山形だけの年間三隣亡 2

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三隣亡の由来

 

三隣亡の由来は全く不明である。

江戸時代よりも前の古い暦注解説書には書かれておらず、江戸時代になってから散見されるようになった。

 

興味あることには、江戸時代の本には「三輪宝」と書かれ、「屋立てよし」「蔵立てよし」と注記されていた。

すなわち、現在とは正反対の吉日だったことになる。

 

これがある年の暦から一変したのだそうだ。

恐らく暦の編者が「よ」を「あ」と書き間違え、それがそのまま「屋立てあし」「蔵立てあし」と伝わってしまったのではないかと推測されている。

 

その後「三輪宝」の吉字が凶日を意味するのではおかしいということで、同音の「三隣亡」に書き改められたのである。

由来を思えば全く馬鹿げた悪習である。

 

馬鹿げてはいるが、「向こう三軒両隣を滅ぼす」と言う話だとご近所さんでこの迷信を信じる人がいたら、以後の近所つきあいが難しくなる。仏滅とはまた違う難しさだ。

 

それが三隣亡迷信がなかなか廃れない理由である。
 

(続く)

 

 

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