命児・見城徹がホストを務める、2時間生放送のトーク番組! 毎回、見城徹が「今、一番会いたい」ゲストを招き、内臓と内臓をこすり合わせる様な熱狂トークを披露する。 若手タレントから超大物ゲストまで、見城徹の幅広い人脈だからこそ呼べる、珠玉のゲストたちが登場します。 テレビでは中々話すことが出来ないゲストたちの本音にも迫りながら、 AbemaTVだから出来る、そして生放送だから出来るギリギリなトーク内容も展開! 加減の利かない魂100%のコメントで、ズバッスバッと切り込んでいきます。 さらには視聴者たちからも、リアルタイムで質問を大募集! 視聴者との間で、ド直球で偽りのないやり取りを展開します。 そんなトークを彩るのは、見城徹ならではの上質で大人な空間。 業界怖いもの無しの見城徹が、とにかく話しまくるスリリングな対談ショー!

 

<出演者>

 見城徹

大石絵理

 小林希

 山川健一

 

■以下のURLから視聴が可能です。
AbemaTV」      https://abema.tv/
Google Play        https://play.google.com/store/apps/details?id=tv.abema 
App Store          https://itunes.apple.com/us/app/abematv/id1074866833?l=ja&ls=1&mt=8
 
■一般的な視聴方法
・スマートフォンの場合
  上記のURLからAbemaTVをダウンロード
  右側に表示される番組表と検索タブをタップ
  日時、チャンネルから番組を探しタップ、または右上の虫眼鏡マークから検索
  「視聴予約をする」をタップ(今回のみ・毎回どちらかを選択)→当日通知が届く
  当日は、アプリを起動し、「Special2」チャンネルに合わせる
 
PCの場合
  AbemaTVを開く
  上部に表示されている番組表タブをクリック
  日時、チャンネルから番組を探す、または左上の虫眼鏡マークから検索
  「視聴予約をする」をタップ(今回のみ・毎回どちらかを選択)→当日通知が届く
  当日は、「Special2」チャンネルに合わせる


2時間の生番組です。
よろしくお願いします!
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2017-04-16 00:52:45

見城徹氏とぼく

テーマ:イージー・ゴーイング

ぼくが二十四歳の時、五木寛之氏が「若手編集者と若手作家の会」というのを主催され、ぼくも招いていただき、当時勤めていたクレジットカードの会社から駆けつけた。デビューしたばかりのぼくにとっては、初めて会う人たちばかりであった。
五木さんを囲む会食が終わり、六、七人の「若手」だけで新宿三丁目のアイララというバーへ繰り出した。大音量でサルサがかっていて、手持ち無沙汰だったのでフロアーへ行って踊っていたら、ぼく以外ににも一人踊っている人がいて、こちらに近づいて来た。
「俺、角川書店の見城徹。君は?」
ステップを踏みながら彼はそう名乗った。
「『群像』でデビューしたばっかりの山川健一」
「おっ、それ読んだぞ」
見城さんは踊りながらぼくの全身を眺め、耳元に口を寄せると大声で言った。
「なんでそんなダサいスーツ着てるわけ?」
「会社の帰りなんで。あ、クレジットカードの会社に行ってるんで」
それからしばらく向かい合って踊っていた。ぼくら以外に踊りに来る「若手」はいないようだった。
しばらくすると、見城さんがいきなり言った。
「『野性時代』に小説書かないか?」
「書く」とぼくは即座に答えた。
ぼくらは店の隅にあるテーブル席へ移動し、バーボンを頼み、すると見城さんは余計なことは一切言わずにこう言ったのだった。
「一〇〇枚の小説を三ヶ月に一本、それを三回。最初のシメキリは……」
シメキリと一〇〇枚という枚数だけをぼくは酔っぱらった頭で記憶した。それが見城徹氏との出会いであった。見城さんはぼくより三つ年上なので、この時二十七歳である。
シメキリの前夜に原稿を書き終え、郵送では間に合わないので角川書店に持っていった。受付でその旨を告げると、やがて見城さんがやって来て、怪訝な顔でぼくを見る。酔って依頼した原稿のことなど忘れていたのかもしれない。
応接室で原稿を渡すと、誉めちぎられた。
「わざわざ原稿を持ってきたのか? 普通は編集者のほうが取りに行くんだよ。君は偉い。君はやがて日本を代表する作家になるだろうが、今日こうして原稿を持ってきたその謙虚さを、絶対に忘れてはいけないよ。いや、君は偉い!」
見城さんとはもう三十八年のつき合いになるわけだが、あんなに誉めてもらったのはこの時だけである。見城さんは『野性時代』の連作が終了すると、「壜の中のメッセージ」をすぐに単行本にしてくれた。これが、ぼくの最初の単行本である。「鏡の中のガラスの船」よりも少しだけ先に出た。
見城さんに連れられて、本の見本を持ってあちこちの雑誌編集部に書評をお願いしに行った。もっとも、売り込むのはもっぱら見城さんで、ぼくは頭を下げるだけだったのだが。
単行本をためていき、一気に何冊かの文庫を出版するというのも見城さんの戦略だった。
青春四部作の原稿のすべてを、ぼくは見城さんに手渡した。「壜の中のメッセージ」と「パーク・アベニューの孤独」は単行本と文庫本の両方が出て、「星とレゲエの島」はいきなり文庫で巻頭にカラー写真をふんだんに使い、しかし刷れば刷るだけ赤字になるので初版五万部で増刷はしない。「ママ・アフリカ」は反対に単行本だけである。それらすべてが、見城徹プロデュースだった。その時々に「うん、わかった」とぼくは答えるだけであった。
やがて見城さんが幻冬舎を設立した後も、事情は変わらなかった。
東北芸術工科大学に文芸学科を設立するという話も、実は幻冬舎の社長室で見城さんから聞いた。話の全貌がうまくつかめずにいたのだが、どうやらぼくに学科長をやれと言っているらしいと判明。この時ばかりは「うん、わかった」ではなく、「マジかよ? そんなの無理!」と答えたのだったが。
そして今、こうしてデジタル全集を出してくれるのも見城さんである。こうなってくるともはや、ぼくの人生そのものが見城徹プロデュースみたいなものである。

 

「山川健一自身による
デジタル全集解説」より引用