• 25 May
    • 東京散歩 (4)都電荒川線

      2分ほど待っていると三ノ輪行きの電車がやってきた。 すぐに反対側から早稲田行きの電車が。 これに乗ってみる。 電車はワンマンで前乗り、後降り。 料金は170円の先払い。 発車の時「チン、チン」とベルを鳴らす。 鬼子母神を過ぎて見えてきたのは千登勢橋。 橋の上はこうなっている↑ 千登勢橋は目白通りにある橋で、下を明治通りと都電荒川線が走っている。 土木史的価値が高い橋のため、「東京の著名橋」にも指定されている。 西島三重子の『千登勢橋』はこの橋を歌っている。 彼女は小学校から短大まで、目白にある川村学園に通っていたため、そのあたりの風景が彼女のいくつかの曲に描かれている。   「千登勢橋」 https://www.youtube.com/watch?v=-ngbapzMook 門谷憲二作詞・西島三重子作曲 駅に向かう学生達と 何度もすれ違いながら あなたと歩いた目白の街は 今もあの日のたたずまい 指を絡めいつもと違う あなたのやさしさに気付き もうすぐ二人の別れが来ると 胸が震え悲しかった 電車と車が並んで走る それを見下ろす橋の上 千登勢橋から落とした 白いハンカチが ヒラヒラ風に舞って 飛んで行ったのは あなたがそっとサヨナラを つぶやいた時でしたね 面影橋付近。 ♪電車と車が並んで走る♪ 風景。 終点です。 ここは早稲田。

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  • 18 May
    • 東京散歩 (3)猿田彦神社

      高岩寺の境内は結構広い。 悪いところに線香の煙をなすりつける。 全身につけている人も。(全身が痛いのか?) 何の行列? 観音様を洗う順番を待っているのだった。 これは洗い観音と呼ばれる。 とげぬき地蔵は秘仏で拝観出来ないので、みんなこの観音様に触れたいのだ。 江戸時代最大の火事であった「明暦の大火」(1657年)で、当寺の檀徒の一人「屋根屋喜平次」は妻をなくし、その供養のため、「聖観世音菩薩」を高岩寺に寄進した。   この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしかうまれた。 これが「洗い観音」の起源。 その後永年タワシで洗っていた聖観世音菩薩の顔がしだいにすりへってきたため平成4年11月27日、新しい聖観世音菩薩の開眼式を執行した。 同時にタワシを廃止、布で洗うことになった。 有名な赤パンツ屋。 赤い下着を身に着けると長生きできるのだという。 パンツ1枚750円ほど。 メンズもあります。 看板犬です。 カキフライで有名なときわ食堂。 次から次へとお客さんが入って行く。 猿田彦神社 正式名称は「巣鴨猿田彦庚申堂」。 地蔵通り商店街の西端に鎮座する小さなお社。 ここは江戸時代、よしずで囲んだ「団子茶屋」という有名な茶店があった場所だった。 狛犬の代わりに猿神が左右にいる。 猿田彦大神は日本神話に登場する。 天孫降臨の時に天の神々の通り道に立ちふさがっていた神で、猿ではない。 この猿田彦をお色気で悩殺したのが、かの有名な天鈿女命(あめのうずめのみこと)という女神である。 彼女に悩殺された猿田彦は天の神々を高千穂まで道案内した。 このことから猿田彦は「道と境界を守る神」つまり道祖神として信仰されるようになった。 商店街を抜けると都電荒川線の庚申塚停留所に出る。 庚申塚 庚申信仰の起源は、中国から伝わった道教の三尸説(さんしせつ)に求めることができる。 それによれば、人の身体にいる三尸という虫が、六〇日に一度訪れる庚申の日の夜に人の罪状を天帝に告げに行くため、人々はこの晩は寝ずに過ごし、寿命が縮められるのを防ぐというものである。 室町時代の中頃から庚申待(まち)が行われるようになり、さらに僧侶や修験者の指導によって講集団が組織され、江戸時代になると各地に庚申講がつくられ、その供養のため庚申塔が造立されるようになった。 江戸時代の文化年間に出された地誌「遊歴雑記」によると、祠内に納められている庚申塔は明暦三年の江戸大火後に造られ、その際文亀二年造立の高さ八尺の碑は、その下に埋められたとされている。 その庚申塚は、旧中山道(現地蔵通り)沿いに展開した巣鴨町の北東端、すなわち旧中山道と折戸通りの交差地に位置し、天保年間に刊行された「江戸名所図会」では、中山道板橋宿に入る前の立場(休憩所)として描かれている。 現在も都電の庚申塚停留所を下車して参拝する人や、とげぬき地蔵の縁日帰りに立ち寄る人が後を絶たない。 庚申は「かのえさる」と読むことから、庚申と猿田彦が一緒になって信仰されている。

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  • 11 May
  • 04 May
    • 東京散歩 (2)巣鴨

      恵比寿から山手線で巣鴨に来た。 地蔵通商店街は一度は来なければと思っていた場所。 巣鴨のユルキャラ「すがもん」のお尻です。 もちろんしつこくなでて来ました。 ここは杖を付いたおばあちゃんがいっぱい。 そして煎餅とか 大福とか 飴の店が並ぶ。渋いなあ。 洒落た「スイーツ」の店がないのが小気味よい。 「スイーツ」なる言葉を自分は認めていないんだ。 巣鴨のメインスポット、とげぬき地蔵。 このお寺、正式には曹洞宗萬頂山高岩寺という。 慶長元年(1596年)に江戸湯島に開かれ、約60年後下谷屏風坂に移り巣鴨には明治24年(1891年)に移転してきた。 ご本尊は「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩。 とげぬきの由来 正徳3年(1713年)5月のこと、江戸小石川に住む田付という人の妻は、常に地蔵尊を信仰していた。 一人の男の子を出産して後重い病に見舞われ床に臥し、手足は「細き竹のごとく」にやせ細ってしまった。 諸々の医者が手を尽くしたが、一向によくならず、遂に婦人は臨終を覚悟し、「私の家には怨霊があって、女はみな25歳までしか生きられないと父母から聞いております。姉も25歳で亡くなりました。」といいだす始末であった。 田付氏は悲歎にくれつつも、この上は妻が日頃信仰する地蔵尊におすがりするほかないと、毎日一心に病気平癒の祈願を続けた。 ある日、田付氏は不思議な夢をみた。黒衣に袈裟をかけた一人の僧が現われ、「私の像(かたち)を一寸三分に彫刻して川に浮かべよ」という。 田付氏は、それは急には成し難いことを答えると、「ではあなたに印像を与えよう」といわれ、夢からさめた。 不思議な夢と、ふと枕元をみると、何か木のふしのようなものが置いてあった。 よくみるとそれは「彫ったものでも書いたものでもない」不思議な地蔵菩薩の御影なのだった。 田付氏は命の通り、これを印肉にせしめて、宝号を唱えつつ一万体の御影をつくり、両国橋へ行き、一心に祈願しながらこれを河水に浮かべた。 さて、その翌朝、田付氏は病床の夫人の呼ぶ声に急いで行ってみると、夫人は「今、枕元に死魔が現われましたが、錫杖をもった黒衣のお坊さんが、錫杖を使って外にドンと突き出してしまわれるのを見ました」と告げた。 田付氏は霊験にわれを忘れていたが、あれほど重かった夫人の病は日一日と快方に向かい、その年の11月には床を離れることが出来、以後夫人は無病になった。 田付氏がこの霊験の話を山高という人の家でしていると、一座の中に毛利家に出入りする西順という僧がいて、ぜひその御影を頂戴したいといった。 田付氏は持っていた2枚を与えた。 正徳5年のある日、この毛利家の女中の一人が、あやまって口にくわえた針を飲み込んでしまった。女は苦しみもがくが医者も手の施しようがなかった。 そこに西順が来たり、「ここに地蔵尊の尊影がある。頂戴しなさい」といって、一枚を水で飲ませました。 すると、間もなく女中は腹の中のものを吐き、きれいな水で洗っていると、その中に飲み込んだ針が、地蔵尊の御影を貫いてでてきたという。 とげぬき地蔵尊御影 とげぬき地蔵尊御影↑ 縦4センチ横1.5センチの和紙の中央に尊像が描かれている。 「南無地蔵願王尊(なむじぞうがんのうそん)」と何回かずつ唱えながら、治したい部分にあてて軽くなで、唱え終わったら水で飲み込むのだそうです。 江戸時代、針を誤飲したら一生取れなかっただろう。 一生チクチクする、どころか針が消化管を損傷して出血、化膿し、命にもかかわった。 南方仁先生でもX線と内視鏡がなければ取り出すことは無理だったろう。

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プロフィール

辰つぁん

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宮城県
自己紹介:
山形市生まれ。仙台市在住。 ダックスフント2匹を連れて毎日広瀬川遊歩道を散歩してます。

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