地震から77日たち、野球も、サッカーも、復興の先駆けとして頑張っている。


しかし桜を観ても、仙台のチームの勝利を見ても、その喜びには薄紙がかかったような感じがする。


美しい5月の緑にさえ、心踊ることはない。




私は震災によって物質的に被害を受けてはおらず、被災者と呼ばれる立場にない。


しかし凶悪な揺れの最中、建物が倒壊して死ぬかもしれない、と覚悟した。


生まれて初めてのことである。





子供たちが小さいときよく遊んだ太平洋岸の景勝地もすべて、本当にすべて壊滅した。



食料・物資不足と放射能騒ぎで、日常生活の拠って立つ地盤が何と危ういものであるかを知った。



爆発したのが福島でなく女川原発だったら、一夜にして住と職を失ったかもしれなかった。





知人の死に遭い、友人たちの生と死、紙一重の経験談を数多く聞き、心がやや虚無的な状態になっている。


自分の記憶や感情を何らかの形で表出し、整理していくことはトラウマケアになるだろう。





いつまでも震災のことを書くな、と言う方には申し訳ない。


しかしこのブログは今、誰かに読んでもらうためでなく、自分のためのトラウマワークとして書いている。




というわけで、「山形ブログ」の面影もない震災編はまだ続きます。


震災編が終わるまで、もう少しお付き合いください。





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