H商店のH君 2 消えたH商店

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城南町にあったH商店は敷地に豪勢なH家の母屋と、複数の蔵と石造りの工場を有していた。


工場では米、麦の製粉と飼料作りをしていた。

H家の長男H君は中学で、「そうめんや」と呼ばれていた。


今でこそそういうことはなくなったが、あの頃は子供を家業で呼んだのである。

家が銭湯なら子供は「ふろや」、精肉店なら「にくや」と呼ばれた。同級生はもちろん、教師もそう呼ぶことがあった。


喧嘩をすれば「●●ふろや」、「腐れにくや」と罵られた。



昭和50年以降、「山形駅周辺整備事業」が始まり、H商店の建物群は取り壊されることになった。


「H家の石造りの建物は歴史的価値があり、移築保存される」という噂もあったが、いつのまにか立ち消えになり、すべて更地になった。


H商店の建物は城南町から消えた。

跡地は面白みのない新興住宅街になっている。


区画整理で、あの頃の道路もすっかり変わってしまったが、三中をキーストーンにすればH家のあった位置が特定できる。


当時三中から見て北東の位置に国鉄が有した1000坪ほどの広場があり、H家はそれに接して北側にあったのである。



H家が別の土地で営業をしているのか、H君が家業を継いだのか、誰に聞いても分からない。



(続く)




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