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2016-09-12 08:15:41

『万年筆』(後編)

テーマ:創作みたいなもの

僕は静かに入口へ向かった。薄暗いお店の格子戸を通して外の様子をうかがった。真夏の強い日差しに目がくらんだ。少し風があるのか通りは巻き上げられた土埃で白くぼやけ人影は見えない。

僕はそうっと格子戸を閉め外に出た。

ズボンのポケットの中にはさっき見たケースに入った万年筆を握りしめたこぶしが入っていた。

急いでお店を離れようとして速足で歩き始めたが

「ちょっと僕」

今しも声をかけられそうで気が気でなく、足に力が入らずもつれるようにして歩き続けた。四つ角を曲がりお店が見えなくなってほっと一息ついた。どうやって家まで帰り着いたかまるで記憶がなかった。家にはだれもいなかった。そのまま自分の机の前に座った。ポケットから手を出した。強く握りしめていたせいで関節が白くなっているこぶしはすぐには開かない、指を一本一本剥がすように開いて汗でぬれたケースを取り出し机の真ん中に置いた。あまりに強く握りしめていたためかプラスチックのケースには白い小さな細長いひびが入っていた。ケースを開けて万年筆を取り出した。間近で見るのも初めてだ。黒く鈍く光る本体は、中心が少し膨らんだ棒状で真ん中あたりに二ミリほどの金色の線がある。そこから後ろがキャップでポケットに入れるときに挟む部分があるがそこも金色だった。手に取ってゆっくりとねじってキャップを外すと烏賊の頭のようなペン先が現れた。ほんの小さな部分にもかかわらず全体に細かな模様が彫られて、先端から真ん中あたりまで縦に切れ目が入り最後は読点を塗りつぶしたような黒いまるで終わっていた。手に取って書く真似をしてみるが使い方も分からない。机の上に戻し何気なく眺めていた。そもそもお店へはノートを買いに行ったのであって、万年筆は欲しかったものではなかった。


どのくらい時間がたったのだろうか、そのとき外で人の話し声が聞こえた。あわてて机の奥にしまい込んだ。そのあとはご飯を食べていても机の中が気になって仕方がなかった。何を食べたのかも、いつ食事を終えたのかもわからなかった。


翌日は家に置いておくといつだれが偶然見つけるかもわからないので、ケースごとポケットに入れて家を出た。どうしたらいいのか分からない。捨ててしまおうかとも思ったが、高価なものなのでそれもできない。夕方になった。いろいろ悩んだ末返しに行くことにした。


お店の前をゆっくり歩いて中の様子を窺った。誰もいないようである。格子戸に手をかけて引くと鍵はかかっていなかったようで開いた。小さな声で「ごめんください」と声をかけたが誰も出てこない。そうっと中に入った。今がチャンスだ。ガラスケースの上に万年筆を置いて帰ろうとした。ポケットに手を入れて万年筆の入ったケースを取り出そうとした。その時「はーい」と声がして誰かが出てきた。それは斉藤さんだった。僕は心臓が止まるかと思った。

「あっ、こんにちは」

「き、君の家このお店だったんだ」

僕はやっとそれだけ言った。

「うん…でもここはおばあちゃんのうち…と言ってもほんとのおばあちゃんじゃないけど…」

「そう、どうりで今まで見たことなかったはずだ…」

「それより何を買いに来たの」

「あっ、そのう…ノートが無くなっちゃって」

「勉強家なのね」

「そんなんじゃないよ…算数のノートが無くなっちゃったんだ……いつも店番しているの」

「ううん、店番なんかしたことないよ、今日初めて、というか今日は単なるお留守番」

「そう、それならまた来るよ」

僕は急いで帰ろうとした。

「まって、せっかく来たんだから、ノート買って行って…それにいつまでお店をやるか分からないし」

そういうと彼女は何種類かのノートを出した。

僕はその中から適当に選んで一冊買った。四十円だった。僕は百円玉を出した。彼女はおつりを取りに奥に入って行った。

今しかない。

僕は急いでポケットから万年筆の入ったケースを取り出すと、しゃがんでそれをガラスケースの下に押し込んだ。すばやく立ち上ると同時に

「おまちどうさま」と声がして奥から彼女が出てきた。

何気ない風を装ったが急いでしゃがんだり立ったりしたので僕の顔は赤く上気していた。

僕はお釣りをもらい急いで帰ろうとした。

「ちょっと待って」

「な、なに」

喉がからからに乾いている僕はやっとそれだけ言った。

「いい、やっぱりやめる」

「なんだよ、はっきり言えばいいだろう」

「言いにくいけど、思い切って言うね」

「…」

「このあいだの学校でのことだけど、黒板に相合傘が描かれていたでしょう…」

「ああ、そのことか。嫌な思いさせてごめんね。このあいだも言ったけどあいつらバカだから、許してやって」

「あなたこそ嫌な思いしたんじゃないかと思って」

「僕は何とも思ってないよ。だいいち僕は女の子の事なんて興味ないよ、君も知っての通り僕はマンガを読んだり、数学の問題を解く事のほうがずっと楽しいから。」

「そう、それならいいんだけど。私ね、ほんとの事言うと恥ずかしかったけれどちょっとうれしかったの、あなたは他の男子と違って変なこと言わないし、数学の問題の解き方を見てもまじめで一生懸命なのが分かるから」

「変なこと言うなよ、僕はまじめでなんかないよ。もう帰る。さようなら」

そう言うと僕は逃げるようにしてお店を出た。その時彼女がどんな顔をしていたのか僕は知らない。僕はとにかくその場から一刻も早く立ち去りたかったのだ。僕は君が思っているまじめな人間じゃない、最低の人間で泥棒なんだ。その上そうっと返してそれを無かったことにしたんだ。僕は嘘を付いて誤魔化したんだ。僕は人間の屑だ。そんな言葉ばかりが頭の中に渦巻いていた。


幸い夏休みだったので彼女と会わずに済むことにほっとした。もともと外で遊ぶ友達もいないぼくの夏休みはこのことがあって、ますます憂鬱になった。それでも日がたつにつれて僕は嫌なことは忘れてしまい、一番の心配ごとは夏休みの宿題になった。当時は宿題がたくさん出た。絵が一枚、「夏休みの友」という何とも皮肉な題名のドリルが何冊か、読書感想文に、毎日の日記、それに自由研究なる物まであった。ドリル以外はいつもどうしてよいか分からずにギリギリまで悩んだ末に、とても人様には見せられないようなものを最後の二三日でやっつけ仕事で済まして提出していた。どうせ最後にならなければやらないのだからそれまで宿題のことなど考えずに遊んでいればいいのだが、なぜか夏休みの半ばごろからいつもどうしようどうしようと、悩み続けて重苦しい日々を過ごしはじめ、その重苦しさは夏休みが残り少なくなるにつれてどんどんひどくなるのだった。夏休みには全校登校日というものが二日あった。夏休みが始まって二週間ほど経った頃に一回目があり、二回目は夏休みの後半だった。

その二回目の全校登校日の事であった。「なんで登校日なんてもんがあるんだろう」と誰かが言うと、「二回目の登校日は先生が給料をもらうために学校に来なくちゃあならないんで俺たちも道連れに学校に来させられるんだぜ。父ちゃんと母ちゃんが言ってた」と別の誰かが訳知り顔で言うのだった。朝礼のあと教室に入った。「宿題あとどれくらい残ってる」、「俺はもう全部やっちゃった」、「嘘だろう、おれ何にもやってないよ」、などと話をした。やがて教室に先生がやって来た。始めに出席を取った。だれだれさんは旅行でお休みと連絡がありました。だれだれさんは風邪をひいて休むそうです。と先生が言うと、「あのバカが風邪をひくわけねぇよ、昨日遊んだ時元気だったぜ、絶対ずる休みだ」、などという声があちこちで上がった。登校しているのは旅行に行けるだけの金持でもなければ、ずる休みをするだけの度胸もないものばかりで全体の六割ぐらいであった。彼女の姿も見えなかった。「皆さん宿題は進んでいますか、どこかへ出かけた人はいますか」、などと通り一遍のことを話した後先生は「皆さんにお知らせがあります。一学期に転校して来た斉藤さんですが、お家の都合でお引っ越しをなされました。斉藤さんはおばあさんの家に住んで学校に通っていました。おばあさんの家は皆さんも知っている学校のそばの文房具屋さんです。そのおばあさんは最近具合が悪くなりお店を閉めることになり、お引っ越しをすることになったのだそうです。先日学校にお父さんと斉藤さんが見えて短い間でしたがお世話になりました、お店の品物で大変申し訳ないのですがせめてもの気持ちです、皆さんに差し上げてくださいそういって帰られました。」


僕らはひとりひとりノートと鉛筆そして消しゴムをもらって帰った。


夕飯の時僕は学校で貰ったノートや鉛筆等を見せて転校生がお礼に皆にくれたと話した。

「ずいぶんたくさんくれたのね。クラス全員だとお金がかかったんじゃないかしら。」

「学校のそばの文房具屋の子だったんだよ、お店を閉めたんでそれをくれたんだと先生が言ってた」

「あそこの文房具屋か、そういえば閉まってたな。なんでやめちゃったんだろう、あそこのお店が無くなると困るんじゃないか」

「そう…あそこのお店の子だったの。あたし知ってる。あそこのお店おばあさんがやってたんだけど、ずいぶんお年で目も悪いし、耳も遠くなってしまって最近はずいぶん万引きも多くなってたんだって。それでもお店が無くなると子供たちが困るだろうというんで無理してなんとか続けていたんだけど、このあいだは万年筆だか何だか高いものが無くなって大騒ぎした後、結局出てきておばあさんの勘違いだったことが分かったらしいの、おばあさんいよいよ呆けたんじゃないかという事になったらしいわ。それでもうお店を続けることは無理という事になって、おばあさんも納得してやめることになったそうよ。万引きするなんてひどい子たちが居るものね、親の顔が見たいわ」


食欲がなくなった僕は下を向いて味も分からないご飯を黙々と食べた。


それからしばらくして彼女から手紙が来た。


「急に転校することになりました。お父さんの実家なので今度は、ここに長く住めるかなと思っていたのですが、おばあさんがお店をたたむことになってお父さんの会社の社宅に引っ越すことになりました。いままで仲良くしてくれてありがとう。お店をやめるときに何でも好きなものをあげるといわれて私は赤い万年筆をもらいました。そのときおばあさんが、この黒い万年筆もケースにひびが入って売り物にならないからあなたにあげる、もしいらなかったら誰かにあげてもいいよ。そういって私に黒い万年筆をくれました。ケースにひびが入っているけれど中身は壊れていません。よかったらもらってください。もしいらなかったら他の人に上げるなり、捨てるなりしてください。あなたがもらってくれるとうれしいです」

その手紙と一緒に、あの万年筆がケースごと入っていた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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